(7)到着ノースライス城!
森の中を馬で飛ばし、駆けつけたノースライス城は、すぐに私達に城門を開けてくれた。きっとマリエルが、後から従者が追いかけてくると伝えておいてくれたのだろう。
マリエルの護衛だと話すと、すぐに城の奥へと通される。
ノースライス城は、元々は南方の防衛のために作られた城らしい。歴史を感じさせる三角の橙色の屋根と白い壁で造られた城は、曇り空の下に重厚な重みを感じさせる。
玄関を入り、歩いていく通路も過ぎてきた長い時を感じさせる石造りだ。灰色の石で造られた柱は優雅なアーチ型を描き、所々に真紅のビロードのカーテンがかけられているが、どうしても城自体が持つ重い雰囲気を消すことはできない。
だから、前を歩く女官に案内されるままに、薄暗くなりかけた通路を私は急いで早足で歩いていた。けれど、不意に後ろからレオスが私の肩に手を置く。
「アンジィ。その姿では……」
さっきも女官に着替えを用意しましょうかと言われたが、そんな時間はない。だから、私は後ろから覗き込むレオスの言葉に、ちらりとドレスを見下ろした。
「大丈夫だ。それに膝から上は見えない」
本当のことを言えば、門衛とはいえ見知らぬ男に膝を見られるのは、かなりな抵抗があった。だけど、レオスが破れたコートを裂いて、切られたドレスの上から縛ってくれたお蔭で、腿が露わになることはない。
「だけど! とりあえず、これを」
「え!? ちょっと待て!」
けれど言うのと同時に、自分の上着を脱いで、私の腰に袖を巻きつけている。
「おい! これじゃあ、まるでエプロンじゃないか!? それにお前が寒い!」
「だけど、君の足が見られるのよりはましだ。俺に血を吐かせないためだと思って我慢をしてくれ」
いや、それはお願いというより脅迫だろう? しかも有無を言わせない気魄で見つめてくる。
まだ恋人同士にさえなっていない今からこれって、もし私が受け入れたらどうなるんだ。冷や汗が流れてくるが、今はそんなことを言っている場合ではない。
だから、私は離れたところで待っている女官の声に振り返ると、マリエルがギルドリッシュ陛下に面会している部屋へと急いだ。
いくつかの角を曲がり、城の最深部に近づいていく。奥に進むにつれて、暗くなりかけていた廊下に灯された明かりの数が増えていく。
そして、通路中が淡いオレンジの光に彩られた先にある応接間らしき空間に、立っているマリエルの姿が見えた。
「マリエ……」
ほっとして、声をあげかける。けれど、慌てて私は喉から出した言葉の最後を飲み込んだ。
マリエルが今立っているのは、ショコラ色の大理石の柱に囲まれた一角だ。観葉植物が吹き抜けの奥の間の周囲を彩り、不審な人物が近づけば一目で見渡せるようになっている。
中央には、赤い火を灯された暖炉が輝き、赤紫の長椅子に横たわる人物を照らし出している。長い白髪に包まれた、鋭い眼差しの人物。
マリエルの瞳が、白髪の人物に向けられたまま動かないところを見ると、あれがギルドリッシュ陛下なのだろう。
けれど、次に視線を動かして、思わず声をあげそうになった。
あれは!
マリエルを見つめているギルドリッシュ陛下の側には、黒い喪服の王妃が既に立ち、こちらを見下ろしているではないか! しかも、王妃の少し後ろからはさっき駆けつけたのだろう、オーレリアンが、忌ま忌ましそうにマリエルを睨んでいる。
――マリエル!
けれど、思わず息を飲んだ私の前で、マリエルは深く頭を下げた。
「お前が、ラルドのもう一人の子供か」
マリエルを見つめるギルドリッシュ王の瞳は嘘を許さないように厳しい。皺を刻んだその手には、マリエルが父のラルド王から譲られたという王家の紋章入りの指輪が握られている。けれど、マリエルは頭を下げたまま、はっきりと答えた。
「私が生まれた時に、父から母に渡されました。父には年に数度しかお会いできませんでしたが、私がラルド王の血を引く証しとして渡されたと聞いております」
「ふむ」
ギルドリッシュ陛下は手の中の指輪を何度も回した。そして、じっと見つめている。
「確かに、これは私が若い頃のラルドに作ってやったものの一つじゃ。お前がいることはラルドからも聞いておる」
予想もしなかったギルドリッシュ王の言葉に、マリエルが弾かれたように顔をあげた。
「父が私のことを……?」
「尋ねたのはわしじゃがな。二人の王女が死んだ葬式の後じゃったか。さすがに相次いで孫に死なれて、わしも堪えておった。だから、ラルドにもう一人いると囁かれている孫のことを尋ねたのじゃが。ふむ、お前があの時ラルドが話した娘か――」
見つめてくるギルドリッシュ陛下の眼差しは、相変わらず鋭いが、さっきよりは随分と和んでいる。
「顔は母親似のようだが、巻き毛はラルド譲りじゃな。ラルドも小さい頃、髪がよく絡みつくといっては、手入れに苦労していた――――」
僅かに唇の端が綻んでマリエルに注ぐ眼差しは、明らかに自分の血縁を見つめるものだ。小さい頃の自分の息子の思い出を、目の前に立つマリエルに見出して、懐かしそうに瞳を細めている。
ギルドリッシュ陛下の眼差しの変化に気がついたのだろう。隣にいた王妃が慌てて一歩前に踏み出した。
「お義父様! 確かにマリエルも孫ですが、キリングに嫁いだリアーヌもお義父様の孫です!」
「今朝からの話ならわかっておる」
慌てている王妃の言いたいことが伝わったのだろう。ギルドリッシュ陛下の顔が、僅かにしかめられた。けれど、王妃は引かない。
「では、どうか次の王はリアーヌに!」
「だが、ラルドはマリエルを次代の王にと遺言をしたのだろう?」
「そうですが――」
今までに見たことがないほど、はっきりと王妃が怯んだ。
一度瞼を閉じ、そしてにこやかな笑みを浮かべる。
「もちろんマリエルには、王女にふさわしい地位を用意させます。リアーヌが新女王についても、残ったただ一人の姉には違いありませんもの。相応の領地を用意し、女大公として遇しましょう。もちろん、望むのなら見目の良い縁談相手も紹介しますし、多彩な才能を生かせるように宮廷内の要職も用意いたします」
「だ、そうだが、どうかね? マリエル」
初めて会った祖父の問いかけに、きゅっとマリエルの手が握られた。
けれど、とても王妃の言葉を信用なんてできない!
「そんなのは嘘だ!」
だから、私は驚いている周りにもかまわず、マリエルの側に進み出た。
「どうせ、リアーヌ王女をキリングから迎えたら、すぐに暗殺を謀るのに決まっている! 厄介払いは早いのに越したことはないからな!」
「なっ……! 私は、そんなことはしません!」
「嘘をつくな! だったら、なぜ何度もマリエルを殺そうとした! 今も影武者を務めた私が襲われた、これが証拠だ!」
だから、かなり恥ずかしかったが、レオスが結わえてくれていた上着をばっと足の上から捲り上げた。その下には、腿から切られて生地の間から露わになった白い足が見える。膝上で縛ってあるとはいえ、腿から切り裂こうとしたのは隠せない。
見たマリエルが息を飲んだのがわかった。
前にいるギルドリッシュ陛下も、女性としてありえないドレスの切り裂かれ方にはっきりと顔色を変えている。
けれど、後ろからは別の殺気がはっきりと襲ってくる。
――まずい! 怒っている!
ひしひしとレオスの怒気を感じる。けれど、振り向くこともできない私の前で、みんなの動いた視線を浴びた王妃は真っ青に顔色を変化させた。
「そんな……。私は、決してそんなことはするなと……あれほど」
けれど、自分が呟いた言葉で、はっと気がついたように振り返った。
「オーレリアン!?」
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