恒川美晴が大学一年生のときにに書いたもの

エピソード1 事故物件のピアノ

 事故物件。それはマンションやアパート等で自殺や事件、死亡事故等があった場所のことをいう。たいていは家賃が安く設定されており、生活に困った人が住むこともあるのだろう。

 あなたは怪奇現象が起きると噂になっている事故物件も家賃が安ければ住んでみますか?




 私は大学に合格して一人暮らしを始めるときにアパートを借りなければならなかった。後期試験で合格した私が部屋探しをするときは、すでに安くて大学から近くてその他の条件も良い――例えば風呂がユニットバスではなかったりキッチンが広かったりする物件はほとんど埋まっていた。それは当たり前のことだろう、と考えながらも私は「前期とか推薦とかで受かった人はずるい」と考えた。もっとも、前期で合格できなかった私が悪いのだけど。


 さて、限られた物件の中から私が住むことになるものを探すことになったのだが、私は大学から徒歩7分程度で家賃も手ごろな物件を見つけた。T県だということもあるが、家賃2万円は安い。しかも、部屋そのものも広くてキッチンも風呂も私が理想だと思うそれに近いではないか。

 私はこの部屋を借りると決めたが、そのときに管理人から説明をされた。そのとき、管理人はこう言った。


「この部屋はちょうど上の階が心理的瑕疵物件ですが大丈夫ですか?」


 出た、事故物件。しかも、この部屋が、というわけではなく上の部屋が。

 だが、この部屋ではないということで、この部屋には問題があるのだろうか?


「大丈夫です」

「そうですね。家賃も手ごろなので。部屋そのものに出る、というわけではないんですよね?」


 私も母も、この部屋に住むことに決めていた。それがたとえ事故物件の下の部屋であっても問題はないだろう。


 ――今思えば、それが間違いでした。


 私が大学に入学して7か月。異変はその頃から起こり始めた。

 それは、毎日早朝に聞こえてくるピアノの音。聞こえてくる曲はショパンのノクターンという曲だろう。私の記憶と認識が正しければ。早朝に聞こえるピアノの音で私は無理に起こされて、少しずつ睡眠時間を削られた。夜の12時頃に寝て、起きるのは朝の4時。どう考えても睡眠不足です。

 それでも、私は授業も文芸部のサークル活動も充実していたのであまり気にしなかった。

 ……それに、事故物件の話もホラー小説のネタになりそうだし。




 ある日の心理学の講義でのこと。私は同じアパートに住んでいる鶴田茉子とともに講義を受けていた。こう見えて私は単位のために授業は真面目に受けるたちなのでノートはしっかりと取っている。でも、今回は違った。今までの睡眠不足のせいか、私は眠気に襲われて意識が飛んでいた。

 と、そんなときに何かでつつかれる感覚を覚えた。やったのは茉子。


「大丈夫?」

「……うん。多分大丈夫かな」


 私は意識を取り戻して茉子と小声でやり取りした。

 そんなこんなで気が付けば授業のスライドが7つほど進んでいたので見事に見逃したというわけだ。しかも、講師いわくレポートの課題やテストに出る内容のもの。

 恐ろしいね、眠気。大切な内容をいともたやすく見逃させるなんて。


「あとでノート見せてもらってもいい?」

「いいよ。」


 とりあえず、ノートの内容は確保。

 これ以降私は眠気をはねのけたのだが。

 ……茉子。その心配そうな目は何。私、そんなに疲れている?確かにアレのせいで眠れていないんだけどさあ。




 講義、終わり!

 2限は授業が入っていないので、私と茉子は大学の中庭のベンチで休憩することにした。どうせならノートも見せてもらおうかな?

 それにしても大学の秋の様子は絵か写真にしてもいいものができそう。写真部とか美術部の人はこないかな、なんて。

 それはそうと、私は茉子に聞きたいことがある。愚痴に聞こえるかもしれないけど。


「聞いてよ、茉子。最近上の階からピアノの音が聞こえてきて朝早くから起こされるんだよね」

「ほんとに?ピアノ置く人なんているの?」


 ほら、疑われる。だいたい私が怪奇現象だと思ってもピアノの音くらいでは取り合ってもらえるとは限らない。茉子だってそうだ。……多分。


「わからないけどいつも4時くらいから起こされて、二度寝しようとしても眠れない。もし心霊現象とかだったらホラー小説のネタにでもなりそうだよね」


 不眠の原因はこれ。私だってありのまま、私が経験したことを伝えているんだ。ホラー小説でもホラー映画でもないから。

 まあ、茉子は疑うでしょうねえ。顔を見ればわかる。


「もし疑うなら私の部屋に泊まってよ。毎朝4時くらいにピアノの音するから」


 私は茉子に怪奇現象が本当なんだと伝えるために提案した。


「じゃあ、泊ってもいい?同じアパートだけど」


 と、茉子。

 よし、これで茉子もわかってくれるぞ。怪奇現象とか、不眠の原因とか、怪奇現象とか。




 その日の夕方、私と茉子はスーパーで買い物をして私の部屋に上がった。

 ……ほら見ろ茉子。私の部屋は綺麗だぞ。問題の収納だって棚使ってるしカーテンも目に優しい緑色だ、ドヤ。なんて。


 私と茉子は広いキッチンで夕食を作って食べて、心理学で居眠りをした分のノートを写し、風呂に入って、テレビを見て――なんてことをしているとやっと夜12時になった。


「そろそろ寝よう」


 この時間はいつも私が寝る時間。


「そうだね」


 と、茉子も言う。

 私の部屋にはベッドのほかに布団もある。様子を見にきたい、と言っていた母がこの部屋で寝泊まりするために置いていったものだが……母はまだ来たことがない。ということで、とは言えないかもしれないが茉子専用の布団になりつつある。

 私たちは布団に入って3分ほどで眠りについた。




 そして、時計の針が4時を回った頃。ピアノの音だ。夢じゃない、いつも聞こえてくるあの音。私は夢の世界から現実に引き戻される。

 その2分後くらいに茉子の目も開いていた。


「マジで聞こえる……」


 何者かが奏でるショパンのノクターンは私と茉子を無理やり起こした。その音色はなぜ隣の茉子の部屋では聞こえないのか、というほどにはっきりとした音色だった。


「ほんとに聞こえる!なんで?私の部屋では聞こえないのに!?」


 茉子の部屋では本当にこの音が聞こえていなかったらしい。戸惑う茉子。その様子を見て思い出したことがひとつ。

 この上の部屋305号室は事故物件である。なんでも、この部屋の住人だった女子学生が同じサークルの人から酒を大量に飲まされて急性アルコール中毒で死亡したという。飲まされた、つまりアルコールハラスメントを受けたのだから殺されたも同然だ。


「美晴?」


 私にかけられる茉子の声。


「管理人さんに話そう」


 これが私たちの取れる最善の行動だと思う。茉子も管理人に話すことには賛成している。だって、これはただ事ではなさそう。お祓いとか、必要じゃないかってくらい。


 その日の昼に私は管理人に電話をかけた。それに対する管理人の反応は「やっぱり」だ。それに加えて管理人いわく、今年の4月から305号室に住んでいる1年生が今年の5月を境に見かけなくなってしまった、とのこと。

 305号室ってあの事故物件のことじゃないか。


「様子を見に行きたかったところだけど一緒に見に行ってもいいんだよ。」


 電話越しに聞こえる管理人の声。

 行くか、行かないか。もちろん、行く。ホラー小説のネタになりそうなので。


「ぜひお願いします」


 正直、上の住人の安否も気になる。でも、何より事故物件となるとホラー小説書きとして見ておきたい。小説を書いている以上、リアリティと生々しさにはこだわってみたいから。




 そして、午後1時過ぎ。私は管理人に連れられ、茉子もつれて305号室に行ってみた。3階に来たことはなかったが、ここからの景色は案外解放感がある。T大学の農場もほんの少し見える。


 まず、管理人がインターホンを鳴らす。ちょっと古いインターホンの「ピンポン」という音がするも、返事はない。その代わりに聞こえたのがピアノの音色。特徴的だと思ったのが、その音に込められたものが一切なさそうなこと。人間が弾いているとは思えない、無機質な音。私の部屋で聞こえた音もすごく無機質な音だった。近いもので言えば、音楽制作ソフトのデフォルトのピアノの音。


「うう……」


 茉子は震え上がる。ごめんね、茉子。無理やり連れてきてしまって。私は多分平気だけど。

 管理人がカギを開け、ドアを開けた。ピアノの音色がより一層聞こえてくる。音量を上げたように。


「山内くん?大丈夫ですか?」


 管理人がそれなりの声で中に向かって言う。返事はない。すると、管理人は私に手招きし、二人で中に入った。

 ……ちょっと待って、これ結構洒落にならないかもしれない。本当に好奇心で身を滅ぼしかねない!


 ――その光景は私の想像を超えていた。ビールとチューハイの空き缶とカップ麺の空容器が散乱する部屋。その真ん中には椅子に座った住人の姿が。住人は視点が定まっていないようで口も半開き。怖い、気持ち悪い。

 さらにそいつはピアノを弾く真似をしていた。その場にピアノはなう、音がするはずもない。なぜ?と思ったら――


 住人がの背後。そこに黒髪で2年ほど前に流行っていたような服――ア〇スや〇Uでよく見かけるような服を着た半透明の女性が半透明のピアノを弾いていたのだ。私はその女性と目が合った。

 充血した眼。何かを訴えるような表情。赤い顔。まさに「酒に酔っている」ような顔。

 私の体から力が抜ける。


「恒川さん!外に出ますよ!」


 私は管理人から手を引かれ、305号室の外に出た。

 え、今何があった?あれは?酒に酔ったような人が――


「お祓いを受けてきなさい。お金は私が出すからね」


 お祓い。何それ。私変なものにでも触れたんだろうか。もしかしてあの部屋が駄目だった?

 管理人はそれだけを言って、私を外に連れ出すと車に乗せた。車はどこかへと向かう。何、どこへ行くの。

 体に力が入らず、意識もなく、ピアノの旋律だけが脳内を駆け巡る。いい音だなあ……私も弾いてみたい。いや、その前に小説を……




 ――そこから先、管理人室に戻るまで、私の記憶はない。ただ、お祓いを受けたことだけは管理人に知らされた。

 305号室ではアルコールハラスメントがあったらしく、それで女子学生が死亡したとのことだ。死亡した女子学生は山内の前の住人で、ピアノを弾いていたらしい。それだからピアノの音がしたのだろうと、管理人は言っていた。それにしても、恐ろしい話である。私もお酒には気を付けよう。まだ19歳だけど。

 305号室は正式にお祓いをするらしく、私の住む205号室も念のため、ということだそうだ。上の住人の山内という人は休学したらしく、アパートもなぜか引き払っていた。そして私は管理人から塩スプレーという魔除けアイテムをもらった。

 こんなことがあっても私はホラー小説を書く。いつか私だけの100物語を作るんだ。

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