人生初のモテ期

「話がしたいから今日仕事終わりに外で待ち合わせしよう」


 私のお腹で眠って少しすっきりしたらしい関くんは爽やかな顔でそう言った。反対に私はモヤモヤと寒さで寝不足である。


「はい……」


 若干フラフラしながら待ち合わせ場所を確認して、家を出た。


「センパイ、ギャハハ!いつにも増して酷い顔!」


 うん、亜美ちゃんに会ったらそう言われるだろうことは予想してたよ。寝不足だからと言ってもちろん仕事に手を抜くわけにはいかない。目がシパシパしてPCの光が眩しい。これ夕方まで持つかな……


***


「センパイ、今日ご飯食べに行きませんかぁ?」


 何とか業務を終えて帰る準備をしていると、亜美ちゃんがそう言ってきた。


「ごめん、今日約束があって」

「あ、もしかしてとうとう振られるんですか?ざまぁみろぉ」

「不吉なこと言うのやめてくれないかな!」


 うん、大丈夫だよきっと。昨日関くんとちゃんと気持ちが通じ合えたし。やっぱり関くんは浮気なんかするような人じゃない。きっと色々事情があるの。そう自分に言い聞かせて待ち合わせ場所のいつもの公園に向かった。

 公園にはいくつか街灯があって、その下のベンチでいつも待ち合わせする。私が行った時にはもう既に関くんの姿があって。でも、隣に女の人が座っていてしかも関くんの腕に自分の手を絡めていたから。私はその場に立ち尽くした。関くんはその手を離そうとするのだけれど、女の人はニコニコと嬉しそうに離さない。その人は、社内で何度か見たことがある。檜山さんだ。関くんと噂になってるあの、檜山さん。……嘘だ。何かの間違いだ。だって昨日関くんは確かに……


「!七瀬さん!」


 関くんが私に気付いた時、私は慌てて彼に背を向けた。ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。


『男なんて信じたら終わり』


 亜美ちゃんの言葉が頭の中をグルグル回って……


「待って!勘違い!」


 関くんがそう言いながらグッと私の手を引いた。


「か、か、勘違いってだって、あんなにラブラブなのに……」


 グスグスと半泣きで言ったら、関くんははぁぁと深いため息を吐く。そして。


「あー、絶対ない。だってあの人……」


***


「なんか誤解させたみたいでごめんねー」

「いいいいえ、あの、私こそ勝手に疑ってしまって申し訳ありませんでした……!」


 大人の雰囲気漂うバー。私なら照明が暗いな、と思ってきっと選ばないだろうお店で、檜山さんと、関くんと私は向き合っていた。


「ほんっと失礼な噂だよねー。私が関と付き合うわけないじゃん」


 カラカラと笑う檜山さんはとても綺麗でさっぱりしていて魅力的な人だ。でも、周りは知らない秘密があるらしい。それは……


「……どちらかと言うと私、七瀬ちゃんみたいな可愛い女の子がいいな」


 長い指が顎を掬う。私をまっすぐに見つめる彼女は色っぽくて……。思わずゴクッと息を呑んだ。


「……七瀬さんを口説くのだけはやめてください」


 隣の関くんが彼女の手をはたき落とす。それを見て彼女はまた笑った。

 ……実は彼女。女の人しか愛せないらしい。


「七瀬ちゃん、こんな淡白な男やめて私にしない?私のほうが満足させられると思うよ」

「……!あああありがたいのですが申し訳ありません。私はついこの間まで処女でして、経験も関くんしかありません、きっとあなた様を満足させられる技量はないかと……。そ、それに、私は関くんに満足すぎるほどいつもお世話になっておりますので……」


 真っ白になった頭とは反対に顔は真っ赤になって、私は必死で言葉を紡いだ。自分がどれだけ大変なことを言っているか、パニック状態の私は気付いていない。二人が沈黙して、あれ、もしかして私とんでもないこと言った?!と気付いた時、檜山さんが噴き出した。


「風俗か!何かダメなことしてるみたいで逆に燃えるねー」

「いいいいやあの」

「それにしても関、よかったねー。彼女満足してるって」

「そそそそれは」

「淡白かと思いきや?」

「当たり前です。好きな人を満足させられるような男じゃないと思われてたなんて心外です」

「ひいいいい」


 関くん、恥ずかしすぎるからそれ以上やめて……


「……で、話あるんでしょ?関」


 そうだ、関くんから話があるんだ。どうして檜山さんもいるのか。きっと私が疑っていたようなことではないのだろうけれど。やっぱり少し怖くて、でもちゃんと聞きたくて、私は関くんを見つめた。


「……黙っててごめん」

「……」

「……実は二週間前に、母が倒れた」

「え……」

「大したことないんだ。もう退院できるみたいだし。でも入院費と手術代が必要で。父親は早くに亡くなってるし、弟はまだ高校生だし。俺が仕事終わった後バイトしてた」

「……!」


 だからだったんだ。帰ってくるのが遅かった理由。疲れ切っていた理由。


『少し疲れた』


 関くんの弱い声が頭の中に蘇った。


「わ、私、勝手に浮気とか疑って……」

「いや、うん、仕方ないよ。ちゃんと話さなかった俺が悪い。檜山さんにはバイト紹介してもらったりお世話になってたから。七瀬さんのこと紹介したくて」


 きっと、私の不安を取り除く意味もあったのだろう。大変な理由があったのに。関くんを疑ってしまって情けない。


「……かっこ悪いところ、見せたくなかった。でもそれが原因で七瀬さんのこと不安にさせてたら意味ないよな。だからちゃんと話そうって決めた。ごめん、不安にさせて」


 ふるふると首を横に振る。頼ってくれなかったのは少し寂しいけれど。私にも少ないながら貯金はあるから、少しは助けられたかも。でも、関くんは優しいし真面目だから。私に心配をかけたくなかったのだろう。


「で、お、お母さんは大丈夫なの?」

「うん。もう退院できるし大丈夫」

「そう、よかった……」

「関、よかったね。やっぱり七瀬ちゃんいい子」

「い、いえ、私は何もできなかったし……」

「……いてくれるだけで、いいよ。七瀬さんは、いてくれるだけでいい」

「関くん……」


 関くんがふっと優しく笑う。私って本当に馬鹿だな、と思う。それと同時にやっぱり関くんのことが大好きだなって。


「イチャつくのは家に帰ってからにしようか」

「はっ、すみません……!」


 我に返って檜山さんを見ると、檜山さんはまたカラッと笑って。そして封筒を差し出した。


「仲直りした君たちにこれをあげよう」

「え……」

「七瀬ちゃん、関に飽きたら私のとこ来なよ」

「口説くのやめてください」


 早すぎる関くんのツッコミに、思わず笑ってしまった。

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