忍び寄る影の章

幕間・ある少年と双子の過去1

 最初にその二人を見たとき、天使だと思ったんだ。

 俺はどこで生まれたかもわからない。

 レミーという名前も、本名というか気づけばそう呼ばれていたという通称だ。

 物心ついてからは殴られ蹴られしつつ物乞い、スリ、少し大きくなってからはナイフの使い方を仕込まれて盗賊の使いっ走り。

 誰も優しくしちゃくれなかった。

 誰も助けちゃくれなかった。

 だから、教会の宝物庫荒らしという大仕事を失敗して返り討ちにあって、大怪我をしつつ何とか森の中に逃げ込んで、でも怪我が痛すぎて膝をついたら倒れ込んでしまって、そのまま動けなくなった時、ここで死ぬんだと思ったんだ。


「ディアナ、あそこ、誰かいるよ!」


「寝てるの? レーン、起こしたらかわいそうかも」


「こんな所で寝る人いるかな?」


 小さな足音がして、目を開けるとさらさら音がしそうな綺麗な金髪が見えた。

 まだ十にも満たないような幼い子供が二人。

 まるで同じ顔、けれど髪型だけがちがう。

 短髪と長髪。葉緑の色をした四つの目が、こちらを覗き込んでいた。

 ……俺みたいなのでも、死ぬ時は天使が連れて行ってくれるのかな。地獄行きだと思ってた。ああ、でも連れて行かれた先で改めて審判が下って地獄行きかも……。


「起きて、こんな所で寝たら風邪ひくよ?」


「薬、すごく苦いよ?」


 二人が俺の体を揺する。この辺りで、混濁した俺の意識も、どうもこの二人は現実っぽいと気づいた。

 何故なら、俺を揺すった後、不思議そうな顔をして自分の手を見た二人が、ものすごく驚いた顔をしたから。


「血……!?」


「ケガしてる!」


「お、お医者さん呼ばなくちゃ、僕行ってくる!」


「レーンは走ったらゼーゼーなるかもしれないでしょ、そこにいて! 私が行くから!!」


 長髪の方が立ち上がって、駆けて行ったようだった。

 短髪の方が真っ青な顔で俺の体を撫でさする。


「しっかりして、お医者さんすぐ来るから、ディアナなら足速いから、大丈夫」


 医者と言っても信用できる者からうさんくさい呪い師レベルまで幅広いが、長髪の方が呼んでくるのはどっちだろうか。


「ねえ、死んじゃやだよ、死なないで」


 懇願こんがんされても、もはや俺にはどうしようもない。半泣きにならないでほしい。

 でも、どうやら、今死ねば死ぬ瞬間、一人きりというのは回避できそうだ。

 幸せだ、と思う。

 だが、社会の裏側で生きる俺にとって、幸せなど一瞬の稲妻のひらめきのような、はかないものだ。

 このまま死ねればいいのにな、と思いながら俺は目を閉じた。

 俺が次に目が覚ましたとき、俺は雲の中にいた。

 意識がはっきりしてくるに従って、雲だと思ったのはふわふわの布団で、俺はきちんと手当てされていると言うことに気がついた。

 というかどこだよここ。

 俺は痛む体を起こし、周りを見回す。

 ゴミも落ちていないし壁に穴も開いていない、きれいな部屋のベッドの上だった。

 ドアが開く音がして、痩せた男と派手なドレスを着た女が入ってきた。初めて見る顔だ。


「この子が、レーンが助けた子?」


 俺に駆け寄ろうとした女を男が止める。


「ナオミ様、素性の知れない者に気安くお近づきにならないでください。あなたは身分が低いとはいえ、あのお方のしつなのですから」


「そうよ。女としての二番目の幸せを得た女よ、私は」


 尊大にいう女。嫌なやつだ、と俺は直感する。

 男は少し悲しそうな顔をした後、女をおだて、ベッド脇の椅子に座らせ、俺と目線を合わせた。


「君は、いったいどこの誰なんだ? 名前は言えるか?」


 どうやら俺は双子の懇願により、まともな医者を呼んでもらって助けられたらしい。

 悪事がバレたら放り出される。まともな人間は盗賊を家に泊めない。


「俺は……レミー……です」


「名字は? どこの村に住んでいるんだ?」


 男が質問してくる。俺は大袈裟に頭をかかえ、うめいてみせた。


「名字……村……森の中で殴られて……誰に……やられたんだ……」


 教会の宝物庫荒らしは、神の宝物庫荒らしと一緒の大罪だ。

 バレたら俺は縛り首だ。だから、俺は記憶喪失のフリをすることにした。


「無理はしなくていい。自分の名前以外、わからないのかい?」


「自分の名前以外……わからない」


「あり得ますの? そんなこと」


 女が不満げに言う。バレたか、とそっと彼女をうかがうと、男が「まあまあ」と女をなだめていた。


「頭を打つと、記憶が混乱することがあるそうです。彼はきっと、森の中で盗賊に襲われて、ひどく殴られたのでしょう。教会を襲う荒くれ者たちです。彼らにやられれば、過去を思い出せなくなるほど手ひどくやられてもおかしくはありません」


 俺が盗賊なんだがな、と思ったが黙っておく。

 女は、感動した様子でハンカチを取り出し、目元の涙をふきはじめた。泣く要素あるのかこの話に。


「まあ……なんていたわしいこと。そんな哀れな民を助けるなんて、なんで得の高いことをレーンはしたのでしょう!」


 女はまるで劇場でアリア独唱を歌い上げる女優のように、レーン、レーンと誰かをたいそう褒めはじめた。

 だが、俺を助けたのは二人だった。短髪と長髪。

 どっちがレーンだか知らないが、普通なら二人を褒めるはずだ。

 この女、おかしくないか。


「恵まれない子を助けたのだからきっと神様が見てくださってるはずよ。そうすれば、レーンもきっと救われますわ。だから、あなたは傷が良くなるまで、ここにいらっしゃって?」


「ありがとうございます奥様感謝致します」


 前言撤回。

 めっちゃいい人だ。

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