第4話 ペンは剣より強いのです

 ペンは剣より強いのです。


「もしもわたしが今、遠野さんに剣を突きつけて『サンドイッチをご馳走してください』と言ったら、どうしますか?」

「通報する」

「ちょっと待ってください。本気ではないのでスマホを置いてください」


 そうじゃないんです。

 これは話のきっかけなんです。

 そこは「それなら思わずご馳走しちゃうなぁ~」と言う場面です。


「そんなに金がないのか?」

「そ、そういうわけでは……」


 すみません。ないです。

 ここ最近本が出せなくて本気で困っています。

 が、そんなこと口が裂けても言えません。これでもプロの小説家なのですから。わたしにだってプライドくらいはあるんです。


「電子書籍の印税が少ぉ~し入ってきているので、なんとかやっていけてます」


 本当に微々たるものですが。

 二万あれば一晩中踊り明かしちゃうレベルですが。


「買って応援してやりたいところだが、一冊ずつしか買えないんだよな、電子書籍」

「そうなんです!」


 なぜ同じプラットフォームで一冊しか買えないのでしょうか。

 何冊も買って応援したいとか、新刊は三冊買いが鉄則とかいう奇特な方がいるかもしれませんのに!


「やはり、紙媒体っていいですよね」


 デビュー作は、お母さんが二十冊も買ってくれました。

 ありがたかったです。

「サインしてあげようか?」って言ったら「イラネ」って言われましたが……むぅ、母め。


「電子は便利だけど、紙がいいって人もまだ多いみたいだな。俺もそうだし」

「ですよね!」


 どんなに時代が進もうが、紙に印刷された本は特別な価値を持っているのです。


「価値のある紙。そして剣よりも強いペン」

「そういや、そういう話だったな」

「サンドイッチを強奪出来る剣よりも強いペン――」

「よりもおそらく強い日本の警察」


 遠野さんの握ったスマホを没収します。

 今回のお話に警察は出てきませんので。

 話の腰を折らないでほしいです、もう。



 はぁ、と。大きく深呼吸をします。



 少し緊張します。

 懐に入れた封筒が、熱を帯びているような錯覚に陥ります。

 わたしのすべてを、そこに込めましたから。


「編集さんに聞いたんですが、大御所の作家先生のところにはファンレターがたくさん届くんだそうです」

「今時手紙でか?」

「はい。メールやSNSのコメントで感想を送る読者の方も多いようですが、手書きのファンレターもまだたくさん来るようです」


 わたしはもらったことがないので分からないのですが。


「手書きの手紙って、書き手の想いがビシビシ伝わってくるんだそうですよ」

「確かに、そうかもな」

「字が下手でも、文章が拙くても、一所懸命さやそこに込めた想いはちゃんと伝わる――と、その先生がおっしゃっていたそうです」

「たまにはまともなこと言うんだな、お前んとこの編集も」

「だから、『あんた、次の小説手書きで書けば?』と」

「発想の飛び方が極端だな!?」


 それで、原稿用紙が送られてきたので今手書きで書いています。

 が、そんなことよりも!


「遠野さん、最近手紙って書きましたか?」

「いや、十何年書いてないな」

「もらったことは?」

「それもないな。町内会のお知らせくらいだ」

「もしもらったら……嬉しい、ですか?」

「そりゃまぁ、嬉しいんじゃないかな」


 よし。

 少なくとも受け取り拒否だけは免れそうです。


 そうです。

 編集さんに言われたんです。



『言葉に出来ないくらい想いが溢れているなら、それ全部手紙に詰め込んで渡しちゃえ』と。



 だからわたしは、生まれて初めて書いてしまったのです。

 ラ……、ラブレターというものを。


 懐に忍ばせた桜色の封筒が発火しそうな程熱く感じます。

 溢れ出し過ぎでしょうか、わたしの想い。

 実家に送る小包もいっつも蓋が閉まらないくらい詰め込んじゃうので、もしかしたら手紙の中に想いが収まりきっていないかもしれません。

 けれど、わたしのすべてをそこにしたためました。




 紙とペンと、ありったけの勇気で――手紙を書き上げました。




「お前は? 最近書いたのか、手紙?」

「へひょい!?」


 思わず変な声が出てしまい、遠野さんを驚かせてしまいました。


「な、なんだよ、その声?」

「す、すみません。急に手紙の話とかされたので、驚いてしまって」

「お前が始めた話題だろうが」


 誰が始めたとか、そんなことはどうでもいいのです。

 懐にラブレターを忍ばせて、それを渡すべき相手と会話をしているこの状況は、いうなればニトログリセリンが並々と入ったコップを頭の上に置いてモンローウォークをするようなものなのです。

 命がけなんです!


「ま、お前はいつもノートパソコンだもんな」


 そんな何気ない一言に、グッとくるものがありました。

 わたしがここで仕事をしている姿を、遠野さんが見てくれていた。

 わたしの『いつも』を、遠野さんが知っていてくれた。


 カウンターでパソコンを広げていれば当然なのでしょうが……わたしには、それが堪らなく嬉しくて……今まで踏み出せなかった一歩を踏み出せる勇気をもらったような気になったのです。


 伝えられる。

 今日なら。

 手紙なら。

 わたしの想いを、遠野さんに……


「……か、書き、ました、よ」


 言葉がのどに詰まりました。

 グラスの水を飲み干して、深呼吸。

 そしてもう一度、今度は遠野さんの顔を見て、言います。


「手紙、書いたんです」


 目から火が出そうです。

 遠野さんを見つめるわたしが、遠野さんのメガネに反射しています。

 顔が、真っ赤に染まっている気がして、恥ずかし過ぎます。


 でも、逃げない。


「久しぶりの手書きは、難しくて……便箋、四冊分くらい無駄にしちゃいましたけど……書いたんです」


 どんなに丁寧に書いても納得出来なくて、書いては破り、書いては丸めて、書いては捨てて、その度に書き直して。

 途中、勘を取り戻すためにお母さんへの手紙を書いたりして、三日かけて書き上げた渾身のラブレター。


 それを、あなたに……


「ちょっと、字が斜めっちゃってるかも、ですが……」


 震える手で、懐から封筒を取り出します。


「こ、これを……」


 限界が来て、顔が俯きました。

 足が震えて、息が苦しくて、耳の中には自分の心臓の音しか聞こえていなくて、……でも、両手でしっかりと封筒を持って、頑張って差し出しました。



 しばしの沈黙の後、ふと、手の中から封筒の感触がなくなりました。



 恐る恐る視線を上げると、遠野さんの手に鮮やかな萌黄色の封筒が持たれていて、――そこで限界を超えました。

 遠野さんの顔も見られずに、俯いたままでわたしはお店を飛び出しました。


「それが、わたしの気持ちです」


 ドアを越える間際で絞り出したそんな言葉は、もしかしたらちゃんと声になっていなかったかもしれません。

 それでも、わたしはやりました。ついに、ついにやったのです。


 走って走って、夢中で走って、ふと妙な引っ掛かりを覚えました。



 ……はて。

 わたしが書いたラブレターは桜色の封筒に入っていたような……?




☆★☆★☆★




 カランカランとベルを鳴らしてドアが閉まる。 


 ベルの余韻が消えると店内には静寂が落ち、俺の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。


「――っ!」


 正体不明の衝動に突き動かされ、俺は駆け出し、ドアに引っ掛けたプレートを『Close』

にした。

 ドアを閉め、勢いよく鳴るドアベルの騒音を聞き流し、ドアに背を付けた途端、足から力が抜け落ちた。

 ずるずると滑り、地べたに尻を突ける。


「う……嬉し過ぎて、吐く……っ」


 こ、これは、もしかして……ラ、ラブレ……


「ヤバイ、吐く!」


 カウンターに駆け込んで流しに顔を突っ込む。

 胃酸が逆流してきて、口の中が酸っぱくなる。


 呼吸が整うのを待って、改めて手渡された封筒を見つめる。

 鮮やかな萌黄色の封筒。

 宛名は書かれておらず、裏にはまるっこい文字で『みずき』と書かれていた。


「くゎっ! 名前だけって……!」


 やばい、この何気ない感じ……きゅんきゅんする!


 あの顔は、冗談やドッキリを仕掛けるような意地の悪いものではなかった。

 あの態度は、ふざけ半分や気の迷いからくるものではなかった。

 少なくとも俺にはそう見えた。


 あれは、真剣に悩んで、そして決意した者の態度だ。


 この手紙の中に、広瀬みずきの本当の想いが綴られているのは間違いない。

 それも生半可なものじゃなく、一世一代の、本気の想いが。


 震える指で、丁寧に封を開ける。

 軽く糊付けされていた封はあっさりと開き、中から二つ折りの便箋が一枚出てきた。


 そこには広瀬みずきの文字でこう書かれていた。



『真剣にピンチです。

 お米を、譲ってください。


 追伸、贅沢は言いませんが、ゆめぴりかだと嬉しいです。 』



「ゆめぴりかっ!?」


 これ、が……あいつの、真剣な想い……?



 今日ここでのあいつの行動が脳裏に浮かんでくる。

 剣を突きつけて『サンドイッチをご馳走しなさい』……

「そんなに金がないのか」と問えばあからさまに視線を逸らした……

 そして、この手紙。


 そうか、あいつ……


「そこまで切羽詰まってたのか……」


 泣きそうな顔だったのは、本気でお腹が空いていたのかもしれない。

 顔が真っ赤だったのは、俺にこんなことを頼まなければいけないことへの羞恥からか。

 真っ直ぐに俺を見つめてきたあの瞳は、それだけ真剣だったってことか。


 まったく……



「紛らわしいわー!」



 危うく、部屋に戻って一晩中踊り明かそすことろだったわ!


 はぁはぁと肩で息をし、カウンター奥の壁に飾ってある額縁を外す。

 中に入れてある食品衛生責任者の修了証書を取り出し、額を綺麗に磨いてからそこに便箋を入れる。


「……手書きの文字」


 思わず口元がにやけてしまった。

 くそ、こんなことで……


「今度、頼んでみるかな」


 寝室にずらっと二十冊並んでいる広瀬みずきのデビュー作。その一つにサインを。


 そんなことを考えながら、俺は商店街へ出かける準備を始める。

 手紙を飾るための新しい額縁と、ゆめぴりかを買うために。









――広瀬みずきが実家に送る予定の小包の中に遠野宛のラブレターを発見して絶叫するのは、その日の夜遅くになってから、なのでした。





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