不在の玉座

消えた王様

 紅茶を飲み終わり、木在羽はテーブルの隅に置いてあったメニューを再び手に取った。

 飲み終わったら追加注文はいつもの事。喋るとお腹がすくし、喉が渇くでしょう。と笑う木在羽にうながされ、伊織もここに来るとつい追加で注文してしまう。会計の時にマスターがしたり顔をしているのだけは気に食わないが、美女と共にする美味しい食事だと思えばおつりがくるだろう。


「期間限定メニューですって」


 木在羽が目を輝かせて伊織にメニューを見せてきた。可愛らしく盛り付けられたバターたっぷりのパンケーキは、大人の女性を意識した盛り付けだ。この喫茶店の年齢層は高めとはいえ、どう考えても木在羽を意識して考案されたメニューだろう。

 見えないと分かっていてもつい、カウンター席の方へと伊織は視線を向けてしまう。ここのマスターは分かりやすすぎる。


「俺はコーヒーお代わりでいいです」

「ああ、すみません。伊織さんは甘いものが苦手でしたね。私だけはしゃいでしまって」


 木在羽さんが少しだけ肩を落とす。それを見て慌てて伊織は両手を振った。


「気にしないでください。木在羽さんがおいしそうに食べるのを見るだけで、十分ってだけなので」

「あら、そうなの? ずいぶん小食なのね」


 そういう意味ではないのだが、木在羽は小首をかしげる。大人の女性の雰囲気を持ちつつも動作がどこか子供らしい。アンバランス。それが余計に人を惹きつけて、魅了するのかもしれない。


「それにしても、何度聞いても慣れないわ。伊織さん、甘いもの好きそうなのに」

「よく言われますね……」


 伊織は見た目が派手で、表情や顔の造りが甘い。たれ目で男にしては睫毛が長く、輪郭も細い。女性に見えるほどではないが、中性よりだ。

 女の子にチヤホヤされていた時は自慢の容姿だったが、啓に恋してからは少々不満な点である。何しろ啓はいかにも男らしい人が好みだ。


「生徒からも調理実習とか、イベントとかのたびにお菓子をもらったりするんですけど、甘いものが多いんですよね……」


 バレンタインなんかは特に困る。啓が好きだというのは包み隠していないのだが、それでもチョコレートは毎年結構な数を貰う。本命もごく一部混ざっているようだが、だいたいは面白がっての愉快犯だ。

 啓にアタックし続けているのに袖にされ続けている伊織への応援。啓のリアクション見たさ。見た目に反して甘いものが苦手だという伊織をからかうため。など理由は多岐にわたるが、共通するのは先生に対する敬意がないことである。応援に関しても真剣に、というよりは面白い見世物へのおひねりに近い。


「生徒さんからお菓子をもらえるなんて、伊織さんは慕われているんですね」


 苦い顔をしている伊織に比べて、木在羽さんの表情は明るい。一切の邪気がなく純粋に喜んでいる木在羽を見て、伊織は気まずく思う。

 理由はどうであれもらえるだけ十分なのは確かだ。先生の誰もが生徒から贈り物をもらっているわけではない。


「伊織さんは立派な先生なんですね」


 木在羽は伊織の目を見てほほ笑む。とても綺麗な慈愛に満ちた瞳。少々気恥ずかしさを伊織は覚えて、同時に引っ掛かりも覚える。

 素直に受け止めるべきだろう。そう思うのに、どうにも頭に思い浮かぶのは過去にみた光景。


「……いえ、俺はまだまだ未熟者ですよ」


 それは謙遜ではなく本心だ。

 木在羽も伊織が真剣に言っているのを感じ取ったのか、意外そうに目を丸くする。


「俺が通っていた学校にはね、すごい人がいたんですよ。学生の頃は全くそうは思わなかったんですけど……いや、違うな。すごすぎて普通に見えたんですよ。次元が違いすぎると、すごさが逆に分からないって言うかね」


 伊織は当時の事を思い浮かべながら笑う。歪な笑顔になった自覚はあったが、伊織にはどうしようもなかった。哀愁だとか、尊敬だとか、当時気付かなかった自分への呆れだとか。いろんなものがこみ上げてきて、言葉にするには胸につっかえる。


「啓くんはね、きっとその人に憧れたんです。俺よりも話す機会はあったでしょうし。今でもその人ならどうするんだろう。そう考えているんだろうなって思うときがあります。俺も教師って立場になった今の方がよく思い出すんですよ。いや、何とか思い出そうと頭をひねってるんですよね。もっと真面目に話を聞いたり、話かけたりすればよかったって後悔してます」


 伊織とは直接的な接点は少なかった。それでも、話しかければ当たり前のように答えてくれる人だった。それを当時の伊織はしっていた。それなのに話しかけようとはしなかった。興味がなかったし、自分には関係ないと思っていた。あの人が創りあげ、施してくれた恩恵を当たり前のように受け取っていたというのに。


「俺の通っていた学校は、学校というよりは子供の国でした。子供が自由にのびのびと、何の不安もなく好きな未来を選び取ることが出来る。そんな楽しい国でした。そしてやけに目立って破天荒で、予想できない行動ばかりする。それでいて子供が大好きな王様がいたんですよ」

「子供の国に、王様ですか……」


 木在羽は神妙な顔で頷いた。戸惑っているようにも、何かを探ろうとしているようにも見える表情に、伊織は苦笑を返す。

 突拍子のない話に聞こえるだろうと自覚はあったが、伊織が過ごした学園はまさしく子供の国。それを造り上げた理事長は間違いなく王様だった。そんな王様の元で過ごせた伊織は間違いなく恵まれていたのだ。今になって思い出して懐かしくなるくらいには。


 伊織は鞄にしまった専門書を思い出す。子供の教育について語られた本。学生の頃の伊織だったら見向きもしなかった内容。それを今必死に読んで、理解しようとしているのはそうしなければいけないからだ。


「でも必ず物事には終わりが来るんですよ。ずっと変わらないなんてありえない。でも、もう少し。せめて彼がいなくなる前に俺が気付いていたら。そう今になって思うんですよね」


 そうしたら、もっと多くの事を直接聞くことが出来たのに。伊織はそう後悔している。いやもしかしたら、伊織よりも深く後悔している人間は多いのかもしれない。何しろ、誰も予想していなかったのだから。

 いつでも当たり前に、当然のようにそこにいると思っていた王様が、ある日突然、最初から存在しなかったかのように姿を消すなんて。

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