二度目の恋

「おかえり」

「た、ただいま!起きてたんだ」


 家に帰ると、関くんが迎えてくれた。結局あの後、何故かずっと私の隣にいた根岸くんにからかわれムキになって更にからかわれる、それが続いたからどっと疲れた。


「お風呂入ってくる……」

「七瀬さん、何かあった?」


 関くんの言葉に、思い出してしまう。


『関くんと別れてよ。他の男があんたに触れんの、気分悪い』


 根岸くんの、言葉。もちろん応えるつもりはないし、きっと冗談だろう。関くんと別れるつもりなんて一切ない。でも何となく、気まずい。


「な、なななななな何でもないよ?どうしてそう思うの?ほんと不思議だなー、関くん」


 無理やり笑みを顔に貼り付けて洗面所に入った。誤魔化せたなんて思ってない。むしろ状況を悪化させた気さえする。でも関くんはそれ以降特に何も聞いてこなかった。


***


「七瀬さん、おはよう」


 関くんの香りに包まれて微睡んでいると、関くんの声が聞こえた。ハッとして起き上がると、布団が落ちて。自分が何も身につけていないことに気付いて急いで布団に包まった。


「ふっ、昨日全部見たのに」

「……!それとこれとは話が別!」

「そうなんだ」


 そう言ってクスクス笑う関くんは、何故かスーツで。キョトンとしていると、「ああ」と関くんは口を開いた。


「ごめん、今日休日出勤なんだ。商談相手が海外から来る」

「あっ、そうなんだ……」

「うん、行ってくる。起こしてごめんね」

「ううん!玄関まで……行きたいけど無理だね」

「その格好で来てくれてもいいけど」

「っ、行かない!」

「……七瀬さん」


 私をからかって微笑んでいた関くんが、一瞬で真剣な顔になる。そして。


「好きだよ」


 耳元で囁いた後、耳にキスをした。真っ赤になった私の頭を撫で、関くんが部屋を出て行く。ドキドキして何も考えられない私の頭の中からは、根岸くんのことはすっかり飛んでいた。

 ベッドの中で悶えていたらいつの間にか二度寝していて、起きたら昼だった。休みだからってゆっくりしすぎた……。関くんのベッドから降りて服を着ると、リビングに入る。お腹空いたし何か食べよう。そう思って冷蔵庫を開けたら何も入っていなかった。そうだ、昨日飲み会だった……。関くんは朝ごはん、どうしただろう。仕事なのに何も用意してあげられなくて申し訳ないことしたな。晩ご飯は関くんの好きなものを作ろう。私は軽く準備をして、スーパーへ行くために家を出た。

 関くんの好きなものと言えば、お寿司だけど流石に握れないし、手巻き寿司もいいけど折角だから手の込んだものを食べさせてあげたい。うん、グラタンだな。パンを買って、サラダを付け合わせに。メニューを決めると、私はまずお肉のコーナーに向かった。チキングラタンにしたいから鳥もも肉を買わないと。もも肉、もも肉、もも肉、あった。手を伸ばした時、隣から手が伸びてきて。同じものを取ろうとして、手が触れた。


「あっ、すみません」

「こちらこそ……あ」

「え?……あっ!」


 その手の主は根岸くんだった。昨日の今日で、とても気まずい。私はゆっくりと後退りをすると、気付かなかったフリをしてその場から去ろうとした。……けれど、もちろんそんなことを根岸くんが許してくれるわけがなく。


「あれ、休みなのに一人?もしかして振られた?」

「振られてません!」


 当たり前のようにからかってきた。私は根岸くんを睨み付けてもも肉を取ると、その場から去った。


「七瀬ちゃん待ってよ。せっかくだし一緒に買い物しよ」

「結構です」

「今日のメニューは何?唐揚げ?」

「いいえ、違います」

「七瀬ちゃん料理好きなんだ。今度俺にも作ってよ」


 その言葉に、私は思わず立ち止まる。そして、尋ねていた。


「どうして?」

「どうしてって、七瀬ちゃんの手料理食べたいから」

「どうして?」

「決まってるでしょ。七瀬ちゃんのこと好きだから」

「七瀬さん」


 根岸くんと向き合っている私にかかる声。聞き慣れた声だったから、背筋を冷や汗が伝った。


「せ、関くん……」


 どうしてここに?!


「うっ、あ、あの、これは、たまたま会って、本当なの、」

「お酒買おうと思って入ったら七瀬さんいてビックリした。今日のご飯何?昼ご飯食べた?俺まだ食べてなくてさ、腹減った」


 関くんは笑いながら、根岸くんに会釈する。そして私が押していたカートを押して歩き出した。……関くん、ごめん。もしかして、昨日から普通に接しようとしてくれていたのかな。関くんが、饒舌なのは無理してる証拠。本当にごめんなさい。私が無理させてるんだ。


「あ、あの、根岸くん。私は関くんと付き合ってるし、関くんのことが好きだし、あなたの気持ちには応えられない。料理も作らない。ごめんなさい」


 頭を下げて、関くんを追った。偶然とはいえ、もう根岸くんと会っちゃいけない。関くんを不安にさせるようなこと、しちゃいけない。


「関くん、あのね。昨日根岸くんに告白された」


 家に帰ってすぐそう言った。言わないほうがいいと思っていた。変に心配かけちゃいけないって。でも関くんは、気付いてしまう。私も嘘がつけないから。誤魔化したほうがきっと、関くんに心配かける。


「でももちろんちゃんと断った。関くん以外好きにならないって。だから、あの、」


 私に背を向けていて顔が見えなかった関くん。振り返ってそのまま抱き締められて、やっぱり顔は見えなかった。でも関くんがわざと見せないようにしているってすぐに分かった。


「ほんと、余裕のない自分が嫌になる」


 そう言った関くんの声が弱々しかったから。


「七瀬さんが何か隠してるのはすぐに分かった。でもちゃんと言ってくれないのは俺に心配かけないためだって。それも分かってた」

「関くん……」

「でもモヤモヤしてさ。同窓会ってことはあの人がいるってことも分かってたし。あの人と何かあったんだろうなって。七瀬さんのこと、信じてないわけじゃない。不安になる自分が情けなくて……」

「ごめん、関くん。本当にごめん」


 関くんの背中に手を回す。ぎゅっと抱き締めると、関くんは少し笑った。


「正直言うと嫌だ。あの人と七瀬さんが会うの。でも束縛もしたくない」

「関くん……」

「七瀬さん、俺……」

「ごめんね。私、本当に関くんのことが好きだよ。他の誰も入る隙間がないくらい、関くんのことでいっぱい。そうやって関くんが言ってくれるのも嬉しい。だから、もう二度と会わないよ。根岸くんに会う理由もないし」


 そう言って微笑むと、関くんは切なく顔を歪めて笑った。まだ無理をさせているようで苦しい。本当に、恋愛って難しい。



「関くんを不安にさせる先輩が悪いですよねー」

「うん、そうだよね……」


 次の日の昼休み、亜美ちゃんに話を聞いてもらうと亜美ちゃんはやっぱりそう言った。亜美ちゃんは普通なら言いにくいことでもハッキリ言ってくれるから嬉しい。まぁ、キツすぎることもあるから本気で落ち込むことも多いけれど。


「亜美ちゃんはこういう時どうする?」

「何もしないです。だって彼氏と別れたらその人が次の彼氏候補なわけでしょ?ていうか先輩みたいな地味女があんなイケメンに好かれるなんて奇跡ですよ。私が先輩ならキープしとくな」

「……亜美ちゃん……」


 私を全力で馬鹿にしつつ最低な発言を普通のテンションで言うから、それが正しいことのように錯覚しかける。ダメダメ、違うの。私は関くんとこれからも付き合っていきたいの。


「先輩って付き合うの初めてでしょ?ならわからないことだらけですよ。関くんなら付き合ってくれるでしょ」

「……え」

「分からなくても難しくても少しずつ受け入れていけばいいんですよ。ちゃんと関くんを信じて」


 亜美ちゃんってほんと、難しい後輩だな。


「……ありがとう。頑張る」

「根岸さんに私はフリーですよって言っといてください」


 ……亜美ちゃん……

 今日こそは、ギスギスした空気をどうにかしたい。そう思ってお酒を買った。ご飯も少し豪華にしよう。気合を入れてご飯を作っていると、いつもと同じ時間に関くんが帰ってきた。


「おかえり!」

「……ただいま」


 私のテンションに少し驚いたらしい関くんは、目を瞬かせた後微笑んでくれた。関くんが私と一緒にいたいと思ってくれるように。私のいる家に帰ってきたいと思ってくれるように。


「関くん、今日はちょっと豪華にしてみました!」


 テーブルに並べた料理を見て、関くんは嬉しそうに笑った。


「……あのね、関くん。私、関くんのことが好きだよ」


 まっすぐに関くんを見つめて、口を開く。ちゃんと届くように。私の気持ちが、関くんに届くように。


「足りないところとか、悪いところとか、直せるように努力する。もっと好きになってもらえるように頑張る……っ」

「……これ以上もう、好きになれないくらい好きだけど。七瀬さんはもっと超えそうで困る」


 正面から抱き締められ、耳元で関くんが囁く。


「どうしてそんなに一生懸命になれるの?」

「……それは……多分私が、関くんのことすごく好きだから」


 関くんだから、そばにいたいと思う。関くんだから、私を信じて欲しいと思う。関くんだから、好きでいてもらえるように努力したいと思う。


「関くんが、特別な人だから」


 関くんに出会って人生も捨てたものじゃないと思った。新しい友達もできた。知らないことも沢山教えてもらった。何より、大好きな人に抱き締めてもらえる幸せを知った。他の人じゃダメなの。関くんじゃないと、ダメなの。


「……七瀬さん」

「……っ」

「ご飯、後でもいい?」


 関くんの手が頬に触れる。近付いてくる唇に目を閉じて、甘い夜を予感した。

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