2.元カノでクリエイティブディレクターの朝倉さん

第6話 さあ、抱け。いますぐ、はやく

 目覚まし時計の音もなく、俺は目覚めた。

 スーツ姿でベッドに倒れ込んだままだった。

 つけたままの腕時計を見る。

 午前七時ジャスト。

 社畜はどれだけ睡眠時間が短くても、体内時計で起きることができる。

 そして、二度寝したりしない。

 俺は無言で身を起こし、まだはっきりしない意識で昨夜のことを思い出した。

「……異世界から、エルフがくるとはな」

 自分で言っておいてなんだが、アホみたいなセリフだ。

 俺の人生で、まさかこんなよくわからないイベントが起きるとは思いもよらなかったが、いまでも夢であってくれと切に思ってはいる。

 マジで。

 スーツの上着を脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。

 俺は恐る恐る、寝室のドアを開けた。

 ソファにJKエルフが寝ている縁起でもない光景を覚悟していたが、リビングには誰もいなかった。

 まるで昨夜のことが幻であったかのように、静まり返っている。

「へっ……」

 俺は思わず、気の抜けた声をもらした。

 やっぱり、あれは夢だったのか。

 マジでビビったわ。

 無意識に大きなため息が出た。

 だが、リビングから玄関へと続くドアが無造作に開き、

「ソーゴ、起きたのか。おはよう」

 自称エルフでJKで社長の――いや、もう面倒だから、ラクスでいい。

 ラクスが顔を見せ、はにかんだ。

「ですよねー」

 俺は誰に言うともなしにうめいた。

 わかってた。

 あれが夢じゃないことくらい、わかってた。

 それでも万が一を期待してみただけだ。

 寝て起きたら、手をつけてなかった企画書が完成しているんじゃないかな、みたいな。そんな社会人なら誰でも一度は考えたことがある程度の期待だよ。

「悪いがシャワーを勝手に使わせてもらったぞ」

 そう言ってリビングに入ってきたラクスの金色の髪はまだ湿っており、制服姿からサイズが合ってないTシャツに着替えていた。

「それ、俺のやつだろ……」

「うむ。少し拝借した。君に会ってから、こちら側の世界で調達しようと思っていたのだが。昨日はあんな時間だったので、まだなのだ」

 ラクスはさも当然といった態度で、デフォルメされたネコのイラストが描かれているTシャツを着ている。

 別にいいだろうが。

 ネコが好きなんだから。

 ネコの可愛さは正義だ。

 それはいいとして、俺は言った。

「頼むからそういう格好はやめてくれないか」

 ラクスは下着の上にTシャツ一枚という状態だった。

 Tシャツの裾は腰骨の当たりまでしかないので、彼女が身につけている白いパンツが丸見えで、すらりとした脚は露出し放題になっている。

 同棲期間が長いカノジョかよ、お前は。

 こんな程度で取り乱すような童貞でもないが、俺だって男だ。

 できれば節度ある格好を希望する。

「わ、私は別に気にしないぞ。君が見たければ、いくらでも見ればいい」

 ラクスはわずかに頬を赤くして、尖った耳をひこひこ動かしている。

 気にしてるじゃねえかよ。

 なんなら、ちょっと無理してる感もある。

「恥ずかしいならするなよ」

「うるさいな……こういうの好きかと思ったのだ」

 俺の指摘にますます顔を赤くして、彼女はTシャツの裾を引っ張ってもじもじした。

 いや、そんなんじゃパンツは隠れないし、むしろそのしぐさのほうがエロい。

 とは思ったが、俺は社会人としてまっとうな意見を口にした。

「いいから、普通の格好をしろ」

「わかった。そしたら、君はシャワーでも浴びてくるといい。その間に、私が朝食をつくっておこう」

「ああ――」

 答えかけて、はっとする。

「って、なに普通に居つこうとしてるんだよ、お前は……」

「む。言ったはずだ。君が結婚を了承してくれるまでは帰らないぞ」

「了承するわけないだろう……着替えたらさっさと出ていってくれ」

「いやだ」

「即答かよ」

 この話は昨夜も繰り返したので平行線だろう。

 まいったな。

 ラクスを置いて出社するわけにもいかない。

「私をここに置いておく理由がないとでも言うつもりか」

「まあ、それはそのとおりなんだけどな、実際」

「な、なら、こういうのはどうだ」

 彼女はわざとらしくせき払いすると、ちらりと俺を見やった。

「既成事実をつくろう」

 なにを言ってるんだ、こいつは。

 ラクスは自分から言い出したにもかかわらず、Tシャツの裾をぐいぐいと引っ張りながら顔を赤くしていた。

「私たちエルフは、一生に一人の相手としか、その……しないんだぞ。だからつまり、そういうことをすると、そういうことなのだ。本来は結婚してからでないとダメなのだが、ここは〈黒鋼世界〉ではないし……」

 指示代名詞多すぎだろ。

 いや、なにを言いたいかは大体わかったが。

 俺はどうしたものかと嘆息。

「つまり、俺とセックスしようって?」

「…………!」

 直接的な言葉に、ラクスは俺から目をそらした。

 尖った耳が激しく動いている。

 感情が高ぶると激しく動くんだろうか。

 この反応といい、さっきの言葉といい、間違いなく経験ないんだろうなあ。

「お前、もうちょっと自分を大切にしたほうがいいぞ」

「言ったはずだ。覚悟はできている……!」

 ラクスは「くっ……殺せ」みたいな表情でそう言うと、いきなりTシャツを脱ぎ捨てた。

 腰回りの見事なくびれが露になり、続いてかたちのいい胸が揺れる。

 こいつノーブラだったのか。

「さあ、抱け。いますぐ、はやく」

 開き直ったかのように、ラクスは言った。

 両腕で自分の身体を抱きしめるようにして、胸を隠している。

「そんな色気のない言葉があるか」

「……む」

 俺の反応に不満だったのか、彼女は言葉を続けた。

「いいか、ソーゴ。も、モーニングエッチをすると、脳が活性化して午前中の仕事もはかどるらしいぞ」

「……なんだそりゃ」

「君の世界のインターネットというもので見た」

 このエルフは、いったいなにを閲覧してるんだか。

 俺は呆れた声をもらし、ちっともそんなことをする雰囲気ではないラクスを見やった。

 確かにものすごくスタイルはいいし、顔だって文句なしに可愛いんだろう。

 だけどまあ、さすがにこんなシチュエーションでどうこうする気になるわけがない。

 俺の下半身はいたって平常だ。

 うん、さすが良識ある大人。

 それにだ。

 彼女自身も、口ではああ言っているものの、本気で覚悟しているのかは怪しいもんだ。

「そうだなあ。そこまで言うなら、してやってもいいけどな」

 だが、俺はあえてそう言ってみた。

 無造作に距離を詰めると、ラクスはか細い声をもらした。

「え、あ、ちょっと……まって」

 戸惑いと怯えが混じったような表情を見せる彼女を無視する。

 俺はお互いの吐息が感じられるくらいまで近づくと、ラクスを抱き寄せた。

 風呂上りのせいで、石鹸の匂いがした。

 恐ろしくきめ細かい肌に息をのむ。

「あっ……ソーゴ……やっぱり」

「ホントに知らないからな」

 耳元で囁くと、ラクスはくすぐったそうに尖った耳を動かした。

「あん……」

 そんな甘い声がもれる。

 ここにきてエロい声を出すなよ。

 ラクスがどんな顔をしているのかは見ないで、俺はあえて脅すように言った。

「お前が誘ったんだからな。無茶苦茶されても文句言うなよ?」

「う……やっぱり、まだ、ダメ……!」

 ラクスは俺を突き飛ばした。

 二人の距離が開く。

 俺の狙いどおりに。

「そうだよな。はい、これで既成事実とかつくるのはなし。さっさと着替えて出ていけ」

「むー……っ!」

 こちらの思惑に気づいたらしいラクスが露骨に不機嫌な顔になった。

 だが、そんなことは知ったこっちゃない。

「私の覚悟を弄んで。君はひどいやつだ……!」

「ホントの覚悟はできてなかっただろ? それに、もう一回言うけどな、もう少し自分を大切にしたほうがいい」

 俺はラクスとすれ違い、シャワーを浴びるためにバスルームに向かった。

 さっさと準備しないと、出社時間に間に合わなくなっちまう。

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