第18話 現実的な作戦

 日向が主人公らしいセリフを放ち、玄二がそれに動揺している時、幸は予想が当たったと、小さくもガッツポーズをとっていました。

 玄二に相対する敵、玄二が排除しようとも出来ない敵、日向。ここまで強く出られたら、玄二はもう何も言えませんでした。

 この様子を驚きながら見ていた佐久は、

(進行方向逆だからどかす必要はないんだけど……)

 まあまあ冷静に考えていました。ただ、誰も声は発しません。

 と、ちょうどそのタイミング。少しの沈黙を切り裂くように、ひょっこり現れる人物が。

「行ける支度は整ったことだし、出発をしましょう……か?」

 車の鍵をくるくると指で回しながらやって来た風華は、何やら異様な光景に目を見開く、———と同時。

 佐久同様に幸を見て状況を完璧に把握、ニコリと笑顔を作ると、幸に向かって歩を進めていきました。

「日向ちゃんのお母様、ですよね?」

「はい、幸と申します」

 幸が風華に頭を下げ、それに倣って風華もお辞儀。

 頭を上げると、微笑みながら、

「今日は日向ちゃん、自転車のレースに出るんです。車はアタシが運転しますので、ご一緒……如何ですか?」

「あら、いいんですか?」

「はい」

 にこやかに風華が頷き、幸も和やかに微笑んでいる時、その隣には驚きと納得いかないといった表情をした人物が。

 玄二は顎を庇いながら、必死で言葉を紡ぎます。

「ひひはへはるは‼︎はひはひ、ひへんはって——ゲフッ⁉(いいわけあるか‼︎だいたい、自転車って——ゲフッ⁉)」

 モゴモゴと伝わりにくい言葉で話す玄二に、幸が掌底打ち。狙い定めた掌底は見事に玄二の顎を元の位置に戻し、玄二はその衝撃に顎を抑えて苦しみます。

「ハイ、ハイ!じゃあ行きますよ〜」

 幸はそう言うと、玄二の服を引っ張り、ズルズル引きずりながら自動車に向かいます。

 そんな二人の前を、「ささ」と手で方向を示しながら進むのは風華。

 二人を自動車の中に案内して、座席に座らせると、颯爽と現れた台風に驚くような顔をした日向と佐久に向かって、

「ほら、日向ちゃんとアンタも!早く乗りなさい?出発するわよ!」

「は、はい……」

「お、おう……」

 脳の処理が追いつかないで、呆然とする日向と佐久。

 先程までの恐怖に、未だ足を震わせながらも、それでも何とか指示通り乗車。

 幸と玄二の後ろの席に座り、シートベルトを締めます。

 前には先程まで殺気を放ち、今は動揺のせいか落ち着いた玄二がいます。気まずい、実に気まずい、と佐久は思いながらも、

 エンジンをかけて、出発準備が出来た風華はそんなこと気にした様子もなく、

「はい!じゃあ出発進行〜‼︎」

 と、精神的地獄のドライビングを開始。

 走り出す自動車、揺れる五人。気まずい空気が流れる中、日向は少し不機嫌そうに窓の外を、玄二は黙って目を瞑り、何故か息の合った感じで風華と幸は楽しげにおしゃべり。

 温度差が絶妙に分かれる中、口を開けない佐久はただ一人、

(気まずい、胃がキリキリする、なんだこの空気!)

 汗を大量に流し、頭を抱えながら、進むごとにストレスと恐怖を増していくのでした。

(もういっそのこと……私だけでも会場まで電車で行かせてくれ〜‼︎)

 佐久の悲痛の叫びは、声にならず、言葉にならず、音すら立てずに、一瞬で、まるで湯気のように一瞬で消えていくのでした。


  ◇


 神奈川県南部。湾が有名なこの地は、土日は観光地として親しまれており、多くの人が訪れます。

 この日も例に漏れず人々は観光、遊び、はたまた失恋を叫ぶためにこの地を訪れていました。しかし、今日の神奈川県南部は一味違います。

 南部、湾に面した道路から覗き込むように見える解放空間。

 普段は一体何に使われているんだ?初めて来た人ならばそう思うような、まさに解放されたアスファルトのフィールド。

 そんなフィールドは今、バトルフィールドと化し、周りでは多くの観客、屋台、選手達でごった返していました。


 ——クリテリウムレース開催地


 すでに始まり、終わったレースもあるからか、会場は熱気に包まれ、歓声や音楽、アナウンスなどの音のオンパレードになっていました。

 そんな既に始まってしまった戦いの舞台に更に足を踏み入れようとする者達……風華、佐久、日向、玄二、幸の五人を乗せた車が遂に、隣接された駐車場にやってきました。

 他の自動車同様に、決められた枠に駐車をすると、エンジンを停止。キーを取ってから、

「はい!着いたわよ!」

 運転手が目的地到着のアナウンスをしました。

 一刻も早く飛び出したい佐久。ですが、前には幸と怖〜い玄二がいます。

 なのでここはグッと堪えて、幸と玄二が降りた瞬間に、

「ぷはっー‼︎」

 佐久は幸の方から元気よく飛び出しました。まるで、海底から海面に戻ってしたダイバーなようなリアクション。

 ですがそれも仕方ありません。ある意味暗く音もない、身の危険を感じるような深海とも思える空間にいたのですから、「ぷはっ」とも言いたくなります。

 続いては風華、そして日向が最後に降りて全員降車完了です。

 風華は全員が降りたのを確認するとキーから車のドアをロック。

 安全を確認すると佐久に近づき、

「アタシはご両親を観戦席に案内するから、アンタは日向ちゃんと受付に行きなさい」

 と耳打ち。

 流石に佐久の身を案じたのか、それとも普通に命令か、佐久に真相は分かりませんが、とりあえず玄二と別れられるので佐久としては一安心。

「分かった。……でも、観戦席?そんなのあったっけ?」

「んー?いやなに、知り合いからパイプイスぶん取るのよ。簡単でしょう?」

「あー……」

 佐久はこれ以上は何も聞かず、納得しましたと手を挙げました。

 そして日向に近づき、

「浅神さん、受付に行こうか。受け取らなきゃいけない物とか色々あるから」

「……はい、大垂水さん。行きましょう……」

「う、うん?」

 佐久は違和感を感じました。

 何やら日向の様子がおかしい、いつもよりも暗く、これはまるで、

 ——怒っているようだ、と。


 佐久が日向を案内し去っていく、その背中を見ながらも、玄二はずっと無言でした。

 あの二人が共に行動をするのを見たら、先程までなら怒りの声を上げて止めていたところ。ですが、今はむしろ落ち着いた瞳で、二人を見ていました。

「あら?何も言わないんですか?」

「……ああ、特段言うこともない。というより……」

 玄二が、小さく笑みを浮かべた幸を見て、少し呆れたように言いました。

「お前は知っていたのだろう?……彼が、——彼女であるということを。そして日向がコソコソしていたのは、スポーツを始めたからだということを」

「ええ、知っていましたよ?言わなかっただけで、大分前からそうだろうと思っていましたし、写真を送られてきた時から女の子であることも知っていました」

 幸は特段悪びれるそぶりを見せることもなく、穏やかな口調で言います。

 そんな、平常運転に鬼畜で手間のかかる勘違いを生み出した嫁に、玄二はため息を抑えられません。

 車に乗せられ、後ろの彼氏かもしれない人物に集中していなければ、今も玄二は佐久のことを勘違いしたまま、それどころか、男としてしてはいけないことをするところだったのです。

 玄二は自分の観察能力に今日ほど感謝したことは無いかもしれない、そう思いました。

 と、なんだか納得している玄二を見て、風華が首を傾げます。

「なんの話ですか?」

「うふふ、ウチの主人がお宅の妹さんを弟さんだと勘違いしていた、という話よ」

「え…………」

 風華が玄二を見ると、玄二は申し訳なさそうに顔を伏せます。流石に反省のご様子ですが、風華は玄二のそんな態度とは裏腹に、

「ぷっ……ぷくくく……ぷははははははは‼︎」

 とお腹を抱えて笑いだすのでした。

 その様子を玄二は少し引き気味に見ながら、誰かに似てるような気がしてなりませんでした。

「ふふふふふ」

 あ、目の前にいた。

 玄二は幸を見て、直ぐに答えを得ました。

「ははははっ……はは……はぁ…はぁ……」

 涙目になるほど笑い、ようやく落ち着くと、日向は玄二に、

「いやぁ、親子ですね。日向ちゃんも、最初は佐久のことを男だと思ったみたいで、それを聞いた時も大爆笑でしたよ」

 思い出し、再び笑う風華。

 玄二はその言葉を聞いて、少し、安堵の表情を浮かべました。が、その表情は直ぐに曇ります。

「あの娘は良い友人に出会えたようだ。それは私もとても嬉しく思う……が、だ。日向は約束を破った。スポーツを行なってはいけないという約束を。経緯はなんであれ、その事実は変わらない」

 玄二は鋭い眼光を風華に向け、「故に」と威圧をかけるように続けました。流石の風華も身体をぶるりと振るわせます。

「私は日向がスポーツをやることは認めない。例えそれが、日常的に使用する自転車でも、だ」

 やはり圧倒的威圧感。

 曲がることのない決意。何故日向があんなにも怯えるのか、目の当たりにしたからこそ分かる説得力あるオーラ。

 流石に風華も気圧され、口を噤みたくなる。

 が、ここで黙るほど風華はヤワではありませんでした。

 いつもの黒い笑顔を浮かべると、

「日向ちゃんの走りを見たら、きっと分かりますよ。……真のスポーツマンなら、ね?」

 胸を張り、全てを見透かしたような瞳で、玄二の瞳を見つめるのでした。その行為は、まるで銃を突きつけられているのに対して、銃を突きつけ返すようなもの。

 そんな、玄二に臆さず発言をする風華を幸は、まるで昔の自分を見るようだと、頬に手を当てて微笑むのでした。

「ふふふ。では、その為には最高の場所で観戦しなければいけませんね。案内、お願いしますね」

 その言葉を聞き、玄二と見つめ合い、火花を散らしていた風華は、ケロリと黒くない笑顔をして幸の方を向きます。そして親指を立てると、

「はい、任せてください。FINISHライン手前のベストポジションを脅し……いえ、頼んで確保しますから」

「ありがとうございます。頼もしいですね、玄二さん」

「ぅ………む……………」

 早すぎる風華の切り替え。

 そして、誰も何もツッコまず成り立つ黒い会話。

 脳内で過去の何かがフラッシュバックして、玄二は一筋の汗を垂らし、そして思うのでした。

 天敵たる者、二人。我、圧倒的不利、と。



 そんなことを玄二が思い、悩んでいる時。既に日向達は受付を済ませて、焼きそば、たこ焼き、ケバブなど、魅力的な食べ物が多い、レースコースから離れた場所にある屋台を巡っていました。

「…………………………」

「う、うーむ……」

 日向は未だに、調子が狂った状態で。

 アイウェアをしているせいで表情は読みにくいですが、眉をひそめてムスッとした状態で、若干頬を膨らませているのが分かります。

 典型的な、怒りの顔。

 ちょっと可愛い。

 佐久はそんなことを考えますが、今は友達として力にならねばと、その考えを振り切ろうと頭を横に揺らし、日向に尋ねます。

「ど、どうしたの浅神さん?何か怒ってるの…かな?」

「いえ、別に」

「……ぅ」

 怒っている、明らかに怒っています。

 珍しくツンッと弾き返され、凹む佐久ですが、諦めません。

「そ、そんなことないでしょー?ほらほら、なんでも言ってよ!友達の私に!」

「…………いえ、別に」

 そう言ってそっぽを向く日向。

「ぬぬぬぬぬ…………ぅうう…えい‼」

 佐久、その態度に耐えきれずに、日向の肩をガシッと掴みます。そしてその勢いで、

「へ⁉」

「——別に……なワケ、ないでしょうがぁぁぁぁぁぁぁ‼︎」

 と、ユサユサ振りまくるのでした。

 何回かそれを繰り返すと、佐久は急ブレーキをかけ、日向を止めます。急な制止に気持ち悪そうに顔を青くする日向。

 しかし、佐久はそれどころではありませんでした。肩を掴む手に力を入れると、

「言ってよ!私、浅神さんが心配なんだよ!どんな気持ちでも受け止めるから、私に全部……吐き出してよ‼︎」

「———ぅ‼︎」

 気持の悪さに一瞬本当に何かが出そうになる日向は、また突き返して、肩を離してほしくなります。

 ——が。

 真剣な眼差し、佐久の自分を本気で心配する表情に、日向はなんだか心が痛くなり、罪悪感が芽生えてきました。吐き気も引っ込みました。

 そして、それに耐えられなくなった日向は、恥ずかしそうに顔を赤らめながら、横を向いて、

「……なんか、急に思ったんです。やり過ぎだって……」

「ん?」

「普通しますか?友達の家に泊まる娘を追って来るなんて。否ですよ、否!普通しません!そう考えたらなんか……こう……身体の奥で、発散できない変な感じが出てきて……なんか今握力計握ったら新記録でそうな気分です‼︎ねえ⁉大垂水さん!」

「え……えぇ……?いやぁ……」

 佐久は必死で訴えかける日向を見て、うーむと悩みます。かつ、納得しました。

 きっとこの子は、今までイライラしたことがないんだろう、と。

 だって、日向が今、言葉で言い表せてない感情、否定した感情こそが、〝怒り〟なのですから。

「……怒ってるよね?浅神さん」

「怒ってないです‼︎……けど、なんか急に和らぎました……なんでしょうか、これ?」

 怒りです。そして大きな声で発散したんです。カラオケみたいなもんです。

 佐久はそう言いたいのをグッと堪えました。

 これだけ怒ってないと否定されてるのに、怒ってるでしょうと更に言うのはもう、単なる煽りにしか思えなくなったので。

「ま、まあアレだよ。そのエネルギーはレースでも結構役立つから、取っときなよ。うん」

「そ、そうなんですか?初耳です……!勉強になります!」

 日向の表情が新たな知識を得たことにより、パァァッと明るくなりました。つまり、怒りエネルギーこの瞬間に完全消失しました。

「う、うん……」

 結果オーライ?

 両拳を握り、やる気を出す日向に、佐久はとりあえず、ぎこちない笑顔を浮かべて手を離します。

 と、そんな若干無意味だったようなことをやっていた二人の元へ、

「ヤッホー二人とも!なにイチャわけぇ?」

 昨日とは異なる、ピンクのジャージ、ピンクのヘルメットに、ピンクのグローブと、全身ピンク塗れの、まるでゆるキャラのような色をした凛花がやってきました。

「凛花さん!今ですね、大垂水さんに凄い情報を貰ったところだったんですよ!なのできっと今日は勝てますよ、私達!」

 無邪気に笑う日向。そんな日向の言葉に、凛花は一瞬、ほんの一瞬、申し訳なさそうな顔をするも、直ぐに笑顔になり、

「それは期待できそうね!じゃあその要素を含んで、早速作戦会議がしたいのだけど、いいかしら?」

「は、はい!作戦会議……!分かりました!」

 スポーツにおける作戦会議。人生で初めての経験に、日向は内心胸躍らせます。

「凛花、なんか作戦考えてきたの?」

 意外と言わんばかりに、目を見開く佐久。そんな佐久に凛花は「もちろん!」と胸を張ります。

「人生最初のレース、計画も立てずに始めるほど、お馬鹿じゃないのよっ!わ・た・し・は!」

 凛花はそう言って佐久にウィンクをします。

 そして話し始めました。

 日向と凛花が、その実力と特性と技術を存分に活かし、絶対に勝てると自負する作戦を。


 裏に潜んでいる、最終的には仲間では勝てない——現実的な作戦を。

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