#12 果てなき遠くへのドライブ

「これから異世界の人に会うってのに、こんな格好でお邪魔してもいいのかなあ」


 捜査局の地下駐車場をアイリスについて歩く俺の格好を簡単に説明すれば、コンビニにでも出かけるようなTシャツとジーパンである。

 別に好きでこういう格好を選んだわけじゃない。アイリスに着替えろと言われて従った結果がこれなんだ。

 いいのかなあ、こういうラフなので。もうちょっとこう、世界観に配慮したものじゃないとまずいのではなかろうか。


「大丈夫よ。今回向かう世界の服飾文化は比較的地球に近いし、捜査局の存在もそれなりに知られているから。ほら、これも羽織って」


 渡された上着を広げてみると、それはアイリスが着ているものとよく似たジャケットだった。アーミーっぽい無骨なデザインとダークカラーは同じだが、俺のは背中の部分に英字でCONSULTANTコンサルタントと書かれている。

 袖を通しながら考える。コンサルタントの意味ってなんだっけ。会社経営に口を出すヒト、相談役……要は「捜査のお手伝い」ってところか。

 なんにしても、こういう制服はいいな。俺も捜査局という正義の味方的な組織の一員になったみたいで、ちょっと燃えてしまう。

 なのにアイリスは俺の頭にジャケットのフードを勝手にかぶせてきて、さらに配信やってる女子みたいなマスクをかけさせた。なんでこんな格好せねばならんのだと訴えると、


「これから行くのは、カノプスが拠点にしている都市のひとつなの。顔がバレたらどうなるかわかるでしょう?」


 冷淡な口調でとてもよくわかる理由を打ち返されて、俺は黙るしかなくなった。


「あとは、これ。なくさずに持っておいて」


 最後にアイリスはそう言って、今度は会社員が首からぶら下げているような紐付きのIDカードを手渡してきた。


「身分証みたいなものよ。あなたの捜査局内での身分を保障してくれるから、ポケットにでも忍ばせておいて」


 アイリスの言うとおり、カードには俺という人間の基本情報がわかりやすくまとめられていた。遠野観行。地球人(現在は準エルフ種族)。人間種。男性。特殊能力なし。レベル1。

 ……レベル、1? いや、レベルはわかるけど、1?


「……あのさ。この『レベル』って何?」


「捜査局のほうで本人の総合的な能力を測定し算出する、能力の目安みたいなものだけど……」


 俺が難しく眉根を寄せているのが気になったのか、アイリスはおもむろに俺の手のカードを覗き込んでくる。ややあって、その目が驚きに見開かれ、視線はやがて路上の捨て犬でも見るような哀れみのこもったそれに変化した。


「き、気を落とすことはないと思う。人は数字で計れるものじゃないんだし……」


 それまで俺に対しては徹底して厳しめだったはずのアイリスが、期せずして気遣うような言葉をかけてきた。

 ……つまり、レベル1とはそれぐらいにありえない低数値なのか。日頃を鉄面皮で通しているような奴が、ぎこちない優しさを発揮しなきゃならないというくらいに。


「わかった。もういい。気遣ってくれてありがとう」


 もしかしたら俺には何の取り柄もないんじゃないかという自覚はあったけど、さすがにこういう形で自分のダメっぷりを思い知らされると傷つくものがある。

 この件はさっさと忘れた方がいいな。なんとかうまく話題を変えようと思い立った俺は、天気やら流行りのアニメやらの話題を一通り検討しては一通りダメ出した。どれも俺とアイリスの間柄で持ち出すような話じゃない。

 だったら捜査局の武闘派クールガールと捜査協力者の間にはどんな会話が成り立つんだろう。ちょっと無味乾燥すぎる気もするが、仕事の話とかだろうか。とまで考えて、今さらの疑問が頭に浮かぶ。


「そういえばさ。異世界ってどうやって行ったり来たりするものなの?」


 何せ目的地は異世界である。異なる世界と書いて異世界だ。そんな、果たして同じ宇宙にあるかどうかも疑わしい場所まで、捜査局の人々はどんな超常的な移動手段を用いて駆けつけるんだろう。

 次元を超越とか、魔術とか召喚の応用とか、あるいは神の力を借りたなんやらとか、そういういかにも厨二な感じの理屈がいろいろあるのだろうか。俺が勝手に想像をたくましくしていると、アイリスはさらりと答えた。


「この前と同じよ。車に乗って」


 言いながら、アイリスは地下空間に足音を響かせ歩き始める。向かう先には見覚えのあるワインレッドのジープが停まっていた。

 俺を拉致してきたときには前面部がだいぶベコベコになっていたはずだが、今やその損傷は新品同様に回復している。捜査局にはロボットアニメよろしく腕利きのメカニックでもいるのかもしれない。 

 アイリスは身軽な猫のようにするりと運転席に潜り込んでエンジンを始動させ、後部座席を親指で示す。俺は言われた通りに乗り込んでみたが、これで異世界に向かうってのは未だに納得がいかない。

 だって、このジープはどこから見ても普通のクルマなのだ。前部座席の中央あたりにはやたら大仰なモニターや計器が増設されているが、これでもやはり説得力が足りない。世界一有名なタイムマシンはもっとゴチャゴチャしてたぞ。


「物理的に道が繋がってるわけじゃないんだよな? これでいったいどうやって――」


「前に言ったでしょ? 世界と世界は『物語』で繋がっているって」


 思わせぶりに言いながら、アイリスは奇妙な物体を取り出した。一見すると漫画の単行本のようだが、なぜか表紙部分が真っ黒なカバーに覆われていて、内容は判然としない。

 ページを開いて中身を見ることも難しそうだ。小口の部分には本専用の拷問機みたいな複雑な機械装置ががっちりと噛みついて、読まれちゃ困ると言わんばかりに封印している。

 これが仮に本だとしたら矛盾してるな。内容もわからず、ページをめくって読むこともできないなんて、それでは本としての用途も存在意義も成立しない。

 こんなもんになんの意味があるのだろうと困惑している俺を尻目に、アイリスは前部座席のコンソールをいくつか操作する。どこかでギアとモーターの作動音がして、見覚えのある箱状の物体がせり出してきた。

 一言で言えば、それは俺が生まれるちょっと前のゲーム筐体に似ていた。ディスクや極小のカードではなく、大きめのカートリッジを差し込んでプレイするレトロなやつだ。アイリスがそこに例の黒い本をあてがうと、機械装置の部分が筐体の挿入口にガシャッと嵌まった。

 途端に、計器やモニターが次々に反応しはじめて――


 世界が、ブレた。


 頭をぶん殴られたみたいな強烈なめまい。視界が二つに分離してぐるぐると回る。冷たく静かな駐車場の景色と、もうひとつ――熱帯のジャングルめいたどこかの景色。地面にはところどころに怪物の角みたいな岩石が屹立していて、中に含まれた水晶が日光を浴びて煌めいている。

 もちろん、アイリスとジープに乗っている俺がそんなものを見ているはずはない。なのに、オーバーラップする二つの視界は同じくらいにリアルだった。どちらが現実でどちらが非現実なのか、判断がつかないほどに。ジャングルを飛び回る甲高い鳥の鳴き声や蒸した空気の匂いすら感じられてくる。

 そうだ、二つにブレているのは視界だけじゃない。視覚が、聴覚が、触覚が――俺の存在そのものが二重になって、同時に二カ所に存在しているかのようだ。


「見える人と見えない人がいるとは言うけどね」


 感心したようなアイリスの声が耳に届くと同時、ぶれた世界は収束してひとつに戻った。俺はついさっきまでの駐車場とジープの車内に、そこだけに存在していた。

 ……いや、本当にそうか? 俺は本当に、ここにいるのか?


「なんなんだ、今の」


 乱れる息を必死に整えながら尋ねるけれど、アイリスは答えることなくアクセルを踏み込んだ。急発進する車体の慣性に置いていかれて、俺は窓ガラスに頭をぶつける。


「行けばわかるわ。言い忘れたけど、ちょっとくすぐったいわよ!」


「はあ!?」


 発進したジープは曲芸じみたハンドリングを連続で決めて、揺られまくった俺は車内のあちこちに頭をぶつけた。乗車一分ですでに降りたくなってきた。

 さらに何度か荒い運転に目を回すうち、ジープは駐車場の出口とおぼしき直線路にたどり着いた。アイリスが再びコンソールを弄ると、俺には読めない言語で示されたいくつもの情報がフロントガラスに投影されていく。

 アイリスはそれらをひととおり確認し、直線に向かって速度を上げていく。エンジンが唸り、通路を照らす照明灯が次々に俺たちの左右を通過していく。過ぎ去っていく光点の群れは速度が上がるにつれてほとんど線になりかけ、おいおいそろそろ88マイルだぞやばいんじゃないかと思った瞬間、


 車外のあらゆる景色が消失した。


 ずっと先まで続いているように見えた直線路も、照明灯も、コンクリートの壁も、タイヤが踏みしめているはずの通路も。なにもかもが存在しなくなった闇の中に、ただ俺たちとジープだけが存在していた。

 フロントガラスの先に広がる闇を呆然と見つめていると、またも強烈なめまいが俺を襲う。先ほどと同じように視界がぶれて、世界が幾重にも分離する。今度は一つや二つじゃない。それこそ数え切れないほど幾重にも。


 ――十九世紀のイギリスと日本をごた混ぜにしたような夜の街。ガス灯の光の中を突っ切る路面電車の屋上で、黒衣の忍びと着流しの探偵が戦っていた。


 ――ビルが崩れ、人が泣く、荒れた世界に屹立する巨塔の上。赤い右腕に白髪の男が、ぼろぼろになって尚立ち上がり吼えていた。


 ――すべてが雪と氷に閉ざされて、凍えきった諦めの街。白熱する槍を携えた軍人が、薄汚れた少年と修道服の少女を抱きしめて力強く笑っていた。


 幾つもの世界が、場面が、無数の誰かが。洪水のように俺の視界へ、感覚へ流れ込んでくる。

 無限に続くのではないかと思われるくらいに多彩で複雑な、人や歴史や感情の洪水。喜びや悲しみや愛しさや憎しみや苦しみの氾濫。星のように輝き瞬いては消えるひとつひとつに魂を揺さぶられ圧倒され続ける中で、俺は唐突に理解した。


 ああ、そうか。これが――今、俺の目に見えているこれこそが、物語なんだ。

 無限にある異世界で紡がれた、どこかの誰かの物語の数々。いま俺の目に視えているモノの本質は、その二文字に集約されるのではないだろうか。

 どれもこれも、あつらえたように印象的なシーンばかりだ。目には見えない誰かが、名シーンやクライマックスだけを切り取っているかのように。

 誰かが言った。世界は物語によって繋がっていると。異世界の出来事を垣間見ることができる者がいると。今ならそれがわかる気がする。


 異世界は存在する。だけど普通はそれが見えない。夜空に浮かんでいるはずなのに、距離が遠すぎて地球まで光が届かない星みたいなものだ。

 しかし、目には見えないはずのそれが、時折強い輝きを放つことがある。遠く離れた世界まで伝わり、その世界が存在することを誰かに知らせる。そんな不思議な輝きのことを、俺たちは物語と呼んでいるんじゃないだろうか。

 そうだ。きっとそうだ。世界の仕組みは、こんなにも簡単で綺麗で、面白いものだったんだ。

 すべてを悟った俺は夜空の星へそうするように、どこにいるのかもわからない誰かに、どこにあるのかもわからない物語に、すっと手を伸ばして――――



 

 気がつくと、ジープの車内でわけもわからず泣きじゃくっていた。


 慌ててジープを停車させ俺を外に連れ出し水をぶっかけ額にデコピンの一撃を加えて落ち着かせてくれたらしいアイリスによると、どうやら俺はあの直線に入った時点から半分くらい意識を失っていたらしい。

 声をかけても無反応、なのにシートに腰掛ける姿勢はしっかりしているし、目はしっかり開けていたから眠っているようにも見えなかったという。

 それがこの世界に到着するや否やぽろぽろと涙を流し、声を上げて泣き始めたとかなんとか。申し訳ないことにまったく記憶にない。

 ひりひりと痛む額を押さえ、あふれる涙を拭いながら記憶をさかのぼる。最後に覚えているのは捜査局の駐車場だ。あそこでアイリスが筐体にカートリッジだか本なんだかわからない物体を挿して、それから世界がぶれて……


 ……どうなったんだっけ?

 今の俺がこうして泣いているのは、何かとても辛く嬉しく苦しく愛しく哀しいことがあったせいだ。けれどあいにく具体的な記憶はすっぽりと抜け落ちている。夜中に悪夢を見て飛び起きたときのように。

 怖かったり哀しかったりする夢を見て、だけど目覚めたときには断片的にしか覚えておらず、ただ感情の残滓だけが色濃く残っている。そんな感じだ。


 けど、俺が見たものは単純に怖いとか哀しいとかいうだけではなくて――


「……世界が、繋がってた。ような気がする」


 心の奥底に沈んだ記憶の中から、ふいにその言葉だけが浮かび上がる。次いで、いくつかの物語の断片的な光景が。


 そうだ。いくつもの物語と、それからとても言いようのないスゴイものが見えて、直観的にそんなことを理解したような……気がする。我ながらアバウト極まりないが、覚えてないんだからしょうがない。

 いや、冷静に考えてみれば果たして理解したのかどうかすら怪しい。単に危ない夢を見ていたというだけなんじゃないだろうか。

 なんだか自分で自分が信用ならなくなってきた。客観的には俺が突然精神に異常をきたしたというだけの話なんだよな。付き合わされるアイリスも迷惑だろうと思ったが、なぜか彼女は得心いったという顔でうなずいていた。 


「なるほどね。見える人と見えない人がいるとはいうけど……」


 それはさっき聞いたのとほぼ同じ言葉ではあるけれど、こっちの方には明らかな呆れのニュアンスが含まれていた。そりゃそうだよな。自分と似たような年の男がなんの脈絡もなく泣き出したら誰だって呆れたくなるさ。


「見えるって……みんな俺みたいに、なんか見ておかしくなったりするわけ?」


 果たして俺が見たものを表すのにその言葉が適当なのかどうかはわからないが、少なくともアイリスには通じたようで、


「そうね。転移酔いって言うんだけど、こうやって世界と世界の繋がりを知覚してしまう人がまれにいるの。わたしがカートリッジを挿した瞬間にも何か見えたんでしょう?」


 うん、と頷きながら、俺はようやく周囲の様相に気づく。鬱蒼と茂る木々や見たことのない植物の間を子供の腕ぐらいに太いツタが這い回り、足元では尻にトゲを生やしたバッタみたいな虫がギチギチと音を立てて鳴いていた。

 見るからに日本の植生ではなさそうな木々の間にはときどき煌めくものが垣間見える。目を凝らしてみればそれは地面から屹立したツノのような岩石で、先端には粒のような水晶が含まれ輝いていた。俺たちがいたのはそんな、どこでもない密林だった。


「言われてみれば、あのとき見えた景色もこんなのだった!」


「転移する前に差し込んだカートリッジはね、異世界への鍵なの。異世界の出来事を記した物語……本やディスクといったメディアを捜査局が加工して、世界を渡るための羅針盤代わりにしている。だからカートリッジを読み込んだ瞬間、あなたにはこの世界が見えた」


 なるほどな。今さらだけど、俺たちは本当に異世界に来てしまったんだな。沖縄とかアマゾンって線もあるが、ここまで立て続けにいろいろ起こっておいてそんなつまらないオチもないだろう。


「……っていうか、アイリスさんには見えなかったの?」


 未だに涙と鼻水がおさまらない俺とは対照的に、アイリスは徹底的に落ち着いていた。


「残念ながら、わたしは見えない方。だいたい一瞬だけ暗闇になって、次の瞬間にはもうこちらの世界。どちらかというと、あなたみたいに見えるほうが珍しいの」


 え、マジで? あんなに明瞭で強烈だったのに、俺の目にしか見えていなかったのか。道理で平気そうなわけだ。


「行きましょうか。帰りは……見えないといいわね」


 彼女なりに気の利いた言葉をかけてくれたのか、アイリスはそんなことを言いながらジープに乗り込んだ。

 が、気遣われたはずの俺の胸中には暗澹たる気持ちが押し寄せてきた。すっかり失念していたが、行きがあるからには帰り道もあるんだった。またアレが見えてワケわからなくなる可能性があるってことだよな。


 見える人と見えない人がいる、か。なんだか、とても不公平な話である。

 そうだね、とでも言うように、森のどこかでキョーッと鳥が鳴いた。

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