3 遥か上空の攻防

「あの、私は花園 アリスです。よろしく……」


 魔女を名乗る神宮 透子さんに対してなんて返していいかわからず、私は細々と自己紹介を絞り出す。

 そんな私を見て、彼女はいたずらっぽく笑った。


「よろしくね、アリスちゃん。私の方も透子って呼んで」

「う、うん……」

「とにかくどこかに降りましょう。話は落ち着いてから」


 そんな時だった。

 突然、炎のレーザーみたいな炎が、下の方から私たちの傍をかすめていった。

 凝縮された熱エネルギーが、夜空に打ち上がって雲を打ち払う。


「それで逃げ切ったつもりかよ!」


 振り返ると、私たちの後方から火の塊のようなものが飛んできていた。

 全身に炎を燃え上がらせた人間が、まるでミサイルのような勢いでこっちに飛んできている。

 それは紛れもなく、さっき私を襲った赤毛の男だった。


 私がその存在を認めたのとほぼ同時に、透子ちゃんの周りにサッカーボール大の水の球がいくつか現れた。

 かと思うと、すぐ様そこから濁流のような水の柱が放たれる。


 そのことごくは炎をまとった赤毛の男に命中したけれど、それは炎をかき消すどころか蒸発していく。

 全くもって効いていなかった。


「魔女風情が! 俺に敵うわけねぇだろ!」


 あっという間に距離を詰められた。

 透子ちゃんの水の攻撃を全て蒸発させた男は、水蒸気が立ち込める中、もう既に透子ちゃんの真横まで来ていた。


「アリスは返してもらうぜ!」

「渡すもんですか!」


 振るわれた剣を透子ちゃんは辛うじてかわして、代わりに蹴りを入れる。

 けれどそれも防がれて、今度は炎のぶつかり合いが始まった。


「透子ちゃん!」

「人の心配をしている場合?」


 気が付いた時にはもう遅くて、私は後ろからフードの女の人に羽交い締めにされた。

 そこまでの力強さは感じないのに、どうしても振りほどけない。


「あんまり暴れないの。落ちるよ」


 その声色は優しいのに、けれど決して私を放そうとはしなかった。


 目の前では、透子ちゃんと赤毛の男が一進一退の攻防をしている。

 いや、明らかに透子ちゃんの方が押されていた。


「大人しくついてくるのなら、あの子の命は保証する。このままだとあの子、死ぬよ」

「…………!」


 耳元で囁くように言われる。

 私を助けてくれた人が、私を助けようとして死んでしまう。

 そんなこと許されるわけない。それでいいわけがない。


 今会ったばかり。言葉を交わしたのも数えるほど。まだお互いの名前しか知らない。

 けれど彼女は私を助けてくれた。わけのわからない事態の中で、私を助けてくれた。

 そんな彼女が、私のせいで死んでしまうなんて、そんなの…………!


「わかった! わかったから! どこへでも付いて行くから! だから……だから、透子ちゃんを殺さないで!」


 私のせいで死んでしまうなんて、私を守ろうとして死んでしまうなんて、そんなのは嫌だ。

 私にそこまでの価値なんてない。誰かが犠牲になってまで生き残る必要なんて、私にはないんだから。


「馬鹿なこと言わないで!」


 赤毛の男の攻撃を辛うじて防ぎながら、透子ちゃんは叫んだ。

 こちらに背を向けている透子ちゃんの表情は伺えない。

 けれど、その声は怒りか、それとも悲しみか。確かに震えていた。


「そんな馬鹿なこと言わないで。あなたの命は、あなたの人生は、あなたのものなんだから。誰かのために諦める必要なんてない。あなたはあなたのために生きなさい。そのために私はあなたを守っているんだから!」


 剣が透子ちゃんの腕をかすめる。炎が服を焦がす。

 確実に押されながらも、透子ちゃんは決して引かなかった。


「私たちの命は誰にも侵されない。私たちはいつだって自由よ。誰になんと言われようと、否定されようと、拒絶されようと。私たちはここにいる。ここで生きている。だから絶対に、自分の意思を曲げたりしない」

「透子ちゃん…………」

「生きたいなら生きたいって言いなさい。帰りたいなら帰りたいって言いなさい。大丈夫。私、絶対死なないから」


 振り返ってニッコリと微笑む。

 その姿はまるで聖女のように穏やかで、女神のように温かだった。

 その背中に、縋り付きたくなってしまうほどに。


「魔女が講釈たれてんじゃねぇよ!」


 振り下ろされた業火をまとった双剣を、透子ちゃんは辛うじて透明な障壁のようなものを張って、防いだ。

 けれどそれすらも越えて伝わってくる高熱に、髪や服が燻っていく。


「どんなに偉そうにしてもな! お前らは生きてちゃいけねぇんだよ! 魔女は、死ななきゃいけねぇんだよ!」

「アリスちゃん、先に謝っとく────」


 吠える男を尻目に、透子ちゃんは儚い笑顔を浮かべて、言った。


「ごめんね」


 瞬間、私の乗っていた竹箒が跡形もなく消えた。

 フードの女の人は私を支えていたわけではなかったから、支えるものを失った私は、その腕をすっぽりと抜けてしまった。


 飛行機が飛ぶような、地上から遥かに高い夜の空で身一つとなった私は、声にならない悲鳴を上げながら落下していった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る