第七章 それは告白ですか?

(1)何を言い出すんだ!?


 幼い頃から一緒に育った愛馬にまたがり、腹をあぶみで蹴る。


 私の合図が伝わったのだろう。乗った茶色の馬は、嘶きと共に離宮の白い城門をくぐると、そのままの勢いでイルドの郊外に広がる田園地帯を駆け始めた。


 木々の葉は、もうすっかり茶色い。


 紅葉していた美しい樹木の葉にも、冬を告げる茶色が混ざり始め、私が駆け抜けていく頭上から、はらりはらりと落ちてくる。


 秋の陽射しをあびて、茶色混じりの黄色の葉が落ちてくる様は、まるで黄金が降り注いでいるかのようだ。


 先端に褐色が入ってきたとはいえ、ルビー色に色づいて輝く低木の上に、黄金が散り落ちてくる光景は、こんな事態の時でなければ、きっと見とれてしまうほどに美しい光景だろう。


 ――マリエル!


 けれど、私の脳裏を占めているのは焦りの一言だった。


 どうして一人でなんて!


 馬のスピードをあげるために、重心を前に移動する。慣れ親しんだ私の動きに、愛馬のリールは速度をあげるが、私の逸る心ほどには上がってくれない。


 わかっている! きっと、使者が襲われ、エマが自分の身代わりになったのを見て、これ以上ほかの人を巻き込むことはできないと思ったのだろう。


 性根の優しいマリエルのことだ。だから自分の命が狙われる危険を承知で、一人で離宮を出たのだろう。相談すれば、反対されるのに決まっているから!


 だけど――!


 脳裏には、知らない人に襲われて今にも殺されそうになっているマリエルの姿が浮かぶ。


 必死に助けを呼んでいるのに、無残な銀の剣がマリエルの心臓を狙い、深々と突きたてられようとする。


 ――そんなことはさせない! 絶対に!


 マリエルは、私が守ると決めた女王陛下だ! 何があろうと、ほかの者に害させたりなどするものか!


 だから、焦って馬に鞭を当てようとしたときだった。


「アンジィ!」


 後ろから、かけられたレオスの声に振り返る。


「なんだ!?」


 忘れていた。いや、顔を見るとまだもやもやとするので、できたら忘れていたかったのだが。


 けれど、同じく馬に乗って遅れないようについてきていたレオスは、いななく馬の手綱を引っ張っている。


「マリエル姫が向かったのは、どちらかわかっているのか?」


「ああ――お爺様のギルドリッシュ陛下のいるノースライス城だ」


 振り返って、いつもと同じ端整なレオスの顔を見つめると、どんな表情をしたらよいのかわからない。


 この顔に、昨日半裸の姿を見られたのだ。衣服の上からとはいえ、ほとんど体の線が丸見えという恥ずかしさ満点の状態だったのに、こいつときたら、私が女性だとまったく気がつかなかった!


 この穴があったら入りたい気持ちと憤りを、どこにぶつけたらいいんだ!


 だから、ふいとレオスから目を逸らしてしまう。


 今の気持ちでレオスの顔を見続けていたら、自分がどうなるのかわからない。顔が火を噴いてしまってまっ赤になるのか、それとも怒りで我を忘れるのか――。


 けれど、視線を逸らした私の後ろで、レオスは側の畑にいた人の方を見つめた。


「ノースライス城に行くのなら、ここから右の道に入ってオルンド峠を越えるのが近道だ。だが、女性には険しい道だ。余計に二日かかるとはいえ、左の道で、山の下を迂回していく方法もある。念のために、マリエル姫らしき人を見なかったか訊いてみよう」


 確かに、検討違いの方向を探していては、敵に遅れてしまう可能性がある。


「そうだな」


 だから、私は頷くと、土ばかりの畑の畝に屈んでいる人に向かって、大きく手を振った。


「すみませーん」


 そして、馬の頭を畑の方にめぐらせる。


「馬上から申し訳ありません。待ち合わせ時間に遅れてしまったので、先に行った仲間を探しているのですが、ちょっと前に一人旅をしている若い女性を見ませんでしたか?」


 農夫は、撒いた小麦畑の草引きをしていたのだろう。雑草が少ない時期になったとはいえ、まだ寒さに強い種類は、短い日差しに少しでも繁殖しようと、懸命に畝に緑の葉を広げようとしている。


 だから手についた土を払うと、年老いた農夫は屈んでいた畑から立ち上がった。


「ああ、少し前に馬に乗った女性が、右の峠道に入っていくのを見たよ。今からじゃあ、日暮れまでに山を越えられるか危ないからやめておけと言ったんだけどね」


「ありがとうございます!」


 やはり、マリエルはオルンド峠を越える道を選んだんだ。


 だから、馬首を返して峠への道を急ごうとした。


 レオスに声をかけようと思ったが、顔を見たらどう言えばいいのか言葉が出てこない。だから、ふいと顔を逸らした。


「行こう」


 けれど、畑では立ち上がった農夫が、まだ手を振っているではないか。そして、声を張り上げた。


「追いかけるのなら、急いでおあげなさいよ。さっきも妙な男達が、一人旅の女性を捜していたよ」


「え!?」


 農夫の言葉に、息を飲んだ。


 ――マリエル!


 もう、追っ手が来ていたのだ。


 脳裏に、人知れず殺されるマリエルの姿が浮かび、ぎりっと手綱を握り締める。


「行くぞ、レオス!」


 だから、振り返りもせずに馬の腹を蹴った。


 マリエル!


 頼むから、無事でいてくれ!


 そのことだけを胸に、急な山道に入ると、そのまま周囲に草が生い茂る道を駆け上っていく。


 かなり急な斜面だ。


 最初のうちは、下の田園地帯と同じように果樹畑や家畜への牧草地らしきものが点在していたが、山道を登っていくのに従い、岩場が目立ち始める。


 細い茶色の道が、山の斜面をうねるようにして続いている。


 幾度も折り返すように続いているのは、急勾配を登るためなのだろう。最初のうちは、黄色や赤に彩られた葉がまだ山道に残っていたが、馬で駆け上るうちに、やがてすっかりと茶色に変わった。


 そして、鼻から吸い込む空気がはっきりと冷え出す。


 馬を叱咤して、狭い岩に挟まれた山あいを通り抜けると、目の前に広がるのは、切り立った山からオルンド峠に向かう山並みに広がる青い針葉樹の海ばかりだった。


 この高さに来ると、広葉樹はもうすっかり茶色く縮れて葉を落としてしまっている。冷えた空気の中には、視界の開けた崖の下から深緑の杉や樅(もみ)の木が、空を刺す針のように伸びてきている。ここからオルンド峠に行くのには、この切り立った山並みの中腹を縫うようにして見える細い山道を進んでいくしかないのだろう。


 目の前に広がる絶景に一瞬馬の手綱を緩めたが、後ろから聞こえてきたレオスの馬の足音に、もう一度私が、馬を急がせようと手綱を握りなおしたときだった。


「待て!」


 もう一度走り出そうとした私の横に、レオスが馬を近づけてくる。


 くそっ!


 こんな狭い山道で馬を並べなくてもいいじゃないか。どうしても体が接近するぞ?


「さっきから怒っているのは、昨日のことが原因か?」


 むしろ、ほかに何が原因だというんだ?


 だけど、まさか私を男と信じているこいつに、半裸を見られて怒っているとも言えないし。ましてや、見られて、なお男と信じているから腹がたつなんて、どんな顔をして言えばいいんだよ!?


「別に――」


 だから、言葉を濁すことしかできなかった。


「嘘だ! さっき俺に、自分に殴られるか土下座をしろと言っていたじゃないか!?」


 そういえば、つい勢いで言ってしまったな。いや、今でもどちらかをさせてやりたいのは山々なのだが。


 けれど、レオスは馬上に乗ったまま、こちらに顔を向けてきている。


「だったら、謝らせてくれ! 俺は確かに、昨日君を、一瞬不埒な目で見てしまったかもしれない!」


 はあ!? お前、男と思っている私を、あの瞬間どんな目で見ていたのだよ!?


 けれど、驚いた私の横で、レオスは馬を走らせながら黒い髪を風に流している。


「すまない。君も騎士なのに、仲間の騎士にそんな目で見られるのは、嫌だよな……」


「は!?」


 お前、自覚するほどの目で男の私をどう見ていたの? むしろ、そこを訊いてみたい。けれど、レオスは必死に私の方に視線を向けると、少しでも私の表情を見逃すまいとしているようだ。


「だけど、俺は今でも君のことは、前と同じ仲間だと思っているし、誰よりも凛々しい騎士だと認めている!」


「いいから、お前ちょっと黙れ」


 なんか、だんだんと怒りがぶり返してきたぞ? いっそ、今ここで決闘を申し込むか?


「だけど、前に伝えた俺の気持ちも本心なんだ! だから悩んだが、君とはやはり改めて新しい関係を築きたいと思っているんだ!」


「ちょっと待て。お前の言う新しい関係ってなんだ?」


「え? そりゃあ――――」


 おい、そこで口ごもるな!


 しかもなんか少し照れたような顔をしているのに、堪忍袋がとうとう限界になってきたぞ!?


 ああ、くそっ! 腹がたつ――!!


 私の半裸の姿を見て気がつかなかった上に、男と思いこんでこれって!


 許されるのなら、今真実を知らせて、思い切り衝撃を与えてやりたい――!


 ばらすか!? その上で口止めをするか!?


 幸い、人影はないし――!


 ああ、もう! マリエルのことさえなければ、絶対に今こいつと決闘するのに!


 しかし、今はレオスと戦うのが許されない状況に、馬上で手綱を握り締めながら、悶絶してしまう。


 けれど、その時だった。


「危ない!」


 一瞬で、レオスが馬首を返して私の前に出る。


 わっ! 危ない! 横は崖だぞ!?


 だけど、危ないのは、私の方だった。慌てて手綱を引くと、リールが驚いて空をかいた前足の地面に、一本の矢が突き刺さっていたのだ。


「どうやら、敵のようだ」


「え?」


 レオスの言葉に顔をあげる。すると、逃げ場のない崖の道で、行く先を防ぐように、四人の男が立っているではないか。


「オーレリアン」


 三人の男を従えながら、灰色の馬にまたがる禍々しい銀の髪の姿に、私は唇を噛んだ。


「いよいよ、お出ましというわけか」


 いつかは出てくると思っていた。


 ましてや、突然弓で狙ってくる相手が友好的だなどと思うほど楽観的でもない。


 だから、聞こえてきた戦闘の合図に、私は、右手を手綱から外すと、青い石を象嵌された腰の剣をすらりと抜いた。


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