06君の笑顔は100万ボルト

 静かになった私に、若林くんは言い含めるように告げる。


「確かに今回は、少なかった。けど身近なところに、被血者ひけつしゃ――血を提供してくれる仲間がいる。頼めばどうにかなるよ。今の僕は、最低限の健康を保てるくらいには、定期的に血を摂取できてるんだ。

 気持ちはありがたいけど、望月さんの手を煩わすには及ばないよ」

「まだ、なにか隠してるでしょう」

「……どうしてさ」

「今、僕って言った」


 若林くんは分かりやすく口ごもる。


「なんでそう、簡単に見抜くんだよ。……マジか。マジかよ。嘘だろ、なんで分かるんだよ、嫌だ」

「嫌で結構です、さあ言えさあ吐けさあ白状しろ」


 前のめりになって詰め寄ると、彼は上体を反らして逃げるようにしながら。

 目をそらしつつ、ぼそりと答える。



「身内の血よりは。純粋な人間の血の方が、いい」



 そんなことだろうと思った。

 だって、吸血鬼は吸血鬼を襲わない。実際の吸血鬼がどうだったかは分からないけど、伝えられてる感じでは、血を吸う対象は普通、人間だ。


 いよいよ、私の中では決意が固まる。

 けれどもこの様子じゃ、彼を説得するには骨が折れそうだった。


 だめだ。

 建前じゃ、だめだ。


「分かった。若林くんもカミングアウトしてくれたから、私も本音で話をしましょう」


 椅子に座り直し、私は腕組みして。

 若林くんを、正面から真っ直ぐ見据える。



「私は。貴重な性癖である若林くんを保護したい」

「なんて?」



 裏返りそうな声をあげた若林くんをよそに。

 私は至って真顔で頷いてみせる。


「私にとって、若林くんは大変に尊みの深い、性癖の権化なんです」

「えっちょっとマジで何言ってるか分かんないんだけど」

「え、語る? いかに若林紅太という存在が、私の性癖へ見事なまでにクリーンヒットしているか、その性癖の素晴らしさと共に事細かに語る?」

「ごめんやっぱ聞きたくねぇわ」


 彼のドン引きしている気配がひしひしと漂う。

 でも私は止めないぞ。最終的に断られたとしても、ここまで来たら引き下がらずにぶちかましたるぞ。今後サークルで話してくれなくなったとしても本望だ。

 だって君、あまりに自分に無頓着が過ぎる。


「けど、このままだと、私の尊みの権化は脅かされ続ける状況にあるわけですよ。

 よく考えてみてほしいんだけど。入学して、まだ一ヶ月だよ? それで私みたいな変態にかぎつかれる有様だよ?

 なのに血が足りない状態で生活し続けて、ボロが出ないって思う方がおかしいでしょ。万一のことがあったらどうするんですか。健康的にも社会的にも、危なっかしくてしょうがないんだけど。

 きっと、いずれまた誰かにバレる。そいつが私みたいに適当な奴だとは限らない。吸血鬼の末裔ってことは信じなかったとしても、変な奴としてのレッテルを貼られて吹聴されるかもしれないでしょ」


 若林くんに話す隙を与えぬまま、私はテーブルに拳をぶつけた。


「だけど! ここに! 事情を知ってて血を提供してもいいって奴が要るのに!

 何故、君は利用しないのか!!!

 別にね、やましい気持ちがあるわけじゃないんですよ。いやそもそも性癖云々言ってるのがやましいと言われたらなんも言えないんだけど、ただただ純粋に貴重で尊い存在を、迫り来る魔の手から保護したいという、単純で、シンプルな欲望なんです。

 そりゃね、病弱で弱々しい様もそれはそれで尊いけど、どうせなら頬には薔薇色の赤みを湛えてもらって、健康に過ごして欲しいと思うじゃないですか!

 推しには、健康で幸せに生きていて欲しいんですよ!

 つまり私は、推しである若林くんの社会的立場と健やかな未来を守りたいの。分かる?」


「言ってることは分かるけど、何言ってるのか全然分かんねぇ……」


 ドン引きを通り越し、むしろ圧倒されたようすで呆然と若林くんは答えた。

 大丈夫、その反応は想定の範囲内だ!

 むしろ塩をぶつけて逃げられなくてよかったと思っている!!!



 呼吸を整え、私は話を戻す。


「と、いうわけで。個人的な事情含め、私は協力したいなと、おこがましくも思ってるんですよ。

 私は、推しの健康と社会的平穏が守れて嬉しい。

 若林くんは、定期的に血を摂取できて安泰。

 実にwin-winでしょ。

 さすがに毎日って言われると困るけど。週に一回くらいなら、やぶさかではない」

「……寛容すぎるよ。自分が何言ってるか分かってるの?」


 若林くんは指で下の口を広げて、自分の歯を見せた。

 中から尖った犬歯がのぞく。けれどもその歯は、私と比べて、とりたてて鋭いわけではない。


「言っておくけど。僕は……俺は、映画や漫画で出てくる吸血鬼みたいに牙がある訳じゃない。血をもらうときは、この前みたいに皮膚を切って血を出してもらうんだ。だからカッターを持ち歩いてる。

 傷は治せるけど、傷を作るときには、やっぱり痛いと思う」

「だよね。分かってるよ」


 痛いのは、そりゃあ、全力ウェルカムというわけじゃないですけど。


「平気平気。痛めつけられるのは嫌だけど、そこまでじゃないだろうし。むしろ注射とか興奮するし」

「何言ってるの?」

「何を言ってるんでしょう!」


 危うくまた変態度が上がってしまうところだった。

 遅いか。


「じゃあ、もう率直に、シンプルに答えて。

 若林くんは、身内以外からの血が欲しい?」


 少しの間、若林くんは迷うように目を細め、口を閉ざして。

 けれどもやがて、伏せていたその長い睫毛をゆるゆると上げた。


「欲しい」

「なら、決まりだね」

「本当に、いいの」

「いいよ。あ、でも体調によっては、延期をお願いする日とかはあるかもしれないけど」

「それは分かってる。そういうことじゃないんだ。

 ……僕は、こんなんでも。腐っても吸血鬼の末裔だ」


 私の手首を掴んで、彼は私の顔を覗き込んだ。


「一度、味をしめてしまったら。

 そう簡単に手放したりなんか、できないよ?」


 味をしめることなんか、あるんだろうか。

 めっちゃ、うるさい血ですけど。

 むしろ辟易するかもしれないですけど。


「こんなんでよければ、どうぞ」


 味に多少の不満はあるかもしれないけど、まあ。

 腐っても、人間の血ではあるのだし。


 私は、君という性癖に、どうか健やかに過ごしてもらいたいんだ。



「ありがとう」



 私の答えを聞くと、そう言って。

 彼は、ふわりと笑った。




 ……何度か。彼が笑う姿は、見たことがあるはずだった。

 けれどもそれは、まだ本当に全開な笑顔じゃなかったんだと思い知る。


 この世のあらゆる祝福を一身に受けたかのような、彼の笑顔は。

 花がほころぶ、というより。強制的に周りの花を全て咲かせてしまうんじゃないかと思うような、そんな破壊力のある笑顔だった。


 窓から差し込む太陽の光よりも。

 ずっと、眩い。

 同じサークル内で、笑顔の貴公子なんて呼ばれている人物のものより。

 ずっとずっと、私を魅了してやまなかった。


 その笑みに。

 私は囚われたように釘付けになり、目が離せない。



 君は!

 月っぽいキャラだと思ってたけど!!

 笑うと今度は太陽になるというのか!!!


 なんだそれ!

 ずるいぞ!!

 属性過多だぞ!!!



「これからよろしくね。僕の被血者さん」



 まだ笑顔の衝撃が引かぬままでいる私のところへ、若林くんは身を乗り出し。

 耳元で、そう囁いた。



 近い。

 近い近い近い近い近い!!!



 近いついでに昨日の出来事を思いだし、ぞくりと鳥肌を立てた。だめだ詳細を思い出してはいけない悶絶してしまう。


 精神崩壊を防ぐため、私は本で顔をガードしながら尋ねる。


「お聞きしてもよろしいでしょうか」

「何?」

「いつも、こんな距離感なの?」


 その質問に、彼は私の手にした本を掴み。

 隠れようとしていた私を彼の眼前に引きずり出してから、悪戯っぽく言う。



「心配しなくても。急に噛みついたり、血を吸ったりはしないから、大丈夫だよ」



 そして彼はまた、満面の笑みを浮かべてみせた。




 この男は。

 血よりも先に、精魂を搾り取って、私を殺す気なのかもしれない。









 こうして、私は。

 吸血鬼の末裔、若林紅太の被血者デザートになった。

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