養蚕開始

 切った木材のさわやかな香りがする棚が立ち並ぶ部屋の中、数人の女がはいつくばって何かを探している。

「見つけた!……噛みつかないと分かってても、やっぱりちょっと気持ち悪いねえ」

 ミルキーは小指ほどの長さの黒と白のまだらの芋虫を、棚の上に置かれたマルベリーの葉に放す。虫は彼女の手からもぞもぞと抜け出すと、マルベリーの葉を食べ始める。ディアナの横で、セリカがぼやく。


『クワコとの間の子だとやっぱりずいぶん動いて逃げちゃうわね……集団飼育は難しいかなぁ』

「虫は逃げるのが自然だと思うんだけど、蚕は違うの?」


 隣で幼虫を探すミルキーに怪しまれないよう、小声でディアナは尋ねる。セリカが頷く。


『カイコは完全に家畜化されているから、餌を探して動いたり他の幼虫と喧嘩したりしないけど、クワコは夜になるとよく動くし時には逃げるの』


 ミルキーたちの新たな仕事場は、ディアナに与えられた王城の東棟の一部を改造して作られた養蚕部屋だ。夜のうちに逃げ出してしまった幼虫を飼育棚に戻し、きちんと餌が食べられるようにするのが今日の仕事だ。おっかなびっくりと虫にさわるミルキーに、ディアナは思い当たることがあった。


「やっばり、色合い?」

「はい、皇太子様。黒い虫はなんとなく嫌なのです……」

「それなら大丈夫。このまま上手くいけば、白くなるはずだから」

「本当ですか?」

「うん。きっと。そう聞いてるから」

「聞いてる?」

「確かなことだから。じゃあ、私は向こう探してくる!」


 ミルキーに聞き返され、まさか悪魔と契約したと本当の事を言うわけにもいかないので、ディアナは誤魔化して娼婦たちに背を向けた。部屋の逆側からかしましいおしゃべりが聞こえてくる。


「んー、じっくり見てみるとおいしそうに見えてくる……」

「うわー、ヒルダほんと趣味悪い!」

「食わず嫌いのサラ……人生損してる」


 喧嘩になったら大変だ。ディアナが振り返ると、赤毛を一本のおさげにした少女が、幼虫を手に持ってぼんやりしている黒い長髪の少女と言い争っていた。


「本当にヒルダ、わけわかんない。ウチが客に対して愛想よくふるまってたのは、ミルキー姐が余計な男に触れられないようにするためだって」

「え……なにそれ」

「男の体って、硬いし、臭いし、毛深いし、本当に汚いし……あんなのがミルキー姐に触れるなんて許せなかったよね! まあ、王子様のおかげで解放されたし、王子様はみだりに私たちにべたべたしないから、最高よね!」

「……刺激が少ない。暇」


 長い前髪の奥で、ヒルダは吐き捨てる。サラはお下げを揺らしてヒルダをにらみつける。険悪になりそうなヒルダとサラだったが、「まあまあ」と出っ歯の女が仲裁する。


「おいしそうといえば、この虫たちが食べているマルベリーの葉、ハーブティーとして煮出したら、血行を促進して体をぽかぽかに温めてくれるから、むくみや冷えに効きますわよ?」

「メリッサ、詳しいね!」

「娼館に身を落とす前は、薬草問屋でメイドをしていましたの……ノーデンの織物のせいで、潰れてしまいましたけど」


『ノーデンの、織物のせい……』

「セリカ?」


 暗い声に空中を見上げると、晴れない顔をしたセリカがいた。そう言えばノーデンの森の中のお屋敷にいた時、次期領主が織物工場を作ったと聞いたことがあった。でも、どうしてそれを聞いて悪魔が落ち込むのだろう。ディアナは不思議に思った。ディアナに気づいて、セリカはあわてて表情を取り繕った。


『なんでもないわ。品種改良が進めば、こんなことしなくてもよくなるから、今は耐えて』

「逃げちゃうのは大変だけど、季節的に餌のマルベリーの葉っぱがたくさんあるから、たくさん育てられるのはいいよね、セリカ。どんどんつがわせて、たくさん絹を取ろうよ」

『孵った子達を全部成虫になるまで育てるわけじゃないわ。半分……四分の一だけ残すの。最終的には不死の蚕とつがわせる雄が1頭いればいいから』

「飢え死にさせちゃうの?」

『絹をとるから、最終的には蛹のときに茹で殺しちゃうわよ?』

「えー!」


 不満と驚きでディアナは叫んでしまった。でもよく考えると、試作品を作る時もまだ羽化していない繭を茹でていた。あの時は昼の勉強と夜の蚕の世話で過労状態で頭が回っていなかったから、絹を作るという事がどういう事なのか分かっていなかった。


「皇太子様? どうかなさいました?」

「なんでもないよ。こけそうになっただけ」


 心配そうなミルキーに愛想笑いをし、何事もなかったふりをする。そしてのんきに浮かぶセリカをにらみつける。セリカは聞きわけのない子供をたしなめるように言った。


『家畜だからね。どうしてもそうなるわ。羊だって、潰して食べるでしょう?』

「でも、蚕は毛を取るだけ取って肉は捨てるんでしょう? 肉を無駄にしてるよ!」

『決して無駄にはしないから。蚕の蛹って栄養豊富で、鶏とかのいい餌になるのよ。人間の食べ物にしてた国もあるわ』

「国が、いま新グレートブリテン王国以外にあるの?」


『ああ、あなたはこの国しか国を知らないわね。旧世界のときの話だけど、200近くの国があったのよ』

「本当!?」

『そして、今も他の国は海の向こうに存在しているわ』

「え?」


 セリカがあっさりと口にした衝撃的な事実に、ディアナはその場に固まった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る