ファイル4「試験対策委員会×盗まれた問題用紙」後編

ファイル4「試験対策委員会×盗まれた問題用紙」(5/8)

 七月後半にさしかかり、試験対策委員一同が前期期末試験の準備に追われていた時期だった。


 期末試験は小テストの総まとめであり、成績評価にも大きく関わってくる一大イベント。これを乗り切れるかどうかで留年するしないが変わってくるとあって、医学部全体がまるで受験戦争のように燃え上っていた。


 雪野は小テストのシケプリを作成しながら並行して各授業の総まとめを行い、そして自身も期末試験を突破するために必要な分を覚え込むという多忙を極めてふらふら死にかけ、南も、何かと彼をサポートするべく傍で待機して、雑用を引き受けていた。


「大丈夫? かなり疲れがたまってるんじゃない?」

「……あんまり寝てないからな」

「倒れちゃうよ。無理しないで……」


 買ってくるよう頼まれていたココアを図書館地下のパソコンルームに差し入れる。南が気を利かせてストローを挿そうとしたら「ここは飲食禁止」と止められた。


「じゃあ、適当に休んでね」

「ああ」

「それじゃ、ぼくは今日ミーティングだから」

「俺はもう少し作業やる」

「うん、わかった。頑張って」


 南は43Aの会議室へ。今日は最後の部活があるとのことで神木はミーティングには来ない。毎度律儀に出席している南は、やはりその分組織から信頼してもらえつつある。神木は「グループLINEでよくね?」と毎度面倒くさがるが、出席するだけで評価アップだなんて、出るほどお得としか南は思えなかった。いつも通り一番乗りのつもりで意気揚々とミーティングルームに足を踏み入れる――が、今日は既に数人が先に来ていた。ぺこりとお辞儀をして南が前を通ろうとして、教壇に立つ倉田と目が合った。そしてその周囲を取り巻く者達からじっとりとした視線を一斉に向けられる。


「お疲れ様……です……??」

 あれ? なんだろう、この空気。


 まるで噂話中に本人が来たために黙り込んだような奇妙な静寂に、戸惑いながら歩を進める。南は定位置の最前列端っこに鞄を下ろした。誰とも話すことなく、数分が過ぎて、


「よし、みんな席についてくれるかなぁ? 今日は少し――話があるよぉ。雪野くんについてね」

 委員長である倉田が取り仕切り、集まっていた人だかりも言われた通りに席に着いた。


 雪野くんについて? 今、そう言った?

 その名が改まった形で出ることに胸がざわめく。前に、「雪野を辞めさせろ」という意見が出たことのトラウマかもしれない。


「実は、ちょっと困ったタレコミがあってさ……」

 倉田はやれやれと髪を撫でつけながら、ドラマに出てくる教師のような口振りで言った。

「雪野くんは、試験内容を盗み見ているかもしれないんだ」


 室内がざわつく。

 南は何を言われたのかわからず、唖然としたまま固まった。


 ――なんだって?


 背後では、衝撃に驚く者の声や、そうだったのか……と腑に落ちたような声が聞こえてくる。既に聞いていたらしい者はじっと黙っている。


(雪野くんが、そ、そんなこと……?)

 まさか。

 試験内容を盗み見た、だって……?

 降って湧いたような話に、南は固まるしかない。

 

「雪野くんのシケプリは知っての通り、未来予知とまで呼ばれているからねぇ」

 倉田の顔は苦々しさをはらんでいる。

「雪野くんが校舎を出る際に学生証を通すと、エラーになっていることが何度かあったんだよー……」


 エラー?


「我が大学のセキュリティシステムは知っているねぇ。校舎には学生証を通して入り、出るときにも通すことになっている……そして二十二時以降には入れない。非常ボタンを押さない限り出ることもできないようになっている」


 玄関を通るときもそうだし、パソコンルームや図書館もそうだ。でもその話が、なんだというのだろう。


「雪野くんは校舎を出る際「ピー!」というエラー音が出て、よく止められているんだ」


 倉田はそこで間をとるが、聴衆は首をかしげている。


「でも私、学生証を一度なくしたことあるから、鳴ったことあるよ」

 女子生徒が手を挙げて言った。

「そうだね、新しく付与されたカードを使って出ようとすれば入室記録がないからエラーが鳴るよね。でも、もしそうだとしても、確認できただけでも、五回」


 倉田は手をパーにして言う。

「五回もだなんて、別の理由があるとは思わないかい~?」


 別の理由?


 想像もつかないと南は眉をひそめた。だが、後ろから声が上がる。

 

「まあ、下校せずに夜通し校舎に残っていた、とかなら、そうなるよな……」


 え。

 いや、だけど……。


 南はすぐには頷けなかったが、たしかにどこかに隠れてやりすごせば、次に学生証を通すときにはエラーになることは理解できることだった。


「倉田委員長、俺見たことあるぜ。あいつが早朝に校舎にいたとこ」


 列を挟んで隣に座る近田がおずおずと挙手して発言する。皆の注目が倉田委員長から近田に移動した。


「カラオケでオールしてそのまま早朝に登校したことがあったんだけど、バスの始発もない時間だったのに、あいつ、いたんだよ」


 不審な調子でそう語る彼に同調するように不穏な空気が拡がっていく。


「なんでいるんだ……? そんな朝早くから」

「変なやつ……」

「ちょっと、怪しいな」


 しかしそこにいた近田くん同様に雪野くんだってその時なにか事情があったのではないだろうか。

 南には雪野がカラオケオールしている姿は想像できなかったが、変わり者の行動理由なんてわかったものではない。


 そう、雪野くんといえば変な人なのだ。始発より早く来ているからってなんだというんだろう。そんなにそれが悪いことなのか?


「でも、そうだとして、雪野は帰らずに何をしていたんだ?」

 後ろの方に座る宮越が話を前に進めようとして、

「あ、それで、試験問題を見ていた、ってことか」

 納得したように頷く。


 いやいや……。いや……?

 

「夜な夜な、こそこそ、テストに出題される内容を探し集めてた、ってこと?」

 冷ややかな空気が流れる。


 ちょっと待ってよどうしてそうなるの。


 だが南が止めるより早く、


「待て待て。校舎に残っても、試験問題ってそんなに簡単に見られる場所にあるかな?」


 聴衆からちゃんと疑問の声が上がることにほっとする。


「小テストや期末試験の試験問題は大抵各先生の研究室に保管されていて、それぞれ鍵がかかっているだろ。それは学生証では開かないしな……。回して開ける普通の鍵だし」


 そうだよ。

 校舎に残れたとしても、問題用紙なんてそんなに簡単に手に入らない。


 南は遅れてそう思った。

 が、甘かった。


「でも、あの先生ならやれるかも。ほら、北川教授!」


 ああ、と納得した声が上がる。

 何のことだろう。


「難聴だからさ。些細な物音には気付かないかも。校舎に潜むというより、北川教授の研究室に潜んで待てばいい!」


 ……なるほど。


 コピー室で北川教授に質問した時、なかなか聞き取ってもらえなかったことを南も思い出した。本人も自分は耳が遠いと言っていた覚えがある。

 その北川教授の研究室に静かに身を潜めるなら、教授が出て行った後に室内を物色することはできるかもしれない。


「じゃあ雪野は、北川教授の試験問題を盗み見るために校舎に残っていた……?」


「てか、だったら夜中にずっと身を潜める必要はなくない? 教授のいない間、五分、十分もあればできそうじゃん」

「しかも、夜通し校舎に残っていたかもしれないのって、五回もなんだろ?」

「それにあいつ、副学長の試験問題以外も未来予知並だったぞ」


「いや、待てよ? それだけじゃない。あの人は副学長だ」

「副学長って?」

「副学長っていったら、学長の次に偉いんだろ。副学長の研究室になら、教学課の鍵も置いてあるんじゃないか?」


 口を挟めないままに、南は必死に話の展開を追う。


「まずは北川教授の研究室に侵入する。そこには、教学課の鍵が保管してあるとする。そのまま教授が帰宅するまで身を潜めておいて、教授の帰宅後にその鍵を使って教学課を開ければ……」

「あとはもうすべての研究室の鍵が手に入るな!」

「そして各研究室を回って試験問題を盗み見た後、鍵を元の位置に戻して、またどこかに潜んで朝を待つ」

「でも、大学って夜いつもいつも無人かなあ? 半分寝泊まりしてる先生もいるぞ」

「じゃあ、その時全ての鍵に粘土をくっつけて合鍵を作ってしまえばいいんじゃないか? そうすればもう日中だろうと好きな時に何度でも侵入可能だ」

「合鍵って、そんな簡単に作れるの?」

「作れるよ。鍵屋によっては写真からでも作ってくれることもある。粘土で型を取れば余裕だね」


「ま、雪野くんが、未来予知と呼ばれる高精度のシケプリを毎回作れた理由は、これだったんじゃないか、ってことなんだ。そうだとしたら、本当に残念だけどねぇ……」

 残念と言いつつ、全くいつもと変わらない声音で倉田が言って、力なく首を振った。


「やっぱりな」

「おかしいと思ったのよ。あんなにヤマが当たるはずがない!」

 雪野に泣かされた三宅は語気を強めて言う。

「他のもどうやって当てているんだか分かったものじゃないってば!」

「そうだよなあ」


 皆が口角泡を飛ばす勢いで騒いでいる。後世まで受け継ぐ最高のシケプリだと崇めていた者は、裏切られたことに対して失望し落胆の声を、正しさを盾にプライドをへし折られた者は、そもそも本人も不正を働いていたことに対して怒りの声を上げていた。


「けど、まだ証拠と呼べるものは何もないよ。いいかーい」

 倉田がそう言うも、収まる気配はない。

 南は耳をふさぎたくなった。


「でもどうするんだ? 雪野のシケプリ」


 この問題提起で、ようやく教室に静寂が降りてきた。


「それなんだが」


 倉田は一同の視線を集めると、一呼吸置き言った。


「試験前のこの時期に公表したのは、シケプリの扱いをどうするか、それを決めなければならなかったからなんだ。雪野くんは本当に盗み見ているのかどうなのか、わからないけどぉ……。皆、次のミーティングまでしばらく様子を見て、考えておいてほしい」


 シケプリの扱い?


 ざわざわと戸惑いの声が上がる。


「もし雪野が試験内容を盗み見ていたとしたら、それをそのままシケプリにするのは委員会の道義上許せない。そこで、破棄するとなれば、雪野くんの穴をみんなで埋めるしかない」


 えっ、と、一帯に緊張が走る。

 だが倉田委員長は励ますように、明るい声で続けた。


「その時は……頼む! みんな協力してほしいぃぃ!」


 一同は困ったように顔を見合わせている。倉田はもう一度真剣な声で言った。


「彼が盗み見ていたとして、さぁ? きっと試験対策委員会での成果を上げようとして不正に手を染めてしまったんだと思うんだー。そんな怪物を生み出したのは試験対策委員会の責任でもあーる。だから、皆、力を合わせて、この難局を乗り越えなきゃいけない。わかるかいぃ?」


 一同はやれやれ困ったことになったなとぼやきつつも、久しぶりの出動にどこか力を漲らせているような、奇妙な熱を帯びていた。

 

「まあ、まだ雪野くんがやったとは限らないからねぇ。いいかーい?」


 誰かが言った。

「証拠なんて、そんなの、すぐに出てくるに決まってる」


 まるで本当に出てきそうな勢いだった。



 翌日、一時間目の教室に足を踏み入れると、事情を聞いたらしい試験対策委員会の他のメンバーは大騒動になっていた。担当分が急に増やされるかもしれないのだから無理もないが――「不正者雪野のせいで困ったことになったよな」と異口同音にボヤく声が聞こえてくる。いつの間にか、一年生中に広まっているようだ。


「どーなってんの、これ? 雪野がなんかやったんだって?」

 神木も困惑気味に南に尋ねてくる。

「う、うん……でも、まだ決まったわけじゃないけど」

「でも、すげーな。夜な夜な学長を襲撃して試験問題を巻き上げたとかさあ」

「いや、違うよ! それは!」

 なんか尾ひれがついている。


 南は神木に事のあらましを説明した。未来予知レベルの神シケプリを作る雪野は大学までのバスもない早朝から校舎にいることがあることや、教学課の鍵を管理している副学長の北川教授は難聴で、研究室にこっそり侵入してもバレないこと、そして雪野の下校時に学生証を通すとエラー音が鳴っていたことを。


 倉田委員長が最後に念押しした通り、まだ証拠なんて何もない。だが、噂の広まり方は尋常じゃなかった。こんなことを待ってましたとばかりに、これみよがしにあることないこと拡散されている。


 何らかの形で雪野がやり玉にあげられることを、南も想定したことはあった。人の気持ちを考えずに行動していた雪野が恨みをかっているのはわかっていたから。でも、まさかこんな形になるなんて。


 もしこれが自分だったら、こらバレるなよ! なんて笑われて、それ以上話題にも上らずに終わりだったかもしれない。(もちろん、そんなことをしようとは思わないけれど。)


 でも、雪野は断じてそうはならないのだ。

 人に厳しさを敷いて、正しさを押し付けた。

 そして、そこまでやれない人達は、雪野に負けていることへの言い訳が欲しいと思っていたに違いなかった。

 雪野の成績はいつも上位で、シケプリはどれもこれも完璧。雪野より先に試験対策委員会を盛り上げていた者にとっては面白くなかったはずだ。嫉妬していないはずがないのだ。嫌悪しているに決まっているのだ。


 あれだけ歴史的なシケプリを作れたのは問題用紙を盗んでいるから。その可能性が提示されたことで、それをまことのものにしようと無意識のうちに躍起になっている。きっと、そうだ。

 

 南は、重い足を引き摺りながら、一人黙々と教科書を読んで予習している雪野の傍まで行く。

 ああ、気が重いなあ。でも、確かめなければ。

 誰も見ていないのに、なぜか視線を感じる。気配が向けられている。


「雪野くん」

 南は声をかける。彼の肩を叩き、事の真偽を問いただした。

「雪野くんが試験問題を盗み見たって噂になってる」

 それを聞いた雪野は眉一つ動かさない。

 むしろ涼しい顔だ。

「……そんなこと、してないよね」

「してない」

 バカげたことをとでも言うようにそう否定した。

 それで終わっていたら、南は雪野の側に立つつもりだった。

「でも……雪野くんがバスの始発よりも前に校舎にいたのを見ているって」


 だがそう言うと彼の様子に変化があった。

「は?」

 威圧するような、自己防衛するような、緊張実を帯びた空気。


「学生証を通過させる時も、少なくとも五回も、エラーになってた、って、言ってた……」


「それは……」

 彼は口ごもった。


「雪野くん?」

「……」

 奇妙な静寂。


 南は、なんとなく気付いてしまった。

 雪野くんは、たしかにそこにいた。始発もないはずの校舎に。


「雪野くん、そこに、いたの?」

 だとしたら理由はなんだろう。物理的にはいられないこともない。移動手段はいろいろある。毅然と、いつものように理路整然と否定してくれれば、どこまでも信じて納得して、みんなにも説明する役を担うつもりだった。


「……知るかよ」

「え……?」

 鋭い眼光が向けられた。

「だから、俺が試験問題を盗み見てるって? はは。くだらないね。誰が言い出したんだろ。もしかして南くん?」


「ぼ、ぼくじゃない」

 南はあわててさらに問う。

 嫌味なのか、本心で言っているのか、悪意の混ざった一言を受けて今更ながら、疑いを持つという失礼なことをしていることに意識が昇る。

「雪野くんは、不正なんて、して……ないんでしょ? ぼくにはわかるもん」

 南は少し語気を強めた。


 だが、


「なにがわかるだよ!」


 逆鱗に触れたらしい。


「ま、待って……雪野くんは、そんなこと、しない……ぼくは、疑ってないよ」


 南の口から勝手に言葉がこぼれ出る。


「だって、雪野くんのことを、見ていたんだ。だから――」


「だから! 俺のことを、知ったような顔するな!」


 雪野は一喝して机を叩くと、もう教科書に目を落とす。

 シャッターを閉じるように、ページをめくる。


(雪野くん……)


 なんなんだ。

 いったいに何を隠しているんだろう。


 こんな事態になっているのに、それでも自分は雪野を助けたいのに、本当のことを話してくれない。


 どころか、これは、なんの敵意なんだ。

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