後日譚

045『再び……』


「場所的にはこの辺りのはず、なんだがな……」


 私は中古で購入した、真っ赤な三菱パジェロ2.8ディーゼルターボモデルを道路脇に止めた。

 タブレットを操作して地図を拡大してみる。


「うむ、妾の記憶でもこの辺りで間違いないのじゃ」

 助手席でふんすッと偉そうにふんぞり返っている少女の言葉は当てには出来ない――先程も、全然違う道へと誘導された。どうやらこいつ――マヒトは重度の方向音痴の様だ。


 あの事件から約一か月が経った……。


 マヒトの賜ったという社は、東京の都内とは思えない程の僻地に建っていた。どうやら本人が、静かな場所が良いと頼み込んだらしい。

 近くにスーパーやコンビニはおろか、民家さえない山の中である。その山一つを切り開き新たに神社が建てられつつあった。

 仮の住居はその参道のすぐ横に、2×4構造で急遽建てられた結構立派な建物である。神社が完成した暁にはマヒトたちは出ていくのだが、今はそこへ、私とマヒトと、どこかの神社から派遣されたマヒトの世話役の無口な十八歳の少女、赤星伊吹あかほしいぶきと暮らしている。

 一緒に暮らし始めた当初は、宮内庁のお偉いさんや、神社関係のお偉いさんが頻繁にやって来て忙しかったが、最近の私の仕事はもっぱら街までの足として働いている。後は家事手伝い。


 そして、現在、大分時間に余裕が出来る様になったのでマヒトと二人で九州の西の沢村跡を目指している所である――。ちなみに、リハビリの終わったセイラも誘ったのだが丁重に断られた。まだ、トラウマは治って無いらしい。


 旧西の沢村(現在は奥の沢と呼ばれている)のバス道の出口が、この辺りにあるはずなのだが――今では地図にさえ乗っていない道なので、GPSで確認しても今一要領を得ないのである。さらにはこの辺りは過疎化が進み、あったはずの学校や役場や民家さえも無くなっている……。

 ――人に聞こうにも、その人が見つからない……どうしよう。


「む、あれでは無いかの」マヒトが指を差し声を上げる。

 ――どれ? ああ、流石にこれではわからない。


 指の先を見ると小さな小川の向こうに砂利道が続いている――。ブルトーザーらしきキャタピラの跡も付いているので間違いなさそうだ。


「昔はここに橋があったのじゃが、無くなってしもうた様じゃの……」少し寂しそうにマヒトは言った。


 私はパジェロを小川に突っ込み川を渡り、砂利道を駆け上がった。しばらく走ると黄色のゲートが前方に見え始める。私は車を降り、役場から借りてきた鍵でゲートを開け放った。

 ここから先はあの事件の後、軍に接収され、戦後は国の保有する土地となっていたそうである。


 車に乗り込みそのまま、しばらく木々の合間を抜ける林道を走る。いくつかのコーナーを抜け山道を駆け上がっていくと、突然右方の視界が開けた。

 晴れ渡る空に、くっきりと浮かぶスカイライン。緩やかな稜線の山々が連なっているのが見えた。


「うむ……」見覚えがあるのかマヒトが感慨深そうに目を細める。

 山を一つ越え下り道になった所で例の峠のトンネルが見えてきた。ここにも金網の柵がある。再度私は車を降りて鍵を開けた。


 明かりも無い長い手掘りのトンネル――真っ暗だ。その中をまっすぐ進み、そして、トンネルを抜けた……。

 ――ああ、確かにここは見覚えがある。雨の中兵士に銃を突き付けられたれたあの場所だ。


 さらに道なりに進む。車の通行が無いので雑草が伸び放題だ。――普通車だったらやばかったかもしれない、四駆で良かった。


 ダムが無いので当然水は溜まっておらず右手の下方には沢が流れている。

 沢沿いの道を進んでいくと、少し広くなっている所にポツンとベンチが見えた。――あ! バス停だ! すでに、屋根や時刻表は無くなっているが、ここは間違いなくダムのところにあったバス停である。だが――その脇にあった小さなトンネルは無くなっていた。恐らくダムの爆破の衝撃て崩れたのだろう。今は崩れた山にブルトーザーで道が作られている。


 そこへ車を突っ込み越えていく。ダムの方へ行く道は見当たらない。山自体が崩れている。そのまま行くと、西の沢全体を見渡せる崖の上に出た!


 ――以前はここから泡嶋神社や白い吊り橋が見えた……。マヒトも身を乗り出して下を覗き込んでいる。今は何も見えない、只々深い森があるだけだ――。


「外、出てみるか?」

「いや、下まで行くのじゃ」


 私達を乗せた車は坂道を下り始めた。鬱蒼と茂る原生林。その中に一か所だけ雑草に覆われた広場があった。

 ――西沢渓谷温泉の跡だ……。ここにも何も残っていない……。僅かに積まれた石積だけがその温泉の存在を示唆していた。


 そのまま道を下り沢床にまで下りた。

 沢の所々に真新しい法面工事の跡が見える。

 この沢の随分下流に新しいダムが出来たために、土砂の流出を抑える目的で工事したそうである。その時、マヒトは偶然発見された……。

 もし、この工事が無ければマヒトは今でも冷たい土の下に眠っていたのである。


 ――さて上流に向かうか、下流に向かうか……。

「こっちじゃの」とマヒトが上流に向けて指をさす。

「何かあるのか」

「妾が長らく居った場所じゃの、濃い気配が残っておる」

「ん、わかった」


 私は上流に車を向けて河原のブル道を駆け上がった。少し上がると、沢の西側に小さな池が見えてきた。

 ぽっかりと穴が空いたような直径十メートルほどの深そうな池。――これはあの時最後に見た、鍾乳洞の崩落跡か……。

 だったら、この池の丁度真上に泡嶋神社があったのだ。


「妾はこの池の向こう側で見つかったのじゃな……」

 そっちの方を見る。池の向こう側にも真新しい法面工事の跡がある。位置的に考えればあそこは丁度マヒトの居た日ノ見院の辺りだろう。

 日ノ見院は少し高い場所にあったので一番最後の方に渦に飲まれたのだ。きっと、それが功を奏した。マヒトは鍾乳洞に飲み込まれることなくあの崖下で発見されたのだ。


 私は車ごと沢に入り対岸へと渡った。そして車を止めマヒトと一緒に降りた。池のほとりに立つ。

 おもむろに服を脱ぎだすマヒト。帽子を取り、薄ピンクのTシャツを脱ぎ、デニムの短パンを脱いで、下着のみになる。


 ――だが残念! 私にはそういう趣味は無いので、子供パンツには欲情しない……。一緒に暮らしているといつもの事なので動揺もしない。


 そして、マヒトは近くの沢に入り、身を清め始めた。


 私はマヒトの脱いだ服をボンネットの上でたたみ、車の後部ハッチを開きいそいそと着替えを用意する。

 禊を終えたマヒトにタオルを渡し、着替えを手伝う。


 肌襦袢に足袋を履き、掛襟を着て白衣を着る。腰帯を止めて緋袴を履き、最後に千早を羽織る。

 右手に神楽鈴。左手に榊の枝を持った。


「うむ、すまぬな真……」

 マヒトはそう言ながら手に持った神楽鈴を 〝リン!〟 と鳴らした。


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