成熟

 濡れたものが太ももに当たった感覚で目が覚めた。ディアナはまばたきした。どうも体調がぱっとしないような予感がした。


「なんか頭痛い……」


『どうしたの? 風邪? 初夏のいい季節なのに?』


「わかんない……なんか腰もだるい。マルベリー、食べすぎちゃったかな?」


『どうなんだろ。とりあえず、トイレ行ってきたら?』


 セリカの助言通り、ディアナはトイレに向かった。下着を下ろした時、彼女は目を疑った。


 まず目に飛び込んできたのは、赤だった。

 下着は白かったはずなのに。どうして。

 混乱するディアナの鼻に、生臭い鉄の匂いが触れる。

 血だ。

 でも、太ももにもどこにも傷はない。


「何!? 何これ!? 怪我なんてしてないよ!? 何で!?」


『あー、何だ生理ね。汚しちゃったら洗うのめんどくさいわね。シーツまで汚れてない? バレないように始末できる?』


 セリカはやけにしれっとしていた。そのせいでディアナの混乱に拍車がかかる。


「えっ何……生理って何!? セリカなんでそんなに冷静なの!?」


『あら、初めて来たの? 初潮しょちょう?』


「ショチョウって何!?」


 さっとセリカの顔色が変わった。信じられないものを見る目だった。


『……ちょっと待って、まさかその年で何も知らないとか?』


「どういうこと?」


 もうわけわかんない。ディアナは泣きたくなった。


『とりあえず、部屋に帰ってボロ布を下着に当てて、血を吸わせるようにしましょう。それから汚れ物を洗うなり捨てるなりして始末するわよ』


「わかった」


 パンクしそうな頭でどうにかセリカの言葉にしたがい、汚れてもいい下着にボロ布を当てて血を吸わせる。

 幸いにも、シーツは綺麗なままだった。

 汚れてしまった下着を洗いながら、ディアナはセリカに色々な事を教わった。

 生理や、なぜ生理が来るのかといったこと。子供のでき方。

 性教育の初歩だった。

 セリカの話が終わる頃、ディアナはやっと我を取り戻した。


「セリカ、やっぱりものしりだね」


 セリカは微妙な顔をした。


『……一般常識の範囲だと思うけど。ブレナン先生には、この事言っておいた方がいいと思う』


「そうだね。あんまり、動ける気がしないし」


 朝からびっくりしすぎ、ドタバタしまくったせいもある。

 ディアナがブレナンに生理と体調不良のことを告げると、すぐに休むように言われた。

 ディアナは寝て過ごすことになった。

 表向きはマルベリーの食べ過ぎで下痢をした、そのせいで下着を汚したから洗った、皇太子は病弱なので一週間ほど下痢が続くかもしれない、という風になった。

 ベッドの上で、女性の体の仕組みについての追加講義がセリカによって始まった。

 女性は赤ちゃんを産み育てる体の作りをしているが、赤ちゃんを産むことはとても危険で、死んでしまうこともあること。


「セリカ、すごいね。どれも初耳」


『あなた、お母さんとかにこういう事教わらなかったの?』


「ぜんぜん……」


『……あんまり人の親悪く言うもんじゃないとは思うけど、ちょっとあなたのお母さんひどくない? 普通年頃になったら教えるものよ?』


「そうなの?」


『いきなりあなたの髪切り落としたりするし、無理に男装させてお城に押し込むし、そのくせフォローは一切なしって、いくらなんでもかわいい娘にすることじゃないわよ』


「……女っぽくない事ばっかりしてたから、かわいくないと思う」


 ディアナは過去をぼんやり思う。

 ママはママの枠にはまること以外をとても嫌っていた。

 虫の標本を燃やされた。そして、レーンには私には絶対に言わない言葉を言った。

 あの日、全てが変わってしまった日を思い出す。ナオミとブレナンの言い争う声。


 ――レーン様、どうか、どうかその薬をお飲みにならないように!


 ――ブレナン! あなた、レーンがどうなってもいいの?!


 ――レーン様を思うがゆえの忠告です!


 最期に見たレーンの姿は、やせ細り、皮膚ひふはもはや青白く、まるでガラス細工だった。言い争いに対しても、レーンはあくまでも穏やかだった。


 ――先生、心配してくれてありがとう。でも、僕薬湯を飲むよ。ママが僕が元気になるように、僕のためを思って、せっかく用意してくれたんだもの。悪い事なんて、起きるはずないさ


 ――そうよ。その通りよ。あなたが大切だから、準備したものなの。


 あなたが大切。

 そんな言葉を、ナオミがディアナにかけることはなかった。

【ディアナ】のことを大切だとは思っていなかったのだろう、と考えるとさらにディアナは気分が沈み込んだ。


『かわいくないなんて何言ってるの、あなたけっこう美形よ、自信持ちなさい』


 そういうことじゃないんだけどな、とディアナは思ったが、黙っていることしかできなかった。しばしの沈黙を、カーラの深刻な声がやぶった。


『今気づいたんだけど、ひょっとして胸の下着についてもぜんぜん教わってなかったりする?』


「私みたいのでもいるの?」


『いるわよ、走ったりしたとき揺れて痛くない?』


「多少……」


『押さえとかないと不自由よ。といっても男装し続けなきゃいけないわけだから、布巻いて抑えるくらいしかできないけど』


「……調達してもらう」


 ベッドの上で転がりながら、セリカは親切だけど私が魂を売ったから取引としてやってるだけなのかなあ、とディアナは考えてしまった。

 体調がわるいときは、どこまでもわるいことをかんがえてしまう。もう寝よう。ディアナは目を閉じた。

 レーンはいつもベッドの上で何を考えてたんだろう。

 ディアナの疑問は、眠気に溶けていった。

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