第九話 泣き虫と本当の友達

「くーっ、終わったぁ……」

「ハンナ!」


昼休みもそろそろ終わるという頃、ハンナが教室から出てきた。


ミウが彼女に駆け寄ると、彼女は苦笑いをしながらミウの顔を覗き込む。


「ったく、うるせーんだって。人が試験してんのによ」

「ご、ごめん……」


制服のポケットに手を突っ込みながら、ハンナは呆れ顔をする。


ただ、それは本当に呆れ返った顔というわけではなく、どこか笑みが浮かんでいて。


ハンナの手が、ミウの頭の上にポンと乗る。


「でも、嬉しかったよ。あんだけあたしのために怒ってくれて」


ポカン、とするミウの表情。


彼女から見えるハンナの頬は、ほのかに赤く火照っていて。


ミウが目を向けると、彼女の瞳はどこかの方へ恥ずかしげに向いてしまう。


でも、その琥珀のような、蜂蜜を溶かしたようなその綺麗な瞳が、信頼の色を帯びているように見えて。


ミウの中で、ドクンと何かが高まった。


「……ハンナ」

「キラリエはいけ好かねーやつだが、実際あたしがそういう奴だったのは事実だしな。あいつにああ言われても仕方ねーよ」

「でも、ハンナがあんなこと言われるいわれなんてないよ!」


煮え切らない憤りが、ミウの語気を強める。


あの人──キラリエ・ゴルドジャースは、人を生まれや見た目だけで判断する。


その人が、何を抱えているかも知らないで。


でも、ハンナは怒りの表情は一切浮かべない。


それが何でなのか分からず、ミウはハンナに続けて言おうとするが、


「大丈夫さ。お前があれだけ怒ってくれりゃあたしはそれでいい」


その表情はあまりにも穏やかだった。


いつも露骨に怒りをあらわにするハンナ・リロニィーナは、今日ばかりはだいぶん落ち着いていた。


「でも……!」

「ミウ。これから見返してやりゃあいい。あたしはいつか、あいつに馬鹿にされないくらいのやつになってみせる」


にしし、と笑うハンナ。


何でそんなに穏やかでいられるの。


どうしてそんなに優しくあれるの。


確かに、ミウはハンナのことを信じるようにした。


ハンナと一緒に勉強した三日間を、負い目になんて感じなくていいと気づいた。


ハンナもその様子から、きっと自分にとって良かった時間だったと思ってくれている。


けど。


けど、キラリエの言ったことは、そんな時間を台無しにするような言葉だったのに。


「ハンナって……結構優しいんだね」

「結構は余計だ。いがみ合ってたって何も解決しないからな」

「……すごい。大人、だね」


グラーシェもそうだ、ハンナもそうだ。


何かを割り切る強さを持っている。


まるで自分とは違う、どこか達観した強さ。


憤って思わず手が出た自分が、何だかすごく恥ずかしく思える。


そうすると、何だか涙が溢れてきて。


ハンナの顔を見つめながら、ミウはボロボロと大きな涙粒をこぼしてしまう。


「お、おい」

「私……ぐすっ、なんか……子供だよぉ……」

「泣くな泣くな。ったく、泣き虫だな」


止めようとしても止まってくれない涙を、意味が無いと知りながら何度も拭う。


恥ずかしさと、情けなさからくる涙。


未だに消えない、胸の中の憤り。


でも、当の本人はそんなものとっくにどこかへ消してしまったのに。


情けない。


そんなミウの頬を伝う涙を、ハンナはぐいと手の腹で強く拭った。


「変なやつだな。あたしのために泣きまでするなんて」

「……だってぇ……」

「でも、そこがお前の良さだ。そういう奴と友達になれて嬉しいよ、あたしは」

「……うん」


ハンナの手は、温かかった。


同じ歳の女の子なのに、すごく頼り甲斐があって。


それが、ハンナの良さなのだろう。


彼女はグラーシェとピルピィの方を振り返ると、気恥ずかしそうに呟く。


「悪かったな、二人とも。あたしらのいざこざにここまで付き合わせて」

「いいえ。大切な友人が二人も増えましたし。一人はすごい泣き虫さんですけどね」


ふふ、と頰を染めて笑うグラーシェは、温かい目でミウを見やる。


何だか改めて大切な友人、と言われることの気恥ずかしさと、泣き虫と続けざまに言われた羞恥心が混ざり合って、ミウは慌てて泣き顔をやめる。


「そ、そんなに言わなくてもいいでしょ?」

「でもミウ、目ぇ真っ赤だよー? かわいー、クスクスっ」

「ピルピィっ! もう……!」


ミウの顔をまじまじと見て笑うピルピィの言う通り、決壊するように流れ出た涙のせいで、ミウの目元は真っ赤になっていた。


何だか、ピルピィの肩に乗るクルルまで笑っているような気がして。


ミウは目元が気にならないくらい真っ赤に顔を染めて、必死に泣いてないもん、と主張する。


そんなわけないだろ、と笑うハンナ。


びーびー泣いてたじゃないですか、とグラーシェ。


クルルも見てたよ、とにやけるピルピィ。


何でだろう。


お互いのことを冗談めかして笑うなんて、最初は考えられなかったのに。


だって、嫌われたくないから。


そんなことを言ってもし嫌われたらと思うと、ミウはそんな明るく振る舞えなかった。


でも、今はどうだ。


「…………!」


最初は一人で悩んで、しょげていたのに。


今は、こんなに大切な友達がいる。





────自分らしく振る舞っていい友人が、こんなにもたくさんいるんだ。





「えへへ、嬉しい」

「今度はにやにやしてんな。泣いたり笑ったり、忙しい奴だな」

「いいのっ! 私、みんなとこうやって何の気なしに話すのがしたかったんだ!」

「変なの。ピルピィそんなの気にしたことないや」

「へへっ。私、ピルピィみたいに何も考えないで喋らないもーん」

「あー、何それ〜!」


あはははっ、と笑いが溢れる。


これが。


こんな場が欲しかったのだ。


「そういやお前ら! 試験結果見たいか〜?」

「見たい見たい! 何点だったの?」

「はいはい予想の時間に移りま〜す。一番近かったやつには……明日のデザートあげちゃいまーす‼︎」

「で、デザート……! クルル、デザートだって!」

「クルルルルゥ! クルッ、クルゥ!」


じゅるり、と舌舐めずりするピルピィとクルル。


その眼光は、もはや獣のそれだった。


何しろ昼食のデザートは、この学院の食事で一番競争率の激しいものなのだから。


グラーシェは苦笑いしながらも、おそらく内心当てる気満々だろう。


もちろんミウだってデザートは食べたい。


おそらく明日は一番人気のデザート『エバリィ山脈のシャーベットアイスマウンテン』が出る日なのだから。


「わ、私は八五点だと思います」

「ええ、高ーい! ピルピィ、六〇点!」

「おいおいお前ら高く見積もりすぎだろ。追試だぞ、これ」

「でも、ハンナあれだけ勉強したもん! きっと高得点だって信じてる!」


ミウはそう言うと、ハンナに向かっておもむろに宣言する。


「一〇〇点だ! あれだけ勉強したもん、絶対そうだよ!」

「ミウ……」


ハンナは、その答えに少しだけ微笑んだ。


「本当にいいか? もう変更ないか? 発表するぞ?」

「一〇〇点一〇〇点一〇〇点〜っ!」

「デッザート! デッザート!」


ふふん、と鼻息を鳴らしてから。


ハンナは、高く答案を掲げて点数を発表する。


「点数はぁ……!」


ミウの心の中でドラムロールが聞こえる。


そして彼女は、大きく溜めたのちに──告げた。


「九〇点でぇーす‼︎」

「やったあああああああああああああっ‼︎」


勝利の歓声をあげたのは、ミウではなくグラーシェだった。


「ええーっ! なんでさー、あんなに頑張って教えたのに!」

「いやー、ここの問題ド忘れしちまって。あとここと、ここ」

「……これ全部私が教えたとこじゃん! 何で私が教えたとこばっか間違えてるのさ!」

「ぶっちゃけグラーシェが教えた方が理解できた」

「ぬがーっ!」


ハンナの頬っぺたを引っ張りながら憤慨するミウ。


そんな時、視界の端で嬉しそうにガッツポーズするグラーシェの姿が見えて、


「意外とああやってはしゃぐんだね……」

「ああ、結構意外。点数言った時の声めっちゃデカかったもんな……」

「ピルピィも初めて見た」

「クルゥ」


ピョンピョンと跳ねるグラーシェに、みんなの視線が集まる。


彼女はそれに気付いて、バツが悪そうに縮こまる。


(……可愛い)


──その瞬間、その場の全員がそう思っていたに違いない。


結局、その場はグラーシェの勝利で終わった。


ただ、まだ全部が終わったわけではなかった。


「なあミウ。今なら余裕でいけそうな気がしねーか、あれ」

「あれ?」


ミウのその問いかけは、昼休みの後ですぐにわかることとなる────。

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