乙宮さんには秘密がある!

大石 陽太

プロローグ

 空を見た。

 機嫌の悪そうな雲は今も、一面を真っ白に染めていた。振り返ると、自分の足跡の底がもう白くなっている。

「ふぅ……」

 吐き出した息は、すぐに空気に混ざり見えなくなる。

 視界の隅にある一筋の線に、改めて髪が伸びたことを実感する。一年前はスポーツマンみたいな短髪だったが、今は額も、耳も、首も全て髪で隠れている。別に何か意味があるわけじゃない。なんとなく伸ばしただけ。

 頭の中で、ゆっくりと、多くの記憶が、まるで映画のように丁寧に流れてくる。痺れたように感覚が薄くなっていく肌も、気にならなくなるくらい暑苦しい思い出ばかりだった。本当に暑苦しい。

「……ふっ」

 なぜか、着けていたマフラーを投げ捨てたくなるほどの熱を体の内側から感じて、思わず吹き出してしまう。いや、さすがに寒いだろ。

「ははは……まったく……」

 目の奥で、さっきとは別の激しい熱を感じた。俺はその熱が外へ出ないように必死で我慢した。

 最近、こういうことがよくある。

 心のずっと奥から、楽しいのか悲しいのかもよく分からない、感情の塊が表面に溢れ出そうとしてくる。その度に必死で抑えつけて、心の奥にしまうが、少しするとまた同じように溢れ出そうとするのだった。

「…………は」

 息が詰まりそうだった。放っておけば、そのまま内側から爆発して、何もかも溢れ出してしまいそうなので、大きく深呼吸をする。肺に冷たさを感じるが、今はそれを心地良く思った。

 思い出上映会は終わりを迎え、そのまま、今へと繋がる。

 まるで未完成の映画を見せられているようだった。この映画には終わりがなく、スタッフロールが流れなかった。



 だからこそ。



 今に繋がった。



 この映画に、終わりとまではいかなくても、一区切りをつけるために。

 新しい映画を作るために。



 ボクボクと、積もった雪を踏み鳴らす音が聞こえた。音が聞こえなくなったタイミングで振り返ると、そこには乙宮おとみや春香はるかが、チェックのマフラーで口元を隠して立っていた。乙宮は寒さから、頰と鼻の頭をほんのり赤くしていた。

「ごめんな、こんな日に」

「……ううん」

 乙宮が首を横に振ると、すっかり短くなった乙宮の髪がふわっと揺れた。

「乙宮にひとつだけ、どうしても聞きたいことがあってさ」

 ずっと気になっていた、さっきの上映会でも思ったこと。

「乙宮はこの一年、楽しかった?」

 今、この状況だからこそ聞きたかった。聞いておきたかった。この一年が、乙宮にとって、無駄ではなかったのかを。

「うん。とっても」

 乙宮は迷いなく答えてくれた。それが何よりも嬉しかった。


「――そうか。じゃあ良かったんだ」


 もう一度、空を見た。

 さっきと同じで、何も変わってはいなかった。

 けど。

 乙宮は空を見たまま、はっきりと口にした。


「旭――ありがとう」


 俺は、乙宮に何かを伝えようとしたけど、思うように言葉が出なかった。そんな俺を見た乙宮は、しゃがんで雪を一掴みすると、両手でしっかりと固めた。

「せいっ」

 雪玉は乙宮の手から俺の顔にぶつかった。

「痛ッ!」

 コンっ、と音がした。見ると俺の顔にぶつけられた雪玉は割れるどころか、ヒビ一つなく転がっていた。

「ごめんなさい……ふふ……コンって……ふふふ」

 楽しそうに笑う乙宮を見ていると、また頭の中で思い出の映画が始まる。



 その映画はいつだって同じところから始まった。

 別になんでもない。角でぶつかったわけでもなく、空から降ってきたわけでもない。





 ――なんでもない新学年の始まりからだった。












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