縁を切って気軽に歩こう

武石こう

 自分の部屋でスマホを睨みつけながら、一人の男、田中がぶつくさと文句を言っていた。


「めんどくせえヤツだな、ブロックだブロック」


 相手はSNSで知り合った、実際に会ったことはない人。よくくだらないことをやり取りもしていて、このSNSでの付き合いの中ではかなり古い関係だ。周りからも仲が良いと思われていただろう。


 そんな関係も切れるときはあっという間。ちょっとした考え方のズレや、文字でしかないがために文面をそのまま受け取りやすいために不穏な空気になってしまったのだ。


 相手はそんな田中の気分にすぐ気づいて柔らかい文字を返信してきたがすぐに田中は仲良くしていた相手をブロックし、縁を切ることにした。画面をタップすればあっという間で簡単、ぷっつりと切れる。


「俺をざわつかせるヤツなんていらねえんだよ」


 ブロックすると相手がこのSNSで何を書こうが見えなくなる。心が落ち着かせられて、忘れることができる。それでも相手と繋がっている人はまだ近くに多くいた。そんな人たちが「どうしたんですか?」とメッセージを送ってくる。


 それが田中の怒りを強くした。なんだか全員が相手の味方のように感じられて、自分ばかり責められているような気分になる。


 今回の件もすべて自分が悪いと。簡単にブロックして縁を切るなんて大人げないと。


 ならばやることは一つ。全員切れば良いのだ。所詮はSNSでの繋がり、向こうも簡単に繋がって簡単に切れることばかり考えているのだから、そうしたって何も問題はないのだ。


 現実で友達がいないわけではない。いる方だとも思う。なおのこと切れた方が精神衛生上良いに決まっている。


「うるせえ死ねよ、こいつら全員消えちまえ」


 メッセージを送ってきた人全員にブロックを掛けた。知り合い全員消えたわけではないが、それでもいつものSNSがとても静かになって、とても清々しくなる。


「ちょうどいいや、色々面倒になってきてたところだしな。ただの暇つぶしなのにマジになってよ」


 一通り作業を終えると、一人暮らしのアパートの部屋で腹の音が鳴った。窓の外はすっかり暗くなっている。


 何か適当に食べるものはないかと、実家から送られてきた段ボール箱の中を漁る。簡単に食べられるようなものはなかった。野菜など加工しなければ食べられないものばかり残っているあと手紙。


 封は開けていない。いつも通りの大したことなど書いていないからだ。金も入っていない。スマホでメッセージも送ってくるが、返すのが面倒でそのままにしている。


「なんか買いに行くか」


 田中は会社員、休みの日は外に出たくはなかった。しかし腹は空いて仕方がない。上下ともに雑な服装で近くのコンビニへと出かけることにした。出前を頼むほど余裕はない。


 静かな道にぼんやりとした街灯が並ぶ。コンビニまでそう遠くはない。サンダルを引きずるように歩き、片手にはスマホ。画面の明かりをただ目に入れている。


「こんばんは」


 前から声がやって来て、田中はちらりと視線をスマホの画面から動かした。するとそこにはブレザーとスラックスの学生服を着た中学生くらいの少年がいた。服はすべて烏色で、整えられていない薄い色の髪の毛がぼうっと浮いているように見える。


 誰もいないからおそらく田中に挨拶をしているのだろう。

 無視して通り過ぎる。わざわざ挨拶を返す義理もない。見た目の雰囲気からどこか頭がおかしいとも考えられて、こういうのに関わるのは面倒なことにもなりかねない。


「こんばんは」


 後ろからもう一度挨拶をされたが、足を止めずにそのまま。


「こんばんは」


 三度目の挨拶。田中が止まってしまったのは、それが再び前から聞こえてきたものだったからだ。驚いて目を動かすと、あの声の主の少年がまた前で立っていた。慌てて後ろを振り返ると誰もいない。少年だけが目の前にいる。


「こんばんは」


 街灯の明かりの真下に立つ少年。一重でぎょろりとした大きな目が二つ、田中をしっかりと捉えていた。田中が口をもごもごとさせていると、ぎいぎいとした刃物を研ぐような声を、唇を尖らせて出した。


「ひどいじゃないですか。僕が挨拶をしているのに無視しちゃって」


 調子の悪い明かりがちらついた。一瞬暗くなったとき、少年の目と髪がやけに目に入った。また再び明るくなると少年の口元はやや笑みを浮かべるよう変わっていた。


「そんなに僕と話したくありません?」


 引き返そうかと思った。だが相手は子供。どうしてこんな子供のために自分の行動を変えねばならないのかと思い、田中は気を取り直し、いや、威圧するようにした。


「うるさい。別に用なんてないだろ、声掛けてくんな」

「やっぱりひどいなあ。用がなくちゃ挨拶しちゃいけないて?」

「ああそうだ。それに俺はお前なんて知らないからな」

「あれま、そういうことですか。宵来よいこです、どうぞよろしく」

「は?」


 少年は握手を求めてきたが、田中は握り返そうともしない。


「名前ですよ、宵来よいこ。ボクの名前です」

「バカにしてんのか」

「いやですねえ。よく両親がつけてくれた名前に言ってくれちゃいますね」


 気に障ったのだろう、差し出していた手を引っ込め腕組みをした。むすっとした表情を隠そうともしない。田中はもう話を続けたくもなかった。宵来の横を通り過ぎてコンビニへ行こうとする。


「まだ話の途中じゃないですか、田中さん」


 横を通り過ぎようかというとき、田中は服の袖を掴まれた。彼は振り払うこともできず、宵来の方へと顔を向けてしまう。愉快そうに口角を上げていた。


「田中さん、ちょっとの間でばっさり縁を切りましたねえ」

「は? 何言ってんだ」

「切らずとも少し離れるとかありそうなものですけどねえ」

「お前誰だよ!」

「けへへへへへ……」


 乱暴に振り払い、宵来の手が袖から離れた。いじめられても、少年は息が多く混じる笑い声を漏らし続けている。


「ボクと会えたのはすごい幸運だっていうのに……ほとんどは気づかないんですよ」

「だから何言ってんだよ!」

「まあ挨拶しているのに返してもくれないから、ボクがどう言ってもお気持ち変えることはないでしょうし、そのまま行ってもらいましょうか」


 そう言うと宵子は目を閉じてブレザーの裏ポケットをまさぐる。何が出てくるのかと田中は少年の手から目が離せないようになっていた。出てきたのは小さな四角の紙の箱で、その中から一本紙で巻かれた棒を取り出し、口にくわえた。


「火、あります?」

「お、お前……」

「そっか、吸わないですもんねえ」


 箱をブレザーの裏ポケットにしまうと、同じところからマッチを取り出す。それを使って宵来はくわえた棒の先端に火をつけた。紫煙が上がり始め、肺に大きく入れたものも鼻からぶわっと吐き出した。


「未成年だろ!」


 宵来が楽しそうにくわえていたものを取り上げ、地面へと叩きつける。「あっ」と声をあげ宵来は火がついたままのそれを目で追い、すぐに拾い上げた。吸い口のところにふーふーと息を吹きかける。


「一箱200円台の時代じゃないのにもう、ひどいことするなあ。三秒ルールがなかったらムダにするところでしたよ」


 もう一度くわえて続きを楽しみ始める。田中は声を荒げてしまう。


「そんなんで調子乗るなよ!」


 だからもう一度取り上げ地面へと叩きつけ、今度こそとサンダルで踏みつぶして火を消し吸えなくしてやった。へなへなになってしまったものを見て、宵来はぎょろりとした目を大きく大きく開けてショックを隠さないでいた。


「なんとま!」

「文句言うなよ。ガキのくせに大人の真似するからこうなんだ」

「はあ……ほとんど吸ってなかったのに」

「うるさい。俺はもう行くからな。ついてくんじゃねえぞ!」


 話していて良い気分になるはずがない。どんどん悪くなるばかりだ。小走りで少年から離れていく。その少年はしゃがみこみ、名残惜しそうにずっとごみを見つめ続けていた。

 追って来ないことに安心して、ようやくため息が漏れる。コンビニはもうすぐそこだ。車道の向こう側、横断歩道を渡ったところにある。


「なんだったんだあの気持ち悪いのは」


 横断歩道を渡って半分のところで田中の意識が途切れた。


 

 気づくと、そこは見たこともない場所だった。電気ではない明かりがあちこちにあって辺りをぼんやりと照らしている。地面はアスファルトで整地されておらず、踏めばじゃりじゃりと音を立てる、玉砂利が一面敷かれていた。


 どういうことかまったく意味がわからない田中はきょろきょろとするばかりで、そこから一歩も動けない。


「おーい」


 声がした。女の声だ。比較的近くから聞こえる。何度も何度も呼びかけてくるので、恐る恐るそちらへと向かってみる。するとそこには川があり、その河原に一人声の通り女がいて、田中に向けて手を振っていた。


 女に近寄ってみるとまず顔を確かめた。なかなか実際に見ることができないほどの若い美女。さらに華やかな着物にきめ細やかな白い肌ですらりとした体つきであれば、田中はすぐに警戒心を解いた。


「あの、すいません。気づいたらここにいて、ここどこかわかりませんか?」

「この川を渡るとわかりますよ」


 べったりと墨で塗られたような空。その空には月も星も見えない。見えないのに月明かりのような光が空から落ちていて、川の姿を見せている。穏やかに流れる川、女が言う向こう岸までおよそ50mといったところだろう。


「はあ、渡るって言われても……」


 船もなければ橋もない。つまり泳いでいかなければならない。そもそも質問の答えがおかしい。田中なら先ほどの宵来にしたように強く出るところだろうが、彼は女の美しさに当てられてころりと態度を変えて素直になっていた。


「それは心配ありません。ボクがおぶって連れて行ってあげますよ」


 女の体からそんな力があるように思えないし、そもそも浅いのであれば田中が一人で渡れる。


「いやいやそんなことしてもらわなくても。浅いんなら俺一人で渡れますよ」


 そう言って川に足を入れると、あると思われた川底がまったくなく田中はそのまま落ちてしまう。ばしゃりばしゃりと泳いでみるが体が浮く感覚がなかった。確かに泳いでいるのに溺れるという事実に頭はパニックになっていくが、それを女が助けた。彼を片手で引っ張り上げたのだ。


「こういうわけでして」


 げほげほとむせながら田中は見た、女が川の中でもまるで浅瀬かのように立っているのを。


「ど、どうなってんだこれ」

「ボクにしかわからない見えない足場があるんですよ。足幅分くらいの細い細い道。踏み外すと今のあなたみたいになります」

「なんでそんな川あるんだよ」

「さあ。でもここを渡らなければあなたはすっかりここから進めませんよ」


 頭はまだ落ち着いていなかった。田中はとにかく前へ進むことに決め、女におぶって川の向こう側へ送ってもらうようお願いした。


「わかりました。それではお賃金をいただきます」

「え、ああお金。まあ……いくら?」

「五百円です」

「高いなあ、電車賃でも結構遠く行ける値段だ……」


 愚痴を漏らしながら財布を取り出す。女は悲しそうな顔をしていて、田中はしまったと思いつつ誤魔化そうとにこやかな笑顔を作って五百円玉を渡した。小さな手で女は受け取ると、背中に乗るように姿勢を変えた。


「じゃあ失礼……」


 女におぶられたことなどない。田中は本当に大丈夫かと思いながら身体を預けてみるが、女はへこたれることなく彼を背中に乗せた。狭い背中だが力がある。


「では行きますよ」


 一歩ずつ足場を確かめるように進むのかと思いきや、女は全速力で走り始めた。水面をばしゃばしゃと弾かせて一直線に進んでいく。あっという間に向こう岸へと到着した。着くやいなや背中の田中をどすんとその場で落とすと、


「このまままっすぐ進んでください」


 と、指で方向を指示したあと元の場所へと走って帰っていった。


「いってえ、五百円払ってなんだこのサービスは」


 愚痴を隠す必要はなくなった。尻をさすりながら女が指差した方向へと。そしていまだにここがどこなのかはわからずじまい。

 電気ではない明かりがぼんやり照らす玉砂利のゆるい坂道をしばらく進んでいると、急に辺り一面がはっきりと明るくなった。景色も変わった。朱色が目立つ煌びやかな内装の広い部屋であることは、少し経ってからわかった。


「はい、田中さん、そこに座って」


 どこから来たかわからない声が響くと、すぐ目の前に椅子が現れた。何もなかったところから現れた椅子など得体が知れない。田中は近づいてはみるが座ろうとはしなかった。


「立っててもいいから、そこにそこに」


 田中が辺りを伺うと、部屋の奥にふすまがあった。声はその奥からしていると考えられた。じいっとそこを見つめていると、上から音がして、田中のすぐそばに鉄のポールが落ちてきた。天井へと続くポールだ。


「はい、どうも」


 そのポールを使い、すいっと紋付き袴の男が天井から降りてきた。古臭い眼鏡を掛けていて唐草模様の風呂敷を背負っていた顎の細い男。降りてきた勢いで乱れたかと思ったか、短い髪を手で軽く整える。


「な、なんだ!?」

「はい、ようこそ黄泉坂上よみのさかうえへ」

「よ、よみ?」

「黄泉であります。いわゆるあの世ですね」


 そこでようやく田中は自分がどこに来てしまったのかを知ってしまった。が、あまりにもばかばかしいとも思う。では今ちゃんと体が動いているのはどういうことなのだろうかと。


「うそつけ! じゃあ俺が死んだって言うのかよ!」

「その通りです。車にはねられて即死と、いうことで」


 思い出す。宵来から離れたあと、コンビニへ行くために横断歩道を渡っていたことを。そしてそのあとのことがすっかりわからなくて、今ここにいる。


「お勉めご苦労様でした」

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