第六章 敵の攻撃と姫の決意

(1)迫ってくる敵の足音


 次の日、私はディアン大隊長に命じられた通り、離宮のマリエルの部屋へと向かっていた。


 白い廊下は植物の彫り物がされて華やかだが、生憎と歩く私の気分は真逆だ。


 どうしよう。殴りたい。


 昨日から、この言葉がずっと頭の中を回り続けている。


 それもこれも、昨日私の半裸同然の姿を見ながら、まったく女性と気がつかなかったレオスのせいだ!


 ――いや、そりゃあ気がつかれても困るよ! 気づかれなくてよかったよ!?


 でも、それと女性としての誇りとは別物だ。


 あいつ! いつもは怒ったり腹をたてたり、表情が忙しい奴なのに、どうして私の体型は完全にスルーなんだ!


 気がつかなかったのか!? 私の普段の動きすら覚えて、女性の姿をしていても一目で見分けるような奴が! 私の透けた胸を完全に無視って!


 気づかれなかったほど平たいとは思いたくないが、どう考えても結論はそこに達してしまう。


 ああ、くそっ! 殴りたい!


 理不尽でもいい。なにかレオスを思い切り殴りつけてやる方法はないかと、本気で火炎を口から吐きそうな勢いで考えてしまう。


 やはりここは、正攻法で決闘だろうか!?


 一番無難で、レオスが不思議がりそうな案ではあるが、とりあえず私の憂さ晴らしはできる。正面から戦って勝てるかはわからないが、今の私の本気なら負けることはないだろう。騎士隊を首になる可能性はあるけれど――――。


 ここで、やっと私は腕を組んだ。


 いや――――やはり、首はまずいだろう。だけど私闘を禁じられている騎士隊で、わかっていながらこんな短期間に二回も決闘をすれば、さすがに懲戒解雇はまぬがれない気がする。


 それは――まずい。昨日のマリエルとの約束もあるし……。


 うーんと考え込んだ。


 そして、ぽんと手の平を叩く。


「そうだ! 不意打ちで殴るというのはどうだろう!?」


 いや、待て。どう考えても騎士らしくないだろう。第一不意打ちはよくない。


「だったら、因縁をつけて絡んだら――」


 そうだ。確か、国境近くの街で、よく粋がった若者達が喧嘩を売るときに使っていたではないか。


『ようよう兄ちゃん、ちょっと顔か金を貸してくれよー』


 駄目だ。思い返して、すぐに諦めた。どこのごろつきだ、私は。


 第一、レオスなら馬鹿正直に金を貸してきそうな気がする。冗談が通じない奴だからな。確実に、私が金銭的に困っていると誤解するだろう。


 そうではなくて、こうもっと普通の喧嘩っぽく。これは誰が見ても、諍いになっても仕方がないだろうというものがよいのだが――。


 うーんと、頭を捻った。


 だけど、やはり普通の喧嘩では懲罰房行きか?


 懲罰房とはいえ、今レオスと二人きりにはなりたくないし……。


 罰とレオスを殴るのと、どちらがよいか――。


 ――よし!


 すっと私は瞼を開いた。やはり殴るだ!


 今レオスに報復できるのなら、とりあえずほかのことはどうでもいい! だけど、牢で二人きりになって苛々の原因を訊かれたら嫌だから、罰掃除ぐらいの内容にしておこう!


 だがよく考えたら、罰掃除でもあいつと二人きりになって理由を訊かれても困るぞ?


 だとしたら……よし! 腕相撲だ!


 ガッツポーズで、拳を上に振り上げる。


 しかも私の食事より芋のサイズが大きいから交換しろなら、さすがに誰も文句が言えないだろう。私だってくだらなさすぎて、呆れる!


 だけど、妙に潔癖性っぽいあいつのことだ。私が食べ始めてからごねたら、絶対に皿の交換なんて嫌がるのに決まっている。


 いや、でも待て!


 レオスの奴、胸毛も腕毛もないのに、無駄に筋肉はあるからな。腕相撲だと不利かもしれない。


 少し腕を下ろして考え込んだ。


 ――よし! にらめっこで勝負だ!


 これなら、筋肉さえ関係ないし、誰にも喧嘩しているとさえわからないはずだ! 


 変顔になら自信がある。これなら確実にレオスに勝てる!


 見てろ、レオス! 女性のプライドを傷つけた恨みは、こんな大恥をかくほど重い罪なんだぞ!? 騎士隊みんなの大歓声の中で、レオスをけちょんけちょんに負かしてあの整った顔を噴き出させてやる! 


 けけけと悪魔がこぼすような笑みを浮かべながら、歩いていた廊下を曲がった所だった。


「アンジィ」


 明るい声が前からする。魔物のような形相を心の奥にしまい、声の方を見上げると、待ちきれなかったらしいマリエルが、部屋から出てきて私に手を振っている。


「マリエル」


 だから、私も思わず微笑んでしまった。


「と――姫様」


「マリエルでいいわよ。今はほかに誰もいないから」


「マリエル――。離宮の中とはいえ、一人で歩くのは……」


 危ないと言おうと思ったが、マリエルはぎゅっと私の腕を掴んだ。


「一人じゃないわ。すぐにアンジィが来てくれるとわかっていたもの。それに、呼んだらすぐに駆けつけてくれる距離に護衛もいるし」


 まったく――と、マリエルの愛らしい笑みには苦笑がこぼれてしまう。


 この顔で微笑まれたら叶わない。


 だから、私はマリエルを横で守るようにして歩きながら、昨日のことを訊いた。


「今、普通に喋っているということは、あの後――シリル長官達に話したの?」 


「ええ……すごく泣いて喜んでくれたわ」


 きっとその時の光景を思い出したのだろう。私の腕を掴んで、くすくすと笑っている。


「シリルったら、あんなに大泣きできたのね。私の肩に左手を置いたまま、もう片手に持ったハンカチでずっと目を拭い続けて。よかった、よかったって、そればっかり――。エマとロゼも踊り出しそうな勢いで喜んでくれて」


「よかった。それだけ皆心の中では心配していたんだよ」


 だから、マリエルは一人ではないと言葉に含ませる。


「うん……。悪いことをしたわ……」


 昨夜、マリエルの部屋を下がる前に、声が出るようになったことを、騙していたと皆にまだ言いにくそうにしているマリエルに、今夜初めて声が出たことにするようにと話したのだ。


 騙されていたと知って、気持ちのよい者は誰もいない。


 たとえ、それがマリエルの恐怖心から出たものでも――。


 だから、昨夜と同じようにそっとマリエルの肩を抱いた。今度は、いつ人が来るのかわからないから、ぽんと手を軽く一度置いただけだが。


「大丈夫。みんなマリエルが大好きなんだから。元気になったと知って、ほっとしているんだよ」


「うん……」


 優しく笑いかけると、マリエルがはにかんだように答える。


 そして、顔を上げた。


「あ、それでね? アンジィを呼んだのは、これからのことをシリルが相談したいんですって」


「ああ――、マリエルの声が出るようになったから」


 がちゃりと部屋の側にいた衛兵が扉を開けると、中には今ちょうど話していたシリルとエマがいた。


「マリエル姫」


 こちらを振り返ったシリルの表情は、今までに見たことがないほど明るい。だけど、振り返った瞼の上が赤くなって腫れているのに気がつかないほど、私も鈍感じゃない。


 本当にこの人、姫馬鹿だなあ。


 いや、昨日のマリエルの話だと、相当幼い頃から側で見守ってくれていたみたいだから、もうほとんど親の心境なのか?


 だとしたら、この喰えない性格も親馬鹿で楽しいのかもしれない。


 隣でお茶を銀のカップに注いでいるエマの瞼も赤い。


 ちょっと微笑んで、私はマリエルに引っ張られるまま、柔らかな薔薇色の椅子に腰掛けた。マリエルの薄いピンクのドレスが、花弁のようにふわりと椅子に広がる。


 そして、顔をあげると、エマが、オレンジ色のお茶を淹れた銀のカップを私達の前に置いてくれた。おいしそうに焼かれて切り分けられたパイの小皿も一緒に、マリエルと私の前に置かれる。


 もちろん、シリル長官の前にもだ。


「さて。アンジィリーナ。実は昨日姫の声が出るようになりました」


 話すシリルは、にこにことしている。


「さっきマリエルから聞きました。よかったです――本当に」


 そうだ。一歩間違えば、本当に一生声が出ない可能性もあったのだ。


 治ってよかった――精神的な問題なら尚更。


 机の下で手を組みながら、しみじみと思ってしまう。シリルも同じように思っているのか。紅茶の湯気の向こうに見える眼差しは、ひどく優しい。


「はい。本当に安心しました。ですから、これからのことを貴方と話す必要があると思って、こちらにお呼びしました」


「それは――声が出れば、もう、マリエルの身代わりをする必要はないということでしょうか」


 普通ならばそうなるだろう。元々、ここに来たのは女性である私の騎士資格認可の為だ。マリエルの声が戻れば、身代わりの必要はなくなる。


 ――だけど。


 ぎゅっと隣から腕を握り締めるマリエルを見つめた。


 今、マリエルをこんな心細い状態でおいてなんかいけない……!


 けれど、目の前ではシリルが、私とマリエルの様子をじっと見つめている。


「本来ならば、そうなります。ですが、姫がアンジィリーナに側にいてもらうことを望んでおられます」


 はっと顔をあげた。


「だからどうでしょう。私が前王ギルドリッシュ陛下に送った使者が戻り、無事マリエル様が戴冠されるまでの間、姫の側で護衛をしていただくというのは」


「護衛!?」


「はい。まだ王妃様側がどんな妨害をしかけてくるかわかりません。やはり、前王陛下のお墨付きをいただいて安心できるまでは、アンジィリーナに近くにいてもらった方が良いと思うのですよ。姫様のためにも」


 シリルの言葉に、私は思わずマリエルを見つめた。


 やった!


 これで、マリエルを守りながら側にいることができる!


「もちろん、受けさせていただきます!」


 騎士としても、未来の女王を守るほど重要なことはない。


 そして、いつかマリエルが戴冠したら、私も完全な女性に戻ろう。


 その時がきたら、先ずレオスの顔に拳を一発埋め込む! そして、女である私にレオスが失恋するのは勝手だが、代わりにまた以前のような仲間に戻って遠慮なくやり合おう。


 うん。


 だから、私が答えるのと同時に、腕の中に飛び込んできた金色の巻き毛を受け止めた。


「やったわ! アンジィ!」


 嬉しいとマリエルの全身が叫んでいる。軽い花のような体を抱きしめて、私も満面の笑みを浮かべた。


 私も嬉しい。マリエルを側で守ってやれる。


 笑いながら抱きしめあっている私達の様子に、エマが微笑みながら、手に持っていた毒見用の銀のカップに口をつけた。


 その時、扉を激しく叩く音がした。


「何事ですか!?」


 驚いたようにシリルが扉に向かって叫んでいる。


「申し訳ありません、シリル長官! 今、早馬が火急の知らせを持ってまいりました!」


「早馬が? 何事です?」


「はい! 長官がギルドリッシュ陛下に遣わされた使者が、途中の道で賊に襲われ、瀕死の状態で発見されたそうです!」


「何ですって!?」


 扉の向こうから聞こえてくる現実に、私は薔薇色の椅子の上で白く変わったマリエルの手を、ぎゅっと支えるように握り締めた。 


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