#20 クライムダンジョンを攻略せよ

 薄暗く湿った空気が漂う倉庫の中。

 それは息を潜め、緩衝材のおがくずが詰まった木箱からゆっくりと這い出した。

 そして湿った息を吐きながら、ただこう呟いた。


「これの、どこが、とっておきなんだ……」


 雰囲気出るかと思ってホラー調に言ったけど、要は俺だ。付け加えれば長いこと木箱の中に詰められっぱなしで、外の空気に触れるのは実に数十分ぶりの。

 一時間くらい前だろうか。デモンズチェインの世界に到着するなり有無を言わさず木箱の中に放り込まれて、その後はずっとこの密閉状態だったんだ。

 レオナルドが売買する密輸品に混じって馬車に揺られ、荷下ろしや運搬のたびにあちこちに頭をぶつけ、ここに運び込まれて解放されたのがたった今。いくらなんでも手荒な扱いがすぎる。

 どうしてこんな目に遭っているのか、というと。


「とっておきだよ。おかげでこうして拠点の倉庫にまで入り込めたろ。直通だぞ」


 箱を開けてくれたレオナルドがそう語るとおり。捜査局で彼が言ってた『荷物』ってのはこの俺のことで、そのまま俺たちを潜入させる手段でもあったんだ。

 異世界間での違法な密輸品を売買するレオナルドの立場を生かして、俺たちを秘密裏にカノプスのアジトの中へ運び込む。それがレオナルド言うところの「とっておき」の正体だったのだ。

 おそらくアイリスもナイトラスも、ヘタに説明して俺がゴネると面倒だと思って黙ってやがったに違いない。あとで文句言ってやる。

 箱に詰められた恨みを抜きにすれば名案だとも思うけど、レオナルドの立場を使うなら使うでさ――


「わざわざこんなことしなくても、普通に正面から入れたと思うんだけど」


 服についたおがくずをはたき落としながら、当然の疑問を口にする。なんせ今や俺の外見は完璧にカノプスである。肉体面は元より、映像や写真でカノプスがまとっていた白い外套も右手に絡みついたチューブも完璧だ。まさにレプリカの出来なんだから、コソコソしなくても充分に通用すると思うんだけどな。


「……そりゃ、カノプス本人だったら間違いなくそうするんだがな」


 俺たちの潜入がバレないよう、倉庫の出入り口を見張っていたレオナルドがこっちに寄ってきて、難しい顔で腕を組む。


「ホンモノが外を出歩くときには、常に護衛や側近が張り付いてるんだよ。そいつらの偽物まで用意するとなると、さすがに難儀になってくるからな」


 言われてみれば、俺が捜査局で見せられたカノプスの映像でもそうだった。カノプス本人と目される肉体はさまざまだったが、周囲にはいつだって屈強なマッチョが控えていたっけ。


捜査局わたしたちも、わりと真剣に検討はしたのよ」


 もはや流行りのアニメヒロインの声より聞き慣れてしまった少女の声に目を向けて、俺はぎょっとした。

 無造作に積まれた木箱の頂上に足を組んで腰掛けるアイリスの服装は、中世ファンタジーによくあるような革と布の軽装だ。それだけならいいのだが、ところどころが破れて白い肌が露出しているせいで、思わず変なことを考えそうになる。

 内なる邪念と戦い始めた俺をよそに、アイリスはひらりと床に飛び降り、


「だけど用意する人数が増える分、どうしても偽装が雑にならざるをえないから。結局はこういう隠密裏のやりかたがベストってこと」


 なるほどな。確かに多人数を用意するのは面倒だし、下手に偽装をしてもそこからボロが出かねない。それにしても低予算感が拭えないけど。


「でも不公平だ。アイリスさんは普通に歩いてきたのに」


「こういう役柄なんだから仕方ないじゃない」


 言って、アイリスはその場でくるりと回り自分の衣装を披露した。その女の子っ

ぽい仕草にまさかと思うけど、実はちょっと気に入ってたりするんだろうか。


「……確か、身売りされた森の民って設定だっけ。他の種族には使えないタイプの、独特な魔術体系がどうとか――」


 アイリスを俺の護衛として同行させるにあたり、風紀課のボスたるナイトラスが考えた設定がそれだった。レオナルドの『商品』……つまり、人身売買の被害に遭った、気の毒な少女として正面から入り込ませてもらうというわけだ。

 事前に聞かされたときにはあまりピンとこなかったが、こうしてみるといかにも胸くそ悪い設定である。R18の二次創作じゃあるまいし、女の子を売り買いなんてロクなもんじゃない。

 まさか本当にそういう境遇の少女がいたりしないだろうなと見回してみるけれど、倉庫内に俺たち以外の人影は見当たらず、すすり泣く声も聞こえてはこなかった。

 幸か不幸か、倉庫内にあるのはただ、声を上げないたぐいの商品だけだ。雑然と積まれた木箱に混じって、極彩色の鉱石だとか、ハイテクな武器だとかいう異世界の品々が梱包されずに放り出されている。子供が遊び飽きたおもちゃのように。 

 数々の世界観や物語のファンとしては、これはこれで思うところがある。やるせなくなった俺が嘆息すると、逆にアイリスは澄ました顔で息を吸い込んで、


「きゃああああああああああああああああ!!」


 いきなり、絹を裂くような悲鳴を上げやがった。


「ちょっ、アイリスさん、いきなり何して――」


 ここでこんな大声上げたらカノプスの部下とか手下とかがなだれ込んでくるに決まってるだろ! 俺が慌てて彼女の真意を問いただそうとすると、


「イヤ! やめてくださいッ! そんな……そんなことだけは!」


 なんとアイリスはさらに叫び続けながら、俺の手を無理矢理引っつかんで自分の胸のあたりに寄せてきた。あまりの腕力に骨が折れそうだ。

 ああもうなんでそんなに声が高いんだ。いつもはもっとハスキーでやる気のない声じゃないか。涙目でイヤイヤと首振るのをやめろ。ヘンな気分になるだろが!


 当然出入り口のあたりでドタバタと足音がして、物々しい雰囲気の男たちが飛び込んできた。どいつもこいつも見るからに攻撃的な風貌で、怪しんでくださいと言わんばかりの黒いローブを羽織っている。カノプスの組織の構成員たちだ。

 傍目には、俺がいたいけな少女へ乱暴を働こうとしているように見えるだろう。本当は力じゃ絶対かなわないし、今も手首を両手で握りしめられて骨が砕けそうなんだけど。

 悪党どもは驚きを装うレオナルドから迫真の演技で目に涙を溜めているアイリス、そして未だに困惑している俺へと視線を移した。奴らの表情は驚愕のそれへと変わり、やがて徐々に恐怖に塗りつぶされていく。

 悪の組織の首領に乱暴されている少女を演じるアイリスに目配せをされて、ようやくこいつの奇行の意味がわかった。組織の構成員に俺をカノプスと信じさせるためには、こうやって目の前で悪事を働くのが手っ取り早いってことか。

 だけど、何もいきなりこんなアドリブを利かせなくてもいいだろうに。少なくとも予定の上じゃもっと丁寧に段階を踏んでいくはずだったのにさ。


「……おい。あまり手荒なことはしないでもらえないか。せっかく上手く騙して連

れてきたんだ。そう粗末に扱われちゃあ困る」


 ちょうどいいタイミングでレオナルドが割って入ってきて、俺の手をアイリスから救出した。これも傍目には彼がカノプスの所業を止めたように見えるだろう。

 そのままレオナルドは顔を近づけてきて、


「いいか? アレだぞ」


「わかってる」


 互いに小声で確かめ合ってから、俺もアイリスに倣ってすうっと息を吸う。覚悟を決めろ。俺はカノプスだ。遠野観行じゃない。とんでもなく性悪な悪役なんだ。

 俺は記録の中でしか見たことがないもう一人の自分を今この自分に重ねて、 


 レオナルドを思いっきりぶん殴った。


 殴られたレオナルドはやられ役のスタントマンも脱帽するくらいのオーバーアクションで吹っ飛んで、積まれた荷物の中に倒れ込んだ。

 次は俺の番だ。ちょっとわざとらしすぎやしないかとヒヤヒヤしながらも、何度も練習したこの台詞を喋る。

 コツはなるべく尊大に、いかにもボスっぽく、ファンタジーの魔王みたいに。


「――随分と偉くなったものだな、エーテルジャムの奴隷ふぜいが。キサマがこの私に意見できる立場であったことが、今までただの一度でもあったか?」


 言ってて顔が熱くなるぐらいの恥ずかしい台詞だが、少なくともカノプスの手下どもには効果があった。すでに恐怖の色に染まりつつあった連中の表情がさらに引きつっていく。どうやらカノプスは部下に慕われる上司ではないらしい。


 気圧された――フリをした――レオナルドは床に尻餅をついたまま後ずさる。魔王になった勢いで部下たちに目配せしてみると、ヤツらは慌ててレオナルドを捕まえて床に這いつくばらせた。

 視線だけで意を汲んで動いてくれるくらいだ、こいつらはもう俺をカノプスだと信じて疑わないだろう。

 となれば、レオナルドの役目はここで終わりだ。予定を少し繰り上げることになるけど、彼には外へ出ていてもらう。


「こいつを痛めつけて、外に棄てておけ!」


 大げさな身振りで命令を下すと、男たちはレオナルドを無理矢理立上がらせて連行していった。レオナルドと捜査局の目論見通りにいけば、ちょっと痛い思いをしてから解放されるだろう。これで万が一俺たちがミスっても、レオナルドに迷惑はかからない。少なくとも今すぐには。

 連れ去られていくレオナルドの姿が倉庫の外に消えたところで、アイリスはけろっといつものテンションに戻って、


「……とりあえず、第一関門はクリアか。なかなかいい悪党ぶりだったわね」


 悪びれることもなく言ってのけやがる。いきなりあんな悲鳴あげられて、俺がどれだけ肝を冷やしたと思ってるんだ。


「急にあんなアドリブ入れないでくれよ!」


「こっちの方が手っ取り早いし。それに結果的にはちゃんと出来たじゃない。ここまで演技の才能があるとは思わなかった」


 よくもいけしゃあしゃあと。額に青筋を立てた後でふと気づく。ドライな言い方だからわかりにくいけど、今のは珍しく俺を褒めてくれたんだろうか。今この局面で言われるってのも複雑だけど。


「……俺の演技が上手いっていうより、カノプス自身の挙動がそもそも何かの演技っぽいんだよ」


 それが、何日もかけて資料映像の中の奴と向き合い続けた俺の感想だった。

 言わせてもらえば演技にしてもちょっと下手にすら感じる。基本的に仰々しいし、台詞もなんというかいちいち言葉選びがステレオタイプすぎる。その手のカルチャーに疎い人が思い浮かべがちな、下手な悪役像みたいな印象を受ける。


「そうなの?」


 俺よりもカノプスについて知っていて、だからこれぐらいはとっくにわかっているはずのアイリスは、なのに意外そうな顔をした。アニメや漫画に疎いからイメージが湧きにくいんだろうか。


「……ま、演技面で言うならアイリスさんこそ迫真だったよ」


「こんなバカみたいな格好で?」


 吐き捨てるように自嘲するアイリスだけど、さっきの突然のアドリブは本職の役者だって裸足で逃げだすくらいの迫真ぶりだった。本人がバカみたいと揶揄する格好だって、お世辞を抜きにしてもだいぶさまになっている。

 やっぱりアイリスの風貌はどこか『らしい』んだよな。肌や髪の色の違いもあるけど凡百のコスプレとは一線を画すというか、本当に異世界人なんじゃないかと思うことが時々ある。

 もっとも、仮にそうだったとしても偽る意味なんて皆無なわけで、やっぱりアイリスは彼女自身が言うとおりの残酷で退屈な世界の住人なんだろうけど。



 ――こうして振り返ってみると、潜入当初の俺はだいぶ落ち着いていた。このときの会話を反芻しながら、「これってかなりドラマっぽくないか?」なんて自賛する余裕さえあったように思う。

 だけどそれは、後々のことを思えば決して俺に余裕があるとか、肝が据わっているとかなんかじゃなく。

 ただただ単純に、カノプスという人間を知らなかったからだった。

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