第6話 彼と彼女の思惑1

 迷宮からの出入り口の一つは、貧民街から北へ行った川辺にある。


 イオニスの元から離れ、穴から這い出したリサは、葉がつやつやとした円盤状のカラクの茂みからそっと顔をだして外をうかがった。

 辺りに人はいない。

 じっくりと聞き耳もたてて周囲が無人だと確認してから、リサは地上へ出た。


 地下の入り口は、仲間の貧民街の人間以外には知られないよう用心していた。

 なにせ地下探索をするのに資格が必要なわけじゃない。ごく近くに出入口があるとわかると、貧民街の住人ではない者まで入ってくるだろう。


 そこで問題になるのは、発掘品を取られることだけじゃない。

 取り合いになって、お互いに怪我をする可能性があった。

 元の世界と違って、この世界はそんなに怪我の治療が発達していない。怪我が元で病気になって死ぬこともあるのだ。なるべく怪我だけはしたくない。


「最近は特にすごい発掘品がないから、そんなに儲けがあるわけじゃないのにな……」

 

 今回はさらに別な意味が加わった。バレてイオニスに危機が迫っても危ないし、誰かが入って大騒ぎをされても困る。

 慎重を期したリサは、念のため、別の入り口へ向かった。そこからさらに違う出入り口を使って地上に出るつもりだ。


 こっそりと、川を下った先の穴から迷宮へ降りる。

 縦穴で、高さが二メートル以上ある。近くにもっと入りやすい穴があるので、誰も梯子を設置してまで使おうとはしないので、一目を忍ぶのにはうってつけだ。


 地下に飛び降りたリサは、周囲の音を探る。物音は聞こえない。

 リサはほっと気を緩め、ランプを灯して迷宮の中を歩き始めた。

 これで誰かに会っても、リサは今日この穴にずっといたと思ってもらえるだろう。イオニスがいる穴のことは詮索されにくくなる。


 リサは、北へ向けて延びる道を進む。あちらに空洞がありそうな隙間があったのだ。その近くはまだ探索しきっていない。もしかしたらイオニスからもらったカフスの他に、収穫があるかもしれない。


 気分を盛り上げて進んでいたリサは、やがて前方から聞こえる物音に気づいた。けれど貧民街の仲間だろうと気にとめず、さらに近づく。が、足を止めた。

 複数の足音、話し声。

 それも二・三人ではない。十人はいるだろう、数が多すぎる。貧民街の探索者はそんな団体では動かない。音がこちらへ向かってくるのに気づいて、リサは慌てて横道の窪みに隠れ、ランプの明かりを消した。


 やがて横道に淡い明かりが差し込んでくる。

 そっと覗くと、沢山の光の中に赤いローブの人影が見えた。全員が同じローブをまとっている。


(こんな人達見たことない……)


 けれど地下迷宮に慣れている様子からは、やはり貧民街の探索者としか思えない。


(一体誰?)


 疑問に思ったが、ローブのフードと、埃を吸い込まないように顔を覆う布をつけた彼らが顔見知りの誰かなのかすら、リサにはわからない。


 赤いローブの人々をやりすごし、リサは地上に戻った。

 まず、商店街から一歩路地へ入ったうさんくさい店でカフスを売る。

 まっとうな店に出入りができないリサは、ここを利用するしかないのだ。


 その金で、リサの服装に嫌そうな顔をされる店で買い物をして、荷物をリュックに突っ込んで背負い、王都外縁のほこりっぽい道を歩いた。

 貧民街へ戻るには、この道が一番近い。


 人通りが少ない道を歩いていると、脇道から警邏兵が二人現れる。染めが一番安い茶のロングコートの肩に、王国の紋章が縫い取られているのですぐわかる。

 一般民衆には身近なお巡りさんである彼らは、リサ達にとってはゴロツキ同然だ。


 目が合う前に逃げようとしたが、入ろうとした路地からも一人やってくる。しまった。はじめからこいつ等はリサを捕まえようとしていたのだろう。


「おい地下ネズミ」


 二人連れの片方が、リサに声を掛けてきた。


「今日はまた地下で何を漁ってたんだ、お前? だめだろう、金が入ったのなら真っ先に税を納めないとな」


「代わりに俺たちが品を引き取ってやろう。名前を教えれば、ちゃんと台帳に払った分を書いてやるからな」


 横と前、二方向からじりじりと彼らは迫ってくる。

 どうするかとリサは迷った末、思い切って反転し、逃げ出した。


「待て!」

「そういわれて素直に待つわけないでしょっ!」


 悪態をつきながらリサは走る。が、さすがに疲れで速度がでない。

 それにしても一日に二度追いかけられることになるなんて……。今日は厄日なのではないかとリサは心の中でうめく。


 角を曲がる前に外套の裾をつかまれた。つんのめってそのまま転びそうになったところで、肩をつかまれた。

 背負っていた荷物をとられそうになり、リサは肩を抱きしめるように背負い紐を握った。


 それが相手の気分を逆なでしたらしい。


「早く離せよ!」


 目の前に回っていた男がリサにこぶしを振り上げ――


「やめろ!」


 静止の声と共に、リサの周囲で小さな爆発がいくつも起きる。


「何だ!?」


 声を上げる警邏隊のうち、目の前にいた男が後ろから殴り倒された。


「こいつの仲間だ!」


 ほかの二人が引っ張ろうとしていたリュックから手を離し、リサを助けてくれた彼に向かっていこうとする。

 そのときリサは、彼の手に握られた小さい球体に気づき、とっさに手で目をふさいだ。


 指の隙間から突き刺さってくる閃光。

 誰かの悲鳴。

 そしてリサは誰かに手をつかまれ、目を閉じたまま走った。


 そのままずっと足を動かし続け、彼に「もういいよ」と言われて目を開けると、見慣れた風景が広がっていた。


 外壁の剥げかけた家や、既に二階部分が屋根と柱しかない家が固まった地域だ。

 雨漏りで人も住めなさそうな家々の間には、骨組みを適当に組んで、あちこちつぎはぎだらけの屋根をくっつけた住居らしいものがある。

 痛んだ家からは、数日前の雨が溜まったまま残っているのか、カビた匂いさえ漂ってきていた。


 これが王都東縁に広がる貧民街だ。

 でも数年前よりはずっと綺麗になった。

 リサがこの世界に来た当時は、家にすら住めない人が道端に寝転がっていて、そのまま死んでしまう人も多かった。

 初めて見た時はショックを受け、卒倒したところを養父に拾われたのだ。


(お父さんが拾ってくれなかったら、私も危なかったな)


 生活様式も、文明レベルも全く違う。しかも食べ物の名前さえ同じものばかりじゃない。たとえそれを知っていたとしても、親のいない子供はすぐに飢えてしまっただろう。


 でも今はのたれ死ぬ者の数も減り、衛生の面にもずいぶんと気を遣う余裕もでてきた。

 衛生については、リサが知る限りのことを教えて歩いた。

 他の世界から来たリサには、それぐらいしか役に立てることはなかった。けれど、この世界でも病気に対する予防方法は同じだったようで、病気にかかる人が激減したのだ。


 それでもまだ足りない。

 生活はぎりぎりだ。せめて養父が願った通り、みんなを都民に戻すことができれば……と思う。そうしたら発掘品を正当な対価で引き取ってもらえるようになるのに。


 最近自警のために見張りに立つようになった人々が、建物の壁にもたれながらリサに手を振ってくる。

 その組み合わせもかなり雑多だ。

 元スリだった壮年の男。その連れ合いになった元娼婦の中年女。そして少し離れた場所には、リサの養父の説得で殺人から手を引いた男。彼が気に掛けている、物乞いをしていた白髪の老人。でもみんなが顔見知りだ。

 リサがほっと息をつくと、手をつないでいた青年が微笑んだ。


「今日は危なかったね」

「うんありがとうユシアン」


 礼を言うと、彼ははにかんだような笑みを浮かべる。

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