第23話 絶望喰らい

 炎に包まれゆく奴隷市場にて、ふたりの悪神が対峙する。


「お仲間を喰おうとするのは感心しませんね、ゲン・ラーハ」


「お仲間ってのはご同類って意味だ。神獣とつるんでるテメェは敵だろ? ……悪神と精霊神が混じってるたぁ、驚きだぜ」


「……」


 セレスは精霊神の特性と悪神の特性を備えたハイブリットな生命体だ。ご主人様と契約関係にある精霊神であるため、悪神の特性を持つにもかかわらず神獣であるご主人様から敵として認識されない。

 もちろん悪神の特性も活きている。神獣(ご主人様)の信奉者を屈従させることで状態異常を付与して、神獣と信奉者の繋がりを経由して、信奉者の負の感情を吸収することで悪神としての力を成長させる。

 しかしながら、神獣にも悪神にも敵として認識されないという都合のいい存在にはならないらしい。少なくとも格上の存在にはセレスの特性は見抜かれてしまった。


「妖精族のほうもそこそこだな。食いでがありそうじゃん」


 悪神ゲン・ラーハはアーリーンとグラシアを面白そうに眺めている。猛獣が獲物を見定めるような視線であるが、アーリーンとグラシアにとって重要なことは別にあった。


「精霊神様が、……悪、神……?」


「お前!!! やはり――」


 背中越しにアーリーンの息をのむ様子とグラシアが殺気を込めて槍を構える気配を感じた。アーリーンとグラシアは驚き、まったく事情がわからないクィユ族の精霊使いたちはきょとんとした顔をしている。


「……」


 セレスは何も言わない。

 もとよりご主人様を逃がせばセレスの最後の役目は終わりだ。この場にいる者はどうせ死ぬ。いまさら真実がバレようとも構わない。


「おおっと、仲違いはあとにしてくれよ。これからグランドフィナーレがはじまるからなァ、さぁぁぁ、ご覧くださいなぁっと――!」


 悪神ゲン・ラーハはマントを翻すと、いったいどこから取り出したのかと思えるほど巨大な鏡をずんと地面に置いた。

 その鏡に映し出されたのは、奴隷商人ヴィレム・クラーセンの姿であった。




***




 ヴィレムは両手を縛られたまま引きずられるようにして広場まで連れてこられた。

 広場には夜だと言うのに無数の人々が集まっている。群衆は口々にヴィレムを罵倒して、殺せ、と叫んでいる。

 押し寄せる人々を抑えているのは辺境伯軍である。


「まて! まってくれ――っ!? これは、これは……なにかの間違いだ!!!」


 ヴィレムは喉が裂けんばかりに叫ぶ。口がカラカラに乾き、喘ぐような呼吸が喉の奥から漏れる。


 わけがわからなかった。

 ヴィレムはアズナヴールの街から逃げおおせたはずであった。【ロア城塞】の地下から通じるを通れば海都シクスーへの近道となる古井戸へ抜け出ることができる。ヴィレムは古井戸に抜け出るところまでは記憶に覚えていた。海都シクスーへの街道を走っていたはずが……それが、それがどうして……アズナヴールの街の広場にいるのか。

 これは夢じゃないのか。

 海都シクスーを出港した船に揺られながらベッドで熟睡しているのではないか。ヴィレムは、必死に恐ろしい夢から目覚めようともがくが、手首を縛り上げる縄の激痛は現実としか思えなかった。


「ハァ……ハァ…………ァァ……!?」


 広場の真ん中には急増の絞首台が作られている。深い影を落とす吊られた縄に濃密な死の気配を感じる。ヴィレムの指が痙攣し足はガクガクと震えてくる。


 こんな展開はおかしいじゃないか。

 商人の才を活かしてアズナヴールの街で一、二を争う商人になれた。

 巨万の富を得てさらなる飛躍をする一歩手前で、何故……こんな……ありえない……。

 ヴィレムの夢が、ヴィレムの野望が、死という結末に堕ちようとしている。


 民衆の罵声に混じって言い争う声が聞こえてくる。


「お待ちください! 領主代行が来てからでなければ、まだ明るみになっていない犯罪がわかっていないではありませんか! 執行が早すぎます!」


「逃亡の恐れがある! この件は冒険者ギルドのでる幕ではない! 下がれ!!!」


「あなたに何の権限があって!」


「辺境伯がいない間は代理執行権がある!」


 冒険者ギルドの受付嬢リーダーと辺境伯に仕える官僚の一人が喧嘩をしている。しかし、受付嬢リーダーは辺境伯軍にやんわりと取り押さえられてしまう。


 その間にもヴィレムの刑執行は粛々と進められていく。絞首台への階段を登らされ、絞首台の縄に首を通される。


「やめろ、はなせぇぇぇ!!! 私を、誰だと思っている――!」


「暴れるな!」


「静かにしろ!」


 縄から逃れようと暴れようとするが、屈強な辺境伯軍の兵士たちはがっちりとヴィレムを捕えて離さなかった。


 辺境伯に仕える官僚の一人が罪状を声高に叫ぶ。

 その官僚は、ヴィレムの子飼いの官僚であった。


「この者、ヴィレム・クラーセンはならず者を雇い、暴行・殺人を命じた罪により絞首刑に処す! この者の行いは残虐非道であり、更生の余地なしと判断されるため、刑は即時に執行するものとする!」


「貴様、――この縄をほどけ! この私が金を積んでやらねば、木っ端役人でしかなかったくせに! いま、私を、救え!!!」


 ヴィレムの子飼いの官僚は群衆に背を向けて振り返る。その顔は焦りと不安に満ちていた。小心者の顔だ。


「ヴィレム殿。感謝はしておりますが……。このままではわたくしも代行領主に捕らえられてしまいます故、証拠はすべて消し去っておかなくてはなりません……」


「代行領主に金を握らせればいいだろう。そんなことにも頭が回らんのか!」


「金、おお――! そうでありますな。金は大事です!」


 ヴィレムの子飼いの官僚は、ヴィレムの上着に手をつっこむと、魔道具の袋アイテム・ボックスを奪い取った。


「地獄にお金はいりますまい。こちらのお金はわたくしがいただいておきましょう……ハハ……」


「ふざけるな! その金は、私の――、ぁ、ぁぁぁぁああ! やめろ、やめろぉぉぉぉぉ――、私が、こんなところで……ぃ、よせぇぇぇぇぇえええええええ――!?」 


「執行!」


 ヴィレムの子飼いの官僚が宣言すると、ヴィレムの足元が割れて床が抜ける。ヴィレムの身体が落下し、首にかけられた縄が勢いよく首に締まった。ヴィレムの目が飛び出さんばかりに見開かれる。


「がっ――……!? か、……ぁ……――」


 急ごしらえでつくられた絞首台の縄は、きちんと整備されたものではなく、安楽に死をもたらすことはできなかった。それ故にヴィレムは意識を失いきれずに窒息による地獄の苦しみを味わうことになった。


 酸欠の激痛にあえぐヴィレムの耳に聞こえてくる声があった。


「やぁ、ヴィレムくん。ざぁんねんだったねェ……あとちょっとで夢が叶いそうだったのに。ぁぁ、かわいそ。…………ま、俺様がしくんだことなんだけどさァ――」


「かっ……ぁ……こ、……ぁ……」


 ゲン・ラーハの声に、たすけてくれ、とヴィレムは叫び返そうとするが、締まった喉から声はでない。


「俺様は悪神なんだ。いろんな種族の絶望と苦痛を喰って、喰って、喰いまくって――力を取り戻さなきゃならない。あとは、わかるだろ?」


「――っ、……、……!」


 わかりたくない。

 ヴィレムは商人として大成するために悪道に手を染めて金を稼いできたのだ。こんな無残な死のために、人殺しをしたわけでも、他人を騙したわけでもない。すべては己の夢の実現のために――、


「ヴィレムくんも俺様の糧になってくれ、――足を見てみなよ、みんな待ってるぜ?」


 ヴィレムは足を見降ろした。

 真っ黒な闇の穴からは蝋のように白い手が無数に湧き出している。白い手は次々とヴィレムの足をつかんで穴から這い上がってこようとする。絶望と苦痛の果てに死んだ亡者の群れだ。


「は……ぁ、があ……ぁ……っ、……!?」


 ヴィレムは足をつかむ少女の亡者に見覚えがあった。ちぎれた耳と尻尾のない釣り目の少女は、以前に牢獄で痛めつけたクィユ族の精霊使いだ。いちどは傷を治してやったがあまりにも逆らうので殺してしまったのだった。

 右足に取り憑いた男女はベイロン商会の当主と奥方だ。どのような死に方をしたのかは知らなかったが、二人とも全身をなます切りにされた姿のまま目玉のない眼窩を向けてくる。

 その他にも無数の亡者がヴィレムをじっと睨み据えている。


 ヴィレムは恐怖に叫びたかった。しかし、喉を締め上げる縄は首を引きちぎらんばかりにギリギリと亡者の重みで軋んでいた。

 これは死の間際の幻覚なのか。それとも穴に引きずり込まれた先で、さらなる苦痛と絶望の死が待ち受けるのか。


「か……」


 ヴィレムは最後に小さく痙攣すると事切れた。その顔は、この世のものとは思えぬほど醜悪に、恐怖に歪んでいた。




 ***




 悪神ゲン・ラーハは満足げに深呼吸をする。


「フゥゥゥ――、最高にクるねぇ……」


「……っ……」


 悪神の置いた巨大な鏡からはおぞましい悪意の波動があふれ出ていた。触れる者を発狂させかねない絶望と苦痛の霧だ。ヴィレム・クラーセンを起点に生み出された無数の絶望と苦痛がこの場に垂れ込めていた。


 クィユ族の精霊使いたちの数人が庭園の隅でゲロゲロと胃液を吐いている。アーリーンは泣きながら頭を抱えて座り込んでおり、グラシアは槍を杖にして立ってはいるものの真っ蒼な顔で足が小鹿のように震えていた。セレスは咄嗟に唱えた精神快癒魔法リコンストラクション・メンタルによって精神汚染を防いでいるためどうにかダメージを受けずに済んでいるが、身じろぎひとつできないほどの緊張に、ただただ見ていることしかできなかった。


 鏡から発せられていた絶望と苦痛の霧がゆっくりと弱まっていき、ゲン・ラーハの身体に吸収されていく。

 セレスは隙を見てゲン・ラーハのパラメータを計測する。


名前:ゲン・ラーハ

Lv:150

種族:神

性別:男

筋力:5500000000

体力:7000000000/7000000000

魔力:7580000000/9200000000

闘気:4700000000/4700000000

神性:8000000000/8000000000

器用:3200000000

敏捷:1880000000

反応:2080000000

知力:8500000000

精神:8900000000

魅力:2100000000

備考:

   魔道具生成・改変・修繕。

   絶望と苦痛の感情を吸収することによりパラメータ変動。


「戦ろうぜ、精霊神。俺様のステータスを見たんだろう? 味わってくれよ。復活した俺様の力をさ」


 思ったよりも現実的な値だ。しかし、勝てる要素はない。せいぜいご主人様のあとを追えないように削れるだけ削っておくくらいしかできないだろう。

 それでいい。悪神セレスは滅びない。ご主人様は長命な神獣だ。いずれ復活して成長しているであろうご主人様を探せばいい。


 セレスは精神快癒魔法リコンストラクション・メンタルのターゲット範囲をプライベートからグローバルに変更。アーリーンとグラシア、クィユ族の精霊使いを範囲指定して発動させた。

 恐怖に震えていたアーリーンたちの顔に赤みがさして濁っていた瞳が元に戻る。


「精霊神、様?」


「なんのつもりだ。悪神……っ」


「……私に敬称は不要です。私もお前たちも我が主に仕える僕に過ぎません。我が主のために命を懸け、死力を尽くしなさい。絶望と苦痛の悪神ゲン・ラーハを倒し――……ッ!?」


 黒い疾風が迫る。セレスは掌に闘気を集中させて防御する。

 甲高い金属音が鳴り渡り、妖槍ケリオランの斬撃を受け止めた。大岩を受け止めたような衝撃に足が滑る。闘気のぶつかり合いで火花のように刃から光が散る。

 セレスとグラシアはつばぜり合いをしながら睨みあった。


「悪神が! 神獣さまの僕なわけない! ――お前も敵だ!」


「駄犬……状況がわからないのですか……」


「悪神、倒す! 神獣さま、守る!」


 悪神がすべて敵と認識するならば弱いほうから狙うのが必然。でも、いまは共通の敵としてゲン・ラーハを倒す流れになってほしかったのだが……、グラシアの思考は前者のようだ。

 セレスの次の一手はアーリーンしだいとなりそうだった。


「アーリーン」


「……精霊神様、お聞かせください」


 アーリーンにいつものぽわんとした雰囲気はない。こんな顔もできるのだなと感心してしまう。アーリーンは神獣の巫女らしく神秘と畏敬を身にまとっていた。

 戦士の顔をしたクィユ族の精霊使いたちは精霊たちを呼び出していた。

 ソルジャービートルと呼ばれる巨大甲虫たちと一匹のアトラクナクアと呼ばれる漆黒の巨大蜘蛛が鎮座している。身を守るために敵を殺すことをいとわない戦うための精霊たちだ。


「神獣様はクィユ族を護ってくださいますか? 神獣様の意思は、精霊神様のおっしゃった通り、クィユ族を護ることを誓ってくれていますか? 悪神の心が捻じ曲げた偽りの契約でないことを誓えますか?」


 はて、どうだったか。

 ご主人様がクィユ族を庇護下に置くことは乗り気でなかった。いまでもなりゆきで守ってあげているだけの気がする。

 いまさら取り繕う気もない。正直に答えてやろう。


「我が主はクィユを庇護に置くことは賛同しておりませんでした。私が悪神としての力を得るために、いまのような庇護関係を構築したことは間違いありません…………ほかに聞きたいことは?」


「そうでしたか。――感謝します、精霊神様。おかげさまでクィユは救われました」


 アーリーンはペコリと小さくお辞儀をする。そして、鋭い声でグラシアに命じた。


「下がりなさい、グラシア! 悪神ゲン・ラーハを倒します」


 グラシアの瞳が信じられない、と言うように瞬いた。ぐるりと首を巡らせてアーリーンを見やるグラシアはアーリーンに瞳で問いかけていた。二人の見つめあいは数秒間続き――、グラシアは妖槍ケリオランに込めていた力を緩めた。


「………………、王女の仰せのままに」


 そして、悪神ゲン・ラーハへと対峙する。

 ソルジャービートルたちが大角を夜天に掲げながら前進する。その後ろから力強く大地を踏み鳴らしてアトラクナクアが身構えた。


「ヒャハハハハハ、準備はいいかい? はじめようか――」


 悪神ゲン・ラーハが手招きするのに合わせて、戦いの火蓋が切って落とされた。

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