1章:若林紅太は吸血鬼の末裔である

01ギムナジウムにいるよな青年

 この世は性癖で満ちている。


 というような名言を残した人物なんて、もちろん存在しないのだけれども。いつだったか不意に浮かんだその金言は、未だに私の中で燦然と輝いている。


 そう。この世はまこと、性癖で満ちている。


 たとえばそれは、細身の体躯に隠された筋肉であったり。

 たとえばそれは、爽やかな笑顔の裏にある黒い性格であったり。

 たとえばそれは、獣の耳を生やした人物であったり。

 たとえばそれは、世を忍ぶ仮の姿は男装の麗人であったり。


 たとえ本人が、取るに足らない当たり前の事柄だと感じていたとしても――それはきっと、どこかの誰かの性癖なのだ。




 とはいっても。

 その人物との邂逅が成されなければ、性癖を堪能する機会は、ついぞ訪れることはないわけで。






「どうしてうちの大学には長髪男子が一人もいないの……!」


 私、望月もちづき白香しろかは盛大にテーブルに突っ伏す。

 コーヒーゼリーを食べ終えた後、最近はルーチンとなった性癖探索……もとい人間観察で、夕方の学食に集う大学生たちをあますことなく見回したのだが、本日も収穫はない。


「普通いねぇよ」


 間髪入れずにばっさりと切り捨てたのは、心の友こと、桜間さくらまたまきだ。

 大仰に嘆く私を、環は三白眼で見下ろした。普段は背中までかかる髪をなびかせているが、今はラーメンを食べるため、その長い髪はバナナクリップでまとめられている。

 春らしいピンク色のシフォン生地のブラウスに、白いニットの薄手カーディガン。ショートパンツとニーハイソックスで惜しげもなく彩られた、すらりと長く細いお御足。控えめに言って太ももに触りたい。撫で回したい。

 本日も、環は眼福である。



「だってさぁ環! この大都会は東京のど真ん中で! もう一ヶ月も学内に目を光らせているというのに!!

 ただの一人も髪を長くしてる男性がいないんだよ!!! おかしくない!?」

「おかしいのはお前の思考回路な」

「だって校則がないんだよ!? 学ランの襟にかかるまで髪を短くしなくていいんだよ!? なのに、どうしてみんな長髪にしないの!?」

「校則がなければ男子はみんな長髪にするだろうと思うお前の発想がびっくりだわ」



 片手間に私のぼやきをあしらいながら、環は学食のラーメンをすすりきった。




 私たちが出会ってから、まだ一ヶ月足らず。しかし環は既に、私の親友といっていいポジションに華麗におさまっていた。


 環と出会えたことは、残念ながら未だ大学にて性癖サンクチュアリを見いだせずにいるながらも、大変な僥倖であったと言って良い。

 何しろ私の性癖を全開で垂れ流しても、こうしてきちんと話に付き合ってくれるのだ。今みたいに白い目は向けつつも、それはご愛嬌である。


 出会ってまだ一ヶ月ですよ一ヶ月。こんなに早く本性さらけ出せるようになるなんて、そうそうないですよ。お付き合いを前提に結婚してくれ。




 体は突っ伏したまま顔だけ上げ、私は顎を腕に乗せる。


「あー。その辺に落ちてないかなー、着物に袴の長髪男子……」

「京都の太秦うずまさにでも行けよ。多分ごろごろ落ちてるぞ」

「私は作り物の和風男子ではなく天然物を欲している」

「うっわ、めんっどくせぇなこの女……」


 環は、言葉と表情が見事にマッチした面倒臭そうな顔をする。

 そういう君の素直なところは、とても好感が持てます。




 このように、私は自分の性癖を忠実に追い求める変態である。


 一応断っておくが、別に彼氏が欲しいわけではない。

 ただただ単純に、シンプルに、私は『ときめき』が欲しいだけなのである。

 自分の心の柔いところにぶっ刺さる性癖を持った彼らを遠くから眺め、心に栄養を、養分を、潤いを頂きながら、尊いなぁなどとお茶をすすりつつ、外野からニヤニヤ眺めていたいだけなのである。

 私はモブがいい。



「白香さ。そんなに性癖を満たしたいなら、茶道とか弓道とか、伝統文化系のサークルにでも入ればよかったじゃん」

「それは駄目」

「どうしてさ」

「茶道は女子率が高くて数少ない男子もチャラ率が高かった。

 弓道は本拠地がこのキャンパスじゃないから、遠すぎて却下。他の運動部も同様。

 百人一首はあろうことか髪を染めてる輩が席巻してたし、落語は新歓の際に下ネタに走る輩がいて論外だし、能楽は固くて文学部以外から入りづらかったし、歌舞伎は性癖じゃなかった」

「全部チェック済みかーそうかー逆にすげぇなー」


 棒読みと感嘆の入り混じったような声音を環があげた。その流れるような受け答えが、話していて実に心地いい。環さん尊い。

 環の尊さで少し復活し、私はようやく気怠く体を起こした。


「まあ。和風男子は、あくまで性癖の一つだから……おいおい、他の何かが見つけられればそれでいいんですけどね。一番分かりやすいから、サークルもそれを巡ってたはいたけど」


 言いながら、私はこの後に待ち受ける予定を思い出し。

 つい、ため息混じりに呟いてしまう。


「サークルかぁ……」

「今日、この後だろ」

「うん。あー、面倒だなぁ……」


 一応、周りに同じサークルの人がいないことを確認してから、そうぼやき。またしても私は、油の匂いの染み込んだテーブルに沈み込んだ。



 和風のサークルを空振りしまくった私は、性癖を追い求めることを諦め、順当に無難なサークルに入った。

 私の所属しているサークルは、国際法研究会だ。

 その名の通り国際法を勉強している、ゼミのようなサークルで、ほとんど法学部の学生しか所属していない。

 そしてそれが、私がこのサークルに入った最大の理由だった。


 同じ学部の、女友達が欲しい。


 本来が人見知りであるところの私は、環以外の友人がいない。もっとも、環という尊みがいてくれるだけで大変に恵まれた話ではあるのだけれど。

 それでも、もう少し友達が欲しい。どうせならもっとワイワイ大学生活を楽しみたいのだ。


 そう思って入ったサークルだというのに。蓋を開けてみれば、なんと同学年の女子は私一人きりだったのだ。

 上級生には女の人もいたけれど、そこは先輩。対等に気兼ねなく話せるわけじゃない。

 そして対等な立場であるところの同期は、全員が男子だ。

 いかな普段、環には性癖性癖と連呼しているとて、私は女子校出身の、男子への耐性があまりない人見知りである。

 気楽に話せるわけが! ないだろう!



 だから望んで入ったはずのサークルも、なんとなく憂鬱さが勝るのだ。

 まだ緊張が解けない中で非常に気を遣うので、いつも活動の日はどっと疲れる。


 今日も今日とてアンニュイな気分で、呻き声を上げながら面倒くさく環に絡んでいると。視界の隅に見知った人物の姿が入り、思わず「あ」と声を上げる。


「どうした?」

「いや。同じサークルの人」


 本人に聞かれないよう、小声で答えた。

 私たちより三つは離れたテーブルに座っていたその人物は、友人の輪から抜け一人で席を立ったところだった。私には気付いていないのか、それとも気付かないふりをしているのか。いずれにせよ彼はこちらに顔を向けることなく、静かに環の後ろを通り過ぎていく。


 振り返って私の目線の先を確認すると、ああ、と環は頷く。


「若林じゃん」

「知ってるの?」

「基礎ゼミが一緒なんだよ。そっか、同じサークルだったんか」


 へえ、とその偶然を意外に思いつつ、私は改めて去っていく彼を眺める。




 若林わかばやし紅太こうたは、国際法研究会に所属する、私と同じ一年生だ。


 おそらく男性としては平均的な、170センチ代の背丈。しかし、ひょろりと細長い、という表現がしっくりくる体格で、かなり細い。色白で髪の毛もやや茶色がかっており、その名に反して全体的に色素が薄いイメージだ。

 切れ長のやや細い目をした端正な顔立ちだったが、談笑しているときはともかく、一人でいる時などはどこか少し冷たい印象を与える。


 彼は私と同様、用事があったり近くに座ったりしない限り、積極的に話しかけてくるタイプではない。

 つまり、彼とはこれまでそんなに話をしたことがなかった。

 けれども先輩や他の同期と楽しそうに話す姿はよく見るので、私よりは社交性が高いようである。羨ましい。




 ぼんやりとそんなことを考えていると。

 環は私に視線を戻して、不意に尋ねてくる。


「白香、ああいうタイプはどうなのさ」

「どうって?」

「性癖の話を差っ引いても、好みとして」


 問われて、率直な感想を述べる。


「おモテになりそうな顔立ちですね、と思う」

「なんだよその表現は……」

「基本的に、整った顔立ちの人間は、私のことを有象無象と認識してると思ってるので、そうとしか思えない」

「卑屈だな……」


 それが、性癖の対象を遠くからニヨニヨ眺めて愛でていたいという、私の性質の要因なんだろうとは思う。

 恋人を作って過ごすウキウキハッピーライフに、憧れがないわけではない。だけど、どうにも自分が恋愛の当事者になるというのが、今ひとつピンと来ないのだ。


 環は「だけどなぁ」と半分は独り言のように言う。


「あれは、そうモテるタイプでもないだろ。見た目、病弱そうだし、もうちょっと筋肉あって健康的な人のが人気あるんじゃん?」


 環の言に、しかし私は異を唱える。


「いや。太陽のやうな性質を持つ人物より、さながら冴えた空に浮かぶ月のやうに、儚く消え入りそうな美を好む層はきっともっといるはずだ」

「……別に聞くつもりはなかったんだが、その方向性はもしかしてお前の数多ある性癖の一つか?」

「失敬な人をなんだと思ってるんだ和風よりむしろそれが大本命です」


 彼自体は性癖としてピンポイントではないが、似た方向性なので看過できないのだよ。


「私は日焼けしてバーベキューしてるパリピより、ギムナジウムにいる少年が好みだから……」

「残念ながらギムナジウムにいる少年は大学にはいない……」

「ギムナジウムにいる少年が成長して、その儚さと憂いを湛えたままの姿で大学生として顕現してくれることを望んでいるの……」


 しかし私だって分かってはいる。

 そんな人物、

 だからまだ可能性が高そうな和風男子を追い求めていたのだ。


「白い肌に華奢な体躯で、月明かりや薔薇園が似合う、硝子細工を体現したかのような影のある美青年、とても美味しいです……」

「十八オーバーの野郎に何を求めてるんだよ……」

「できれば銀髪に赤い目とかが嬉しいけど、さすがにそれはリアルで望めないから見た目は妥協するのもやぶさかではない……」

「ようし分かったお前は現実を諦めてpixivを漁れ」


 その突き放すにも似た軽妙な切り返し、大変によろしいと思う。

 とはいえ。



 私は意識を無理矢理に現実的なところに引き戻し、腕時計を確認する。

 若林くんが席を立った理由には、心当たりしかなかった。サークルの始まる時間が迫っているのだ。

 そこまでガチガチに厳しいサークルではないが、一年生である。ぎりぎりに駆け込んで悪目立ちはしたくない。

 環との平和なひとときに後ろ髪を引かれながらも、私は渋々、帰り支度を始めた。

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