第15話 メールでのやり取り

 浅神家の土曜日は実に静かなものでした。

 日向が出かけてから、お昼を食べる時も、他に特にない時も、玄二と幸はほぼリビングで過ごします。

 玄二は新聞や雑誌類に目を通して現在の日本情勢を知り、幸は美しい蝶の刺繍が施されたブックカバーで身を包む小説を、優しい表情で読んでいました。

 なんとも静かで音ない空間。たまに音を立てるのは、紙と紙が擦れる音くらいです。

 そんな静寂を、なんとも優雅な八つ時を切り裂いたのは、一つのバイブレーションでした。

「あら?」

 幸が机の上に置いていたケータイに目をやると、そこには娘からのメールが来たことを知らせる表示が。幸はそれをスライドして、メール画面に行くと、そこには日向から幸に向けた文章が。

 ふむふむと頷きながらそれを読み、読み終わると幸はスポーツ新聞を読む玄二に向かって、

「日向、今日はお友達のお家に泊まるそうですよ。何でも勉強会が捗っていて夜までするそうで」

 玄二は新聞を机に置くと、

「生加奈くんのところか?」

 と、尋ねます。

 それに対し幸は首を横に振り、

「いいえ、どうやらクラスメイトの大垂水佐久さんという方のお家にお泊りするようです」

「む?」

 初めて聞く名前に、玄二は眉をひそめます。

「その者は男なのか、それとも少女なのか?」

 男も日向のクラスメイトならば少年とカテゴライズしていいはずですが、玄二にとっては男にそんなカテゴリーはないようです。

 自分の敵かどうかを見定める質問。男か否か、それだけが重要であり、玄二にとって他はどうでもいいのです。

 ただ、普通知らない人に男か女か聞くのは失礼にあたるというものです。幸は少し考え、それから返信の文章を打ちつつ、玄二に言いました。

「日向のお友達の写真が見たいと伝えますね」

 幸はメールを慣れた手つきで打ち込むと、直ぐさま送信。そしてそのメールは直ぐに日向に届き、確認されました。



「……お母さんが、大垂水さんを見てみたいって」

「へ?私?」

 佐久が自分を指差して、目を見開きます。

 佐久の質問に日向はコクリと頷き、

「写真を撮って送って欲しいみたいで……」

「えぇ……ま、まあいいけど。なんだか緊張するなぁ…………あ!シャツは汚いから出来れば顔だけでお願いッ!」

 佐久がそう言うと日向は「承知しました!」とケータイをカメラモードに変えて、指と指で画面をズーム。佐久の鎖骨あたりから顔までを捉えると、カシャリと一枚撮りました。

「ありがとうございます。これを送信……っと」



 再び日向からメールが送信され、幸は直ぐにこれを確認。

 そして、その顔だけ写真をマジマジと見て、

(あら?この子って……)

 と、何かを思い出します。

「む?来たのか」

 玄二が幸の後ろに回り込み、画面を確認すると、

 その瞬間、思い切り目がカッと開きました。血走っています。プロボクサーが相手がダウンしてるのに気づかずに殴り続けている位に目がいってしまっています。

「お、男ではないかァァァァァ——————————————っ‼︎」

 玄二はご近所に聞こえそうなくらい大きな声で叫び、幸は凄い声だな〜っと耳を塞ぎます。

「幸!これを由々しき事態だ!日向が男の家で一晩を過ごそうとしている!なんとしても止めなければ!」

 玄二が慌てて言いながら幸の肩をゆさゆさと揺らすと、幸は「ハイハイ」と赤子をあやすような言い方で頷き、再びメールを打ち出しました。

「勉強会と言えばなんでも許される訳ではない!今回のはダメだ!それに今日は家に帰ってから話が、」

「あっ、間違えました。楽しんで、と送ってしまいました」

「⁉︎」

 幸の有り得ない間違いに、玄二は再び咆哮を轟かせます。

「何とどう間違えたんだァァァァァ————‼︎」

 幸はそんな玄二の喉をチョップして咆哮を制止させます。

「——げぶっ⁉︎」

 と玄二が狼狽えて喉を抑えますが、幸は気にしない様子で、

「大丈夫です、安心してください。佐久さんは近くの自転車屋の子で、昔にお会いしたことがありますが、とてもいい子でしたよ」

「ぐ……げはっ、ごほっ……な、何年前の、話だそれは……」

「えーっと、確か……十年前とか?」

 幸の言葉に、玄二の額に血管が浮き出ます。

 ギャグ漫画のような三本線のやつです。

「それは小さかったからだッ!くそう!安心などできるものか!暗視ゴーグル、ショットガンマイク……とにかく準備して私はそこに向かう!」

 玄二はそう言うと、ズンズンと足音を立て、リビングから出て行こうとドアを開け、そして、

「案内は頼むぞ」

 と幸に言い残してサッサと準備に向かいました。

「まあまあ勝手なことですこと。そもそも、私の記憶と目が確かなら佐久さんは女の子ですのに……まあ、面白いからいいですが」

 幸はそう呟き、再び本を開いて、静寂を無くしてガッシャンゴロゴロと何処かから慌ただしく物音を響かせる家で午後の読書を楽しむのでした。



 玄二が準備に勤しむちょっと前、メールを受け取った日向は、安堵に息をふぅーっと吐いていました。

「泊まりの許可取れました。お世話に……なりますっ」

「おー!やったじゃん!写真送ったのが上手くいったのかな?人柄良さそうって!」

 浅神家の様子を知らない佐久はそんなことを言って自分を褒め称えます。呑気なものです。

「どうかしらね?今頃アンタの暗殺計画が練られてるかもしれないわよ?日向ちゃんを餌にして」

 風華、当たらずとも遠からずです。

「なんだよその計画……ま、泊まりが決定したわけだしなんでもいいんだけどさ!」

 そう言って喜び浮かれる佐久を見て、日向もなんだか明るい気分になり、くすりと笑います。

「あ、浅神さん笑ったね!よーし、今日は二人で夜更かしだー!お泊まり会なんだし、遊びまくろー!」

「何バカなこと言ってんの。明日はレースなんだから、早寝させるわよ。あと、二人じゃなくてアタシもいるから」

淡々とツッコミを入れて、食器洗いを終わらせた風華が、エプロンを机に置いて後ろ髪を結び、何やら準備を始めました。

「さて、と。アタシと佐久は夕方からのバイトが来るまでの残り一時間、店を手伝ってくるから、日向ちゃんは着替えたら休憩スペースで待っててくれる?」

「あ、はい。着替えて来ます!あ、あの、休憩スペースじゃなくて店内で待っていてもいいですか?」

「ん?いいけれど、何か気になるものでもあるの?」

「は、はい、まあ……」

 朝、ショップ内ではロクに商品を見れなかった日向は、自分のロードバイクに合うパーツや、可愛いウェアなどを見て、いつか買おうと想像に耽りながら待ちたいと考えたのです。

 何かを見て想像するのは日向の得意分野、というか、好きなこと。なので、日向にとってはどんなお店でも見て時間を潰すことは苦ではなく楽しいことなのです。

「それじゃあ、着替え終わったらショップ内で会いましょう。アタシ達は一足先に行ってるから」

「後でね、浅神さん」

「はい」

 日向達はほんの数分の別れの挨拶をすると、各々自分が目指す場所へと向かいました。


 ◇


 日向が更衣室で着替えを終え、ショップ内に入ると、そこには自転車の修理に勤しむ佐久の姿やレジ打ちをする風華の姿がありました。かなり人が多く、賑わっている店内。

 扱いとしてはバイトと同じでしょうが、同年代の佐久が社会の一員として一生懸命働く姿を見て、日向は尊敬の念と共に憧れを抱きました。

 共に働く店員と喋り、笑い合う。

 何かを一生懸命行い、人の役に立つ。

 ……働いたら、お金がもらえる。

「バイトかぁ……」

 今まで両親には怖くて提案したことも無かった事柄、バイト。友達がそれを行なっているのを目の当たりにし、日向は思わず唾をゴクリと飲み込みました。

 お金があれば何でもできる。

 お金があれば借金を返して新たなモノが買える。

 時給が……時間が……親が…………

 と、日向は高校生らしい思考で頭を悩ませ、気づいたら、ショップ内の商品を見るとこなく、一時間が経過していたのでした。



 夕方からのバイトくんが到着すると、風華と佐久はその人にバトンタッチ。胸に〈店長代行〉と書かれたネームタグをしたおじさんと話をして、それが終わると少々疲れた様子で日向のところにやってきました。

「ごめんお待たせ〜!」

「いえいえ…!お疲れ様でした!」

「いやぁホント、疲れるわね……」

「姉ちゃんは大して仕事してなかったじゃんか、特に午前は」

「まあ……ちょっとショックを受けてましたからねぇ?」

 そう言って、朝イチで風華の誘いを断りながらも、凛花の誘いは断らなかった日向を、風華はチラリと見ます。

 風華のサインに気づいた日向は、「ごめんなさいごめんなさい!」と頭を下げます。

「ふふっ、別にいいわよ。ジョーダン、ジョーダン。それより、少し早いけど夕食の支度をしましょう、レース前だからカーボローディングしないと」

「カーボローディング……それって確か持久力をつけるために炭水化物を多く摂るっていう……」

 カーボローディング、それは炭水化物を多く摂取し、体内にグリコーゲンを蓄える食事法です。カーボローディングを行えば、筋肉中のグリコーゲンは通常の倍以上に増えて、有酸素運動を行った際、エネルギーとして身体に力を与えます。

 主にパフォーマンスを発揮するのは持久力。なので、これは自転車選手だけでなく、マラソンランナーや、サッカー選手など様々なスポーツ選手が取り入れている食事法なのです。

 ちなみに、日向がこれを知っていたのは、世界拡張のための図書館通いのお陰でした。

「そうそう!よく知ってるわね。なので今日のメニューはパスタとカレーよ。おかず無しでいけるから、美味しくカーボローディング出来るわ。……理論上」

「う、うーむ……」

「理論上……ですか……」



 風華が最後に理論上と言った通り、想像では美味しい二つの料理です。バイキングではこの組み合わせをして喜ぶ子供も多いですし、男性であればバクバクと食べます。

 しかし、日向達はこの二つを食している時、思うのでした。

 ——太りそう……と。

 炭水化物の摂り過ぎは太る原因とよく聞きますし、そう感じてしまうのには理由もあります。なので精神的に箸が……いえ、この場合はスプーンとフォークが進まなくなるのです。

 更には、主食に主食を重ねるという普段はしない行動に脳が混乱する現象も起きて、結局、日向達は皆で作ったものを完食こそしたものの、美味しいのに何か違和感がある、というもやもやを抱えた状態で、ごちそうさまを迎えたのでした。

「美味しかったです。……はい、味は文句なしに」

「ええ……そうね。悪くなかったわ……」

「皆んなで作るのも楽しかったしね。ただ……」

 ——体重計に乗るのが怖い‼︎

 一同そう思うのでありました。

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