#23 扉の向こうに待つものは

「……なんだ、この部屋?」

 果たして、アズエルを突破したその向こうにはやけにだだっ広い空間があった。扉が現代的なスライドドアであったのと同じく、室内の方もこれまでのアジトとは明らかに様相が異なっている。

 直線と四角形を基本に構築された乳白色の壁と天井。床に敷かれているのは学園モノの小説にありがちなリノリウムだろうか。それから崩落を防ぐためか、部屋の各所に屹立しているやたらと重厚な鉄骨の柱。

 どれもこれも、一目で地球の建造技術によるものだとわかる。あるいは地球と同等以上の技術を持った世界のって線もあるが、そこは考えだすとキリがないから地球ってことにしておこう。

 ファンタジーのダンジョンそのままに薄暗かったこれまでとは違い、室内はまぶしすぎるくらいに明るかった。なぜかというと照明がこれまでの蛍石ではなく、俺には馴染み深い蛍光灯だからだ。

 どこから電気を引いてるのかとか世界観がおかしいだろとか突っ込みたいことは山ほどあるが、とにかくその照明のおかげで、はっきりわかることがふたつある。

 ひとつは、警備がどこにもいないこと。これまでの拠点内の様子を思えばあからさまに奇妙なのだが、おなじみの黒いローブはどこにも見当たらない。

 もうひとつは、というよりはこれが真っ先に目についたのだが――


 人が、倒れていること。


 それも一人や二人じゃない。ぱっと見た感じでは両手の指でも足りない数の人間が、そこらじゅうに倒れている。はじめは死んでいるんじゃないかと思ったが、近寄って確かめてみるとちゃんと息をしてはいた。

 だけど残念ながら、まともな状態とは言えそうにない。誰も彼も顔は蒼白だし、意識だって朦朧としている。この部屋の中にいる全員が、こんな胡乱な状態のままで放置されているのだ。

 ……似ている、と思った。少し前のレオナルドの状態に。


「ねえ、これってもしかしなくても――」


「薬物によるトリップ中、と考えるのが自然でしょうね」


 アイリスは床からしなびたビニールパックをつまみ上げた。なるほど、パックの中には見覚えのある青い液体がかすかに残っていて、さらに言えばパックから伸びたチューブの先には点滴みたいな注射針が繋がっている。

 俺は世界一有名な探偵小説に登場する阿片窟を思い出した。ここはあれと同じような、エーテルジャムを摂取してトリップするための場所なんだろうか。


「でも、おかしいわね」


 怪訝な顔で室内を見回すアイリスだが、さっきのアレで疲弊した俺の頭にはわからないということしかわからない。


「おかしいって?」


「さっきはわざわざ扉ひとつに何人も置くほど警備が厳重だったじゃない? だか

ら何か重要なモノが隠されているはずなのに、ここにあるものと言えば、せいぜいドラッグに溺れた人間が転がっているだけ。あの女はこんなところで何をしてたのかしら」


 言われてみれば確かに奇妙だ。わざわざ扉に警備までつけて守るくらいなんだから、せめてエーテルジャムがぎっしり詰まった倉庫ぐらいはないと話が合わない。だけどこうして見た限りだと、この部屋よりも最初の倉庫のほうがまた重要度が高いように思える。

 組織の重要人物であるアズエルがここから出てきたことも考えれば、もっと何か重要なものがあってもよさそうなものだけど。

 ……そうだな。無理矢理理屈をつけて納得するならば、


「こう、あれだ。利用できそうな奴をどっぷりクスリ漬けの骨抜きにして、カノプスの組織に逆らえない人間を作るためとか……」


 自分で言ってて胸クソ悪くなる発想だった。悪者を演じているせいで、思考の方までそれっぽくなってきたのかもしれない。


「なくはないでしょうけど……そうでもなさそうね」


 どっちだよ。と突っ込む間もなく、アイリスは部屋の隅へすたすたと歩いていく。見ればそこにもドアがあって、アイリスははばかることなくガラッと開ける。


「……ビンゴ。こっちが本命かも」


 その台詞をリアルで言う奴って本当にいるんだな。アイリスに続いてドアの向こうを覗いてみると、そこは事務室めいた小部屋になっていた。

 室内にはがっしりとした造りのデスクと、革張りの椅子がいくつか配置されている。それぞれのデスクの上には書類やらファイルが山積みになっていて、よく見てみるとノートPCすら置かれていた。


 ……なんというか、会社や学校の事務室にしか見えなかった。役割も同じようなものなんだろうか。何にしても書類やら何やらの量からして、ここに目的の情報がある可能性は高い。

 だから俺は殊勝にもさっそく家捜しを始めたアイリスを手伝おうとしたのだが、彼女はなぜか入り口の方を指さして、


「見張りをお願い。またあの女が戻ってこないとも限らないし」


「……了解」


 そういうわけで、俺はしばらくアイリスが部屋を引っかき回す音を背にしながら突っ立っていることになった。組織の人間が通りかかった時に備え、できる限り偉そうにふんぞり返って。

 しかし、そのまま十分くらい立ちんぼでいたというのに……俺の前にはエロ女幹部はもとより、人っ子一人現れやしなかった。俺の視界にいる人間といえば、床に寝転んで夢を見ているジャンキーたちだけだ。

 いっそ俺も彼らに混じって眠ってしまおうか。あまりにも代わり映えのしない状況に、冗談じみてそう考えたところで――ふと、壁の一部に目が留まった。

 そこは一見、周囲と同じ乳白色の壁に思える。だけどじっと注視していると、奇妙なことにときどき表面が波打つのだ。

 放っておくのも気持ちが悪いので近づいてみると、何のことはない。俺が壁だと思っていたものは魔術師が作るような幻像だった。見た目はただの壁なんだけど、触ってみると何の感触もなく向こう側に通り抜けられる、というやつだ。

 試しにと首をつっこんでみてから、俺は舌打ちした。

 あろうことか、壁だったものの向こうには第三のドアが当たり前のような顔をして隠れていた。いくらなんでも何もなさすぎる部屋だと思っていたら、こんな手品で誤魔化されていたとは。


「アイリスさん、こっちにも何かある!」


 呼んでみると、ドガシャン! と恐ろしい音がして、アイリスがくだんの部屋から顔を出した。いったいどんな手荒な探し方をしているんだろう。

 アイリスは興味を引かれたようだったが、名残惜しそうに室内を振り返って、


「ちょっと今、手が離せないのよね……」


 言うと同時に、室内から変な破砕音が響いた。いったい中で何をやってるんだ。


「……じゃあ、俺が見てこようか?」


 それは我ながらかなりのナイスアイデアだった。どうせここに突っ立っていたって見張りの役目を果たす機会には恵まれそうにないし、それなら何かしら役に立てることをするべきだ。

 アイリスはふむん、と考え込んでから、


「五分で戻るって約束できる?」


 まるでお母さんみたいな言い草を俺は承諾して、隠されていた扉をくぐり抜けた。



 五分で戻れとは言われたけれど、そもそも五分もここにいたくない。

 隠しドアを通り抜け、いくらか歩いてから覚えた感想がそれだった。どういう意図で作られた区画なのかは知らないが、ここはどうにも居心地が悪すぎる。


 そもそも暗い。お化け屋敷か、あるいは洋ゲーの外国人向け明度設定もかくやというぐらいに見通しがきかない。捜査局から貸与されたペンライトがなかったら、歩くことさえも覚束なかったろう。

 もっとも歩けたからといって、それが幸運だとは言いがたい。床はところどころが水浸しになっていて、廊下を一歩一歩と足を進めるたびに水音が反響し、背中あたりにぞわぞわと沁みるのだ。


 脳裏に湧いてくるホラーな想像と、それからやっぱり戻った方がいいんじゃないかという恐怖心と格闘しながら歩くうち、廊下の先におぼろな光が見え始めた。

 誰かいるのだろうか。それともゴーストとかウィスプとかの暗闇で光る系のモンスターが生息しているのか。後者だったらすぐさま走って逃げる心づもりで近づいてみると、両開きの扉に行き当たった。

 どうやら光はここから漏れ出ているらしい。怖い物見たさで扉をぎいぃ、と押し開けるや、冷たい空気と薬品臭が俺の顔を打った。左右にペンライトを巡らせてみると、学校の保健室によくあるようなカーテン付きのベッドが目に入った。

 見渡してみればその数はひとつやふたつではなく、ゆうに十台はあろうかという数がぎっしりと並んでいる。こうしてみると、保健室というよりはむしろ入院病棟と言った方が近そうだ。

 明かりが漏れていたのは、そんなベッドのうちのひとつだった。閉め切られたカーテンのせいで中に何があるかは判然としない。おそるおそる近づいてみると、 


「……どうだったかな、感想は」


 穏やかで、どこか尊大な印象を受ける男の声がした。ベッドで昼寝でもしていたんだろうか。あるいはここで治療でも受けているのか。俺は警戒しながら、心の中でカノプスの仮面をかぶり直す。


「……どう、とは?」


「いや、ね。遡ると長くなるんだが、ついさっき面白い話を聞いたんだ」


 カーテンの向こうに、声の主の影がゆらめいた。身長は俺と同じくらいだろうか。声の質からして、年齢も高校生から二十代程度。そんな若さで組織のボスにタメ口とは、不遜な奴もいたものだ。

 とはいえ、姿を見ないことにはカノプスだと断じるのも難しいのだろう。次から次へと肉体を変えているような奴が相手では、声だけ聞いてそうだとわかれというのも無理があるのかもしれない。


「……ほう。面白いことか。それは是非とも聞かせてもらいたいものだ」


 なら、さっさと姿を晒してしまった方が色々とやりやすいだろう。仰々しく格好をつけた口調を真似ながら、俺は両者を隔てるカーテンに手をかけて――ふと、その手を止めた。

 なんだろう。カーテンを開けるまでもなく、俺は向こう側にいるこいつを知っている、気がする。そんな錯覚が一瞬脳裏をよぎって、とらえどころのない靄のような不安と化した。

 だけど考えてみれば、確かに覚えがあるのだ。この演じるような仰々しい喋り方、この声質。俺と同じくらいの背丈。俺はこいつを、カーテンを一枚隔てた向こう側にいるこいつを、確かに、誰よりも――


「……なんと。ここには、『私』が来ているらしいんだ」


 そいつはせせら笑うようにそう言って、カーテンをしゃっと開けた。

 俺を出迎えたのはよく知っている顔だった。とても端正とは言えず、しかし人生を悲観するほどには悪くない、中途半端な容貌。高いとも低いとも言えない背丈。地味な黒髪、頼りない体格、悪い意味で普通の外見。


 遠野観行がそこにいた。白い外套を羽織り、俺と全く同じ格好をして。


 遠野観行の肉体を乗っ取った、カノプスがそこにいた。

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