Cp.05 下山

「ボーっとしてどうした?」


 男に声をかけられて我に返る。5年ぶりの月夜つきよの下で、感極まっていたようだ。


「なんでもない」

「そうか?てっきりこの夜空に感動しているのかと思った」


 どうやら見透かされていたようだ。

 その事実が無性に腹立たしくて、そんなことはない、と強がる言葉を吐き出そうと口を開くと、私が声を発するより先に男が言葉をつないだ。


「真っ暗な空を埋め尽くす星々。それらに囲まれた綺麗な満月。こんな景色はそう滅多に見れないからな」


 男は楽しそうだった。

 そうか。普通の目を持つ人間から見れば、夜空は暗く、月や星たちはそれを照らす貴重な光源になのだ。明暗が対照的なものが散らばっていれば、宝石のように綺麗に映るのだろう。

 残念ながら、月光症である私には、日中の太陽と僅かな光で点在する星たち、という光景にしか見えないが……。


「そうなんだ。私には真昼の空のように見えるから」

「やっぱりそうなの?」

「そういう病気だし」

「大変だね」

「もう慣れた」


 嘘だ。慣れるわけがない。しかし、男に同情されるのも癪であったので、何でもないことのように、そう口にしたのだった。

 これ以上立ち止まって、また何か見透かされるようなことを言われるのは嫌だったので、話題を逸らすように銃口を振って先を促した。

 男は、お前が止まってたくせに、という不服を目に浮かべたが、雑な相槌をうって再び歩き出した。

 洞窟の出口から続く緩やかな坂道を上ると、数分ほどで分岐にあたった。右手は木々が覆いかぶさり草も伸びるにまかせてかなりの背丈になっている。まばらに生えているため、歩けなくはないだろうが、それでも私の腰かその上くらいまで伸びている。茎が折れている様子がないので、こちらの道は使われていないのだろう。

 左の道を見る。こちらは木々の鬱蒼うっそうとした様子は同じだが、草はきれいに刈られ、枯れ葉がもっているがそれも踏み固められている。

 採掘場に連れてこられた時の記憶はもう曖昧になっているが、こんなに山の中まで歩かされていたのだな、と痛感した。

 男は迷いなく左の道へ進み、私もそれについてゆく。分岐を過ぎて道に入ると、10メートルほど進んですぐに右へ折れていた。そこからは坂が急になり、それがしばらく続いた。洞窟内を走ったダメージが足に残っており、すぐに膝が笑い始めた。踏ん張る足が滑らないようにするのに必死で、下り坂なのに息が上がる。

 急な下り坂が終わると道はつづらに折れながら緩やかにくだっていく。健康な人間なら人の踏み固めた道を無視して直線ルートで下りていけるのだろうが、私には到底とうてい無理だ。もっとも、無理だと思っても前を歩く男が私に気遣うことなく直線に下りていけばついていかざるをえない。その時はもう踏ん張ることができないから斜面に生えた木々の幹や枯れ葉の中から顔を出す岩たちに体をぶつけながら滑ったり転げたりしながら下りるほかないのだが。

 しかし、私の不安とは裏腹に、男は緩やかな道を選んでいた。どうやら重力に体を任せて木や岩に殴られるのは避けられそうだ、と安心したのもつかの間のことだった。男は折れ曲がった道を曲がることなく、直進していく。そして鬱蒼とした木々の隙間へと消えて、ずざざざ、と滑り落ちていく音が少しずつ離れていくのが聞こえた。

 後を追って男が消えたカーブまで来たが、男の姿は、既にはるか下にあった。下り終えて平坦になっているところなのだろう。まっすぐ立った男がこちらをうかがっている。一応、下りる決意を固めるまでの十数秒くらいは待ってくれるのであろう。その気配がなければ置いていく、という心積こころづもりが、腕組みをして前方を気にかけ始めた態度から見て取れる。

 そりゃ、自分はいいだろう。靴を履いているしボトムスも丈が長いものを着ている。しかし私は裸足だ。それどころか、腿から下はすべてむき出しなのだ。男のように滑り降りては足が悲惨なことになる。いや、すでに洞窟内でいくらか切ったり擦ったりして血は出ているが、それでも足の裏に偶然小石や突起が突き刺さるのと、土や木の根でガリガリ削れるのでは訳が違う。

 人の胸中を見透かした事を言ったかと思えば、相手の状態をおもんぱかってはくれないアンバランスさ。本当になんなんだろうか、あの男は。

 滑り降りはできないが、足を持ち上げ交差しながら少しずつ下りるしかない。枯れ葉が動く音がすればこちらが下りていると分かるだろう。多少の痛みは仕方なしと、ぐっと歯を食いしばって足を踏み出した。

 ……が、盛大にバランスを崩した。私の体は重力の任せるままに、ゴロゴロと一気に下まで転がり落ちていった。

 男の脇を通って近くの木にぶつかって止まる。おかげで目が回り、枯れ葉の群れがざわざわ耳元で騒いだおかげで、しばらくは何が起きたのかわからなかった。

 しばらくして枯れ葉の残響が耳の中から消えてくると、代わりに男のゲラゲラと笑う声が聞こえてくる。声のした方を見ると、男は私の横で腹を抱えて笑っていた。


「靴を履いてないからゆっくり下りてくるかと思ったら……まさか、転がってくるとは……。想像してなかったよ」


 小刻みに震え、笑い声を押し殺しながら男が言う。

 屈辱感と羞恥心を同時に味わう。むすっと膨れる…ような可愛げがあるかはわからないが、寝転がったまま一度男を睨みつけて何事もなかったかのように立ち上がる。服や髪についた木の葉を手で乱暴に払落し、首を振って案内を続けろと無言で男に主張する。

 なおも肩を震わせ続ける男は、「ま、恥ずかしいから何もなかったことにしたいよね」と独り言を言い、その言葉にまた一人で笑っていた。

 羞恥心もさることながら、小ばかにした男の態度が気に食わなかった。

 引き金を引くように、男の尻目がけて蹴りが出る。意図したことではなかったが、怒りも相まって、綺麗に体重が乗っていたらしい。

 蹴りを受けた男は、うめき声をあげながら、勢いよく前方へ転んだ。今度は男が枯れ葉の絨毯の中にうずくまった。いい気味だ。仕返しに鼻で笑ってやった。

 聞こえていなかったのか無視しているのか、男はイテテ、と呟いて立ち上がると、おっかないねぇと独りちて、また歩きはじめた。

 しばらくすると、水の流れる音が聞こえてきた。さわが近いのだろう。道はないが、木々の間をいながらもほぼまっすぐ歩いてきた。

 転げ落ちた着地点から歩くこと20分ほどで木々を抜け、ひらけた場所に出る。予想していた通り、沢に出た。


「着いたぜ」


 男が立ち止まって言う。


「ここが仲間との集合場所だ」


 集合場所。そう言う割には、船も目印もない。これから信号弾でも撃って合図でもするのだろうか。はたまた、私の知らないような連絡手段を使って呼び寄せるのだろうか。

 そう思っていると、男は背中側に着けたウエストポーチから見たこともない物体を取り出して沢へと放り投げる。

 物体は放物線を描いて水の中へと吸い込まれ、ぽちゃん、と音を鳴らしたぎり、浮かんでこなかった。


「今のが合図だったりするの?」


 不思議に思って尋ねた。


「ああ。こういう水場で使える、俺たちなりの合図」

「浮かんでこないけど、伝わるの?」

「大丈夫だよ。仲間にだけは伝わる」

「ふぅん」


 そうこう言っていると、下流の方から何かが水をかき分けるような大きな音がした。そして、水が滴る音が続き、それは徐々に近づいてきた。

 男が空を見上げる。私もその視線を追いかけて見上げると、そこには、山のような大きな物体が浮かんでいた・・・―――――

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