竜の仔の夢

「…………っ」


ミウの意識が、ぼんやりとしたまま覚醒する。


目の前には、大きく広がる海がある。


自分は崖に腰掛けていて、だけれど不思議と恐怖はなかった。


そして気付いたのは────彼女の後ろに大きな何かがあるのか、彼女全体が影におおわれているということである。


「……時、か……」


不思議と、その声に驚きはなかった。


後ろから聞こえる声は、賢者のように落ち着き払い、感情を何一つ感じない。


ただ淡々と言葉のみが連ねられるその空間が、あまりにも不自然で、かつ違和感のない時間でもあった。


「────真理の仔よ。風と共にあり、竜に見初められし仔よ」

「……あなたは?」

「純然たる力。そなたとは対極のモノ」


後ろを向いて、その正体を確かめる気にはなれなかった。


それに理由はない。


身体の自由が効かないわけではない。


ただ、そういう気が起きない。


してはいけないという禁止ではなく、己の意思で振り向かないような──そんな感じ。


「力無き人の仔よ。この力は真理を追い求める為のものだ。決して、黒き人の仔に渡ってはならぬ力だ」

「何の……こと?」

「いずれ分かる。力を得ても尚、そなたは真理を追い求める人の仔でいられるか? 傲慢な力を振るうだけの者と化さぬことを誓えるか?」


彼の言いたいことは、ミウには難しくて理解が出来ない。


と、いうより、上手く頭が働かない。


ずっと夢見心地のようで。


でも。


「……私は、力が欲しい」

「その心の内はなんだ」

「私は角音についてもっと知りたい。角人のみんなともっと仲良くしたい! その為に力が欲しいの! この学院に居られるだけの力が!」


夢見心地はいつまでも続かない。


明日も、明後日も、角音学院で角音を学ばなくてはならない。


周りからは馬鹿にされて。


みんながミウを嫌って。


それでも。





「私は────もっと角音を学びたいの!」





それでも、もっと角音について知りたい。


あの未知の力で、すごい事が出来るようになりたい。


いつかきっと、あの夢の人のように。


音から全てを創造するような、そんな角奏者に。


「……人の仔よ。そなたの欲は純然たる知識への渇望だ。それは尊いものではあるが、同時にもっとも危険なものにもなりかねない」

「え……」


賢者のような声は、感情のない声でそう言った。


ミウの望みは純粋であるが故に、危険も内包している、と。


ミウは、思わず声を洩らした。


しかし、賢者の声は答える。


「しかし、それこそが人を前に押し進めるもの。人の仔よ、そなたに我の一部をやろう。だが、これを扱えるかどうかはそなた次第」

「っ……!」


初めて、ミウの意識に振り向こうという意思が働く。


彼女の背後に居たのは────竜であった。


鋭い印象を持つ頭部に長い首、ほぼ人に近しい身体に大きく広がった翼。


その身体から、風が吹き荒れる。


それはエネルギーの塊のようになって、ミウの身体の中に取り込まれる。


「ぅあっ……!?」

「決して道を違えるな、人の仔よ。その力は、真理を追い求めるためにのみある」


身体が言うことを聞いてくれない。


その衝撃に耐えきれず、ミウの身体は崖から崩れ落ちる。


「力を得たそなたは────竜の仔・・・だ」


落ちる。


視界が、急激に色を変える。


目の前に映る竜、ドラゴンは、その大きな翼をはためかせ、太陽と重なる。


「待って!」


聞きたいことが山ほどある。


わからないことだらけだ。


なのに、この身体は──海へと叩きつけられ────





「……はっ⁉︎」





朝日が顔を照らす。


勢いよく飛び起きたミウの視界には、いつも朝に目に入る寮の自室の光景が映る。


「あ、れ……」


一気に夢見心地から目覚めたおかげで、頭がやけに鮮明だ。


ただ、先ほどまで見ていた夢の内容が思い出せない・・・・・・


ゆっくりと横を見ると、寝相の悪い格好で眠っているハンナがいる。


「んががが……」


ふと、彼女の前にふわふわと浮かぶ水の玉が現れる。


「あれ、これって……」


ミウがそれに触れると、水の玉はパン!と音を立てて割れる。


すると、それがスイッチとなったかのように水は文字の形を描く。


『おはよう、ミウ。君が気を失ってしまったから寮まで運んでおいたよ。これで気を失ってしまう子は初めてだけど、君に何らかの変化が訪れていますように』


どうやら、昨夜スィーヤに角の調子を確認するための角音をかけてもらったまま気を失ってしまったようだ。


申し訳なかったな、と思いつつ、その水の文字群が消える様を眺めていたら、


『君の親愛なる友スィーヤ・ゴロネィトンより。……は、ちょっと早かったかな?』


なんて文字群に変わった後、パンと弾けて水は蒸発して消えた。


「ふふっ」


どこか穏やかでいて、何を考えているかは読めないものの、優しくサポートしてくれるユーモアのある先輩。


彼女の手紙(手水?)に、思わず笑ってしまうミウ。


何だか、穏やかな心持ちだ。


昨夜彼女と語らったりしていたときにも感じていたが、緊張の糸がほぐれたような気がする。


と、ふと。


「……何、笑ってんだ?」


薄気味悪いような様子でこちらを見やるハンナの姿が、そこにはあった。


「あっ……いや、その」

「…………あっ! ミウお前! 昨日どこほっつき歩いてたんだ! 寮長に言い訳するの大変だったんだぞ⁉︎」

「ご、ごめんなさい! その……昨日は……」

「途中からお前そっくりの水人形が戻ってくるし! 寮長は角人じゃないから分からなかったみたいだけどな、あれ誰か他の先生とかだったら余裕でバレてたぞ!」


どうやら、ミウと見た目が全く同じな水人形が寮長の目をごまかしてくれていたらしい。


恐らくスィーヤの角音だろう。


見た目が全く同じ水人形を作り出すだけでなく、ある程度の行動なども行っていたらしい……さすがは先輩、というべきだろうか。


と、いうか。


そういえば、何だか背中や尻部が湿っているような。


「わー! シーツと制服がべちょべちょ!」

「水人形がお前の代わりに寝てたからな」

「うぅ……でも、ごまかしてもらってただけに文句は言えない……」


ミウは水人形が寝ていたベッドから立ち上がると、制服を脱ぎ、シーツと一緒に部屋の大窓の外にあるベランダの物干し竿に干す。


「天気はいいから明日には乾くんじゃねーの」

「でも今日は運動着かあ……うぅ」


ただでさえ周りから笑い者にされてるのに、さらに笑われること間違いなしだ。


おまけに先生方は身なりにも厳しいからどやされるに違いない。


「やだなぁ……」


ふと、ミウは寝ている時からずっと右手に角笛を握りしめていたことに気付く。


そういえば、角の調子を見てもらうために角音をかけてもらって、そのまま気絶してしまったのが発端だったと思い出す。


(……なんか、変化とかないのかな)


何気なく。


ミウは角笛の吹き口に唇を触れさせる。


(一瞬で渇いちゃったりして……)


半分諦め気味で角笛に息を吹き込む。





────刹那、爆風と共に制服とシーツが遥か遠くへと吹き飛んでいった。





「っ⁉︎」


同時に反動で、ミウの身体が室内の壁に叩きつけられる。


背中に感じた衝撃に、思わず角笛から手を離してしまうミウ。


「お、おい⁉︎」


床に崩れ落ちるミウに駆け寄るハンナは、状況が全く読めていないようだった。


対してミウは、起き上がりながらも自らの震える手を見やる。


「……た」

「え?」


その手は、一つの感覚に触れていた。


今までに幾度も見た、これまで誰よりも恋い焦がれていた感覚。


幾度もこの手に触れたいと願っていた感覚。


そう、これは────角音・・だ。


「で……きた……!」


まだ、何かの角音として奏でられた訳でもない、ただの音の波ではあった。


それでもこれは、この手に掴みたかった力ある音だ。


「やったやった! ハンナ、ハンナ! 見て、今角音が……!」

「ああ! やっと角音が使えるようになったな!」

「やったよぉ……! やっと……!」


ハンナの胸に飛び込み、肩を震わせながら喜ぶミウ。


なお、その後飛んでいった制服とシーツを苦労して取りに行き、その騒ぎを聞きつけた寮長にどやされた。


が、それでもミウの頰は嬉しさで緩んだままだった。

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