第3章 僕とイグニスと偽りの聖女

第20話

 顔に大きな傷のある隻腕の女性。

 僕は彼女と旅をしている。

 僕と彼女は炎の中で出会った。


 彼女の名はイグニス、かつて魔王との戦いに終止符を打った伝説の聖剣――

 その残骸が、人間の形を取った存在だ。


 この世界に聖剣・魔剣の類は数あれど、真にその名に相応しいのは数少ない。ましてや自我を持ち、人型に変形できるものなど極々一握りだ。


 イグニスはその一つ。人の祈り、人の願いより生まれ落ちた破邪なる剣。正に聖剣中の聖剣と言うべき存在だ。


 聖なるもの、その定義は色々あるだろう、それこそ人の数だけ。

 僕にとってのそれはイグニスだ。彼女は公平無私にして公明正大、悪に対して容赦なく、邪に対して遠慮なし。ちょっと食い意地が張っていて、いつもぶっきら棒なのはチャームポイント。彼女の魅力を引き立たせるアクセントに過ぎない。


 まぁ、魔王なんてどこまでも分かり易い悪の象徴が居る様な世界だ。それを打ち倒したイグニスこそが聖の象徴なら、これ以上分かり易いことは無いって話だ。世の中出来るだけ単純にいきたいものである。





 ―王国歴285年、水辺の街タレックス―


 ここは水辺の街タレックス。大きな河に寄り添うように発展して来た街だ。街の中心には大きな河港があり、そこを中心に放射状に主要道路が広がっている。


「って話だったんだけど。聞いていた以上に立派な街だね、イグニス」

「そうだな、マスター」


 あたりには黒山の人だかり、行きかう人で押し合いへし合い。それもそのはず、今日からこの街は竜神祭に突入するんだそうだ。


 メインストリートの左右には屋台が立ち並び、香ばしい匂いや、甘い匂い、香辛料の刺激的な香りなど、食欲を刺激する香りが通りに充満している。


「腹が減ったぞ、マスター」

「あははは、了解了解」


 イグニスはお腹を押さえてそう訴える。それには僕も同意見、歩きっぱなしでここまでたどり着いた所に、この匂いは反則だ。

 僕は、適当に目についた屋台にぷらりと立ち寄る。


「大将、これ二つ」

「あいよー! ターレス焼き二つねー!」

「ほい、ありがとう」


 僕は焼きたてほやほやの串焼きをイグニスに手渡した。


「……マスター、ターレス焼きとはなんだ?」

「嬢ちゃん、旅人かい? ターレスってのは、この街に伝わる伝説の悪竜のことさ」

「……そう言う事は、これはドラゴンの肉なのか?」

「はっはっはっは。面白れぇ事を言う嬢ちゃんだ、ドラゴンの肉をこんな値段で売ってたら破産しちまうよ」


 屋台の大将は大笑いしながら説明をしてくれた。これは鳥の串焼きだが、そん所そこらの串焼きじゃない。ターレスの吐く炎の様な高温で表面をパリッと仕上げた特別品と言う事だ。


「ホントだイグニス、皮がこんなにパリパリしてるよ」

「そうだな、マスター」


 表面はパリパリ、そして中からは熱々の肉汁がこれでもかと流れ出て来る。下味の付け方も絶妙だ。港の街、それはすなわち港湾労働者の街、彼ら肉体労働者が好む、濃い目の味付けは何時も歩きに歩いている僕たち旅人には相性ばっちり。


 僕が、熱々のターレス焼きで口の中をいっぱいにしていると、既に食べ終えたイグニスが物欲しそうに僕を見ている。


「しょうがないな、大将彼女にもう一本」

「あいよー!」


 大将は大笑いしながら少しおまけしてくれたのだった。





 悪竜ターレス、それはこの街に古くから伝わる伝承だそうだ。

 かつてこの街は、幾度となくその竜に襲われた、その竜は灼熱のブレスを吐き散らし、硬い甲羅に覆われたその体はどんな刃も通さず、6本の足を巧みに操り、巨大な体に似つかなく動きは俊敏。性格は獰猛で人間を好み、特に子供を好んで襲ったと言う。


 だが、そんな悪竜にも最後の時が訪れる。街に立ち寄ったとある聖女が、真摯な祈りと聖水により、これを改心させることに成功した。


 聖女の元に従順な犬の様に躾けられた悪竜だが、長らく苦しめられ続け、家族を食われてきた人々は、だがそれを許せなかった。

 悪竜は人々からの怨嗟の石礫によって打ち殺された。



 


 屋台の大将から、サービス代わりに、悪竜伝説を聞いたイグニスは、「ふむ」と一言頷いた。


「人族の恨みは正当なものだ、いくら改心したところでその恨みが晴れる訳はないだろう」

「あはははー。相変わらずドライだねー、イグニスは」


 この話を聞いて、中にはその悪竜に同情する人もいるかも知れない。だが、僕としてはどっちでもいい話だ、所詮は過去の伝承だし。


「しかし、店主。その聖女とは何者なのだ?

 ドラゴンは人族にも魔族にも属さぬ単一種族。奴らは強大な力を持つ故に、あまりも他の種族に対しては無関心だ。とてもじゃないが、人族の祈り如きで何とかなる相手とは思えない」

「はっはー、それを何とかしちまったから聖女様ってなもんだろう」


 大将は笑いながらそう言った。

 大将にとっても遥か昔のおとぎ話、聖女がどんな人物で、どんな奇跡をもってして悪竜を封じたのかより、今日の売り上げの方が重要なんだろう。


「……マスターは、どう思う?」

「さてね? 竜にも色々な種類があるって事じゃないの?」


 目の前に人型に変形する聖剣が居るんだ、人の話に真摯に耳を傾ける竜が居たっておかしくはないだろう。


「ふむ、個体差によるものか」


 僕の答えを理解してくれたみたいで、イグニスは静かに頷く。

 まぁ僕にとっても悪竜伝説はそう大事なものでは無い、そんな事よりも今日のパンだ。祭と言えば、大道芸人にとってもかき入れ時。僕は祭りの実行委員会を探して、人込みをかき分けた。





「はいはーい、ここは、実行委員会の受付だにゃ」


 メインステージから少し外れた所に置かれたテントの中に僕たちの姿はあった。出迎えてくれたキャットピープルの受付嬢は笑顔満点で、対応してくれる。


「済みません、僕たちは旅の大道芸人なんですが、芸をする許可を頂きたいのですが」

「むにゃ。そっちの許可はここじゃないにゃ」

「ここじゃない?」


 受付嬢はイグニスを見ながら首を傾げる。


「そうにゃ。ここはミスコンの受付所にゃ、そこなお姉さんチャレンジしてみるかにゃ?

 にゃかにゃか、マニアックな票を獲得できそうだけどにゃー」

「あははは。ミスコンも歓迎ですが僕たちは芸で糧を得るグランギニョール。それは専門家に任せますよ」


 イグニスも素材は抜群なのだが、隻腕と体中に刻まれた傷と言う個性がある。まず間違いなく一般受けはしないだろう。そんな事よりも、確実におひねりを計算できる大道芸に力を入れた方が賢明と言うものだ。


「にゃししし。相分かったにゃ。大道芸の受付場所は隣のテントにゃ。そろそろ人数がいっぱいいっぱいの筈だから、急いだ方がいいにゃ」

「わわっ、それは大変。どうもありがとうございました」


 受付嬢に頭を下げつつ、イグニスの手を取って隣のテントへ。

 彼女の言う通り、受付はギリギリだったけど、何とか滑り込みで、許可を貰う事が出来たのだった。

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