ある一日

 いつも想像するのは、見渡す限り広がる草原、吹き抜ける風。

 そして、そこに立つ真っ白なワンピースを着た乙宮と、同じく真っ白なワンピースを着た後ろ姿。やけに肩幅が広くて、背も俺より高くて、まるで男みたいな……。

『おい』

 それは紛れもない赤原真人だった。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぉぉぉぉ!」

 恐ろしき想像の世界から帰還すると、隣では真人がテレビ画面を見て唸っていた。

「くそっ、てめぇ……完全に思考停止顔してやがったのに、なんで指は動いてんだ」

 あぁ、そういえば真人と真天堂のインパクトブラザーズで対戦してるんだった。

「……なぁ、一発だけ殴ってもいいか?」

「殴れるもんなら……殴ってみブッ!」

 お言葉に甘えてしっかり一発入れると、なぜか真人は怒り始めた。

「てめぇ! 何しやがんだ!」

「殴れるもんなら殴ってみろって言っただろ!」

「ゲームしてんだから普通はゲームの方だろ! 現実こっちで殴るとは思わねぇよ!」

 いやいや、確かに。言われてみればそうだよな。暑さのせいで頭がおかしくなってしまっていたらしい。

「いくら暑くても、突然他人に殴りかかるのは異常だ!」

 一応、確認は取ったのだから、人を通り魔的に語るのはやめてほしい。ぶん殴るぞ。

「ていうか……」

 握っていたコントローラーを手放して戦闘態勢を解除する。

「そうだな……これは」

 おそらく、俺も真人も言いたいことは同じだろう。



「「暑い」」



 エアコンも扇風機も壊れていました。



 ☆



「ありがとござしゃしたー」

 天国コンビニの自動ドアが開いた瞬間、外からの熱気で思わず声が漏れてしまう。

「くそ……まさか負けるとは……」

 部屋のあまりの暑さに一度外へ出た俺と真人だったが、やはり暑かったので、ジャンケンで負けた方がコンビニで飲み物を買ってくるという勝負をしたわけだが、このざまだ。

 真人は近くの公園で待っているが、よくよく考えれば、一緒にコンビニに来た方が良かったんじゃないか。

「まだ七月も始まったばっかりなのになぁ……」

 楽しめる暑さは日本から失われつつあるな。恐ろしい時代だよ。

「ちょいと、そこの少年」

 呼びかけられて、声のした方を見てみると、小さな駄菓子屋の入り口で座り込むいかにも怪しい中年男性がいた。

「くじ引きしていかない?」

 数え切れないほどのヒモを俺の方に差し出して、その中年は言った。

「それで引く人いるんですか……怪しさ満載ですけど」

「いや、結構いるよ? 男子小学生とか女子小学生とか、あ、あとは小学校通い始めたばかりの小学生とか」

「小学生ばっかじゃねぇか! 純粋な子供たちをたぶらかして何するつもりだ!」

「失礼だなぁ……他にもいるよ。六歳の男女だろ? 七歳八歳九歳……あと十歳!」

「だから、小学生ばっかじゃねぇか! てか、やっぱりアンタ、美少年美少女だけを狙う人攫いだろ!」

「はははははっ! それなら、なぜ君と話しているんだい!」

「あ、もしもし警察ですか? はい、そうです……あの怪しい人がいまして……はい、今にも人攫いそうっていうか、嘘を吐くんです。はい……場所は……」

「ごめんって! 嘘嘘! まだ誰にも引いてもらってないよ!」

 もちろん警察への電話はフリだったわけだが、それにしても怪しいな、このおやっさん。見た目は結構爽やかだし、物腰柔らかで接しやすいし、瞳は濁ってなくてまっすぐだけど、怪しい…………何が?

「ヒモの先に壺とか括り付けてないでしょうね。それで引いたら落ちるようになってて弁償とか……」

「ははは! 面白いね! 今度試してみようか」

「絶対にやめてくださいよ」

 笑顔でやりかねないから怖い。それも小学生相手に。

「お願いだよぉ〜。引いてくれたらおじさん、嬉しくて泣いちゃうなぁ」

「分かりました。分かりましたから、その綺麗な瞳に涙を浮かべるのやめてください」

 本気の懇願だった。

「それじゃあ、いきます」

 少しの緊張を感じつつもテキトーに選んだヒモをひっぱる。

 重い……全力で引っ張らないと引き抜けない……。

 と、見てみればヒモを持つおやっさんの手に小さな血管が浮かんでいた。ていうか、めちゃくちゃ力んでいた。

「何やってんだアンタ! 引かせる気あるのか!」

「いやぁ、ごめんごめん! ついイタズラしたくなっちゃって」

 どのタイミングでしているんだ。誰も得しないよ。

「今度こそ……」

 当たり前だがさっきよりも軽い力で引っ張ることができ……でき……。

「おも……」

 さっきほどではないが、明らかに重い。ヒモの先に明らかに何かがある。

 ドサッと。

 突然、俺の目の前に黒い袋が落とされた。

「これだね」

 袋は俺の持つヒモの先にあった物だった。

「あ、どうも……」

 なんで、持ってきちゃうの……この人。

「死体とか入ってないでしょうね……」

「安心して。中はキラキラ光るスーパーボールがぎっしり入ってるから」

「死体と同じくらいタチ悪いわ!」

 それは言い過ぎた。

 でも、どこで使うんだ……こんな量。気持ちはありがたくないが、遠慮なく遠慮したい。













「で、死体でも入ってるのか。その袋には」

 公園の木陰で汗だくになっていた真人が、俺を見て一番に言った言葉がこれだった。

「どこからどう見てもキラキラ光るスーパーボールがパンパンに入ってようにしか見えないだろ」

 なんとか公園までスーパー重い袋を担いできた。途中、すれ違う人たちの視線が痛くて辛かった。

「コンビニで飲み物買ってくるだけでどうしてそうなるんだ……」

「誰にだってあるだろッ……! スーパーボールの入った袋を貰うくらいッ!」

「……これ以上触れるのはやめておくか」

 さぁ、大量のスーパーボールもゲッツしたことだし、家に帰ってゲームの続きを……。

「んん、なんか尻に鋭い痛みを感じる……って」

 振り返ると、立っていたのは小学生くらいの女の子だった。そこまでなら笑顔で追い払うだけで済んだのだが、女の子は手に物々しい槍を携えていた。

「あっ! 思い出した! 前に俺の尻を突いてたガキ……じゃなくて子!」

「ラブコメ主人公の訂正じゃないな」

 たしかゲイボルグとかいうのを振りかざしてた危ない子だ。だけど、今手に持っているのは前とは違う槍だ。

「ゲイボルグじゃない……?」

 女の子は控えめに頷くと、自分よりも背丈のある槍の先端を見上げて呟いた。

「……グングニル」

「……あのさ、お嬢ちゃん。僕の持ってる良いモノとその槍、交換しない?」

「嫌……」

「なら力尽くでウバッフゥゥ!」

 なぜか真人に殴られた。

「何するんだ!」

「お前のためだ。我慢しろ」

 くそ、主人公も楽じゃない……って!

「だから、俺の尻を突くのはやめて!」

 ずっとチクチクしてるよ! 前の時、家に帰って脱いだら、血出てたよ! めちゃくちゃ染みたよ!

「前に……神槍コレの使い方、教えてくれるって言った」

「え? 俺が……?」

 そういえば、そんなこと言ったような言ってないような……。

「じゃあ俺はここで」

「ここで……どうするんだい? 真人くん」

 公園の出口に方向転換しようとした真人の肩をしっかり掴む。

「おい……これはお前が招いたことだろ……お前でなんとかしろ……」

「まぁまぁ……付き合ってくれたらいいモノあげるから……」

「てめぇ……それさっきの大量のスーパーボールだろ……! いらねぇよ……!」

「頼む……! 俺と小学生を二人きりにしないでくれ……!」

 この調子で五分ほど話し合った結果なんとか付き合ってくれることになった。もちろん、スーパーボールなしで。

「で、使い方分かるのか、お前」

 大事そうに槍を抱える少女に首を捻る。ううむ……使い方って……。

「そりゃあ、投げる突くは確実にできるだろうけど……」

 でも、それくらいこの子も分かってるだろうし、やっぱりこの槍ならではの使い方があるんだろうな。

「なんか聞いてない? その槍のこと。ええっと……名前聞いてもいいかな?」

「ハル……」

 ハルちゃんの感情を表に出さないこの雰囲気は、どことなく乙宮に似てる。だから、子供でも普通に接してられるのかも。

「というか、そもそもどこで手に入れたものなんだ」

 真人がハルちゃんの持つ槍を訝しげに見ながら言った。たしかに、こんなもの今の日本じゃ中々手に入らないぞ。

「先祖代々伝わる……感じのやつ」

「感じのやつって……なんかふわっとしてるな」

 大体、こんなもの小学生に持たせたら危ないだろうに。

神槍これに通常の槍のような投げる突くはできない……。そんなことしたら、この町ごと私たちが消えて無くなっちゃう」

「あ、神槍って書いてルビ振るのやめてくれる? 怖いから」

 あと、さらっとめちゃくちゃ怖いこと言ってなかったか、この子。

「……俺めっちゃ突かれてたけど」

「不浄のものには浄化効果のみを発揮する……」

 ははーん。なるほどね……だから俺を突いてもちょっと血が出るくらいで済んだのか。

「ありがとう皆……」

「早まるな旭! お前の問題にこの町を巻き込むな!」

 俺は地面に力一杯、グングニルを突き立てようとしたが、真人に羽交い締めにされ、阻止される。

「離せ! 俺は神槍の判断に従う! 不浄に侵されたこの身体ごと! この町を消しとばす!」

「だから、町関係ねぇじゃねえか! テメェの尻はテメェで拭けってどこぞの誰かが言ってただろ!」

「ひどいっ! あなたは町のことばかり! もうトサカにきたわ! 大体、不浄の私を生み出し、育んだこの町にもほとんどの責任はあるのよ! 他人の尻くらい優しく拭いてあげる心の広さはないの⁉︎」

「勝手に育っといて何言ってんだ! グングニるぞテメェ!」

「怖っ! 何そのグングニるって! もう怒ったわ! くらいなさい、グングニルゥ……インンパクトォォォォォッ……ぉ」

 ふと。

 視界に入り込んだハルちゃんの表情を見てしまった。

「…………」

 軽蔑を知らぬ、純粋な疑問。

『何をしているんだろう、この人たちは』

 とハルちゃんの心の声が聞こえてくる。ハルちゃんがもう少しだけ成長して、世界を広げた時、俺たちはきっと……きっと……。



「「おかしなやつだと思われる⁉︎」」



 まさか! ありえない! この俺が⁉︎ 常識人中の常識人であるこの俺が⁉︎ 常識人グランプリ、アジア大会第二百八十七位のこの俺が⁉︎

 真人の方を見ると、なぜか涼しい顔をして、わざとらしく髪をかきあげる仕草をした。

「さっ、演劇部所属である俺たちが、次の舞台“神槍を巡って争う男女”の練習をするのは当たり前として、問題はこの槍の使い道だな」

 こ、こいつ……なんて分かりやすい嘘なんだ! で、でも、咄嗟にしては良い作戦だ! ありがとう真人!

「まったく、演劇部も楽じゃねぇぜ! そう、なんたって俺たちは演劇部だからな! ね? 真人さんブグウェベェ!」

 真人の作戦に乗って女になりきり、真人の顎を触ったら、めちゃくちゃ殴られた。

「てめぇ、気持ち悪いんだよ!」

「ああっ⁉︎ お前の作戦に乗ったんだろうが! 顎くらい触らなきゃ疑われるだろ!」

 顎は触らせろよ顎はッ!



「何をしているんだろう、この人たちは」



 どこかから誰かの呟く声が聞こえた気がした。

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