第五話 奇妙な先輩

「ふぅーっ……よーし……」


その日の放課後。


切り株の中央に穴を開けたような形状の学院校舎────その中央の噴水近くで、ミウは角笛を咥える。


目の前のベンチには石が置かれている。


大きく息を吸って。


角音のコントロールは何十回と教科書を見直して頭に入っている。


力み過ぎない。


頭の中で成功する光景をイメージ。


力持つ音の調律を角笛に吹き込むように。


「っ……!!」


角笛へと、角人の力持つ吐息が吹き込まれる。


それは光を帯びて、目の前の石へと呼びかける。


割れろ、と。


(お願いっ……!!)


しかし──願いは、届かない。


光は跡形もなく萎み、石は微動だにすることもない。


「っ……なんで……!」


角笛は光を放った。


つまりはミウの吐息に呼応した。


それなのに、それが力を帯びようとすると、それが世界の摂理であるかのように霧散する。


「……まだまだ……! 次こそは……!」


もう何百回目だろうか。


最近は放課後もジニーナ先生が練習を見てくれるのだが、今彼女は傍にはいない。


職員会議があって、今日は来られないと言っていた。


(早く出来るようにならなきゃ……! まだ、浮遊の角音を習ってすらいないのに……!)


気持ち悪い焦りを感じながら、唇に角笛の吹口を寄せる。


大きく息を吐き、吸い込む。


やり方は分かっているのだ。


破砕の調律を思い描き、角笛に乗せる。


自分の力持つ吐息に音を合わせて、奏でるだけ。


なのに。


なのに────石は、ヒビすら入る様子を見せない。


「ぷはっ……! もう、なんで!!」


今日の授業が終わって数時間。


もう日も暮れて、そろそろ宿舎に戻る門限が迫ってきている。


それなのにどうして、全く成果が出ないのか。


「なんで私だけこんなに出来ないの⁉︎ ずっと練習してるのに!」


腹立たしい気持ちが煮え繰り返って、ミウ自身を溶かしつくしてしまいそうな気分になる。


このどこにも行き場のない気持ちを、全く角音に反応しない石ころに対してぶつけても、ただ虚しいだけだと分かっているのに。


無慈悲に沈黙する石ころを遠くに投げ飛ばし、ミウは崩れ落ちる。


苛立ちが不安に変わる。


無力感が焦燥感を煽る。


それらが結晶したかのような涙の粒が、頬から零れていく。


「退学なんて……やだよ……」


角音ができなければ退学。


当然だ、ここは角音を学ぶ学校。


成果の出ないものは学ぶ価値なし。


それほどまでに厳しく、血筋でも左右される世界。


こんな、まぐれで角人になれたような……ただの田舎娘が、やすやすと生きていける世界じゃない────




「んがっ」




その時だ。


ミウが石ころを投げた噴水の奥から、人の声が聞こえてきた。


「……はっ!」


ミウは慌てて噴水の反対側へと回る。


門限を破れば重い罰が課されるのは、角音学院の生徒みんなが理解していることだ。


だからこそミウは、門限が近くなった今、誰かがここにいるだなんて思いもよらなかった。


またやらかした、と心の中で後悔する。


「ごめんなさい! ぶつけるつもりで投げたわけじゃないん、で……」


ミウは、噴水のベンチから落ちたであろう人が、その下の草むらで横たわっているのを目の当たりにした。


「ひ、あ……」


まさか。


さっきの石の打ち所が悪くて、気絶してしまったのだろうか。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! だだだだだ大丈夫ですか!」


駆け寄るが、返事はない。


目を閉じたまま、仰向けになって倒れ続けている。


まさか、もう死んでしまったり。


「嘘……死なないで! どうすれば良いんだろ……私、治癒の角音なんか出来ないし……!」


しかも。


制服であるポンチョの胸部分には──第二学年のバッジまでついており、リボンは青色。


そう、ミウは上級生に当たる角人を殺してしまったのである。


「や、あ……せ、先生を呼ばないと……し、職員室ぅおわっ⁉︎」


とりあえず教員を呼ぼうと立ち上がったミウの右手が、強く地面へと引き戻される。


体勢を崩したミウはそのまま、遺体となった──いや、実は寝ていただけだった・・・・・・・・・上級生の胸の中へと抱き込まれる。


「うぅん……抱き枕ぁ……」

「い、生きてた……? って、私抱き枕じゃないですよぉっ!」


割と力の強い上級生の腕を振りほどき、草むらへと転がるミウ。


その抵抗に上級生の彼女も目が覚めたようで、瞼をゴシゴシとこすりながらこちらを確認する。


「ぅん……? あれ? 君は……」

「うう……あ、あ、いや、その……ごめんなさい!」

「え? 何のこと?」


髪は白髪というよりは銀髪で、前髪の分け目から左耳までを編み込んでいる、ボーイッシュな雰囲気のするショートヘア。


瞳の色は目を閉じているから確認できない──というより、すでに眠りから覚醒しているのに目を閉じたままにさえ見える。


角は細く、こめかみから真上に向かって湾曲しながら伸び、まるで削がれてかんな・・・で削ったかのように滑らかだ。


そんな糸目? が特徴的な彼女は、ミウが誤って石をぶつけてしまったことを告げると、気の良い笑顔で返してくれた。


「石がぶつかったって? いやあ、全然気付かなかったよ」

「本当にごめんなさい……」

「気にしないで。治癒の角音で治せばいいし、大した傷でもないみたいだ」


立ち上がり、制服を叩いて汚れを払う彼女。


上級生の彼女は、相変わらず糸目のままミウに向かってもう一度笑いかけると、人差し指で自身を指して告げる。


「僕はスィーヤ・ゴロネィトン。第二学年の生徒さ。君はミウジカ・ローレニィだね?」

「え、なんで私の名前……」

「知ってるとも! 第一学年実技最低レベルの疑いアリとして、今年の初期実技試験で最有力退学候補・・・・・・・との呼び声が高いから」


がくり、と肩を落とす。


まさか、学年を超えてもう噂になってしまっているとは。


「そう……ですか。そうですよね、私みたいな落ちこぼれ」

「でも、そうならないために毎日ここで練習してるじゃないか」

「え……なんでそれを?」

「この噴水横のベンチが僕の昼寝スポットだからさ。僕は放課後、毎日ここで寝てるんだ。今日はジニーナ先生はいないのかい?」


はい、と答えるミウ。


その元気のなさに、スィーヤは首をかしげている様子。


「……上手くいってないのかい?」

「……はい。ちゃんと手順どおりやってるんですけど……」

「うーん。角音は複雑だからねえ……」


その時、学院中央棟の頂上にある鐘が鳴る。


これは、門限五分前の合図。


「あ……も、もうこんな時間。今日は本当にごめんなさい、スィーヤ先輩」

「あ、うん。一学年の宿舎に戻るのかい?」

「はい、門限なので……ほんとは、もう少し練習しなきゃなんですけど、罰のせいで練習時間を失いたくないので」

「そっか……」


スィーヤに再度頭を上げてから、踵を返すミウ。


今日も結局、何の成果も出なかった。


心なしか、なんだか足取りも重い気がする。


「……なら、僕が手を貸してあげよう」


でも、なんだか今日は心地の良い風が吹く。


石をぶつけたことは申し訳なかったけど、なんだか優しそうな先輩に出会えたからだろうか。


少し、心が楽になったような。


気持ちが舞い上がるような。


ふわっと、空に浮き上がるような────。


(いや、これ……────⁉︎)


次の瞬間、耳を撫でるような不思議な音色と共に、ミウの視界から地面が遠ざかっていく。




間違いない、これは……浮いている・・・・・





「な、何⁉︎ わ、わわわわわ……⁉︎」

「体験するのは初めてかい、ミウ! これが浮遊の角音・・・・・さ!」


高く、高く。


最初に感じた風は、角音が増幅されたものだ。


それが力を帯びて、ミウの身体を空へと浮かばせる。


それより少し高い位置に、同じように角音の力で浮き上がったスィーヤの姿があった。


「せ、先輩! 私、門限に間に合わな……っ!」

「今日はジニーナ先生がいなかったんだろう? 僕と一緒にもっと練習しよう!」

「で、でも……!」

「大丈夫、僕が上手く誤魔化しておくよ。もっと練習しなきゃなんだろう、ミウ?」


いつの間にか、スィーヤの手には今まで見たことのない形の角笛が握られていた。


長さは1メートルくらい。


二つの、スィーヤのような滑らかな角が絡み合い、杖のようになりつつも、先端は絡み合っていた角が大きく開き、角音の出る器官として成り立っている。


思わず、ミウはその角笛に見惚れてしまう。


美しかった。


それに、この身体で受ける角音の感覚。


夢で見たあの瞬間・・・・を思い出す。


暗く、塞ぎ込んで濁っていたミウの瞳が、本来の碧玉のような輝きを取り戻す。


「……────私、やります!」


そうだ。


だって、こんなワクワクするような、未知の体験をたくさんしたいから。


そういうチャンスが、角としてこの頭に生えてきたのだから。


この学院にきたのは、そのためなのだから。


もうすぐ沈む夕日を紅く照らされながら、ミウの瞳は輝きを取り戻す────。

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