042『式神:突入』


「見ていられませんね……」一瞬、幼い声が耳に聞こえた。

 そして、その時――白い影が床に倒れた私の視界を遮った。


 ここで、何をやっている?「に、逃げろマヒ……」

 ――いや、何かがおかしい……。


 陽炎の様にゆらゆらと石堂に歩み寄るマヒト。

 石堂は蠅でも払うかの様に右手をマヒトに向けてブンと振った。

「や、やめろ……」私は掠れた声を上げた。


 そして、悲鳴が上がる!



「うがああっぁあぁああぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 石堂の右腕がダラリと垂れ下がり吠えている。――何が起こった?


 払いのけようと伸ばした石堂の右腕の手首をマヒトが掴み、捩じりながら上にあげ、その瞬間、マヒトの左手が肘の内側へ掌底を放った。そして右手を掴んだまま石堂に近づくと、石堂の右腕が体から簡単にはずれたのだ。まるで玩具の人形の腕を外す様に……。

 それが子供が父親に抱き着くような、あまりに自然な動作だったので、結果が認識できなかったのである。


 これは――死すらも忘れたまほろば世界で、八十年以上の長きに渡り研鑽された、武の境地。「あの人、素手でアマヌシャを解体してしまうんだぜ、敵わねーよ」と多賀谷が呆れて言っていたのを思い出す――式神 〝さくら〟 その人である。


 だが、石堂は諦めなかった。左手で外れた右腕を抑え込み、そのぶっとい左足でマヒトに向かって回し蹴りを放ってきた!

「うらあぁぁぁ!」


 ――危ない! 

 胴回りほどもあるその足が、小学生ほどの小さな体のマヒトを襲う。――まずい、これは避けられない!

 しかし……。


 ――ああ、私は忘れていた……。

 アマヌシャはマヒトの血肉を喰らった人間の成れの果てである。その血肉のもたらす変貌に魂が耐えきれず壊れてしまうのだそうだ。だとすると、その素となったマヒトの肉体は? アマヌシャと同等、いや、さらに上……。どちらにせよ世の理からは、外れてる――故の不死人なのだ。


 マヒトは事も無げにその左足を右手一本で受け止めた。まるで、飛んできた木の葉を掴む様な仕草で簡単に受け止めた。

 そして、片手でその足首をひねる。石堂の左足首のアキレス腱がプチンッと小さな嫌な音を立てた。

 その足首はもう体重を支えない――足を下ろした石堂は崩れる様に床へ膝まづいた。


 そして、長い獣の咆哮がこの広い地下室に響き渡った!



 石堂の真っ赤に見開かれたその目が、次第に恐怖と絶望に染まっていく……。

 ――ああ、分かるよ……弱い私はそれを最初に出会った時に感じてしまった。兵士である彼はそれを認めることが出来なかったのだろう……だから最後まで抗った……。

 そして、石堂の身体はスローモーションの様にゆっくりとゆっくりと床に倒れて行った……。



「そなた、大事ないかの」

 いつもの飄々とした雰囲気に戻ったマヒトが私の目の前に立っている。

「……ま、なんとかな……」私は体を捻り仰向けに寝転がりながらそう答えた。

「うむ、それは僥倖じゃ」

 ――嘘である。本当は結構大変な事になっているのだが、見栄を張った。呼吸をするのさえ苦しい……早く救急車を呼んでほしい……もう、このまま眠ってしまいたい……そして、自分の愚かしさに腹が立つ……あれ? 何か忘れてる?


「あ!」私は手を付き上体を無理やり起こし、部屋を見回した。

 地下三階の部屋の隅。大きな搬入用扉が少し空いている。あのメガネの学者の姿がどこにも見えない!――しまった! 逃げられた!



 その時……。

 轟音と共にこの部屋の扉が吹き飛んだ! ――今度は一体、何だ!


 なだれ込む五人の男達。

 皆、一様に黒いヘルメットに、黒のフェイスマスクを被り、紺の制服の上に防弾ベストを着用している。そしてその手にはドイツのH&K(ヘッケラー&コッホ)社の短機関銃MP5が握られている。

 先頭の男が声を発する。


「神奈川県警だ! 全員動くな!」


 神奈川県警の第一機動隊所属の特殊急襲部隊SATの皆さんである。

 その背後からワインレッドのスーツの上に黒の防弾ベストを着こんだ、長身の女性が颯爽と現れた。

 そして、〝五三の桐〟 の書かれた黒い手帳をかざしこう宣言する。


「PSIAです。テロ等準備罪に基づき捜査に入ります!」

 恐らくこれがテロ等準備罪の国内初めての行使である――。

 会社自体にテロ組織の嫌疑が架かった。既に国の重要施設指定など意味を成さない。


 そして、こいつこそが私を巻き込んだ全ての元凶!

 私の元上司、公安調査庁上級調査官:小泉薫である。


 何故そう言えるのか……。それはこいつこそが、例の晴海埠頭冷蔵倉庫事件の担当調査官だったからであり、同時にこの八島技研の警備の仕事を私に紹介した人物だからである。当然こいつは全てを知っていた……。


 晴海埠頭冷蔵倉庫事件は当初から大きな組織犯罪が絡むと疑われていた。だがその捜査が進むにつれ、県を跨ぎ、国を跨ぎ、政治に絡み始めたために、法務省の外局である公安調査庁がその調査に乗り出した。そして犯人たちの組織の目星も付き、次は証拠をどうやって押さえるかの算段の途中だったはずだ。

 しかし、その時すでに退職届を受理されていた私は、その捜査に加わることは無かったが、報告書の作成や伝票の整理を手伝っていたので概要は知っていた。そして退職――。

 その後、私はこの小泉によって、何も知らされることなく一般人のエージェントとして、ここに送り込まれたのである!


「なあ、浅見君。私の知り合いのところで警備員を募集しているのだが、少し手伝ってもらえないか」その時、事も無げに小泉はさらりと私にそう言った……。


 ヒューミントと言う言葉がある。

 それは、人を使った情報収集手段の事で、任務を帯びた人が情報を持つ人に接触し、必要な情報を手に入れたり、その人を情報収集活動に利用すること、また、オフィスなどに侵入し直接情報を盗み出すことを指す言葉である。そしてこれが公安調査庁の常套手段だったりする。恐らく私はその目的の為にここへ送り込まれた。私自身も現役時代はやっていた手法だ――。


 〝だが、それとこれとでは話が別なのだ! 黙ってこんな重大事件に巻き込みやがって! 私は絶対に許さん!〟


「やあ、浅見君。君は確か上の階で治療を受けていたはずだが、何故ここに居るんだい?」私を見つけ、軽口を叩きながらにこやかな笑顔で近づいて来る小泉。

 ――なぜその情報を知っている? まあ、きっと私が倒れ、連絡がつかなくなった時点ですぐに次のエージェントを送り込んだのだろう……。


「君がマヒト君だね。安心してくれていいよ。報告は受けている……」マヒトに話しかける小泉。

 ――何? こいつ一体どこまで情報を把握している?

 

「……そうか、この人が前のプロジェクトリーダーの鈴木セイラさんか……うん、安心していいよすぐに病院に搬送する……」セイラのベッドに近づき覗き込む小泉。

 ――セイラの事まで嗅ぎつけてやがる!


「どうした浅見君。何か言いたそうだね」そう言って小泉は床に座り込んでいる私に手を差し出した。


「うがああああ!」私は渾身の力を振り絞り小泉に殴りかかった!


 そして、完全に意識を失った……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る