第二十四話 変わらない


 24


 ひらひらと舞う桜の花びらが、私の気持ちを落ち着かせてくれる。


 高校に上がった私は新しい制服を着て、桜並木と化した通学路を歩く。桜が舞い落ちる中、私の他にも同じ学校の制服を着た生徒が大勢歩いていた。


 目の前には教室で見かけたことのある男子三人が楽しげに会話している。入学式から数日しか経っていないのに、と彼らが眩しく見える。同じ中学出身だったり、入学する前から仲が良かった可能性もあり得るけど、打ち解け合っている彼らと自分を比べると、やはり明るさが違う。


 でも、別に羨ましいとは思わなかった。


 私の隣には――諏訪くんがいるから。


 高校一年生の春、私と諏訪くんは毎日一緒に登校をしていた。一緒に、と言っても学校のすぐ近くにある公園で待ち合わせをして、数分で教室に着いてしまうのだけど、その僅かな時間は私にとって大きな変化であった。


 今まで話し相手のいない教室に一人で入るのは心細かったし、ただ授業を受ける為に仕方なく通っているようなものだった。学校を楽しいと思った事は一度もないし、思い出したくない記憶はいくらでも出てくる。学校に通う意味を考えながら小学校も中学校も通っていた、なんてどうかしていると思う。


 だから、諏訪くんがいてくれるのはとても心強かったし、学校に通う理由としては十分だった。


 何より中学二年生の頃から体調を崩しがちだった諏訪くんが高校に通えている事が嬉しい。病院には今も通っているけど、以前より落ち着いているようで、こうして学校に登校している。


 一時期は入院してくれていた方が安心する、なんて疚しい気持ちに苛まれた事もあったけど、今は純粋な気持ちで諏訪くんの健康を喜べる。私の恋なんて木端微塵に吹き飛んでいいから、彼の身には何も起きないでほしい。


 ただ、この時間が続いてくれれば、それで……。


「幸野……さっきからどうした? ニヤついて」


「えー、ニヤついてないけど」


「なんか嬉しい事でもあったのか」


「別にー?」


 それで良かった。


 普通に友達と学校に行って、普通に友達と遊んで、普通な一日を過ごす。これ以上は何も求めないから、以前のような普通じゃない生活に戻らないでほしい。このまま私も諏訪くんも悩みが消え去って、周りと同じように普通の生活ができれば、本当にそれだけで良かった。


 それから二ヵ月。私の高校生活は、他の人達とさほど変わらなかった。


 新鮮で、同時に驚きもした。何を驚いているのかと思われるかもしれないけど、実際に驚いていたのだから仕方ない。自分がこんな普通の高校生活を送れるとは思わなかった。ずっと周りの目を気にして、意味のない嫉妬をして、学校が嫌いなまま大人になるんだろうな、って思っていた。


 しかし、高校生活が始まってすぐにクラスメイト数人と仲良くなることができた。諏訪くんには今まで「他に友達がいない」と言っていたけど、実際に同じ学校で『孤立している自分』を見られるのはどこか恥ずかしく、席が近かったり、話しかけてくれたクラスメイトとは仲良くなろうと自分なりに努力してみた。その努力は私にとって大きな一歩で結構大変だったけど、気付いた時には自然と会話できるようになっていた。


 その一方で、諏訪くんは私以外とはあまり会話していないようだった。友達を作ろうとも、会話に混じろうともせず、いつも興味なさそうに窓の外を見ていた。私とは普通に会話していたし、一緒に帰ったり、休みの日は遊びに出かけていたから、そこまで気にしていなかったけど、なんだか自分から孤立したがっているように見えた。私はそれが怖かった。いつか私とも会話してくれなくなるんじゃないか、と思えて怖かった。


 そんな他人に興味を示そうとしなかった彼も、一人だけ気になる人物がいた。


 その人物は、葛本大地というサッカー部に所属している同級生だった。葛本くんはサッカーが上手いらしく、クラスの中心的存在でもあった。


 諏訪くんと一緒に下校する時、彼はいつもグラウンドでサッカーをしている葛本くんを目で追っていた。どこか羨ましそうに見ている彼が気になって、一度だけ訊いてみたことがある。


「いつも葛本くんのことを見ているけど、友達なの?」


「いや、アイツ上手いよなって思って見ていただけ」


 諏訪くんはなんとも思っていないような口ぶりだった。


「……やっぱりサッカー部に入りたかったの?」


「そりゃな。こんな体じゃなければ、今頃あそこにいたよ」


 私も一緒にグラウンドを駆けるサッカー部員を眺める。皆、生き生きとした表情をしていてサッカーを純粋に楽しんでいるように見える。


「でも、ま……入れたとしてもアイツには勝てないだろうけどな」


 自嘲気味の諏訪くんに「どうして?」と訊くと、呆れられた顔で返された。


「どうしてって見りゃ分かるだろ。葛本とは小学校の頃から同じ学校だったが、当時から上手かった。才能もなければ、満足に走ることすらできない僕ではアイツを超えるなんて無理だ」


 彼の言っている事は分かるし、実際にそうなんだろうけど、それでも悔しいと思った。でも、なんで悔しいのか最初は分からなくて、その場で考えてみる。


「じゃあ、もし病気が治ったら勝てる?」


 本当は訊くかどうか考えてから訊かなきゃいけない質問だった。けれど、気付いた時には声に出していた。


「治るわけないだろ」


 と、素っ気なく諏訪くんは即答する。


「分からないじゃん。治るかもしれないし、治って思う存分サッカーができるようになったら勝てるかもしれないでしょ」


 勝ってほしい、と私は思った。


 だけど、諏訪くんは「無理だな」と笑う。


「仮に治ったって勝てないさ。今からアイツに追いつくのは無理だ。将棋でもなんでも上にいけるのは子供の頃から積み重ねがある奴ばかりだ。僕は生まれた時から負けているんだよ」


 中学の時に入院してから悲観的な発言が増えてはいたけど、ここまで自虐的な言い方は初めてだった。モヤモヤした私は「じゃあさ!」と声を出す。


「病気が治ったら全力で頑張って、全力で葛本くんを倒してよ」


 心からの願いだった。病気が治って元気な諏訪くんが心行くまで走れたら、どれだけ嬉しいだろうか。見てみたい、と思った。


「あのな……無茶ぶりすんなよ」


 ため息をつきながら諏訪くんは言う。


「……幸野は変わらないな」


「変わらないってどこらへんが?」


「なんていうか夢見がちなところ」


 私は諏訪くんと出会ってから大きく変わったと思っていたから、どう変わっているのかよく分からなかった。でも、確かに夢見がちだったかもしれない。


「そうかな? 逆に諏訪くんは変わっちゃったよね」


「僕が? どこが?」


「なんか現実的というか卑屈になっているというか……」


「卑屈ってお前な……」


 こつん、と痛くない程度に頭を優しく殴られた。


「実際、そうなんだから仕方ないだろ。今から頑張ったって無駄。治るどころか明日死ぬかもしれないんだから」


「あ、またそういう事言う! 死ぬかも、とか言っちゃ駄目だって前に言ったよね!?」


「別に言ったっていいだろ。ほら、帰るぞ」と諏訪くんは不貞腐れる。


「ちょっと待ってよ!」


 私は諏訪くんの背中に言葉を投げつける。


「そこまで言ったんだから治ったら、全力でサッカーやってよね!」


 諏訪くんは振り返らずに、後ろにいる私に手を振りながら答える。


「分かったって。治ったら葛本に勝てるぐらい上手くなってやるよ」


 適当にあしらう諏訪くんに私は頬と不満と不安を膨らませつつ彼の後を追いかける。



 私が身代わり石を知ったのは、それから三ヵ月後のことだった。

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