第15話 全知の知らぬ、智
――一方その頃、
冒険者ギルドを出発したセレスとアーリーンはアズナヴールを出立し、精霊の樹海の純潔城エンラニオンへと戻ってきていた。
村の広場で模擬戦をしていたクィユ族の戦士たちに「おかえりなさいませ」、と声をかけられつつ、セレスとアーリーンはクィユ族の精霊使いたちのもとへと向かう。精霊使いたちは純潔城エンラニオンの工房にいると聞いている。
精霊の光に照らされる通路を歩く道すがら。
「あの、精霊神様? どうして村に戻ってきたんですか? わたしも役目があるって聞いてますけど……」
「――解説。クィユ族は他種族と交流を持つべきだと考えています。まずは、アズナヴールの商人と交易をはじめます。本日は交易品になる品物を受領しにきました」
「交易品? クィユがあげられるものなんてあるかなぁ……」
セレスは、いつぞやの
「あぅ!?」
「譲渡ではありません。販売です、間違えたら承知しませんよ」
「ぅぅぅ、人族の言葉は難しいです……」
「努力することです。我が主にお仕えするならば努力を怠ることは許しません」
「そ、それはもちろんです! がんばります!!! ――あ、精霊神様。そこの角を曲がると工房ですよ」
「知っています」
セレスは扉のない大部屋へと足を踏み入れる。純潔城エンラニオンで一番高い天井と広い床を持つ【工房】には、数匹のテイラーアラクネアとレインボーシルクワームがせっせと働いていた。
ここは、レインボーシルクワームの糸を使ってテイラーアラクネアに絹を作らせる工房になっている。セレスが精霊使いたちにやり方を教えて、色鮮やかな絹を作るように命じていたのだ。
「あ、精霊神様とアーリーンちゃん!」
「ほんとだ~」
「おかえり、戻ってきたんだ! 神獣様は~?」
部屋の片隅にある休憩スペースでゴロゴロしているクィユ族の精霊使いたちがこちらに気づいた。ちょうどおやつの時間であったのかケーキとお茶を並べてお楽しみの最中であった。
ケーキの誘惑に目がハートになっているアーリーンの狐の尻尾をむんずと掴みながら、セレスは精霊使いたちに進捗を尋ねる。
「神獣様は人族の街でお休みです。頼んでいた絹はどれくらい完成していますか?」
「ん、あんまりできてないかな~。精霊神様に教えてもらった精霊の呼び方は難しいよ~。魔力もい~っぱい使うし」
両手を大きく広げていっぱいいっぱいと言うクィユ族の精霊使い。
たしかにご主人様とセレスの衣服は大量の魔力を惜しみなく注ぎ込んで作られた一級品だ。クィユ族は魔力が足りなくなると思ったので、複数人の精霊使いたちで一匹の精霊を呼び出すやり方を伝えてある。
「精霊神様、どうですか? あたしたちの作った絹は」
「ふむ……」
金、銀、黒、赤、青、黄、緑……、色鮮やかな絹が十反ずつ。思ったよりも完成している。手で触れてみれば滑るような肌さわりと美しい色が映える。染めの工程がないから色むらもない。セレスがつくった絹には及ばないものの人族が欲しがるに値する価値がある。
「素晴らしい出来栄えです。我が主もお喜びになるでしょう」
「わぁい!」
「やったね~! ほめられた!」
セレスの賛辞にクィユ族の精霊使いたちは両手でハイタッチを決める。そして、アーリーンの周りに集まってくる。
「アーリーンちゃんも神獣様のお世話ありがとね。神獣様とのつながりが強くなったせいか、精霊を呼び出してもあんまり疲れなくなったんだよ」
「わたしのおかげかなあ? 神獣様にくっついてるとたくさん魔力がもらえるから、神獣様がやさしいだけだと思うよ?」
「アーリーンちゃんのおかげだよぉ」
「うんうん! これからも神獣様をよろしくねぇ~!」
クィユ族の精霊使いたちに褒められてもアーリーンは首を傾げるばかりだ。
アーリーンに自覚はないようだが、ご主人様は少しずつアーリーンに気を許している。それは信頼関係としてアーリーンに転化されてパラメータの上昇につながっている。
名前:アーリーン
Lv:17
種族:神獣の巫女(隷属)
性別:女
筋力:32000
体力:56000/56000
魔力:92000/92000
闘気:87000/87000
神性:83000/83000
器用:48000
敏捷:82000
反応:52000
知力:49000
精神:45000
魅力:101000
備考:幼神獣の加護(中級)、信頼関係によりパラメータ変動。
神獣の巫女であるアーリーンが強化されれば、クィユ族全体のパラメータも上昇する。クィユ族の戦士とクィユ族の精霊使いたちもパラメータ上昇の恩恵を受けているはずだった。
「ん、これは――?」
色鮮やかな絹に埋もれるように数着の衣服を見つけた。広げてみるとデザインはご主人様やセレスの着ている服に似ている。
「神獣様と精霊神様の着ている服がとってもかわいかったから~、マネして作ってみました!」
セレスはクィユ族が作った衣服をまじまじと観察する。ご主人様の服はこの世界の貴族服をベースに、ご主人様がいた世界の流行を取り入れている。世界を超えて伝わったデザインはクィユ族にアレンジされて奇妙な魅力を引き立てている。
「……」
この世界の服のセンスはいまいちと思っていたが、……この服が着てみたい、とセレスは感じた。ご主人様の世界でも通用するであろう見た目だ。
世界のすべてを知ると豪語するセレスであったが、この世にはまだ知られていない事実は隠されているのだな、としみじみ感じてしまった。クィユ族はデザインセンスを長けた想像力豊かな種族かもしれない。
「制作した絹と衣服はクィユ族の交易品として、アズナヴールの街で販売したいと考えています。構いませんね?」
「もちろん~。がんばってつくったんだから!」
「よろしい。こちらの品は預かります。引き続き、我が主のために力を奮いなさい」
「まかせて、精霊神様!」
クィユ族たちの様子を見て、セレスは己の計画が問題なく進行していることに満足していた。
クィユ族は煌びやかな色彩の絹と見栄えのする美しい衣服をつくる種族であると知れ渡れば、絹と服を手に入れたくて交流を深めようとする他種族がでてくるだろう。特に人族は新しいものや美しいものに目がない種族だ。
邪な考えを持つ者もいるだろうが、その頃にはアーリーンの神獣の巫女としての力も完成し、クィユ族の戦士たちやクィユ族の精霊使いも盗賊など歯牙にもかけない実力を身に着けているはずだ。
交易で外貨を稼ぎ、軍事力も備えた、どこに出ても恥ずかしくない国。クィユ族はご主人様を頂点に一大国家としてベルトイア大陸に君臨することになるだろう。
「アーリーン、あなたには交易品の宣伝塔になってもらいます。クィユ族の絹がうまく広まれば、あとは勝手に商人たちがこの地まで買い付けに来るでしょう。あなたの働きにクィユ族の未来が懸かっています。全身全霊を懸けてがんばりなさい」
傍らのアーリーンを見る。そこには誰もいなかった。忽然と消えたアーリーンを探すと、いつの間にか逃げ出して休憩スペースでケーキにかぶりついていた。
「もぐもぐ……わかり、むぐ……ました……、ん~しあわせ~。がんばりまふぅ……もぐもぐ」
「………………」
セレスは無言のままアーリーンへと歩み寄る。
いつぞやの
まずはこの、どこに出しても恥ずかしい神獣の巫女を教育するところから始めないといけませんね――。
頭に大きなたんこぶを拵えて、顔面からケーキに突っ込んだアーリーンを見下ろしながら、セレスは小さくため息を吐いた。
***
純潔城エンラニオンで四日間を過ごし、セレスとアーリーンはアズナヴールへと戻ってきた。アズナヴール近くの草原でブラックドラゴンから降りた二人は街道を歩いている。
「精霊神様? なんだか機嫌がいいですけど、どうしたんですか?」
「……?」
セレスははてと己の姿を見返した。言われた通り気分は良いが……、仕草に出てしまうほどに喜んでいたのかと驚いてしまった。
「精霊神様? ねえねえ?」
「聞こえています。我が主の成果が思ったよりも良かったので嬉しくなっただけです」
「神獣様は人族の街で何をされてるんだろ?」
「【信奉者】を増やしているようですね」
「しんぽーしゃ?」
セレスはアーリーンに説明してやる。
神獣は特殊な役割をもつ【従者】たちに力を分け与えるほかに、神獣を崇める【信奉者】が多ければ多いほど自身の力が上昇する。精霊神の力でアズナヴールの最新情報を集めてみると、上位トップテンのトレンドとして上がるのは、白狼耳の美幼女の話題だ。
アズナヴールの住民の半数近くがご主人様に好意的な感情を持っているので、その感情はご主人様の力となって反映される。
「しかし、アズナヴール中にご主人様が知れ渡るようになるとは思ってもいませんでした。冒険者ギルドを守るように言っておいたはずですが……」
ご主人様の性格であれば冒険者ギルドを守るために動かないはずである。せいぜいかわいいもの好きの冒険者に愛でられ、アムディアランクに妬んで絡んできた冒険者をぶっとばし、冒険者の間で有名になるくらいだと考えていた。
想定外です、と顎に手を当てて思案に暮れるセレス。その隣で、アーリーンが鼻高々に語りはじめる。
「えへへ、エルシリアにはしっかりお願いしておきました! 神獣様が喜ぶことをやってあげて、って。神獣様を街の人たちと仲良くできるようにしてあげて、って。神獣様は困っている人を放っておけない性格なんだからね、って」
「ほお……、私の指示も仰がずに勝手な真似をしてくれますね」
「ひぇ――!? あわわわわわわ……まって、まって!!! そんな悪いことだった!?」
悪いことか? それは当然、セレスにとって都合の悪いことだ。
ご主人様がアズナヴールの人々の好意を得たことで大きな影響力を持つことになった。ご主人様がクィユ族と仲良くしていることが知れれば、アズナヴールの奴隷市場でクィユ族の奴隷が売られていることも知る人は知っているだろう。
――神獣の子供が庇護している種族を奴隷として扱うのはいかがなものか?
そんな疑問を呈する者が現れれば、もう、大変だ。貴族と言う生き物は世間体を特に気にする。クィユ族を奴隷にすることを良しとしない風が生まれれば、クィユ族の奴隷を手に入れようとする者は減り、すでに所有している者は風聞を恐れて手放そうとするだろう。
アーリーンは素晴らしい成果を生んだ。
でも、ご主人様を的確に導くのは自分で役目だ、とセレスは信じている。そう思うと素直に喜べない。
「まぐれで調子に乗らないことです」
「??? ……よくわからないですけど、ごめんなさい……精霊神様」
「謝る必要はありません。……………………私の嫉妬ですから……」
小さな声で告げた【負け】宣言はアーリーンには聞こえなかったらしい。首を傾げながら尋ねてくる。
「んぅ~、なんですか?」
「なんでもありません。まずはご主人様に会うために冒険者ギルドへ向かいます」
「あぁ~! 待ってください、精霊神様~!」
セレスはアーリーンを置いてずんずん先を歩いて行ってしまう。アーリーンはトトトっと駆け足でセレスの早歩きを追いかけていった。
***
冒険者ギルドにご主人様とエルシリアはいなかった。
ご主人様がいない間の冒険者ギルドの守りは、この街の衛兵が担っているようで非番の兵士が交代で歩哨に立ってくれているらしい。「神獣様にはお世話になりました、また稽古をつけてくださるようにセレス殿からもお願いしていただけませんか!」とお願いをされた。
それはさておき――。
ご主人様の行方がわからない、のは初めての事態だ。少々取り乱しかけるも受付嬢に尋ねたところ、どうやらたどり着く直前にベイロン商会へ向かったとのこと。セレスの魔力を介した情報収集はリアルタイムではあるが、ごくわずかな更新のずれはある。ご主人様の所在置情報の更新が追いつかなかったようだ。
「ベイロン商会へ向かったということはちょうどいいですね」
セレスはクィユ族の特産品をベイロン商会に卸そうと考えていた。
ヴィレム・クラーセンはクィユ族を強制労働させて製造させている絹を販売している。ベイロン商会はヴィレムの販売する絹に押されて、絹織物の販売シェアを奪われつつあるところだ。
ヴィレム・クラーセンの流通させている絹も非常に美しい逸品だが、レインボーシルクワームの糸を使った絹には敵わない。
ベイロン商会の若き女当主シャルリーヌ・ベイロンは間違いなくクィユ族の特産品に食いついてくるはずだ。それに、ご主人様がベイロン商会のご令嬢を救ったという話があるならば、商人のがめつい交渉に引きずられることもあるまい。
冒険者ギルドからベイロン商会へ――。ベイロン商会はアズナヴール東側の大通りに構えている。
商会の傘下には様々な事業者が集い、鍛冶屋、衣料店、食事処、奴隷売買、と多岐にわたる。アズナヴール東側の商店のほとんどはベイロン商会の傘下にある店といっても過言ではない。
「わぁ…………、おっきい~……」
冒険者ギルドの建物を超える巨大な店にアーリーンが感嘆の声を上げる。
ベイロン商会の当主館は貴族向けの社交界ドレスを販売する店になっていた。その奥には広大な庭が続き、庭の木々に埋もれるようにうっすらと豪邸が見える。販売店に用はないので素通りして、門兵の立つ豪邸への入り口のほうへと足を向ける。
「何者だ。来客の約束はあるのかね?」
「こちらに我が主、……神獣様がいらしているはずですか。ご存じありませんか?」
「ふむ……、おお――! そなたらは」
二人組の門兵は懐から何やら人相書きを取り出すと、セレスとアーリーンをじっと眺める。門兵たちが持っていた人相書きを覗き見ると、セレスとアーリーンに特徴を捉えた人物画が描かれている。
二人組の門兵は納得するように頷きあうと扉を開けてくれる。
「ささ、どうぞ。セレス殿、アーリーン殿。正面のお屋敷までお進みください、お嬢様がお待ちです」
「どういうことですか?」
「お嬢様から聞いておるのです。この人相書きの人物が来たらお通しするように、と。神獣様はお嬢様の命の恩人。命の恩人の保護者は手厚く迎え入れるようにと承っております」
「……」
「そうなんだぁ、ありがと~」
アーリーンは笑顔でお礼をいって門をくぐっていく。セレスは軽く会釈をして無言で通り抜けていく。
セレスは首を傾げた。
アズナヴールの情報を更新したはずだ。些末な情報さえも拾いきれないことはないはずで、人相書きを書いた人物、渡した人物が誰なのか、ベイロン商会はセレスとアーリーンの情報を持っている、など。これらの情報はセレスの精霊神の能力で得られるはずだった。
視えない情報がある? 原因は? ……注意しないと重要な情報が洩れるかもしれませんね。気をつけなければ――。
セレスは己のミスに疑問を感じつつも、ベイロン商会との取引に向けて思考を切り替えることにした。
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