第20話 充実した異世界での日々・2
だが、それも見たことのない料理を目の前にすると、綺麗に吹き飛んでしまう。この暴走癖を何とかしなければ、そのうち痛い目に合うかもしれないと反省する。
「すみません。初めて見るものが珍しくて。つい余所見をして迷い込んでしまいました。助けて頂いてありがとうございます」
だから素直にお礼を言って、頭を下げる。
「いや、本来は路地裏とはいえ、王都で危険な場所があるのは、我々騎士団の力が至らぬせいだ。危険な目に合わせてしまってすまない」
だがアドリアンは、そんな琴子に謝罪してくれた。
真面目な人だな、と思う。
国の治安は騎士だけの責任ではない。そこには政治や国同士の関係なども含まれる、複雑な問題だ。それなのに騎士の中でも身分が高いであろうアドリアンが、移住者にすぎない琴子に謝罪してくれる。
こんな誠実な騎士が守る町なら、きっとこれから良くなっていくに違いない。そう信じられた。
「い、いえ。わたしがふらふらと、屋台の食べ物なんかに気を取られたのが悪いのです。ですからどうぞ、お気になさらず。あとは必要な届け出をして、すぐに帰りますから」
だから彼に罪悪感を抱いてほしくなくて、慌ててそう言い訳をする。
「屋台?」
だがアドリアンが聞き返した言葉で、自分が正直に迷い込んだ原因を告げてしまったことに気付いて、頬が紅潮していく。
「す、すみません。忘れてください」
首を振りながら後退りするしかなかった。
(何で正直に言っちゃったんだろう。屋台の食べ物に気を取られて迷子だなんて、子どもか。恥ずかしすぎる)
今すぐここを立ち去りたかった。それなのにアドリアンは、さらに追い打ちをかけるように尋ねてきた。
「空腹なのか?」
「違います。朝ごはんもちゃんと食べてきました。そうじゃなくて、わたし、料理が好きで。知らない料理や見たことのない食材を見ると、興味が勝ってしまって、自分でも暴走してしまうらしく……」
声がだんだんと小さくなる。それでも必死にそう告げると、彼は納得したように頷いた。
「つまり君は、マリアと同じなんだな」
しみじみと言われてしまった。
きっとマリアも、料理に関しては暴走してしまう質なのかもしれない。
「届け出に行くなら送っていく。俺も王城に用があって、向かう途中だ」
「え、いいんですか?」
「ああ。それに何となく、ひとりで歩かせてはいけないような気がする」
「……うう。もう大丈夫です。でも、ありがとうございます」
わざわざ送ってもらうなら、申し訳ないからと断ったかもしれない。でも彼も用事があるというのなら、同行させてもらったほうがいい。
この辺は物騒らしいし、住宅街からは城がよく見えず、どの方向に行けばいいのかわからなかった。
だから、とてもありがたい申し出だった。
(よかった。これでもう迷わない)
先に行く彼の後ろについて歩く。
アドリアンは油断なく町中に視線を巡らせ、ときどき立ち止まっては、後ろを歩く琴子を気にしてくれる。
その威風堂々とした姿に、町の女性達からも熱い視線が注がれていた。だが彼が見つめているのは、ひとりで歩く老婦人や、遊んでいる子ども達だ。
(この人、外見だけじゃなくて中身もイケメンだなぁ。きっと、すごくモテるんだろうなぁ)
そんなことを思いながら、琴子はその後ろ姿だけを見つめながら歩く。また屋台などを見つけて気になってしまうより、そのほうがよかった。
屋台などを堪能するのは、この町に慣れてからだ。そのときはゆっくりと、異世界の味を味わおう。
(それにしてもイケメンって、見ているだけでしあわせになれるなぁ。うん、素敵)
顔が綺麗なのはもちろんだが、立ち姿も美しい。細身に見えるが、やはり男性だけあって腕や背中は逞しかった。
(そういえばみぃちゃんの結婚式に、参列できなくなっちゃったな。みぃちゃんのドレス姿、見たかったな)
結婚かぁ、と琴子は小さく呟いた。
料理が好きで、さらに色々なレシピを知るのが楽しくて、他のことに目を向ける余裕なんてまったくなかった。
でも、琴子ももう二十三歳だ。
結婚してもおかしくはない年齢になったことに気が付き、恋愛もほとんど経験せずに過ごしてきたことに気が付いて、思わず呆れたような笑みを浮かべた。
(これからも趣味だけに突っ走って、恋愛とか結婚とかとは、無縁な人生を送りそうだ……)
だが、それでも楽しければそれでいい。自分の人生なのだから、自分で生き方を決めてもいいはずだ。
そんなことをとりとめもなく考えているうちに、いつのまにか目的地に到達していたらしい。
「きゃっ」
琴子は立ち止まっていたアドリアンに気付かず、そのまま彼の背中に突っ込んでしまった。歩いていたのだから勢いは琴子のほうがあったと思うが、鍛えられた騎士と小柄な女性では話にならず、弾き飛ばされてしまう。
「琴子?」
アドリアンの反応は、琴子が驚くほど迅速だった。衝撃に振り向いた彼は咄嗟に手を伸ばし、琴子が地面に倒れる寸前にその腕を掴んで引き寄せる。
「大丈夫か?」
「す、すみません。ちょっと考えごとをしていて、前をよく見ていませんでした……」
倒れると思った次の瞬間には、アドリアンの腕の中に抱きこまれていた。彼の反射神経の良さに驚く。そして生まれて初めて男性に抱き締められて、事故だとわかりつつもどきりとしてしまった。
(うわぁ、顔近い。ものすごくイケメン。男の人の腕って、こんなに力強いんだ……)
ぼうっとしたままそんなことを考えていると、優しく頭を撫でられた。
「危ないから、気を付けろ」
あまりにもはっきりと子ども扱いされ、たちまち動悸が収まった。きっと彼は、琴子を未成年だと思っているに違いない。
まだ確認していないが、きっとマリアもそう思っているはずだ。
だが、はっきりとそう言われたわけでもないのに自分で確認するのも虚しすぎる。だから聞かれるまで、その問題は先送りにしよう。
「はい、ごめんなさい。助けてくださってありがとうございます」
だからお礼だけを言って、腕の中から離れた。
(まぁ、イケメンに抱擁されるなんて、この先もう二度とないかもしれない。役得だと思っておこうかな)
琴子に怪我がないことを確認したアドリアンは視線を前方に向けた。
「あれが王城だ」
「うわぁ……。大きい……」
思わず感嘆の声を上げる。
近くで見た王城は、とても迫力があった。
真っ白な石造りの城は四つの尖塔に囲まれるようにして建てられている。その規模は、視界を覆い尽くすほどだ。
(ヨーロッパのお城みたい。ゴシック建築っていうんだっけ?)
歴史には疎く、詳しいことまではわからなかったが、とても美しい建物だった。
「こ、ここに入るの?」
城門も大きく、警備も厳重そうだ。怖気づいてアドリアンに尋ねると、彼は首を振って右の方向を指し示す。
「いや、届け出は向こうだ」
「あ」
城の右側に、二階建ての建物があった。
これもまた洋館風の大きなものだったが、入り口は大きく開かれている。警備兵はいるが、誰でも自由に出入りできるようだ。
「よかった。こっちかぁ」
思わず胸を撫でおろす。ここはきっと、役所のような場所なのだろう。
「連れてきてくださって、ありがとうございました」
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