理系女子・国分寺邦子の東大生活

@jukunokouji

第1話 3月10日・合格発表の日

 桜はまだその色彩を大きく変遷させることはなく、新緑の中でつぼみが紅くその時を待ちながら、葉のモスグリーンの厳格さを際立たせている。まだまだ春の歩みは鈍く、その足音もかすかに聞こえるのみ。それも一歩進んでは二歩下がるといった感じで、暖かな日と冷たい日を行ったり来たりしている。そんな3月10日の今日、私は若干の肌寒さを覚えながら、本郷キャンパス正門からまっすぐ行ったところにある合格発表のボードの前に再び立っていた。



「あ、あった・・・・」


 最初に自分の受験番号を見たときの感想は意外にもこんな淡白なものだった。

 去年落ちたときは、自分の番号をあんなにもしつこく探し回ったというのに(笑)。


「いやいやいや、ちょっと見落としちゃったかなぁ?もう一回ちゃんと見なきゃね!」

 

 とか言ってもう一周。



「ああ!そうか、受験番号を覚え違っちゃったんだろう。うっかりうっかり(汗)」

 

 とかなんとか言いながら、今度は自分の受けた理Ⅱだけでなく理Ⅰの合格番号まで見たりして。果ては合格番号の書いてある用紙の印刷ミスを疑ってみたり、ボードの裏側までわざわざ覗きに行ったり。が、当然番号などあるはずもなくただただ木のボードの裏側が暗く広がっていた。

 やれやれ人間、予想もしない危機が訪れるとどうにかしてその事実を信じまいと、ワラにもすがりたくなるような行動を取ってしまうものなんだな。ああ、思い返すだけで感慨深いやら恥ずかしいやら。


 結論として、去年の合格発表に自分の番号はなかった。というか、自分の受験番号の前後30番くらい見事にすっ飛んでいた(笑)。呪いだ、もうこれは・・・・

 しばらく呆然と眺めていたものの自分の番号が復活するなんてこともなさそうなので、ついに観念して帰ろうと電車に乗ったときの消失感と言ったら。なんだろう、寂しいのともちょっと違って、自分の不甲斐なさと言うか、もうなんか恥ずかしい、ごめんなさい!ってのが大きかった。あれが挫折なんだろう。正直、赤門出てから御茶ノ水まで歩く道のこと記憶にないもん。


 あれから一年、私は親に頭を下げて浪人をさせてもらえるよう頼み込んだ。予備校に向かう電車の中、まるで学校や社会に属する周りの皆が進んでいる大きな大きな流れの中を、私だけはトボトボと逆側に進む、そんな孤独で刺すような敗北感を抱きながら勉強を続けてきた。あ、いや、まあ実際のところ、そんな大げさに後ろ向きに感じていたのは最初の方だけで、大部分はもっと穏やかでそれなりに充実していたのだが。この浪人や試験の時の事はまた機会があったら、詳しく話していきたいと思う。

 

 話を今日に戻して、そんなこんな何とかかんとか浪人の一年を乗り切り、センター試験ではちょっと失敗したものの大けがは免れ、2/25・26の二次試験を受け、3/10の合格発表、つまり今日を迎えた、というわけ。そうしたら今度は運良く自分の番号があった。しかも今度は自分の番号の前後40個くらいほぼ全部ある。やはり呪いは本当だったのだ・・・・(笑)

 しかし冒頭でも言ったが自分の番号があると面白いもので、前年とは打って変わって淡白な感情しか湧かず意外と塩対応しだす。受験番号を繰り返し何度も見ることなんて全くしなかった。


「あ、番号あった」



「うん、もう一回見てもやっぱりあるな」



「さて人混みになってるし、サッとその場から下がらなきゃ」



 ここまでにかかる時間は数秒、おそらく15秒以内のはずだ。まさに電光石火、この動作を振り返る事もなくただ淡々とこなした。

 そしてちょっと引いたところにスペースを見つけたので、とりあえず支えてくれた親に電話した。


「お母さんあったあった!番号あったよ」


「きゃーー、おめで%#$、、、」


 感極まってしまったらしく叫び声だけ聞こえて言葉になってなかった。でもそれを聞いて、まだ実感はわかないけど自分も嬉しくなった。

 電話を終えると、そばでアメフト部らしい人たちが胴上げをしようと、皆の顔を覗き込んでウロウロしている姿に気がついた。去年はそんな人たちがいるなんて正直全く気づかなかったな(笑)。いや知覚はしていたのだろうが、記憶にないというか・・・・

 どうやら彼らは嬉しそうな雰囲気を前面に出している人を見つけると、その人に合否の確認を取りに行き、受かっていると言われると、一気にみんなで囲んでバンザーイ!という作戦のようだ。

 確かにこうやって改めて周りを見ると、割と合否は雰囲気から一目瞭然だ。去年の私のようにウロウロいつまでもみている人もいる。顔真っ青だ。私も去年あんなに蒼白だったんだ・・・・


「大丈夫。私もそうだったけど、君の人生もこれで終わりじゃ全然ないよ。苦しいかもしれないけどまた頑張れ!」



 と、心の中で見知らぬ彼にエールを送った。


 正直胴上げの輪はすごく楽しそうなんだけど、私は一人で来ているし、現役じゃないし、何だかこっ恥ずかしいので遠慮させていただこうと思ったので、標的にならないようになるべく顔を暗めにしてその場を離れ、そそくさと合格者用の書類をもらう列に並び、書類の詰まった紙袋をもらってすぐに電車に乗った。そしてそのまま合格報告をするために母校の高校に向かったのだった。

 

 しかしこの道中、急に恐怖に襲われてきた。あんまりにもぱっと見で自分の番号を見終えてしまったために、今さらになって本当に番号があったのかすごい不安になってきてしまったのだ(笑)。これで実は見間違いでした!なんてシャレにならない。しかもそんなことになったらまた一年浪人しなくてはいけない。私はここ以外受けてないのだから・・・・

 もっとしっかり見て写メでも取っておけばよかった・・・・

 記憶なんてあやふやなもので、自分の番号が実は本当になかったんじゃないか、という不安がどんどん大きくなってしまい、母校に着いて担任の先生に会うと、いの一番に口から出たのが


「わたしって合格してんですか?」


 だった(笑)。


 こんなトンチンカンな質問をしてしまったために、面食らった先生は、


「何を今更言ってるんだい!?なかったら一体何をしに来たんだい、君は??」


「そうなんですよね。でも私、自分の番号があったのかよく見ずに焦ってここまで来てしまいまして・・・・」



「相変わらず君ってやつは全く・・・・ちゃんとあったよ、おめでとう!」


 と言ってくれた。

 おお!学校の方でも事前に報告してあったみんなの受験番号を確認しててくれたのだ。これは本当に助かった(笑)。滅多にないナイスプレーだよ、母校よ。

 ともかく、とりあえずここで一区切りついて、わたしも今年は4月から大学生だ。身分も復活して、みんなと同じ流れを歩くんだ。


「あー、長かった・・・・」


 こうして私、国分寺 邦子(こくぶんじ くにこ)は、一浪してやっと東京大学理科二類に合格することができたのだった。

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