Cp.03 月影

 嫌な汗がふき出す。口の中が乾く。何百往復と歩いた道程みちのりがとてつもなく長く感じる。一歩ふみ出すたびに息が上がっていく感じがする。

 必死だった。小石や地面が泥まみれの足を傷つけて、黒くなったその肌にあけにじむことすら気にならないくらい必死だった。死ぬには恰好かっこうのチャンスであるのに、それから逃れるように走った。

 我ながら情けないものだが、いざという時において、やはり人は死にたくないと願うものなんだと痛感した。

 降りてきた道をさかのぼって走り、落差の大きな場所にかけられた縄梯子をいくつかのぼり、入り口から一直線になっているところまで上がってきてようやく外からの光を認識できた。ここまでくれば、あとは天井が崩れ落ちないうちに入り口まで走り抜けるだけだ。いまは作業時間中で外は夜。運よく見張りをすり抜けて外に出ても目がかれることはない。

 既に息は上がりきって肩を激しく上下している。口の中は今すぐにでも水を飲みたいくらい乾ききっている。それでも、あと百数メートルといったところだ。多少の凹凸おうとつはあっても、走り抜けるだけなら問題ない距離だ。意を決するまでもなく駆けだした。

 しかし、私は重大なことを見落としていた。

 そもそも、先程の爆発は

 私を雇った貴族が生き埋めにしようとした?それなら、登ってきたところで光が見えることはない。それに、口減らしのために殺すにしても、見張りに銃も槍も持たせていた。それで殺してしまえば、わざわざ火薬を使って爆破する必要もない。

 ならば残る可能性は、採掘場目当ての商売敵か盗人ぬすっと蛮族の類だ。

 少し考えればわかることだ。そんな単純なことに、洞窟の出入り口をふさぐように立つ人影を見えるまで気付かなかった。

 いつも入り口の脇に立っている見張りとは背格好も持っている武器も違う。外から差し込む月の光が逆光になって顔は判然としない。ただ、手に持った拳銃は、普通よりも少し大きいサイズだということと、身体のシルエットから男であることは分かった。

 見張りがいないという事は倒されたか殺されたのだろう。男に注意を払いながら視線をずらすと、果たして、見張りらしき男がそれぞれ入り口の外側に転がっている。

 栄養の足りない体に鞭打って駆けあがってきたからだろう。荒くなった息はまだ冷静さを取り戻せず、全身を駆け巡る血の勢いに平衡感覚がついていかない。熱くなった体を冷まそうと流れる汗に、冷たいものが混じる。それでも、頭の中だけは妙にクリアだった。

 僅かながらも激しい運動に体が追い付かず、上体はふらつき、支えようとする足はこらえながらも震えている。それでも、視線はしっかりと男にえたまま、ゆっくりと両手をあげる。

 栄養不足の貧相な体。武器もない。おまけに武術の心得もない。そんな小娘が銃を持った賊に勝てるわけがない。どんなに醜く足掻こうと、やりすごして外へ逃れるには、命乞いしか方法がない。

 どんなに必死で働いても、どんなに必死で足掻いても、日の光の下に出れないこの目のせいで、月光症げっこうしょうという病気のせいで、自分で自分の運命も決められない。誰かに叱責され、売られ、奴隷の様に働かされて、最後は自分の命の行先も自分で運ぶことが出来ない。

 くそったれ。

 影だ。日陰者ひかげもの。誰かについて回るしか、誰かの命令に従うしか方策がない。こんな人生くそったれだ。

 口惜くやしさに歯噛みしながら、手を挙げて降参のポーズをとっていた私に、男が口を開く。

「モグラの女ってのはお前か?」

「あぁ?」

 脊髄反射でカチンときた。


 ―――”モグラ”


 見張りの連中と石を見分けんぶんする係の人間が言う、太陽の下に出られない私を指した蔑称だ。

 相手の機嫌一つで殺されるかもしれない状況下で、意図せず喧嘩を売る形になった。けれど、これだけは許せない。こっちは好き好んで洞窟暮らしをしている訳じゃない。撃ちたければ撃てばいい。挙げていた手をにわかに下ろす。

 顔は見えないが、それでも相手の目があるであろう位置に焦点を合わせてにらみつける。ふざけるなよ、くそ野郎。

「悪かったよ。そんなに怒らないでくれ」

 向こうはこちらの顔が見えているのか、直ぐに自分の非を認めた。横柄な物盗ものとりかと思えば、謝罪する姿勢を見せる。飄々ひょうひょうとした奴だ。

「ケンカを売りたいわけじゃないんだ。俗にいうスカウトってやつでさ」

「スカウト?」

「そう」

 変な話だ。明かりの少ない夜しか動けない月光症の女。しかも、ろくに風呂も食事も貰えないせいでボロ雑巾のような風体になっているはずだ。ずば抜けて頭が切れるわけでも、娼館しょうかん勤めが出来るような容貌ようぼうでもない。スカウトする理由が見当たらない。この男は私に一体なにを求めているのだろうか。

「たまたま物りに入った貴族の館で月光症の人間がいるって聞いちゃってさ。これは使えると思ったんだよね」

 なるほど。私を使っている貴族かその縁から私の存在を知ったわけだ。つまりは、貴族の奴隷を辞めて自分たちの奴隷になれと言いたいわけだ。

「断るわ」

「つれないね」

「だってそうでしょ?結局は私の雇い主が貴族から盗人に変わるだけ。私には何のメリットもないじゃない」

「あー…そう思っちゃってるのね」

「それ以外ありえないでしょ」

 そう、ありえない。月光症の人間、しかも非力で無能な小娘だ。使いどころのない人間に良い待遇を与えられるわけがない。

「俺はアンタに価値を見てる。俺たちに用意できて、なおかつアンタの求めるメリットなら、保証はするさ」

「信用できない。アンタがその貴族から話を聞いたか知らないけど、私の雇用主は労働条件を反故ほごにした。私が働かないと家族が飢える、今度は弟妹きょうだいが売られるだろうという脅しまで用意してね」

「うわぁ……。色々噂は聞いてたけど、アイツらそこまでしてたんだ……」

 独り言のように男が呟く。最低な雇い主だったから、私以外にも被害者がいたのだろう。それでも、私には関係ない。この男のスカウトに乗る理由はないし、信用できる材料もない。無論、材料があっても到底信じる事は出来ないのだが。

「まいったね。どうすればメリットがあると思ってもらえる?」

「諦めて。雇い主からどう聞いたのか知らないけど、他人を信用できるほど恵まれた生活はしていない」

「そういうことね。なら―――」

 そう言って男は手に持っていた銃を私に投げてよこした。

「引き鉄を引けばいつでも撃てる状態だよ。俺が信用できない、敵だと思うなズドン!とやればいい」

 くだらない雑談を話すような軽いトーンで言う。しかし……

「俺の命を張っていいくらい、俺たちはアンタに価値があると思ってる」

「見直した。ここまでするなんて」

 銃を拾いながら言う。扱い方が分からないので、銃身を振って残弾数を確認する。少なくともあと五発はありそうだ。

「言ったろ?スカウトだって」

 地面に向かって引き鉄を引く。バン、と大きな音を立てて銃が発砲する。いつでも撃てる状態だという男の言は本当だった。

「うはー、本当に信用されてないねぇ」

「当たり前」

 一度撃った状態でもう一度撃てるかは分からない。扱い方を知らない私の事を計算づくで渡したのかもしれない。何か動作をして再装填そうてんする必要があるなら、銃は打ち止めになる。その上で男が予備の武器を持っていればみだ。それでも、私は手元のわらにすがるしかなかった。

 銃を両手で持ち、銃口は男の方へ向ける。

「ま、信用されてなくてもいいや。撃たれたら死ぬのは俺だし」

「撃てなくなってる可能性もあるけどね」

「そんなことはないよ。ちゃんと使える」

「どうだか」

「弾を込めれば連続で使える型式のだからね」

「嘘かもしれない」

「俺たちは…いや、この場合は単体の方がいいな。、アンタと対等な立場で取引がしたい」

「対等……?」

「あぁ」

 男は目元に手をやり、何かをつかんで首まで下げる。そこではじめて、男がゴーグルを着けていたことを知った。

「アンタが欲しい。月光症だからこそ活きる人材として、アンタのことがな」

 月の光が逆光になって、依然として男の顔は判然としない。

 それなのに、なぜだか男が不敵に笑ったような気がした。

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