#26 弱虫の遠吠え

「――ユイリィ!」

 彼女の何がその意に反したのだろう。

 カノプスの厳しい叱責の声が飛んで、アズエルは射止められたように踏みとどまった。代わりに黒ローブたちが俺とアイリスを取り囲む。人を殺すためだけに生み出された俺たちの現実の産物、自動小銃をその手に抱いて。

 今度こそゲームオーバーか。いや、結局これは現実で、だからこそ悪い奴が勝って終わるのか。震えながら唾を飲み込んだ俺の背後で、先ほど俺が入ってきたドアがぎいぃと開く音がした。

 敵の増援か。ますます見込みがなくなった。いっそ最後に暴れてみるか。心の中で覚悟を決めかけて、しかし変だと思い立つ。増援が来たにしてはやけに静かだ。おそるおそる振り返ってみると、目の前の黒ローブたちは軒並み呆然としていて、俺も同じ顔になった。


 痩せ細って皺が寄った顔、黒いボールみたいな両目。

 そんなステレオタイプな容貌の宇宙人がそこにいた。

 銀色の宇宙服を着込んで金魚鉢みたいなヘルメットを被ったそいつが、レトロフューチャーなデザインの銃を構えて立っていた。

 あんぐりと口を開ける俺にワニャワニャと何事かを話しかけて、宇宙人はその手に握ったレトロなデザインの銃の引金を引く。ビヨンビヨンというふざけた発砲音とともに怪光線が放たれ、そいつを受けた数人の黒ローブがワイヤーアクションみたいな勢いで壁まで吹っ飛んだ。

 ……え、何こいつ。いったいどこの何者だ? 

 呆然とする俺を嘲笑うかのように、宇宙人が現れたドアからは続々と魑魅魍魎が吐き出されてきた。

 全身をプレートメイルで固めた中世風の騎士、

 西部劇風のダスターコートにピエロみたいな仮面を被った男、

 言葉が通じるかどうかも怪しい毛だらけの野獣、エトセトラがなお多数。

 これはいい夢か、それとも悪い夢なのか。ラインナップに一貫性のないそいつらはアイリスと俺を守るように立ちはだかって、カノプスの一団を相手取った。

 最後に現れたねじれた角と黒い体毛の獣人の姿を目にして、ようやくすべてに納得がいく。


「大丈夫か、少年! アイリス!」


 そうだ、この人とはつい先刻に会ったばかりだ。強行班の長ことキャプテン。じゃあ、駆けつけてくれた彼らは捜査局こっちの援軍か!

 絶体絶命がいきなりひっくり返って、俺は歓喜に叫びそうになる。


「……カノプス。どうか脱出を」


 捜査局とカノプスの組織がじりじりと睨み合う緊迫した状況の中、アズエルが小さな声で進言した。カノプスはしばし怒りのこもった視線で俺を見ていたが、


「ああ、おまえもな。これ以上の戦闘は無益もはなはだしい」


 おもむろにかがみ込み、緑に発光するその手で床を撫でた。

 カノプスの手から床へと、緑の光が伝導する。おそらくは元から何かの仕掛けがしてあったのか、光は回路めいた軌跡を描きながら次々に室内の各所へと走る。

 壁面へ、床へ、天井へ。やがて部屋中に緑の光が満ちたそのとき――


「伏せろ!」


 キャプテンが叫ぶと同時に、部屋中が爆炎を吹いた。

 アイリスも、俺も、強行班の面々も、突如として吹き上がった炎に飲み込まれかける。しかしキャプテンが指を鳴らすと、俺たちの周囲に白い冷気が立ちこめて、火の勢いが弱まった。


「いつものやつか。奴ら、証拠から何から全部燃やしてとんずらする気だ!」


 毒づくキャプテンの言葉を証明するかのように、カノプスたちははやばやと部屋の向こう側の出口へ駆け込んでいた。俺たちを文字通り煙に巻いて脱出する気か!

 しかし、捜査局だって黙っちゃいない。強行班の面々は火に巻かれるのも恐れずに、次々とカノプスたちの逃走路へと駆け込んでいく。


「あとは強行班に任せて、おまえたちは安全なところまで逃げておけ。地上にはもう治療班が待機してる」


 キャプテンもまたそう言い残し、カノプスのあとを追った。

 確かに、俺たちの役目はもう終わっている。あとは強行班に任せて、死なないように逃げるだけか。その通りだとうなずきそうになった俺の目に、そうはいかないと告げるものが飛び込んできた。

 

 床に横たわって血を流し、今にも死にそうなレオナルドの姿が。


 俺は慌てて駆け寄った。もともと瀕死にしか見えないんだ、こんな状況で放っておけば間違いなく命を落とすに違いない。

 趣味の悪いバラエティ番組みたいに燃えている髪をなんとか踏みつけて消火し、レオナルドに肩を貸しながら抱き上げる。

 が、重い。しばらく鉱山で鍛えた体ではあるが、宿っている魂のダメさゆえか、レオナルドを運んでいくにはどうにも体力が足りない。運べたとしても、炎に追いつかれるか酸素が切れるかで俺まで巻き添えになりかねない。

 だったら体力自慢に手伝ってもらうしかない。俺は歯噛みしながらアイリスに声をかけようとして、やがて呆然とした。

 いったい何をしようとしているのだろうか。アイリスはキープアウトブレードをその手に携え、よろよろと覚束ない足取りでキャプテンたちのあとを追おうとしていた。つい先ほどに痛々しい傷を負ったばかりで、戦うなんてとてもじゃないができるはずはないのに。


「何やってんの……?」


「カノプスを、捕まえる」


 震える声で尋ねた俺に、アイリスはぼそりと言った。熱に浮かされた病人の譫言のように。


 ……何を言ってるんだ、こいつは。


 戦うとか捕まえるとか、きみはもう、そういう次元じゃないだろ。



「そんなことより、手を貸してくれ! このままじゃレオナルドが……」


「『そんなこと』じゃない!」


 もはや幽鬼のようなたたずまいで、なのに炎さえ押し返すような剣幕で、アイリスは吼えた。


「あと一歩なんだ。あと一歩で捕まえられるんだ。このチャンスを逃すわけにはいかない。わたしは……!」


 いつものクールな態度は跡形もなく消え去って、アイリスは別人のように叫ぶ。


「わたしは。何があっても。カノプスを捕まえなくちゃならないの。だから……!」


 俺にはわからない哀切さを帯びたその叫びに、捜査局での彼女の姿を、あの傷痕を思い出す。そうだ。思えば最初からアイリスはカノプスの逮捕に躍起になっていた。アイリスにとって、その目的はこんなにも重いものだったのか。

 程度の差こそあれ、カノプスに捕まってほしいのは俺も同じだ。ここでやつが捕まってしまえば、俺は理想の異世界転生を手に入れられる。もうあのどうにもならない人生を振り返ることも、目覚めるたびに自己嫌悪に苛まれることもない。

 そうだ。俺の目的は最初からそれだった。何よりも手に入れるべきは異世界転生だ。あれ以上の望みなんてあり得ない。

 だけど。今まさにこの手で守ろうとしているこの人もまた、俺にとっては掛け値なく大切なんだ。

 だから俺は。レオナルドの体を支える全身に、今一度ありったけの力を込めて。


「わかった。俺ひとりでやるよ。アイリスさんは行ってくれ」


 再び勢いを増す炎の中、真っ正面からアイリスを見据えてそう言い切った。一人じゃできるわけがないと思う。だけど置き去りなんて、それこそできるわけない。

 レオナルドの命を救うことは、ただ俺の憧れを守るってだけじゃない。俺自身の中にある何かを、かつて諦めた大切な何かを守るってことでもあるんだ。皮肉にも、俺の顔で俺の大切なものを嗤い棄てるあいつと対峙したことで、その何かの存在はより確かになっていた。


「やめなさい。それじゃあなたまで死んでしまう!」


 急に取り乱すアイリスだけど、俺に言わせれば危険は承知だしお互い様だ。

 ……それに。俺はあの頃、まさに今の自分みたいになりたかった気がするんだ。危険を承知で誰かを助けて、そいつを護れたことに笑う、あの、とびきりかっこい

い女の子みたいに。

 彼女の姿が脳裏によぎると同時に、懐かしい台詞がふと胸に浮かんだ。まるであの頃の想い出と仲直りをしたように。ずっと昔に憧れた、ゲームの主人公の名台詞が。自分がなりたかった姿を象徴する言葉が、自然と口をついて出た。


「『世界の全てに、悪と呼ばれてもいい。後悔してもいい。泣いてもいい』……」


 それは物語の中にしか存在し得ないお人好しのよくある戯れ言だ。かつての俺はそう悟るふりをして諦めた。だけど今はもう違う。彼らが本当にここにいることも、守らなきゃならないものがあるのもわかってる。


「『それでも俺は、誰かを助けることを選び続ける』……!」


 我ながら痛いなりきりゼリフを言い切ったその途端、アイリスは炎の中で射貫かれたように硬直した。それからわしゃわしゃと銀髪をかき乱して、潤んだ目で俺を睨みつけた。


「――ばか!」


 そして投げつけられたのは、ものすごくシンプルで身に染みる罵倒だった。いや、確かにバカだけど、酔狂にもそれを喜んで演じているふしもあるけど、何もそこまで言わんでも。

 アイリスは萎縮する俺に憤懣やるかたないといった様子で駆け寄って、レオナルドの空いた腕から肩を貸した。俺にかかる負担がぐっと軽くなる。だけど。


「……いいの?」 


 アイリスはふんす、と鼻を鳴らして、


「これで助からなかったら、あなたを一生許さないから」


「……ありがとう」

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