第24話 また、迷宮の中で

『また、迷宮の中で』 著者:(名前が塗り潰されていて読めない)

 

 「壁」と呼ばれる物は大抵、自分の前に立ちはだかる物である。自分はそこを乗り越えたいのに、その行為を決して許そうとしない。文字通りの厄介な存在だ。

 パリスタは、その存在に苦しんでいた。自分は一体、これから何処に進めば良いのか? 彼の前には、巨大な壁が立ちはだかっている。まるで彼の不幸を嘲笑うかのように。迷宮の壁は、彼の動きをじっと眺めていた。

 パリスタは、壁の前で蹲った。

「もう嫌だ! 歩きたくない! お父さん、お母さん!」

 彼は、外の世界に叫び続けた。「怖くて、怖くて堪らない」と。だから、「ここから早く出してくれ!」と。だが、彼の叫びは届かなかった。迷宮の中にはそう、「彼」の他に誰もいない。その通路を灯す明かりはあっても、それと同じくらい「希望の光」を与えてくれる人がいなかったのだ。

 パリスタは、今の現実にただ絶望した。

「おれ、死んじゃうのかな? こんな所で、うっ。嫌だよぉ、死にたくないよぉ。お母さん」

 彼のお母さんは、現われなかった。加えて、彼のお父さんも。彼らは迷宮の遥か遠くで、息子の帰りをただ待つ事しかできなかった。

 パリスタは、迷宮の通路に倒れた。「ううっ、ちくしょう。やっぱり、おれ」と泣き崩れて。彼は通路の感触をしばらく感じつづけたが、ふと「ある声」を耳にすると、それまでの気持ちをすっかり忘れて、今の場所からサッと立ち上がった。

「だ、だれ?」

「ふふふ」と、その声は応えた。「そんなに怖がらなくていいわ」

 パリスタは、声の主を探した。迷宮の天井を見上げたり、自分の周りをサッと見渡したり。声の主は、彼の後ろにそっと立っていた。

 彼は、声の主を見つめた。声の主は、「女の子」だった。年齢の方はそう、自分とほぼ同じくらい。恐らくは、七歳前後だろう。髪の毛は綺麗な金色で、その毛先にも緩いウェーブが掛かっている。肌は、雪のように真っ白だ。瞳も綺麗な青色で、彼女が「クスッ」と微笑むと、その透明さがより美しく感じられた。

 パリスタは、その美しさに思わずドキッとした。

「あ、え、あの……君は?」

 少女は、その質問に答えなかった。そっと抱き寄せる少年の身体、その表面は哀しいほどにブルブルと震えている。少女は優しげな顔で、彼の身体を抱きしめ続けた。

「わたしは、アナタの敵じゃない。わたしは、アナタの助けに来たの」

「え? おれを助けに?」

「そう。だからもう、心配しないで」

 少女は、「正面の壁」を壊した。壁のある方に、右手の掌を向けて。彼女は、隣のパリスタに視線を戻した。

「さあ、行って。この出口は、外の世界に繋がっているから」

 パリスタは、彼女の話を聞かなかった。「きみは一体、だれなの? どうして」

 彼女は、彼の質問に答えた。「わたしは」の言葉から始まり、そして……。その続きは、よく聞き取れなかった。「迷宮の出口」が強く光りだした瞬間、パリスタの身体がそれに吸い込まれてしまったからだ。

 パリスタは、迷宮の少女に手を伸ばした。彼女の手を何とか掴もうとして。だが……。


 その手は結局、掴めなかった。それから彼女の声を聞く事も、そして、その正体を知る事も。現在いまでは、遠い記憶になってしまった。幼い子どもが体験する、甘くて切ない思い出に。だがその思い出は、今でも彼の心を動かしていた。自分は一体、何所に進むべきなのか。

 その答えは、彼の右手にしっかりと現れていた。刃の先が光る剣を一本。剣の柄には、「竜」の紋章が刻まれている。青い鱗を生やしたドラゴンが。ドラゴンは真面目な顔で、少年の姿をじっと見つめていた。

 あの時よりもずっと逞しくなった腕、それと同じくらいに引き締まった躰。両脚の肉も無駄なく引き締まっているが、顔の表情には柔らかさが少し残っていた。髪の色は、淀みの無い黒。瞳の色は、それに僅かだけ茶色が混ざっている。

 パリスタは、腰の鞘に剣を戻した。

「ふう、よし。これで」

 彼は、自分の周りを見渡した。彼の周りにはもちろん、誰もいない。迷宮の通路で出会った怪物達は、彼がすべて倒してしまった。

 パリスタは、足元の「迷宮石」を拾った。迷宮石は、迷宮の外に彼を導いた。迷宮の外では、依頼者が彼の帰りを待っていた。依頼者は、正面の彼に頭を下げた。

「流石は、専門家プロですな。まさか、無傷で戻られるとは」

「いいえ、それ程でもありません。今回の迷宮は、そんなに」

「ふっ、子どもは素直に褒められるべきです。あなたは、一流の仕事をした。それは充分、誇って良いと思いますよ?」

「ありがとうございます、親方マスター

 パリスタは正面の親方に頭を下げて、彼の工場こうばから静かに出て行った。工場の外は、煩かった。周りの工場からはもちろん、近くの武器工場からも怒鳴り声が聞えて来る。

 パリスタは、その怒声に苦笑した。

「アハハハ、また新しい従弟ひとが入ったのかな?」

 彼は武器工場から視線を逸らすと、真面目な顔で町の道路を歩き出した。町の道路は、汚かった。道路の舗装はきちんと成されている一方、周りの家からは「汚物」が平然と投げ捨てられている。お陰で、道路の上は「ゴミ」だらけだ。ゴミの隙間からは、道路の敷石が少し見えるが、それもずっと見ていたいモノではなかった。

 パリスタは、町の道路から視線を逸らした。道路の環境は最悪だが、それ以外には美しい物が沢山ある。例えば、町の中心部に立つ「アレ」だ。アレの屋根は尖頭アーチで、その内部にもステンドグラスが付けられている。ステンドグラスの光は、見ていてとても綺麗だった。太陽の光がそこに当たると、通路の上に様々な光が映し出される。まるで「神々の音楽」を奏でるかのように、世界の理をただ映しつづけているのだ。

 パリスタは、自分の正面に意識を戻した。本当はもっと、その理を味わっていたかったが……組合ギルドの本部に着いてしまったのだから仕方ない。神々の光に酔うのは、また後だ。彼は本日の成果を伝えると、穏やかな顔で「オヌス爺さん」の家に向った。

 オヌス爺さんの家は、組合の本部からかなり離れた所にある。左右の門柱に「マグガイアー家」の紋章が刻まれている屋敷だ。屋敷の正面には鉄扉が設けられていて、その鉄扉を通ってからしばらく進むと、これまた見事な玄関がその姿を現した。

 パリスタは、その見事な玄関を叩いた。一回、二回、三回と。四回目のノックで、玄関の扉が開いた。玄関の扉を開けたのは、屋敷の召使いだった。召使いは「こんにちは」と微笑むと、目の前の少年に「御用件は?」と訊いた。

 パリスタは、召使いの男に用件を話した。「すいません、オヌスさんは」

 オヌスは、自分の部屋で本を読んでいた。本の題名は、「世界の始まりと迷宮」。どうやら、最近の学者が書いた歴史書であるようだ。人類の歴史には何故、「迷宮」と言う物が在るのか。その考察を地道に書き記した物らしい。

 考察は「迷宮」の存在について、こう推論を立てていた。「迷宮とは、我々の『心』が作りだした異世界である。異世界は、神出鬼没だ。我々の世界に突如現れては、我々が怯える様をニコニコしながら楽しんでいる」と。また、それに対して「人類の歴史は、正に『迷宮』との戦いだ。彼らは我々に『高価な贈り物』をくれるが、同時に我々の生活も脅かす。我々はそんな迷宮に対して、尊敬と畏怖を抱かなければならないだろう」とも述べていた。

 オヌスは、本の内容を読みつづけた。召使いが部屋のドアを叩いている事にも気づかず。召使いは後ろのパリスタに振り向くと、不安げな顔でその首を傾げた。

「どうしたのでしょう?」

「たぶん」と、少年の目が鋭くなった。「本の世界に入り込んでいるんでしょう?」

 パリスタは、部屋の扉を静かに開けた。

「オヌスさん、すいません。パリスタです! 『調査結果』の御報告に来ました」

 その一言は、オヌスの意識を「ハッ」と引き戻させた。

 彼は慌てて、部屋の扉に目をやった。扉の前には、いつもの少年が立っていた。彼はその少年に微笑むと、恥ずかしげな顔で机の椅子からサッと立ち上がった。

「ああ、すまないね。つい」

「いいえ、『俺』の方こそ勝手に入ってすいませんでした」

 少年は、目の前の老人に頭を下げた。

 オヌスは、召使いに視線を移した。

「おい、彼に何か飲み物を。私のも、それと同じでいい」

「畏まりました」と、召使いは頭を下げた。「少々お待ち下さい」

 オヌスは召使いの姿を見送ると、部屋の椅子にパリスタを座らせた。

「さて、今回はどんな冒険だったのかな? パリスタ・イノ君」

 パリスタは、冒険の内容を話しはじめた。

「迷宮の中は、いつもと変わりありません。人間の歩みを惑わせる壁と、その進行を阻むモンスターと。モンスターの種類は、主にゴブリンと吸血鬼です。アイツらはとても凶暴で。迷い人(迷宮の中に迷い込んだ一般人)の方は、居ませんでした」

「そうか。なら、迷宮石めいきゅうせきの方は?」

「それも同じです。迷宮石にも、異変は特に見られませんでした」

「ふーむ。迷宮石は、高く売れたかね?」

「それなり、です。石の相場は変化しますから。安い時もあれば、高い時もあります。今日はちょっとだけ、普段よりも安くなっていましたけど」

「そうか、それは残念だったな」

「まあ。でも、これが仕事ですから。『迷宮の奥から石を拾ってくる』と言う。迷宮士は」

「ああ、尊敬するよ。命懸けの仕事だからね。あの『迷宮』に入るのだから尚更、私には到底真似できないよ」

 オヌスは、部屋の扉に目をやった。彼が机の椅子に座ろうとした瞬間、先程の召使いが「失礼致します」と入って来たからだ。彼は二人に飲み物を配ると、真面目な顔で部屋の中から出て行った。

 オヌスは、少年の横顔に微笑んだ。

「『あの子』には、会えたのかね?」

 少年の顔が暗くなった。「いいえ、『今回』も。彼女の事は」

 オヌスは彼の顔をしばらく眺めたが、その瞳が哀しげに潤み始めると、自分の机に視線を戻して、机の本をゆっくりと開きはじめた。

「コイツは、ただの憶測だがね。君が七年前に会ったと言う少女は、たぶん」

「何です? 『幻』とでも言うんですか? 俺の」

 パリスタは、オヌスの目を見つめた。オヌスも、彼の目を見つめ返した。二人は互いの目を見つめ合ったが、オヌスが机の上に視線を戻すと、パリスも「それ」に倣って彼の目から視線を逸らした。パリスタは、自分の記憶を睨んだ。

「あの子は、幻なんかじゃない。俺は、確かに見たんだ。迷宮の中に現われた彼女を、あの可愛らしい天使を。あの子は、俺の事を助けてくれたんです」

「迷宮の中に入ってしまった君を、か?」

「彼女は、命の恩人です。今の俺があるのは、みんな」

「彼女のお陰?」

「そうです。だから、諦めるわけにはいかない。彼女には色んな、聞きたい事が山ほどあるんです。俺の事をどうして助けたのか。その答えが分かるまでは」

 パリスタは椅子の上から立ち上がって、部屋の中から勢いよく出て行った。

 オヌスは、少年の姿を見送った。「決して止まらない、ねぇ。ふん、『少年の純情』と言うヤツか。私にも、そんな時代があったよ。世間の常識などまるで知らず、ただ目の前の事に突っ走って。だが、パリスタ君。その少女はやはり、君の『幻』だよ。ギルドの記録に寄れば……あの当時、迷宮の中に入ったのは君一人だけだった。それ以外には、誰も居ない。当時の君と同年代で、『迷宮士』の資格を持った少女も。彼女は」

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