第二話 初めての友達

「はあ……」


その日の夕食、食堂にて。


ロミニアホルン角音女学院、第一学年のミウジカ・ローレニィは一人で学食を頬張っていた。


前髪で隠れた彼女の表情は、全くと言っていいほど浮かない。


(……私、全然ついていけてないよ)


名門校という事だけあって、食堂も生徒が何百人も収容出来る程に広い。


半円状のホールの弧の部分は巨大なステンドガラスを中心に何十枚ものガラスで陽や月の光が取り込まれるような造りになっている。


天井も壁も白を基調としており、所々に小さく見られる金色の彫刻が、高級過ぎない学び舎としての本分を弁えた美しさを際立てている。


三段ある階層には、それぞれ丸テーブルと四人分の席がワンセットとして数十セット以上用意されており、真っ白なテーブルクロスが敷かれている。


しかしミウは、それとは別に内壁に沿って置かれた長テーブルの中の一つの席に座り、若干猫背気味で夕食を頬張っていた。


(もっと勉強しなくちゃ……)


食事が置かれたお盆の隣には、演奏技術学の教科書。


とはいえ、もう自分に必要な部分は何十回も読み込んだ。


それでも彼女は、進歩出来ない。


それには理由もあって────。


「よお! 隣いいかい?」


ふと、お盆を持って隣の席に勢い良く座り込む一人の少女。


うっすら赤みがかった長髪をポニーテールにして後ろに結んでおり、前髪は彼女自身から見て左側に流している。


その前髪の奥からは一対の捻れた、螺旋状の紫がかった角が生えている。


瞳は空色で、太めの眉と幼げな顔、少しだけ小さめな身長、制服のスカートの下から見え隠れするスパッツが特徴的である。


「あ、え……は、ハンナ……さん」

「今日も派手にいびられてたなあ。ま、あれはあんまりにも出来ないミウも悪いと思うわ」


ハンナ・リロニィーナ。


ロミニアホルン角音女学院は、規則正しく上品な女性を育てるというスローガンの元、寮制を採用している。


そして部屋は二人一組となるのだが──ミウと同室なのが、このハンナなのである。


性格はガサツで口調も粗暴、好きなものはパンクな雰囲気を感じさせるピアスや指輪と、他の生徒達とはまた違う特徴を持っている。


臆病なミウは出来るだけ彼女との交流を避けており、普段は夕食を共にする事もないのだが……今日は珍しく、ミウの隣に彼女が座った。


「お前さ、いつも一人で飯食ってね? うわ、しかも飯食いながら教科書なんか読んじゃってさ」

「……ごめんなさい」

「なんで謝んだよ。勉強熱心なのはいい事だろ。あたしなんて読みすらしねーよ」


パンを頬張りながら、ミウの教科書の文字を指でなぞり、うんざりしたようなジェスチャーをするハンナ。


それでも彼女の成績は中の上(実技の成績に偏ってはいるが)ほど。


何となく天才肌なのがミウにも分かる。


そんな彼女に、ミウはボソボソと呟く。


「私……落ちこぼれ、だから」

「まあそうだわな。あんな試験、ちっちゃい頃に親から教わってて出来るもんだろ? なんであそこまで出来ねーんだ?」


スープに手を付け、一口飲んだ後、ハンナはミウに問いかけた。


「角人の角が生えるのが大体六〜七歳近くだろ? で、そこで親なり何なりに角笛の使い方を教えてもらうのが一般的だろ」


そう、角人の人生には大抵決められた段取りというものが存在する。


角人は多くが遺伝で、親が角人であれば子も角人である可能性が極めて高い。


それは六〜七歳の時点で角が生え始めた時点で判明する。


そして、この学院に入るまでの基礎的な角笛の技術は親に教わるというのが角人の習わしである。


しかし、ミウは自分の頬を指で掻きながら、ぼそりと呟く。


「……私、角が生えたの一年前なの」

「は?」


ミウの頭には、上に湾曲した深い紅色の角が生えている。


前述した通り、角人の角は六〜七歳頃に生え始めるのが一般的であり、半年で生え切るものである。


しかし、ミウが告げたのは一年前、つまりは一二歳の頃に角が生えたという事実。


「……そんなの聞いたことねえな。それじゃあそもそも角笛のコントロールもまともに教わってねえだろ」

「でも、私だってロミニアホルンの生徒だから」

「はー、真面目なこった」


いつの間にかさっさと食べ終わっていたハンナは、空の皿が乗ったお盆を横に逸らし、頬杖をつきながらミウの話を聞いていた。


「でもよ、教科書ばっかし読み腐ってたってどうにもなんねーんじゃねえの?」

「だって……音、うるさいかと思って」

「何、あたしに遠慮してたの? 別に気にすんなよそんなのっ」

「あうっ」


ぺちん、とミウの額を指で弾くハンナ。


他と比べて粗暴な雰囲気があり、近づき難いとミウは考えていたが、こう見えて彼女もかなり優しい人なのかも、なんて。


ふと、ハンナがぱちくりと目を見開き、ミウの顔をまじまじと見つめる。


「な、何……?」

「ちょっと、動くなよ」


ハンナの手が、ミウの目元に伸びる。


思わず、ミウは目を固く閉じる。


短めで丸っこい彼女の指が、ミウの長すぎる前髪を優しく横に流す。


「目、開けて」


ハンナの一言で、震える彼女は一瞬リラックスし、その瞳があらわになる。


その、エメラルドグリーンの瞳が。


「なんだ、結構可愛いじゃん! 前髪切れば良いのに!」


ハンナはにぃ、と崩したように微笑む。


何事かと驚いたミウの心臓は早鐘を打っていた。


彼女の言葉とその微笑みに、ミウは顔を真っ赤にして遮るように両手を顔の前で振る。


「そ、そんな事ない! 私みたいな田舎者、全然……!」

「どうしてそう自信ないかなあ。……あ、そーだ」


顔をぶんぶんと横に振るミウに少しだけ困った顔をするハンナは、何か思い付いた顔をする。


彼女は制服のポケットの中をゴソゴソとまさぐると、その中から何やら小さいものを取り出し、手のひらに乗せてミウに差し出す。


「これ、やるよ」

「……髪留め?」

「可愛いだろ? こないだ雑貨屋で買ったんだ」


それは、赤に近い桃色の音符の飾りがついた髪留め。


オタマジャクシの尾の部分にあたる符尾(はた)が鳥の翼のようになっているデザインだった。


「そ、そんなのもらえないよ! ハンナさんがつけるための……」

「いーのいーの。髪留めなんてたくさん持ってるしさ」

「せ、せめてお金は……!」

「いいってば。同室の仲なんだからさ。ほら」


ミウはポケットから財布を取り出そうとするが、ハンナに制されて動きを止める。


「そのまま動かないで。目、閉じてて」


彼女にそう言われ、ぎゅっと目をつむって待機するミウ。


楽にしてていいのに、と耳元でからかわれたが、額に彼女の指が擦れる感触、そのくすぐったさに、余計に目を固くつむってしまう。


できた、と呟く彼女の声に、そっと目を開くミウ。




────視界が妙に鮮明に見える。




食べかけの食事が更に色彩を増し、視界の端に消えるハンナの手が、もっと色味を帯びているように感じる。


髪で覆われていた視界が開け、全てが鮮明に見えるようになった。


ハンナが差し出してきた手鏡を、ミウはそっと自分の方へと向ける。


「…………」


そこには、前髪をミウ自身から見て左側に流し、眉と額を晒した彼女の姿があった。


「おーいいじゃん。似合う似合う」

「は、恥ずかしいよ」

「そのまんましときなって。センセーに言われてたじゃん、前髪何とかしろって」

「み、見てたの⁉︎」


にしし、と笑うハンナ。


その表情に何となく元気をもらったようで、ミウもつられて笑ってしまった。


「ありがとう、ハンナさん」

「さん付けしないでいいって、同い年じゃん。ハンナって呼んでくれよ」


ミウのパンを一切れ口に放り込むと、彼女を指さしてそう言うハンナ。


そんな彼女に、今度は笑うというより微笑むような顔をして、ミウは答えた。


「……じゃあ。ありがとう、ハンナ」

「いいってことよ」


乱暴そうで怖い印象のあった同室の生徒は、実は気遣いの上手い人だった。


ミウはその事にホッとしたり、何やら胸の中に温かいものが込み上げてきていた。


「あ、そうだ。そういえば次の授業で角音の基礎を教えてもらうのって、新任の先生なんだろ?」

「え、うん。歴史準備室に行けって……」


ミウはリドリー先生に告げられたままをハンナに聞かせた。


すると、ハンナは顎に人差し指を当てたまま考え込む。




「────けどよ、新任の先生って角人じゃない・・・・・・らしいぞ?」

「え?」




ミウの脳内が、クエスチョンマークで埋め尽くされた。

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