第10話

 「ねえ兄さん、どうして私の誘いを受けたの?私は敵なんでしょう?」


 他の三人が見えなくなってから、マリスはソラに改めてそう聞いた。


「君は、僕のことをそう思ってはいないみたいだったから」


 答えは簡潔なものだった。しかし、それを聞いてマリスは笑い出す。


「あはは、確かに兄さんは私の敵じゃないよ。兄さんが私に勝てるわけないもん」


「そういうつもりで言ったんじゃない。別に君は、僕のことを恨んだりしてないってことだ」


「うん、わかってる。そうだね、兄さんはいずれ殺さなきゃいけないけど、今じゃないし、私個人は兄さんのことが好きだから」


 それはソラにとっても好ましい返答だったが、彼女が何度も口にするフレーズが気になって仕方が無い。


「その、さっきも聞こうとしたけど、兄さん、っていうのは?」


 ソラに聞かれて、マリスは一瞬、何をとぼけたことを言っているのだろうこの人は、という呆れに近い表情になり、遅れて何かに気付いたようだった。


「そっかそっか、兄さんは知らないんだった、兄さんが私の兄さんってこと」


「えぇ?」


 マリスの中では筋が通っているのだろうが、ソラは彼女の言葉の意味を図りかねる。


「自分の母さんの名前はわかるよね、兄さん?」


「マリンだって、聞いてるけど」


「うん、私の母さんも一緒だよ、名前が一緒ってわけじゃなくて、同一人物って意味で。父さんは違うけど。私の父さんはスカーレット、知ってるよね、多分」


「それは、つまり」


 マリスは、ソラの父違いの妹ということになる。この事実は、ソラにとって酷く衝撃的だった。父が死んで、母は生きていると聞かされたが、もう会うこともないと思っていたのだ。自分の人生に、肉親が関わるとは思っていなかった。


「……君とは、戦いたくない、な」


「あはは、なら、人を裏切ってみる?私や父さんと一緒に、人を皆殺しにしてさ、父さんは兄さんのことが嫌いみたいだけど、なんとか説得するから。全部終わったら、家族皆で楽しく暮らすの」


「それは、ダメだ」


 頭に浮かぶのは友人達の顔だ。ソラの中で彼らはもうかけがえのない存在になっている。彼らまで裏切って、マリスと生きる道を考えることは出来なかった。


「そっか、兄さんは半分魔人だけど、半分人間でもあるもんね。うん、わかった。じゃあ、やっぱり兄さんを殺さないといけないね」


 マリスの言葉に、体が勝手に剣の柄を握ろうとする。その様子を見て、マリスは慌ててソラの手を押さえた。


「今じゃないってば。今は、さ、本当の兄妹みたいに過ごそうよ。私、自分に兄さんがいるって知ってから、会うのが楽しみだったんだ」


 そう言う彼女の表情に、普段の冷徹さはなく、本当に兄に何かをねだる妹のようだった。ソラは毒気を抜かれ、大きく息を吐く。


「はあ、わかったよ、でもその、君の髪の色は」


 テラでさえ、たまに警戒されることがある。それほど今の人間にとっては白髪と赤目というのは忌避すべきものなのだ。


「あ。うーん、ねえ兄さん、帽子を買ってくれる?」


 冗談めかして、そんなことを言う。ソラは戸惑ったが、すぐに気を取り直して、マリスの手を取った。


「わかったよ、マリスはどんなのが欲しい?」


「今の服に合うような……黒くて鍔の広いのが良いかな」


 ソラは頷き、帽子屋のある方向にマリスの手を引いていく。その光景だけ見れば、とても二人が敵対する運命にあるとは思えなかった。



***



 別れ際、マリスはソラに、とある提案をした。


「そうだ兄さん、剣を教えてあげようか」


「はっ?」


 普段出さないような間抜けな声がソラの口から漏れた。今日一日は妹として接していたが、それで現実に引き戻されたかのような気分にされた。マリスの表情は、先程買った鍔の広い帽子のせいで窺い知れない。


「だって、今のままだったら兄さん、私にすぐ殺されちゃいそうなんだもん。兄さんが強くなって少しは抵抗してくれたり、何かを間違えて私を殺すんなら、それで良いかなって」


 何をバカなことを、と言いかけたが、これは好都合かもしれなかった。魔人と戦う力を得て、敵の内情もわかるかもしれない。そう考えて、ソラは首を縦に振った。


「わかった、じゃあ、また来週の休日にでも」


「うん、楽しみにしてるね、兄さん」


 そう言ったマリスは、口元に笑顔を浮かべていた。



***



 マリスとの奇妙な一日が終わって、ソラが寮に戻ると、入り口の側にテラが立っているのに気が付いた。彼女に駆け寄り、声をかける。


「テラ、まさかずっとここで?」


「ソラ!良かった、無事で。何もされなかった?ケガとか無いね?」


 掴みかからんばかりの勢いでまくし立てられ、ソラは思わず後ずさりしてしまった。


「う、うん、大丈夫大丈夫。ちょっと話したり、一緒に街を回っただけだから。彼女に敵意とか、そういったものはなかったよ」


「ソラ、まさかとは思うけど、ボク達を裏切ったりしないよね」


 テラの口調が、珍しく厳しかった。


「しないよ、僕は魔族と戦って、今度こそ滅ぼさないといけない。彼女がどんな人物でも、戦わないといけないんだ」


 そう言ったソラの表情には、どこか寂しさや悲しさのようなものが浮かんでいたが、テラはそれ以上何か言うことはなく、別れを告げると女子寮の方へ戻っていった。

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