第四話 湖の龍魚

ミウとピルピィがキラリエのところへと駆け付けると、そこには信じられない光景があった。


大きく開けた湖。


そこだけは木の枝や葉が太陽を遮っておらず、向こう岸も見えないほどに巨大な湖が太陽の光を反射している。


そしてそこに見えるのは、そこいらの大木を一〇本も五〇本も纏めたくらいの太さを誇る、超巨大な魚だった。


「な、なにあれ……!」

「ドラゴンフィッシュ……!」


ピルピィは目を大きく見開きながら、ドラゴンフィッシュと呼んだその魚を見上げる。


図鑑にも、確かに載っていた。


ドラゴンフィッシュ。


体長は大きいもので三〇メートルにも及び、その長い胴体から竜と間違えられてこの名前がついた、なんて逸話もあるくらい。


身体は青白く、しかし太陽の光を浴びて虹色に光り輝くことから、虹光大魚という別名も存在する。


顔は厳つく、まさに竜。


鱗は一枚一枚が岩のように固く、大きく、そして鋭い。


そしてキラリエは、水面から身体の半分を出すドラゴンフィッシュに真っ向から対峙していた。


「出ましたわね……これだけ大きい生物を倒せば、きっと私の実力も……!」

「キラリエさん危ないよ!」

「ふん、黙って見ているがいいわ!」


キラリエは汎用の角笛に自らの力を込め、角笛ゴルディスノウへと変化させる。


黄金の光を放つ、まさに高貴なる角笛。


彼女はそれから一つの角音を吹き鳴らす。


「氷結の角音……」


ミウは彼女の鳴らす角音から、それが何なのかをすぐに特定できた。


氷結の角音。


身の回りのものを凍らせたり、何もないところから氷を生み出す角音だ。


彼女が名付けたゴルディスノウという名前からも何と無く察することが出来る通り、彼女の得意な角音は氷系統だと考えられる。


「さあ怪物! わたくしの前にひれ伏しなさい!」


彼女は角笛内の音壺おんこに溜めた氷結の角音を、まるで目の前に散布するかのような動作で広げ奏でる。


すると、キラリエの目の前の池の水が広く凍りつき、それがひとりでに剥がれて氷の槍のようになる。


「角音の応用だ……!」


ミウはキラミラと目を輝かせながら、その様子を見つめる。


角音はただ吹き鳴らすだけでは一つの効果しか発揮できないが、音壺に角音を溜め込み、そのあとの動作や手から角笛に伝える力を工夫することで、いくらでも応用が可能なのだ。


そしてキラリエは、その応用にかなり長けている。


「この氷の槍で!」


彼女が指揮するように角笛をドラゴンフィッシュへと向けると、池から剥がれた氷の欠片が次々にそちらへと飛んでいく。


それはまるで、槍を持った軍隊が空を飛んで突撃していくかのように。


しかしその瞬間、ピルピィが大きな声を上げながら駆けていく。


「駄目ェッ!」

「え……」


その悲痛な声は、きっと何かを危惧していたに違いない。


しかしキラリエがそれに気付いた時には、既に氷の槍は着弾してしまっていた。


「あっ……!」

「うぐえっ」


遅れて、キラリエを制止するようにピルピィが彼女の上に覆いかぶさる。


だが、ドラゴンフィッシュはその氷の槍にビクともしなかった。


それどころか、その岩のように堅牢で強固な鱗が、氷の槍を打ち砕いてしまった。


「な、何をするんですの⁉︎」

「そっちこそ何やってるの! 今のドラゴンフィッシュは産卵期で、しかもあれは雌なんだよ⁉︎」

「だ、だからなんですのよ!」

「今はすごく気が立ってるの! それに、ドラゴンフィッシュは…!」


訳が分からないキラリエに、畳み掛けるように危険性を訴えるピルピィ。





────それを分からせてやるとでもいうかのように、ドラゴンフィッシュは雄雄しく咆哮した。





「なっ……なんですの⁉︎」

「怒ってるんだよ! こっちに来てるっ!」

「うぇっ⁉︎」


ピルピィは勢いよく身を翻し、キラリエの後ろ襟をぐい、と掴む。


その向こうでは、怒ったドラゴンフィッシュがその巨大な体躯をそのままこちらへと向かわせるように泳いでくる。


「ピルピィ! キラリエさん!」

「ミウも逃げてっ!」


ミウは二人に慌てて近づこうとするが、その二人が身を翻して横へと逃げるのに合わせて、ミウもそちらへと逃げる。


三〇メートルに匹敵するその巨体がこちらに泳いでくれば、その速度も凄まじい。


しかも、ドラゴンフィッシュはその口を大きく開けたままその牙をむき出しにしているのだ。


(あんなのに食べられたらひとたまりもないっ……!)


ただ、こちらに向かってくるのはとんでもない大きさの怪物。


無策に走るだけでは、その巨大な顎の攻撃範囲からは逃れられない。


実際、逃げる二人も間に合うかどうかは微妙なところだ。


(一か八か……!)


ミウは腰のベルトから汎用の角笛を取り出すと、その角笛に力を込める。


すると、その角笛は大きく膨れ上がり、形質が変化。


「ひ」の字を変形させたような、二メートルにもなる巨大な角笛、クエストゥルスへと変化する。


そして、ミウは角笛を咥える。


(浮遊の角音……浮遊の角音……!)


彼女の角笛が、小さく光を放つ。


ミウは小さく跳躍すると、二人の方へ背を向けて角笛に吐息を吹き込む。


コントロールはいらない。


とにかく強い力で──!


「二人とも、ごめん!」


次の瞬間、角笛から浮遊の角音が奏でられた。


そしてそれは、ミウの膨大すぎる力をそのまま放出する。


「ぉ────」


刹那、ミウの視界が大きく揺らぐ。


そしてほぼ同時とも言っていいほどの勢いで、背中に二人が衝突するのを感じた。


視界の奥で、ドラゴンフィッシュの牙が何も無い空を噛み砕くのが見える。


「わっ⁉︎」

「きゃっ⁉︎」


その衝突をもってしても、角音の力が衰える様子時はない。


気づけば、ミウはピルピィとキラリエを押し出したまま、湖の向こう側の端まで吹き飛んでいく。


ただ、湖の上には少しだけ届かず、湖へと思い切り叩きつけられそうになる。


「やば……!」

「馬鹿っ!」


しかし、キラリエは冷静に判断をし、角笛に残っていた角笛から氷結の角音を湖面に向けて放出する。


すると、湖の表面が氷へと変化する。


三人の身体はその上で一度跳ねてから、湖の岸へと叩きつけられる。


呻き声を上げながら、三人は地面の上を転がった。


「っ……みんな、大丈夫⁉︎」

「う、うん。ありがとう……」

「み、湖で溺れるかもしれなかったじゃありませんの!」


ピルピィは息を吐きながらそう言うが、反面驚いたような表情をしながら、キラリエはそう叫ぶ。


確かに強引ではあったが、助かるにはあれしかなかった……と思う。


それに、ドラゴンフィッシュはそのまま岸に打ち上げられ、うまく動けなくなっているようだ。


「でも、なんとか助かってよかった……」


はあ、と安堵のため息をつくミウ。


しかしキラリエは、少し震えたままの肩でふんぞり返る。


「ふん、私が湖を凍らせたからですわ」

「ちょっと! そもそもキラリエさんがドラゴンフィッシュに攻撃しなければ……!」


その不遜な態度に、ミウが流石に食ってかかる。


そもそも、彼女がドラゴンフィッシュと絡まなければこんな事態にはならなかったというのに。


しかしその険悪な雰囲気を破壊するかのように、ピルピィが二人の背中を叩きつつ叫ぶ。


「ねえ! 二人とも、ぼけっとしてないで逃げなきゃ!」

「え、うん……」

「ちょ、そんな急かさないでくださいまし、どうせドラゴンフィッシュは……」


キラリエはピルピィが急かすのを鬱陶しそうに振り払うと、はあ、とため息をつきながら立ち上がる。


ミウも、ピルピィがどうしてそんなに必死になるのか気になりながらも、急いで立ち上がった。


そしてふとした拍子に、ミウとキラリエがドラゴンフィッシュの方を見やると────。





────なんと、その腹部にあった巨大な後ろ脚・・・で、あろうことか立ち上がっていた・・・・・・・・のだ。





「う、」


そしてそのギョロリとした大きな瞳は、こちらの方を向く。


その体躯を支える後ろ脚は大きく太く、そして力強かった。


ミウとキラリエは、そのなんともいえない奇怪なフォルムに思わず、


「わあああああああ────っ⁉︎」

「きゃああああああ────っ⁉︎」


とあられもない叫び声をあげ、そのまま一目散に駆け出した。


その姿はもはや田舎者とか高貴だとかそういうことはそっちのけで、ただ目の前の恐ろしい(というより気持ちの悪い)ものから逃亡する、ただそれだけだった。


そしてそれと一緒に、ピルピィも必死になって逃げ出す。


ただ、ドラゴンフィッシュの視線がこちらに合ってしまった状況には変わりなく。


そのやたら筋肉質な足で地面を叩きつけ、ドラゴンフィッシュはこちらを追いかけ始めた。

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