003すれ違う思惑

 真実であれ、虚実であれ。

 彼にどれだけ誠実に説明しても納得などいくはずがないだろう。


 それほどの無体を彼に強いたのは理解しているが、宰相わたしに城内に居る兵士たちを集めた『実戦式の戦闘訓練』を望む理由を深く考えなかったことを悔いている。

 元々断ることもできないが、その程度で気を良くしてくれるなら、と一も二にもなく承諾した自分を罵倒したい気分だ。

 いくら音に聞こえる勇者が相手してくれるとはいえ、まさかこれほどまで集まるとは、と平静を装う顔に冷や汗が流れる。


 集まったのは魔法兵を含む王城を守護する三百名もの精鋭たち。

 武に携わる者なら誰もが望む誉れだと気付いたのは、広い練兵場が狭く感じさせるほどの盛況ぶりを見てからだ。

 非番の者ですら顔を出し、期待の圧が中央に立つ勇者ルシル=フィーレに向けられていた。


 実はこれは非常に危険な賭けなのではないだろうか。

 そう、勇者ルシルが集った兵士の前で先ほどの密約を暴露したりはしないだろうか……。

 最悪玉砕覚悟で口をふさがねばならないと、私の心配はそこにばかり集中していた。


「よくぞ集まってくれた。国防を担う英雄たちよ。俺はルシル=フィーレ。恥ずかしながら勇者と呼ばれている」


 ――おぉぉぉ!!


 私の顔見知りも混じる中、男女問わず歓声を上げる。

 武に生を捧げる者たちにとって、その頂点である勇者の人気の高さを改めて知らされる。

 これがあるから……またも頭をよぎる最悪の可能性に、勇者の視線が私を掠めた。


 なるほど勇者の目的はこれか。

 もちろん、王を害することはできないし、宰相わたしやロイヤルガードに手を挙げるのも、勇者の矜持が許さないということはあるのだろう。

 それにいくら宰相わたしが『咎めはしない』と説明しても、ことを終えてから『死人に口なし』と詰め寄られる可能性も拭えない。


 であれば、このように精神的な嫌がらせに走っても……いや、まさかこの人気を盛り立てて、オーランドの求心力を奪おうという算段か?

 というよりこの訓練を経た後で勇者が急死でもすれば、関係の有無に関わらず『国の謀略』が疑われてしまわないか……?

 つまり勇者は訓練のような疑惑を挟まぬ行為で自身の身の安全を確保する布石を置いているっ――!?


「ここに集まってもらったのは他でもない。告知通り、俺との戦闘訓練を催そうと考えている。

 腕に覚えのある者たちばかりだろうが、それでも勇者おれ誰にも負けない・・・・・・・。殺す気で全員まとめて掛かって来い!」


 加熱する思考に勇者の言葉が流れ込む。

 視線を上げて彼を見れば、不適な笑みを浮かべている。

 アレは本気の顔ではないか?


 ここに集ったのはオーランドでも精鋭の三百名だ。

 それを相手に、たった一人で対峙するなどと大言を口にしているのに、まったく嘘には聞こえない。

 いかな勇者の武勇をしても、できることとできないことは……と思索をめぐらせれば、集まった兵士たちも困惑の顔を浮かべている。

 まさか本当にできるとは考えておらず、私は少し安心した。


「何だ一対多数に気後れするのか? 最悪の戦況を覆す勇者を相手に自信満々だな」


 武に疎い私も納得させられる言葉が、朗らかに笑う勇者の口から投げかけられ、全員の顔が引き締まる。

 そして――


「あぁ、悪かった。たしかに袋叩きみたいで外聞は悪い、か。では一つ証明をしてみよう……ケルヴィン様、お願いがございます」


「なんだろうか?」


「無くなってもいい容量のある宝珠オーブをいただけませんか」


「……すぐに用意を」


「はっ!」


 側近に伝えて取り寄せて居る間に、勇者は緊張の感じられない様子で話している。

 これだけの数を前に平然と演説できるのは確かに将の心得があるというのだろうな。


「言うまでもないが、万物には魔力が宿っている。

 そして魔力は万物の強度を底上げし、特別な効果を発揮できるようになる。

 この場に居る者が知らないはずないが、聞いて欲しかったのは魔力量で個人の強弱がある程度分かるところだ。

 おぉ、もう戻ってくるとは……さすがに準備が良いですね。もののついでだ、君はその宝珠オーブに魔力を全力で込めてみようか」


「はっ、はいっ!」


 勇者の声に緊張を示す側近の手に乗せられた宝珠オーブは、光量で魔力量をある程度把握する道具だ。

 誰もがわかるように数値化させるにはまだまだ研究が必要で――


「日常的に魔力を使わない者なら彼のように手元を照らすぐらいだろう。

 ではそこの君は……おぉ、さすがは近衛兵。常人の十倍はくだらないな。よく鍛えているようだ」


 魔力を増やすにも手間が掛かる。

 武に心血を注ぐならば魔力は必須だが、文官であればその努力分を勉学に励むことになる。

 私の側近の魔力は一般人を超えているので十分才能があると言えるな。

 うんうん、と魔力量の差にうなづいていると、勇者は「で、俺はと言うと……」と口にして宝珠オーブを手に取った。


 ――カッ!!


 一瞬で視界を白く染め上げる。

 それはもう、測定器オーブの光というよりも、太陽が降りてきたかのような攻撃的な閃光だ。

 凝視していた者たちは皆視界を奪われ、目を覆っている。


 ――ガシャン


 まぶたの向こうにある強烈な光が消えても、目を瞬かせてみても、視界に若干の黒さが残るほど。

 視力が落ち着いたところで勇者を見れば、手の上に乗せられた宝珠オーブは砕けていた。

 最上位のものではないとはいえ、宝珠オーブが自壊するほどの魔力量を持っているのか?!

 皆が唖然とする中で自嘲気味に笑う勇者は


「とまぁ、こんな風に宝珠オーブじゃ測れないわけだ。意味するところは分かるな?」


 一般人の十倍は魔力を持つ近衛の百倍でもまだ足りない。

 千倍あって足元に及ぶかどうか……それほどの魔力量を個人が有する。


(――やられたっ!!)


 あの笑顔の中に彼の目論見はまだあったのだ。

 三百名もの数は本人にも予想外だったかもしれない。

 だが、もしもこの局面を乗り切れば……いや、戦況を変えるだけの力を持つ彼なら可能だろう。

 そして『勇者こじんの強さ』を証明すると同時に、相対した者たちに『絶対に敵対してはいけない相手もの』を、身と心に刻み込まれてしまうのだ。

 単なる戦闘訓練と思わせておいて、これほどまでに的確かつ多くの効果を狙うなど正気の沙汰ではない!


 今までオーランドの命じるまま戦場へ足を運んでいただけの猪武者だと彼を侮っていたと気付くのが遅すぎた。

 しかし、これほどまで思慮深いとは誰が気付けるというのだ!

 いや、むしろこのタイミングまでそうした知略カードを伏せたまま生き残ってきたことにこそ驚嘆すべきか。


 私は敗北感に暗く彩られる視界に写る、勇者の笑みに邪悪を見てしまう。

 そう、この行き着く先には『たった一人で国をれる』という証明が待っているのだから。


「一対三百で負ければオーランドの名は失墜するだろう? 是非ともがんばってくれたまえ」


 ――ざわりっ


 まさか、喧伝するのか?!

 空気が冷えて重くなるのを感じ、私はさらに恐怖する。

 ここに居る者たちへの牽制だけでなく、他国への隙をこじ開けるのか!?


 違う……それだけではない。

 国に不満を持っている者たちがこぞって広め、不穏分子を煽り立てることだろう。

 いくら理不尽な要求を呑ませたとはいえ、他国どころか足元にも火を放つつもりか!!


 どれだけの者を逃したのか……いや、見限られた・・・・・のかを思い知らされる。

 これからは勇者かれ抜きで、彼の大きすぎる名を勝手にチラつかせて国体を保たねばならないのだ。

 どれほど屈辱的なことか――たかが一人に、大国オーランドが転がされている現実に、ぎりぎりと歯の鳴く音がする。


「国を守ることをの難しさを身に刻むことだ」


 私の失意など無視し、勇者は鷹揚に宣言した。


 ・

 ・

 ・


 辛酸をなめるような苦い顔で向けられる突き刺さるような宰相の視線が痛い。

 召集も終えた今、腹痛でも患っているのならば早々に引っ込んでもらって構わないのだが……。

 と考えるルシルは、煽りを重ねて戦意を昂ぶらせた兵士たちが迫り来るのを待つ。


 戦場を駆けた彼が一番よく知っているのは『数の暴力は個の武力に屈服する』ということだ。

 もちろん、数を否定するつもりは無いし、だからこそ兵科はそれぞれ役割を持つ。

 魔法士や弓兵は遠距離から敵を穿て、騎馬なら展開速度と突撃力、重戦士は盾や槍を掲げて敵の進行を抑えるのが仕事になる。

 ここに攪乱や奇襲を狙う斥候や、兵科とは別口の軍師なんてものも含めれば、状況に合わせて最適な軍事行動を取って高い戦果を得るのは集団戦闘においての常識だ。


 しかし、ルシルのような個人で軍を相手にできる存在では、まともに機能させることすら難しい。

 言うなれば氾濫する川に立ち向かうようなもので、いっそ個人の傭兵を三百名集めた方が、散り散りに戦われてよっぽど面倒な相手になるくらいだ。


 ルシルが離れてからも国を維持するなら個人の極大戦力ゆうしゃを止める手段が必要だ。

 そしてこの国最高峰の兵士たちが現実を知れば、それだけ高度な対策を取れるだろう。

 だからルシルがケルヴィンに『最後の奉公』と話したのは掛け値なしの本気だったのだ。


 これだけ煽って足が前に出ないのは情けない、とルシルは軽い失望を感じ――


「国を守ることをの難しさを身に刻むことだ」


 ペロリと舌なめずりをして前へと踏み出した。


 ――まぁ、俺の気晴らしなのも否定はしないがな

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