花咲くめおと道③ 甘やかされる妻に覚える不安


「おや? 秀頼殿とお千じゃねえか!? ははは! こんなところで、何をしとるのかね!?」


 人懐っこい笑顔で話しかけてきたのは高台院の方だ。

 彼女は俺の父、豊臣秀吉の正室だった人で、今は京で暮らしている。

 俺の母、淀殿とは親子ほどに歳が離れているので、俺や千姫にとっては『おばあちゃん』のような存在なのだ。

 今日はもう一人の女性、見性院にあざみの薬草を紹介するためにやってきたらしい。

 

「おかかさまぁ!」


 嬉々として声をあげた千姫が、高台院に抱きついた。

 たまにしか顔を合わせることができないから、こうして甘えるのも仕方ないことなのかもしれない。

 だが千姫ももう十八だ。

 いつまでも子どものようでは困る。

 

 俺はちらりと高台院を見た。

 

 当代一のしつけに厳しい『天下のかあちゃん』として知られた高台院。

 かの加藤清正でさえも「尻を叩かれる!」と恐れていたくらいだ。

 甘えん坊の千姫に対して、ビシッと言ってくれるに違いない、そう思い込んでいた。

 しかし……。

 

「お千は相変わらず可愛いのう! よしよし」

「ふへへ」


 彼女はまるで愛犬をあやすように瞳を輝かせながら、千姫の頭をポンポンと軽く叩いているではないか……。

 千姫は嬉しそうに、高台院の胸の中で顔をぐりぐりとうずめている。

 俺はがっくりと肩を落とした。

 

「だめだこりゃ……」


 俺がその様子に眉をひそめていると、高台院の横にたたずんでいた見性院がペコリと頭を下げてきた。

 

「お久しぶりでございます。秀頼様」


 凛とした声に背筋がぴんと伸びる。

 

「お久しぶりでございます。千代殿」

「まあ、まだ昔の名で呼んでいただけるなんて、嬉しいわ」


 見性院はまるで少女のような笑みを浮かべた。

 しかしすぐに元の三日月のような澄んだ表情に戻すと、涼やかな声をあげたのだった。

 

「お元気そうで何よりでございます」


 短いやり取りだけでも、高い知性を感じさせる口調と言葉遣い。さすがは数々の逸話から『良妻の鑑』として天下にその名を知られた人だけある。


 彼女は初代土佐藩主である『山内一豊』の妻。

一豊の死後は『千代』から『見性院』と名を変えている。


「千代殿も御変わりなく、以前にお会いしたときのままです」

「まあ、お上手なこと。秀頼様と前にお会いしたのはもう十年も前のことなのですよ」


 そう謙遜する見性院だが、お世辞でもなんでもない。

 確かに顔のしわはいくつか増え、髪は白く染まっているが、瞳の輝きは若々しく、何よりも背筋が竹のように伸びていて姿勢がまったく崩れていない。

 きっと俺でなくとも、彼女の六十近い歳を当てることはできないだろう。


 そんなことを考えながら、しげしげと彼女を見ていると、彼女は感慨深げに言った。


「しばらく見ないうちに京もだいぶ変わってしまいました」


 彼女は俺の知る史実では京で静かに余生を過ごしているはずだ。

 だが、どうやらこの世界では違っているようだ。

 

「え? 京に上るのは久方ぶりなのですか?」

「ええ、最後に上ったのは、秀頼様とお会いした時ですよ」

「なんと……。それまでは土佐で?」

「ええ。しばらく殿の手伝いをしておりましたの」

「なるほど……」


 かつて土佐国は『長宗我部ちょうそかべ家』によって治められていた。その長宗我部の強大な軍事力を支えていたのは『一領具足いちりょうぐそく』と呼ばれる半農半兵の男たちだ。

 だが泰平の世を目指す幕府にとって彼らの存在はあまりに危険すぎる。

 そこで幕府は、山内一豊が土佐の領主となってからこう命じた。


『一領具足たちの武装を解き、農民へ戻すように』


 言うまでもなく、反発はすさまじく、史実においてはいくつも一揆が起き、そのたびに多くの血が流れたという。


 そしてようやく落ち着きを見せた一六〇五年に山内一豊は六十一年の生涯を閉じる。その後すぐに、彼の妻、千代は見性院と名を変えて、京に移り住んだとされているのだ。


 そんな土佐の悲劇を事前に知っていた俺は、大きな反乱が起こる前に手をうった。

 すなわち一領具足たちの一部を京に呼び寄せて、京に建てた『学府』と呼ばれる巨大な学校の警備員として働かせたのである。

 つまり武人としての威厳を保ったうえで、土佐から引き離したというわけだ。


 こうして土佐の反乱は小さいものですんだ。

 大きな心労がなくなったせいか、山内一豊の天寿は史実に比べて八年も延びたらしい。

 

 めでたし、めでたし……。

 

 ……とはいかなかったのは、一豊の死後すぐに勃発した大坂の陣で、絶たれるはずだった長宗我部家の当主、盛親もりちかの命が救われたからだ。

 彼女いわく、盛親の存命を知った土佐の一領具足たちが彼を呼び戻そうと画策しはじめたそうだ。そこで彼女は反乱の芽を摘むべく奔走したという。

 そのため、彼女は京に移り住むきっかけを失ってしまったのだろう。

 

 極端なことを言えば、俺が生き延びたせいで、彼女の悠々自適な老後の生活は奪われてしまったことになる。

 俺はいたたまれなくなって、ぺこっと頭を下げた。

 

「なんだか申し訳ない」

「あら? なぜ秀頼様が頭を下げられるのですか?」

「いや、理由は特にないのだが、とにかく謝りたかったのだ」


 苦笑いでごまかしていると、俺の隣に立ったあざみが見性院に小さな包みを差し出した。

 

「こちらが頼まれていた滋養強壮のお薬になります」


「まあ、ありがとう。あなたがあざみ殿ね。高台院様からかねがねお話はうかがっております。大坂には美しい名医がおると。こうして実際にお会いすると、本当におきれいな方ね。恩に着ます」

「いえ、そんな、見性院様にそうおっしゃっていただけるなんて、畏れ多くてかないません」


 何事にも動じないあざみが恥ずかしがって俺の背中に隠れている。

 その様子だけでも、見性院の名声がいかに高いか、うかがい知れよう。

 見性院と言えば、土地も持たぬ浪人だった山内一豊を献身的に支えた。

 そうして夫婦は二人三脚で土佐一国の大名にまで成り上がったのだ。

 まさに『戦国一のお手本となる夫婦』と言っても過言ではない。

 

 では一方の俺と千姫の夫婦はどうだろうか……。

 俺は高台院にじゃれている千姫に目を移した。

 

「おかかさまぁ。千はおかかさまが作った『ぼたもち』を食べとうございます!」

「うむうむ、まかせておけぇ。ほっぺが落ちるくれえ旨いぼたもちをこしらえてやるからのう」

「わぁい! おかかさま、大好きじゃ!」


 俺は思わず「はぁ……」と大きなため息をついた。

 天真爛漫で、いつも太陽のような笑顔の千姫。

 その笑顔を見ればつい甘やかしてしまうのは、高台院や淀殿だけでなく俺も同じことだ。

 もちろん、他人の夫婦と自分たちを比べても意味がないのは分かっている。

 だが、はたして俺と千姫の夫婦はこのままでいいのか……。

 それに世継ぎの件もある。

 先行きの見えぬ『夫婦の道』に、不安の雲がもくもくとわきあがってきた。

 

 ……と、その時だった。

 ふいに高台院から声をかけられた。

 

「どうした? 秀頼殿。ずいぶんと暗い顔をしておるのう」


 俺ははっとして顔を上げた。

 見れば千姫と高台院の二人が怪訝そうな顔つきで俺を見ている。

 

「な、なんでもございません!」


 俺が顔を赤くして手を振ると、千姫が口を尖らせた。


「どうせ秀頼さまは、『夕げのおかずが大根の煮つけだったら嫌だのう』とか考えていたのじゃ! まったくいつまでたっても、子どもなのだから……。千は困っておるのじゃ!」

「ちょっと、待て! なにを言うか!」

「ははは! よいよい! ならば秀頼殿にはこの高台院が絶品の煮つけを作ってしんぜよう!」


 これ以上かみつこうものなら、藪から蛇が出てきて再び鉄拳を食らいかねない。

 それに俺はやらねばならぬ仕事が山のようにあるのだ。

 早々に退出して政務に戻らねば……。

 

「ありがとうございます。では、われはそろそろ……」


 頭を下げながら、その場を立ち去ろうとした。

 だが、俺の顔をじろりと覗き込んだ高台院は、鞭をうつような鋭い声をあげたのだった。

 

「その代わりと言ってはなんじゃが、一つ頼みごとを聞いてもらえんかのう?」

「頼みごと?」


 ぴたりと足を止めた俺は、高台院と目を合わせる。

 とても澄んだ綺麗な瞳だ。しかし「なんでもお見通しだぞ」と言わんばかりの圧迫感もある。

 自然と肩に力が入っていった。

 

 どんな無茶を言われるのだろう……?

 まさか「そろそろ孫の顔が見たいのう」なんて言いださないだろうな……。

 

 俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 すると彼女は穏やかに微笑んで続けた。

 それは想像もつかないほどに意外な申し出だったのだ。

 

「ここにいる見性院殿のお住まいを探して欲しいのじゃ」


 張り詰めていた緊張が解けて、きょとんとしてしまったのも無理はない。

 彼女の言葉に反応したのは見性院だった。

 

「まあ、高台院様。わらわのことはよいのですよ」

「よくはなかろう。せっかく京で過ごせるようになったのに、住まいがないのでは困るじゃろう」

「ええ、まあ、そうですが……」


 言い淀む見性院。

 おそらく本当に困っているのだろう。

 

 しかし、この時点で俺には一つの『答え』が頭に浮かんでいた。

 なぜなら「本来の史実において見性院の身に起こったこと」を知っているからだ。

 

 見性院から高台院へ視線を移す。

 高台院は意味ありげに笑みを浮かべながら、俺をじっとみつめていた。

 その視線に、俺はピンときた。

 

 高台院は分かっているんだ。

 俺が『答え』を持っている、ということを……。

 

 高台院は俺が「未来からきた人」であることを知っているから、そう考えても不思議はない。

 だがそうだとしても、彼女の狙いは何なのだろうか。

 

 しかしそれを考えたところで、別の『答え』を口にするつもりもない。

 ひとまず俺は彼女の思惑通りに答えてみることにした。

 

「妙心寺の近くで住まいを探す、というのはいかがでしょう?」


 その言葉に高台院は目を細めて、小さくうなずいた。

 この反応……。

 もしかしたら高台院も同じことを薦めたかったのではないか。

 では、なぜ俺に言わせたのだろう……。

 

 ますます混乱していく中、見性院の小さくつぶやく声が耳に入ってきた。

 

「妙心寺だけは、なりませぬ……」

 

 今までの彼女からは予想もつかないくらいに、冷たくて暗い声だ。

 俺だけでなく、千姫とあざみの二人も驚きに目を丸くした。

 すると俺たちの視線に気付いた見性院は、慌てた様子で手を振った。

 

「も、申し訳ございません。特に理由はないのです。もう大丈夫です。京を離れ、江戸にある土佐藩邸で過ごしますゆえ」


 早口でそう告げた後、彼女は足早に部屋を立ち去ろうする。

 だがそんな彼女の背中に、高台院の鋭い言葉が突き刺さった。

 

「妙心寺のご住職は、湘南宗化しょうなんそうけ殿とうかがっておる。聞けば見性院殿とも縁のある御方だそうではないか」


 やはり高台院は知っていたのだ。

 妙心寺には見性院の『子ども』である湘南宗化という僧がいることを。

 しかし見性院の顔は、苦悶にゆがんでいる。

 

「高台院様はいじわるなお人です。分かっているのでしょう? わらわが湘南殿と顔を合わせる資格なんて持ち合わせていないことを」

「はて? どういう意味かのう?」


 口調こそとぼけているが、その目はまるで獲物をとらえた鷹のように光っている。

 もはや高台院からは逃げ切れぬと観念したのだろうか。

 大きく息を吸い込んだ見性院は、低い声で言った。

 

 

「一豊殿とわらわは『道』を外してしまったのです。決して外してはならぬ『夫婦めおとの道』を……」



 そうして彼女は、ゆっくりと語り始めた。

 山内一豊と彼女の夫婦が踏み外してしまった『道』について――。

 

 


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