#40 そして黎明へ

 完全に場違いなのはわかってる。


 なんせ周囲は特殊能力者のバーゲンセールだし、向こうでは巨大ロボとドラゴンがプロレスやってるし、こんなカオスのるつぼに俺の居場所があるはずもない。

 だけどアイリスの様子を見る分には、俺が来なくてよかったというわけでもないようだ。後で誰かに何か叱られたら結果オーライだと突っぱねてやろう。

 アイリスへのとどめを中断したカノプスは、完璧に呆れ果てていた。竿型武器を携えたアズエルも同様だ。とうとう肉体レベルでも完璧に地球人に戻った俺とこいつらじゃ、いくらなんでも世界観が違いすぎる。


「……信じられない。場違いがすぎる。わざわざ元の体に戻ってまで、ここに何をしに来たというんだ?」


 答えは最初から決まっていた。


「あんたを倒しに」


 確信をもって言える。それが今の俺にできることだ。けれどカノプスはまたいつものように嗤い棄てる。


「それは、『殺す』ということかな? 選ぶ言葉は使い古しの欺瞞の上に、そもそも不可能ときている。果たして言葉にする意味があるのかどうか……」


 カノプスはまた嗤う。俺を嘲る。だけど俺はもう、それを不快だとは思わなかった。怖いとも、気持ち悪いとも思わない。むしろ親近感さえ湧いてくる。


「おまえ自身が一番わかっているはずだろう? それはもはや、一切の幻想も奇跡も存在しない世界の肉体だ。能力臓器は無く、体力もまた皆無。中身にはなお価値がない」


 だから――俺は、何者でもない。いつまでも、何者にもなれはしない。

 それは聞き慣れた言葉だった。他でもない俺が俺自身に言い聞かせてきた、諦めるための言葉だった。

 今はもう、それは笑えてしまうだけだ。こいつと同じことをずっとのたまっていた自分が滑稽に思えて笑うしかない。やっと笑えるくらいに向き合えた。


「なんだったら、そこの剣でも抜いてみるか? 少しは勝負になるかもしれないぞ」


 カノプスは俺の足元に突き刺さっていた剣――今の今まで鉄パイプか何かにしか見えなかった――を指さして、下から俺を見下した。


「やってやろうじゃないか」


 だけど俺はもう、ここで怖じて止まったりはしない。笑って受けて立ってやる。

 今の俺にはもうわかってるんだ。こいつが語りかける言葉に満ちた自信が、余裕が、嘲りが、気持ち悪さが、


 なんてことのない――俺と同じ、ただの言い訳にすぎないのだと。


「――現実を見ろ。夢から醒めろ。おまえは何者でもない。ただ無能なモブキャラだ……か」


 カノプスは語った。理想は特別な力を持つ強者の驕りだと。愛と勇気の物語は、弱者の思い込みにすぎないと。そんなものは、たやすく悪意で踏み潰せるのだと。

 それは確かに真実ではある。だけど、真実のすべてじゃないはずだ。


「やっとわかったよ。あんたは俺だ。俺と同じだったんだ」


 何もできない。なんの力もない。主人公なんかにはなれない。それはカノプスの言葉であり、俺の言い訳だった。


 倒すべき悪は俺と同じ、弱い人間だったんだ。


 断じられたその顔が困惑か、あるいは真を突かれた怒りに歪む。構わず続けた。


「そうだよ。あんたは言い訳で諦めたヤツだ。チートも何もない『自分』には何もできないと、何者にもなれないと、どこかで諦めたヤツだ」


 こうやって他人のことを臆面もなく決めつけて説教モードに入るのは、意外とそんなにいい気分じゃない。

 だけど言ってやる。俺にはわかる。


「だから、そうやって他人から奪ってる。自分を大きく見せられるように大悪党みたいなフリをして、スケールの大きい悪巧みを語って。そんな自分の弱さを、よく似た俺たち転生者にも押し付ける」


 いつの間にかチート込みの異世界転生しか見えなくなっていた俺も同じだった。何者かであるには、主人公であるには、チートが、能力が、特別なものがなくちゃならないと思い込んでいた。

 だけど違ったんだ。本当に俺の異世界転生ものがたりに必要だったのは、そんなものじゃ絶対にない。

 カノプスの表情が、明らかな怒りのそれに変化した。適当こいたつもりでいたが、どうやらすべてが外れていたわけではないらしい。


「あんたは俺だ。生きるのを諦めて、なりたい自分も見失って。言い訳ばかりを繰り返して逃げてた俺だ。俺の罪だ。だから今、ここで告げてやる」


 俺は息を思い切り吸い込んで、声を張り上げて叫んだ。言い訳ばかりの自分と、チートと転生ばかり求めてた自分と、ここで確かに決別するために。


 ――――決着をつけるぞ、遠野観行。


「お前が欲しがるチート能力とか! 転生モノの導入によくある神様に選ばれたとか! 俺が言い訳する才能とか!」


 アイリスは呆然としながら俺を見ていた。俺は叫び続ける。彼女が俺を信じてくれたことは間違いなんかじゃないんだと、今この場で証明するために。


「そんなの、ただの――どうでもいい、クソみたいなオマケでしかないんだッ!!」


 周囲に困惑の霧が立ちこめる。そりゃそうだよな。冷静にフカンしてみれば、こんな戦闘のド真ん中で俺は何を叫んでるんだって話でさ。

 だけどカノプスにだけは、この意味不明の宣言が通じていた。ヤツは意外なくらい人間味のある悲嘆を浮かべて、


「何を語るかと思えば……くだらん理想論か! そんなものはたかがッ――ゲームや漫画に! 物語に影響されただけのッ、負け犬の遠吠えだッ!」


 多重の魔方陣を、能力臓器による複合能力をまっすぐに俺に向け、俺の内なる声と同じことを叫んだ。そうかもしれない。だけど俺はうなずかない。もう負けない。

 それを認めてしまえば、俺はきっと共に過ごした彼らの物語を否定することになる。アイリス。レオナルド。彼らだけじゃない。他のみんなの物語もきっと、俺に何かを与えてくれているはずだ。


「特別な主人公なんて、どこにもいない。力があるから、生まれたときから特別だから主人公になれるんじゃない」


 俺はそこのところをずっと勘違いしていた。


「誰かのために戦える奴だから――」


 いつかのアルティアがそうだったように。


「自分を変えようと、立ち上がれる奴だから!」


 俺のバカさに根負けしてくれたレオナルドがそうだったように。


「負けても諦めないで、また自分の運命を決められる奴だから! あいつらの物語が、俺たちに届いた!」


 国を壊されてなお戦い続けたアイリスがそうだったように。

 あいつらを物語の主人公たらしめたのは、この地球せかいの誰かが彼らの物語を夢見た理由は、きっとそういうことなんだ。

 だからこそ、俺は立ち上がった。物語がこの胸に生きているからこそ。いつか憧れたアルティアの、そばにいたアイリスの物語が、俺を今この戦場に立たせてる。

 今こそ、それを証明してやるときだ。俺はカノプスに最後の決戦を挑むべく、足元に突き立っていた剣の柄に手をかけた。


「ずっと転生に逃げていた俺や、奪うだけのおまえとは違う! それでも……!」


 願わくば。それでも俺はあいつらのようになりたい。あいつらに胸を張って肩を並べられるような、物語の主人公に。

 なかなか抜けない剣の柄を両手で握りしめるけれど、俺には剣の心得なんてまるでない。抜けたところでどう使ったものだろうか。元々俺がやるべきは思いっきりバカを演じることだし、適当に振り回して自殺願望でもあるのかと思わせられれば充分か。

 そう思いはじめたところで――どくん、と。心臓が高鳴った。指先に電流が走り、握る柄の中で何かがうごめいた。テンションが上がりすぎて手元が狂い始めたのか。

 それにしても、この剣はクソ重い。ちょうどいい位置に刺さっていたから引き抜けると思ったんだけど、どれだけ力を込めてもびくともしない。ひょっとして人間には持てない特別製だったりするのか?


「ふんぬ……ぬぬ……ぐっぬぬぬぬがッ……ふんぐぐぐッ…………!」


 便所でふんばっているかのような奇声を上げながら力を振り絞っていると、カノプスの顔色が嘲りのそれへと徐々に戻っていく。どうせ無理だと言いたいのか。また嗤うのか。

 遠野観行を舐めるなよ。剣なんてなくたっておまえを倒すことはできるんだ。ただこれは、抜かなきゃ気が済まないから挑んでいるだけで……ああ、それにしてもクソ重い!


「ふんッ…………がああああああああああああああッ!」



 ――その、勇者というにはあまりにも間抜けで無様な唸りが響き渡る只中で。


 ――この果てしなく退屈で残酷な現実を生きる、


 ――他の誰とも変わらない、ひとりの少女が願った。


 ――まるで夢中になって物語を読み進める誰かのように。


 ――テレビの中の絵空事を、当たり前だと信じる幼子のように。


 ――目の前で戦うこの少年に。


 ――間違いを冒し、悔やみ、嘆き、それでも願い、信じ、戦うことを確かに選び取ったこの少年に。


 ――この物語の終わりを、ハッピーエンドで締めくくってくれますように、と。


 ――――――みゆき。



 そう、誰かが俺の名を呼ぶ声が、聞こえた気がした。


 なぜか二枚の百円玉が脳裏に浮かぶ。アイリスに捜査局から連れ出されたあの日、最後の最後にぬいぐるみを獲得したあの日のことが。

 俺のみっともない足掻きとアイリスが恵んでくれた優しさ。思えばあの百円玉のどちらが欠けていても、俺たちはここに至ることはなかっただろう。

 そうだ。俺とアイリスが出逢ったことには意味がある。あの乱暴すぎるボーイミーツガールは、確かに物語の始まりだったんだ!


 他の誰でもない、俺自身の物語の――!


 それを確信した瞬間、剣がぐらりと揺らいだ。地球そのものを引っ張ってんじゃないかと錯覚するほどの重さがどんどん減衰し、徐々に柄が持ち上がり始める。

 そして瓦礫から引き抜かれ、露わになった刀身を前に、俺はようやく悟った。この剣は。目の前でぎしぎしと呻きながら刀身を禍々しく変形させていく、この剣は。


「……アンベル、ドルク……?」


 夢にまで見た物語のヒロインが握りしめていた、守護竜の力を宿した剣。それが今、なぜか俺の手に引き抜かれて、真の姿を現わにしていた。

 誰でもないこの俺を、遠野観行を。


 その資格がある者と――物語の主人公だと認めたかのように。


 いやいやいや。待て待て待て。おかしいだろ。そりゃノリと勢いで引き抜こうとしたけど、冷静になってみると信じられん。どこの夢小説だよホント。

 けれど剣を握る手は、今や紺碧を基調とした獰猛な籠手に鎧われていた。アルティアのそれとは明らかに異なる、俺自身の色と形に。

 頭を触ってみる。どういう理屈なのか、ツノが生えている。どうやら夢じゃないらしいと悟るにつれて、全身に弾けるような力がみなぎってきた。


「ふ――」


 他でもない俺がそうであったように、カノプスもまた呆然としていた。首領の有様を見て取ってか、ヤツの兵隊もまたカノプスと対峙する俺を見て驚愕する。

 だって、アンベルドルクだぜ? 大好きな物語のヒロインが握る、選ばれた者でなければ使えない剣だぜ?

 ついこの間まで引きこもりだったこの俺が、単なる地球人が、何者でもない俺が、こんなの抜けるはずがないってのにさ。


「ふふふふ――くくっ――――」


 こんなのは誰にとっても完全に予想外の展開だ。大番狂わせと言ってもいい。

 だから、笑わずにはいられない。


「ぎゃーーっはっはっはっは! ざまあ見ろ! この程度なんだよ!」


 腹の底から湧き上がる歓喜が命ずるままに、俺は高らかに大爆笑した。あまりの皮肉っぷりに涙すら出てくる。


「俺がずっと欲しがっていたものなんて! 所詮はこの程度のものだったんだ! こんなものがあってもなくても! 俺は!」


 段々と、アイリスが俺を見る目がやらかしたバカに呆れたときのそれへと変わっていく。あとでたっぷり叱られてやろう。

 とはいえ、余裕をこいていられるような状況じゃない。俺の脳内ではさっきから妙な幻聴が続いている。まったく理解できない言語だが、何やら不吉なニュアンスだけは感じ取れる。

 おそらく、これはアンベルドルクに宿った竜の警告だ。劇中で彼がアルティアに幾度か忠告したように、今もまた俺に告げているのだ。俺のこの反則的な変身はそう長くはもたないと。

 そもそもが能力臓器のない地球人の肉体だ。たぶん今はカノプスが得意気に語った輸血とかなんとかでうまくいっているだけで、遠からずこの奇跡は瓦解する。


 だったら――と、構えたそのときに、上空から何かが飛びかかってきた。

 おわっ、と悲鳴を上げながら無我夢中で振り回した腕がたまたま当たる。やけに軽い手応えとともに、どうやらカノプスの部下だったらしいそいつがホームランボールのように吹き飛んで、街路の上に転がった。

 絶句した。……すげえ。すごすぎる。まるでラスボスの腕力だ。こんなの、まさにチートじゃないか。

 生まれて初めて味わうその力があまりにも強大すぎて、好き放題に暴れて憂さを晴らしたいという邪念が脳裏をかすめる。


 だけど、こらえないと。相手に絶対勝てるチートで大暴れすればそりゃ気持ちいいだろうが、それは俺のやるべきことじゃない。

 間違えてはいけないんだ。遠野観行は無敵のヒーローじゃない。少なくとも、圧倒的な力で悪い奴をねじ伏せて、目をキラキラさせていい台詞を吐くような――そういうヒーローじゃない。


 俺が見つけた、俺にできることは何も変わらない。


 俺は再三挑みかかってくるカノプスの部下たちを一人、また一人と殴り飛ばし、剣を振るって倒しながら、一歩また一歩とカノプスへと近づいた。

 そして決然と宣言する。もうお前を逃がしはしないと、人差し指をまっすぐに突きつけて!


「カノプス! あんたは俺が逮捕する! 捜査局のコンサルタントとして……おまえが無価値だと嗤った俺の人生の! 俺の物語の、主人公としてッ!」 


 この世のものとは思えない咆吼が轟いて、何かが頭上に巨大な影を落とした。

 見上げれば犀を思わせる一角の巨獣が召喚され、得物を求める無機質な瞳で俺を見下ろしていた。

 そこに漆黒と金糸模様の巨大ロボがタックルをぶち込んだ。ナイトラスだ!


「ボス!」


 ドラゴンとの激闘のせいか片腕がもげたナイトラスは、頼もしくも俺を一瞥してサムズアップを投げてきた。


「話はもう聞いた! 行け! やってしまえ、観行くん!」


 さらに幾人かの黒ローブが迫る。俺からアンベルドルクを奪えばケリがつくと思ったのだろう、そいつらは幾つもの魔方陣を束ねて拘束魔法を放ち、剣を握る右腕を幾つも光の輪で縛りつけた。 

 そして眼前にまた魔方陣が開き――息を呑んだと同時に、甲高い銃声が響き渡る。

 はっとして見れば魔方陣は歪み、腕の拘束も力を失っている。力ずくで引き剥がすと、誰かが俺の肩をぽんと叩いた。

 振り向けば、輝くような金髪と海賊風のフロックコートめいたドレスの美人。芋ジャージのオタク女こと、マリナ先輩が煙を吹く二丁拳銃を構えて俺を救い出してくれていた。


 他にも、周囲には見知った捜査局の人々が戦っていた。筋骨たくましい獣人のキャプテン、宇宙人、他にも山ほどの。


 敵も味方も。思えば俺がずっと夢見てきたものすべてがここに集結して、壮絶な戦いを繰り広げていた。



 ――世界観が、狂っている。


 銃と魔法が、勇気と絶望が、現実と幻想とが入り交じって、互いに血を流し傷つけ合っている。 


 悪い夢のようなその光景は、もう充分に味わった。だからこの、かつて思い描いた夢のすべてにカタをつけよう。


 カノプスをめがけ、乱戦の中を全力で駆け抜ける。至近で銃声が轟き、銃弾が風を切るけれど、もう当たろうが当たるまいが関係ない。大事なのはやるかやらないかだ。


 しかし、最後の関門が俺の前に立ちふさがった。栗色の髪と褐色肌のエロ衣装。俺の正体を見破りやがったにっくき相手、アズエル。

 静かな怒りをたたえて仁王立ちするこの女は強敵だ。カノプスほどの脅威ではないにしろ、能力臓器移植の施術を受けて、しかもおそらくは能力を用いることに慣れている。

 どうしたものかと思案する間もなく、その横っ面に飛び膝蹴りを叩き込む凶暴な――ああ、思えば出逢ったときから本当にメチャクチャな――救世主が現れた。

 銀の髪。捜査局の黒いジャケット。不敵な笑顔。


「アイリスさん!」


 真実を知ってしまった今でもやはり、彼女を呼ぶにはその名前がしっくりくる。

 目と目が合う。彼女は俺を一瞥するだけで愛想もくれない。だけど、それだけで充分だった。


「行きなさい……『相棒』!」


 アイリスはそうとだけ言ってアズエルに向き直り、カンフーマスターめいた挑発の手招きを投げた。

 胸が熱くなる。こんなにも頼もしい相棒が俺をそう呼んでくれるのなら、もう何も怖いものなどありはしない。

 道行きを邪魔する者はもうどこにもいない。俺はアンベルドルクをしかと両手に構えてカノプスを見据え、


「赤き怒りの息吹よッ!」


 いちかばちかで、見様見真似のコピー技――みなぎる竜の力であらゆる魔法を焼滅し、同時に圧倒的な攻撃力を得るスキル、『灼熱の息吹』を繰り出した。

 アンベルドルクが鼓動する。刀身はバチバチと稲妻をまとい、本家には及ばないながらも遥かに強化された攻撃力を得る。


「これで――終わりだああああああッ!」


 剣をいっぱいに振りかぶり、立ち向かいながら振り下ろした剣は――




 しかし、難なく受け止められた。


 俺のすべてをぶつけたはずなのに。力を精一杯に込めたはずなのに。この手に握りしめているのは、彼女と同じ剣であるはずなのに。

 なのにアンベルドルクの切っ先は、あろうことかカノプスの片手に受け止められていた。肌の上にさまざまな魔方陣や紋様を浮かび上がらせ、身体を超強化したカノプスによって。


「……まあ、差し違えるつもりだったことには驚いたが。たったひとつの奇跡が、無数の能力臓器が織りなす絶対を挫けるわけがなかったな」


 悠々と言ってのけるカノプスの手からなんとか刀身を奪い返さんと、ありったけの力を込める。だけどアンベルドルクは動かない。それどころか、またぎしぎしと悲鳴を上げながら、元の形状へと戻っていく。

 柄を握る手を見ると、そこにあるはずの鎧もまた光の粉となって消え始めていた。時間切れか……!

 やがて俺の体が完全に元の人間へと戻ると同時に、カノプスは目にも留まらぬ動きで俺の懐へと潜り込み、そして首へと掴みかかった。俺の体力でこの男の強化された肉体に抗う術があるはずもなく、首から吊り下げられてしまう。

 首を握りしめるその力のあまりの強さに喉が潰れそうになり、何かが割れる音とぐえっという声が勝手に絞り出される。カノプスは愉快そうに笑んだあと、その身体中と瞳の奥に黄金の光を走らせた。


 途端、俺の体のすべてが痛みに溶けた。


 真っ白になる視界を紫電が覆い尽くし、意に反して筋肉がびくびくと痙攣する。電流を流されたのか。もしくはそれぐらいに強力なエネルギーを。

 指先の感覚が消失して、確かに握りしめていたはずのアンベルドルクまで取り落としてしまう。何かを言って時間を稼ぐにも、舌が痺れてしゃべれそうにない。

 出し抜けに喉を握る手が振るわれて、俺は地面に投げ出される。痛みは感じなかった。元々体中が泣きたくなるぐらいに痛んでいたのだ。

 せめて呼吸ぐらいは取り戻そうとするけれど、喉は未だにびくびくと震えるばかりで、満足に機能を果たしてくれない。起き上がることさえ難しい。


 やばい。

 次をやられたら、俺はたぶん、確実に死ぬ。




「……死にたくない」


 そう思うと。驚くほど自然に、その言葉が口をついて出た。

 けれど、さすがにカノプスはもう俺の言葉になんて耳を貸さない。無情にも俺に手のひらを差し向け、すべてが人を殺害するためだけのものなのだろう魔方陣を幾重にも描いていく。


「今さら命乞いか。もう無駄だ。お前のふざけた魂に転生など許さない。今ここで、あらゆる能力の相乗をもって、存在そのものを消し去ってやる……!」


 ……転生、か。思えば今まで、その言葉にずいぶんと踊らされたものだ。


 だけどもう、いいんだ。


「……俺はもう、転生したいとは思わないよ」


 毒々しい色彩の魔方陣がひとつふたつと増えていく。


「死にたくない。この人生が惜しい。生きていたい」


 十全に出そろったとおぼしきそれらが、徐々に輝きを増していく。


「皮肉だけどさ。あんたが俺の体を乗っ取ったおかげで、俺は久しぶりに……本当の意味で、そう思えた……」


 魔方陣が重なる。回転する。まばゆく光る。

 死が迫る。


 もはやカノプスの視界には俺しか映っていない。奴は俺を殺すこと、ただそれだけを唯一の目的として見据えている。


 もう一切の猶予もなく、次の瞬間にはカノプスはこの魔方陣で俺を殺害するだろう。





 ……完全に、かかった。


「――だからさ。差し違えるつもりなんて、はじめっから無いんだよ……!」


 俺は思いっきり不敵な笑顔と最後の勝利宣言を叩きつけた。

 カノプスが眉根を寄せると同時に、その脇腹に見るも痛そうな注射器が幾つも突き立った。内容物はいずれもおなじみの青い液体、エーテルジャムだ。

 異世界麻薬が満載された注射器のピストンが、見えない手によって押し込まれる。痛みに悶絶するカノプスは、虫でも追い払うように背後を払った。

 けれど見えない襲撃者は一足早く身をかわし、無数の木の葉が舞い散る。それまで完全な隠密を為し得ていた忍者の秘儀の一端だ。


「御免、観行どの! ちょっと遅れたでござる!」


 隠密を解いたウロギリさんは「いやもうホントマジすまぬ」と頭を下げてきた。確かに俺が死ぬとこギリギリではあったけれど、それでも役割はしっかり果たしてくれた。

 そう。俺は最初から囮でしかなかった。本命の狙いは俺がバカやって注目を集めているスキに、隠密裏に接近したウロギリさんにエーテルジャムを叩き込んでもらうことにあったんだ。

 カノプスがなんでもありのチートの塊なのは最初からわかってた。だから、たとえ俺がグラスタリアの竜の力を借りたとしても、正面きって勝てる見込みなんかあるわけがない。そもそもアイリスが敵わなかったわけだからな。

 カノプスはそこのところをうまく勘違いしてくれた。俺がただのバカなんだと、自分に勝てる人間なんていないのだと、たかをくくって満足してくれていた。


「何かと思えば、エーテルジャムだと……? これが何だというんだ」


 俺たちの最後の策はすでに果たされた。しかしカノプスは未だに健在で、よろよろと立ち上がる俺に再びの殺意を向けてくる。

 ひょっとしたら、読みは外れたかもしれない……そう観念しかけるや否や、目の前にどろっとした赤いモノが落ちた。

 げぼっ、と嫌な音を立てながら、それは断続的に降り落ちた。赤黒く生臭い、生きた人間の血。それが今、他でもないカノプスの口から、ごぼごぼと湧き出ていた。


「な、ッ……」


 それまで圧倒的優位にあったその完璧な肉体が、突然によろめいた。ふらふらと後ずさったカノプスは突然尻餅をついて、その顔を驚愕の色に染める。

 地面に手をつき立ち上がろうとするけれど、その手にはぐにゃぐにゃに歪んだ魔方陣や紋様が浮かんでいて、それらの一部が皮膚の上で小さく火を噴いて爆ぜる。カノプスは激痛に呻きながらまた転ぶ。


「何……を、何をしたッ……!?」


「もう、能力は使わない方がいい」


 やっぱり俺の考えは当たっていた。おそらくもう、カノプスは能力臓器由来の力をを操ることはできない。少なくとも正常には。


「何をしたと訊いているんだッ!! この私に! 俺の、からだにッ……!」


 その答えは、驚くほど自然に喉の底から湧いて出た。


「――――拒絶、反応」


 まるで、目に見えない誰かが厳かな裁きを下したように。


「他人の臓器を自分の体に取り込むんだよな。考えてみれば、そんなことして平気なわけがないんだ。俺たちが生きているこの世界はぜんぶ、都合のいい絵空事なんかじゃないんだから」


 昔、人が死ぬということが怖くてしょうがなかった時期に調べたことがある。臓器を移植すれば、肉体の免疫はそれを外部からの異物と判断して攻撃を行うらしい。そうなればせっかく移植された臓器は傷つき弱り、ついには働かなくなってしまうんだそうだ。

 だからレシピエントは、それを防ぐために免疫抑制薬を服用し続けるのが必須らしい。言ってみれば、俺とウロギリさんはその逆をやったんだ。

 俺はすでにローンニウェルで小耳に挟んでいた。強力な回復薬でもあるエーテルジャムには免疫を強化する作用があるという話を。だから俺たちはエーテルジャムの精製プラントでありったけの薬剤を調達し、そいつをカノプスの腹部にぶち込んだ。

 あえて免疫を強めてやれば、おそらく体内の能力臓器が機能不全を起こすと踏んで。

 その結果は、もうご覧の通りだ。


「……たぶん、あんた以外ならそれほど問題にはならなかったんだろう。時々免疫が邪魔をしても、だいたいの異世界には便利な回復魔法やスキルがあって、それで体を癒やせば一時的にしても異常はやり過ごせる」


 これは俺の想像でしかないけど。おそらく、カノプスはこの弱点に気づいていなかったんじゃないだろうか。

 ひとつは今言ったような理由で、問題が顕在化しなかったから。

 もうひとつは……もしかしたら、からなのか。


「でも、幾つもの能力臓器を体に仕込んでるあんたは別だ」


 起きうる拒絶反応はひとつやふたつじゃない。それも異能力を司る臓器だ。それらが互いに機能不全を起こせば、チート能力の恩恵とはまるで逆の恐ろしい病気がその身に降りかかる。

 そして。ついにカノプスの顔が絶望に染まった。それはやはり、今の俺が抱えるものとよく似ていた。


 苦悶とも嗚咽ともつかない声が……すがるものをなくした子供のような涙声が響き始め、それを耳にしたカノプスの配下は徐々に戦意を失い。乱戦の様相は次第に治まっていった。

 ひとり、またひとりと武器を下ろし。乱れ狂い果てた世界観は、かかっていた魔法が解けたかのように、秩序を取り戻していく。


 俺はその中心に立ち尽くしながら、誰に言うともなく呟いていた。


「やっとわかったよ。『クソみたいな、どうにもならない人生から死んで解放されて――」


「『生まれ変わって』――」


「『ぜんぶが思い通りにうまくいって』――」


「……『幸せで』……」


「そんな都合のいい『異世界』なんて、それだけの『異世界』なんて、どこにもないんだ」


「どこまでいっても、俺は俺たちの願いを裏切り続ける、残酷で退屈な世界から。俺が俺であることから逃げられない」


「それでも……」


 アンベルドルクの力を使ってしまったせいなのか。カノプスから受けた致命的な一撃のせいなのか。

 いずれにしても俺の意識は朦朧として、視界は白く灼けつきつつあった。


「それでも、俺は……」


 ぼろぼろに成り果てた体がついにぐらりと揺れて、意識が次第に薄らいでいく。

 もう終わった。カノプスは逮捕された。だから、もう大丈夫だ。

 そう悟るや、最後の力さえも全身から抜けていき、俺は地面へと倒れ込み。

 血とコーヒーとブリトーのソースの匂いを漂わせる誰かに抱き止められたのを最後に、遠野観行の意識は断絶し。



 事件は解決した。

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