空翔ける鷹に想いをのせて⑥ 足音の数

◇◇


「ふぅー! やっと駿府に着いたわね! せっかくきたんだから茶屋で餅を食べなきゃ損よね! 青柳は知ってるかしら? その昔ここ駿府で一人の男が家康公にお餅を献上したのだけれど、ただ献上したんじゃつまらないって、お餅を金色にしたんですって! といっても金粉ではなく、きな粉を振りかけたんだけどね。でもその心意気に家康公はたいそう感心されてね。その逸話からきな粉をかけたお餅がここらでは流行ってるっていうじゃない。なんでも『安倍川餅あべかわもち』っていうらしいわよ! 食べてみたいと思わない!?」


「ちょっと、蘭! 私たちの目的は千姫様に奉公することでしょ!」


「固いこと言わないの! そうそう! あと駿府と言えば『一に富士、二に二丁目』って言われてるのよ。目の前に富士は見えてる。ならば二丁目に行ってみないと後悔するに決まってるわ!」


「二丁目ってなに?」


「ふふ。教えてあげるから耳を貸しなさい。そう、それでいいわ。二丁目っていうのはね……。ごにょごにょ……」


「へっ!! な、な、なんですって!?」


「あはは! 顔を真赤にしちゃってぇ! 青柳だってもう純情な乙女じゃないんだから、そんなに驚かないことね。さあ、行くわよ!」


「ちょっと、蘭! そんな場所に行ってなにするつもりなのよ!?」


「あはは! 何事も見てみないと分からないでしょ! 勉強よ、勉強!」



………

……


 駿府城を出た俺、豊臣秀頼と竹千代、松平三十郎、木村重成の四人はさっそく『伏見屋』に向かうことにした。

 しかし肝心の場所が分からない。

 そこで俺が代表して新通り沿いの八百屋の店主に『伏見屋』について聞いてみた。

 

「おい、そこの主人。ちょいとたずねたいんだが……」


「なんだい? ずいぶんと若いお侍さんたちだねぇ。城からおつかいでも頼まれたのかい? なんでも今日は江戸から竹千代様がお越しになられてるそうじゃねえか。乳母の於福って女が『お伊勢参り』と嘘をついて江戸から抜けてきたって噂だ。見てろ、あの女はそのうち大物になるぜぇ。それに大坂からは豊臣秀頼公までお越しになられてるとか。ついさっきの御成りはえらい騒ぎになってねぇ。ありゃあ、男でも惚れるってもんだ。そういえば旦那は秀頼公に瓜二つじゃねえか」


「しゅ、主人! 聞きたいのは『伏見屋』の場所なのだ!」


「なんだい? そんなことなら先に言ってくれやい。しっかし若けえうちから『伏見屋』だなんて、ずいぶんと旦那も好きだねぇ。いや、若いうちだから元気が溢れてるってことかね。まあ、なんだっていいや。『伏見屋』はここ新通りから脇に一本それたところをちょいと西に行った先の『二丁目』にあるのさ」


「二丁目?」


「ははは! 駿府と言えば、一に富士、二に二丁目ってもんよ。二丁目の手前にはでっかい門、『大門』があるから行けば分かるだろうよ。さあ、行った、行ったぁ。これ以上は商売の邪魔になるからな。それとも何か買ってくれるのかい? やめときな。伏見屋には余計なものを持っていくといい顔されねえからな。なにせあそこの主人は頑固でならねえからよ」


「そ、そうか。ありがとう!」


 やたらよく口の回る主人だったな。

 しかしおかげで伏見屋の場所も知れたし、ここらでは有名な店であることもわかった。

 若いうちから伏見屋に行くのは好きだね、という言葉が若干引っかかるが……。

 行けばその意味もわかるだろう。

 だから俺たち三人は軽い足取りで言われた方へと進んでいったのである。

 

………

……


 駿府城を出てからしばらくすると大きな門が見えてきた。

 

「着いたぁ!」

「こ、こ、こ、ここ、なの、か?」

「ええ、竹千代様! ここが二丁目の大門でございます!」


 さながら下界と天界を分けるような大きな門に、俺たちは目を輝かせた。

 

「よし! 行こう!」


 俺の号令とともに皆で門をくぐる。

 ……しかし、二丁目に足を踏み入れたとたんに思わず顔をしかめてしまった。

 

「く、く、くさ、い!」

「このにおいは……。お香ですか」

 

 甘ったるいにおいが鼻の奥を刺激して顔を歪ませる。

 確かにこれはお香だ。しかし屋敷の外にまで香りが充満してるなんて、どういうことだ?

 見ればこの時代にはまだ珍しい行灯が道に並べられている。

 つまり真夜中でも客を呼び込む店が軒をつられているということか……。

 

 夜の店……。


 まさか……。

 

「あらぁ。ずいぶんと可愛らしいお客さんだこと。うふふ」


 背中からかけられた粘り気のある声に、ゾクリと悪寒が走った。

 恐る恐る振り返ってみると、着物をはだけた若い女がにやにやしながらこちらを見ているではないか。

 その姿を見て確信した。

 

 ここは『色町』だ。

 つまり二丁目とは遊郭が並ぶ場所だったのである。

 

「あ、う、あ……」


 まずい! 竹千代がパニックのあまりに失神しかけている。

 おのれぇ! 於福めぇ!

 いったい何を考えて俺たちをこんなところへ寄越したんだ!?

 

「うふふ。もうお店は決まってるのかしら? まだならうちへいらっしゃいな」


 女がゆらりゆらりと体を揺らしながら近づいてくる。

 すると俺たちの前に仁王立ちした重成がはっきりとした口調で答えた。

 

「心配にはおよびませぬので、どうぞお引き取り願おう」


「あらぁ。綺麗な顔をしたお侍さんだこと。うふふ。あなたなら銭を払ってでも相手したいわぁ」


 重成は声を張り上げた。


「それがしには妻がいる! 妻のことを愛しているゆえ、お主の相手はご勘弁願いたい!」


「まあ!」


 女が驚いて目を見開くのも無理はない。

 まさかこんなところで『のろけ話』を聞かされるなんて誰が想像できるだろうか……。

 聞いてるこっちまで恥ずかしくなってきた。

 

 ……と、その時だった。

 

――ガタッ!


 近くの物陰から音が聞こえてきたのだ。

 まさか辻斬りか!?

 三十郎と重成の二人が腰の刀に手をかけた。

 

「何やつだ! 出てこい!!」


 いっぺんに緊張が走る。

 重成たちはじりじりと物陰の方へ近寄っていった。

 すると……。

 

「私です! 怪しい者ではありません!!」


 甲高い声とともに現れたのは蘭だった。

 重成が目を丸くして問いかける。

 

「な……。お主。なぜここに!?」


 しかしその問いに蘭が答える前に、物陰から出てきたもう一人の人物に彼の目はくぎ付けになってしまったのだった……。

 

「し、重成様……」


 それは青柳だった。

 顔を真っ赤にしてもじもじしながら出てくると、彼女は重成に抱きついた。

 

「うへへ。青柳は幸せ者でございます」


「ば、馬鹿者! かようなところでのろけるでない!」


 お前が言うな、とはまさにこのことだ。

 ただ遊郭の前で妻とばったり顔を合わせてしまった以上、彼をこの先に連れて行くのは気が引けるな。

 用心棒がいなくなるのは心もとないがやむをえまい。

 俺は重成の肩にポンと手を置いた。

 

「お主はここまででよい。城に戻れ」


「し、しかし秀頼様……」


「いいから、いいから。愛ってよいものだのう」


 それにあと一つ。

 片づけておかねばならぬことがある。

 言うまでもなく蘭への対処だ。

 もし俺が遊郭街にいたということが千姫に知られれば、鉄拳を食らうだけでなく大御所に言いつけられる可能性がある。

 そうなれば駿府の城内は地獄絵図と化すだろう。

 絶対にそれだけは避けねばならぬ。


「蘭よ」


「はい!」


「分かっておるな?」


 まさか竹千代や三十郎がいる前で「妻にバレたらぶっ飛ばされるから、黙っておいてくれ」なんて言えるはずもない。

 だから何度かまばたきして合図を送った。

 すると彼女ははっとした顔になって表情を引き締めたのだ。

 

「はい! 当然分かっております!」


 さすがは鬼の大蔵卿のもとで十年以上も働いているだけのことはある。

 

「うむ。では頼んだぞ」


 俺が大きくうなずくと、彼女もうなずき返した。

 よし、これで後顧の憂いはない。

 では饗応が始まる夕方まで、じっくりと楽しむとするか!

 

「いざ、伏見屋へ!!」

 

 ちなみに遊郭のはじまりは俺の父、豊臣秀吉の頃からと言われている。

 京や大坂の遊郭は秀吉の許可のもとに作られたらしい。

 さすがは自慢のエロ親父だ。

 そして幕府が公認した初めての遊郭はここ駿府に作られたと何かで読んだのを思い出した。

 それがここ二丁目というわけか。

 

 はじめは気分が悪くなりそうだったお香のにおいも、慣れてしまえばムラムラするのを助けている。

 

――すまん。お千。麻里子。あざみ。


 心の中の言葉とは裏腹に鼻の穴が自然とふくらんでいく。

 だが数歩足を進めたところで異変に気付いたのだ……。

 

 なぜ足音が『三つ』あるのだ?

 

 重成が立ち去った今、俺の耳に入る足音は自分の分を除けば『二つ』なはずだ。

 しかし明らかに三つある。

 それを確かめるべく、ちらりと背後を振り返る。

 すると視線の先に立っていたのは蘭だった――。

 

「……いったいお主は何をしているのだ?」

 

 彼女はあっけからんと答えた。

 

「だって先ほど『頼んだぞ』っておっしゃってたじゃないですか? あれは『重成の代わりを頼んだぞ』ってことですよね」

 

「はあ? なぜだ!? なぜお主が重成の代わりをする必要があるのだ!?」


「だって面白そう……じゃなかった。なぜなら重成様がお城へ行ってしまった今、秀頼様のお供が誰もいなくなってしまったではありませんか!」


 今「面白そう」って言ったよな?

 いや許さんぞ。

 もし彼女がいたならば『お楽しみ』が楽しめないじゃないか!

 それだけは絶対にダメだ!


「ああ、それはもうよい。松平三十郎殿もいることだしな。心配はいらぬ。だからお主も城へ向かうがよい。あの目配せは城のことは頼んだぞ、という意味だ!」


「いえ、そういうわけにはいきません。秀頼様をおひとりになってしまうのを見過ごしたら、それこそおとがめを受けるでしょう。それともいいんですか? 城に戻った後、皆の前で『秀頼様が二丁目の伏見屋にお供もなくおられます。誰かすぐに向かってください』と大きな声でおしらせしても」


「ぐぬっ……! そ、そ、それは……」


「ふふ。千姫様は目を丸くしておたずねになるでしょうね。『なあ、蘭。にちょうめってなんじゃ? ふしみやって何をするところじゃ?』と。嘘をつけぬ私はこう答えるしかございません。『二丁目とは遊郭街で、伏見屋は若いおなごたちとアレコレしながら楽しむ場所なのです』と」


「おのれぇぇぇ……」


「ほほほほ! さあ、観念なさってください! もう私を連れていくより他ありません! ほほほほ!」


 悪魔め……。

 俺はガクリと肩を落とすと、無言のままうなずいた。

 

「やったあ! じゃあ、早く行きましょう! 善は急げ、でございます!」


 そう言いながら早足で前を進み始めている蘭。

 俺は小さく首を横に振った後、彼女の背中を追いかけ始めた。

 かくなる上は気持ちを切り替えるしかあるまい。

 俺のすぐ横に三十郎が並んでくる。その横顔は『何かを期待』して赤く染まっていた。

 

 どうやら彼も楽しむつもりらしいな。

 なぜかほっと胸をなでおろしたのは、女装した時の彼の姿を思い起こしていたからだ。

 自然と明るい声が口をついて出てきた。


「ぱあっと楽しもう!」


 『伏見屋』と書かれた行灯がすぐ目の前に迫ってくる。

 

 だが……。

 再び俺は異変に気付いたのである。

 

「足音が聞こえてこない……?」


 俺は三十郎と顔を合わせた後、振り返った。

 すると竹千代が地蔵のように固まったまま立ち尽くしているではないか。

 

「おな、ご、と、あれこれ……。あれこれ……。あれこれ……」


 顔を真っ赤にしながらぶつぶつとつぶやいている。

 それに目の焦点が合っていない。

 どうやら蘭の言葉の刺激が強すぎたようだ。

 俺と三十郎は彼の方へつま先を向けた。

 

「竹千代様。せっかくここまできたのですから、後学のために伏見屋に行ってみましょう」

「三十郎殿の言う通りだ。ここまできたら、ぱあっと楽しもうではないか!」


 ……が、首をぶんぶんと横に振った彼は甲高い声で叫んだ。

 

「いやだっ!!」


 そして伏見屋とは反対の方へ駆け出したのだった――。

 


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