第五章 孤独な姫君
(1)マリエルの秘密
昨夜は、レオスのとんでもない爆弾発言のせいで、あまりよく眠れなかった。
――うーん。どうしたものだろう……。
昨日から、雨の中で告げられたレオスの発言が頭の中でぐるぐると回っている。朝、ベッドで体を起こす前から、カーテンの向こうが白んでいくのをずっと見つめていた。
今は、着替えて、壁に赤と白の煉瓦で模様を組まれた廊下を騎士の詰め所に向かって歩いているが、朝日に照らされた明るい廊下にいても、難問はさっぱり頭から離れない。
苦虫を潰した顔で、白い朝日の中で腕を組んだ。
レオスがあの夜の女性のことをずっと気にしているのは、きっと侵入者に襲われていたから、騎士として事情を知りたいのだと思っていたのだけれど――。
うーんと顎に手をあてる。
なんだか、違う気がする。
――いや、まさかな。
だけどやはり、あのレオスの様子は、国境の騎士達が、村娘に恋していた時の様子にどことなく似ている気がするのだ。
それにしては、怒りっぽいけれど。
――万が一、そうだとしても、マリエルより男としての私の方が気になるなんて言われて、どんな顔をすればいいんだよ!?
ごめん。お前の趣味を否定しているわけではないんだ。ただ、私は男じゃないから、既にお前の好みに入らないと、どんな顔をして告げたらよいのかわからない。
今日もこれからレオスに会うのに、どんな表情をすればよいのかわからないまま、重たい溜息をつきながら、とぼとぼと朝日が差す廊下を騎士隊の詰め所へと向かった。
そして、白い陽光に照らされている武骨な木の扉に手を伸ばそうとした時だ。私が開けるのより早く、木の扉が内側に引かれると、中から二人の人物が出てきたのは。
「あれ? レオス?」
今まで頭の中で、ぐるぐると思い浮かべていた面差しが、突然扉から出てきて驚いてしまう。
「どうしたんだ。先輩のダンと一緒なんて」
けれど、驚きを誤魔化そうと引き攣りながら微笑んだ私に気がついたのだろう。レオスの顔が一瞬固まったが、すぐにいつもと同じ端整な面差しになる。
「これからダンと一緒に、離宮近隣の見回りに行ってくる」
「あ、ああ……。そうなのか」
「昨日は、すまなかった。気にしないでくれ」
いつもと同じ整った顔だ。昨日の激情なんてまるでどこかにいってしまったかのように。それなのに、ほんの一瞬だけ、私から辛そうに目を背ける仕草に気がついて、慌てて歩いていく背中に声をかけた。
「あ、ああ! おい、昨日の今日だから気をつけろよ!?」
青い制服を翻す姿が、片手を僅かにあげて応える。そして、そのまま横の通路を進んで、白い太陽が差し始めた外へと歩いていってしまった。
「なんだ? 喧嘩でもしたのか?」
「いえ――、そんなんじゃないんですが……」
呆れたように大隊長のディアンが私の背より高い壁に手をついて、小さな溜息と共に苦笑している。
「なんか、今朝あいつから急に言ってきてなあ。もっと強くなりたいから、先輩たちにしごいてほしいってよ」
うーん。やはり昨日のことを気にしているのだろうか?
「まあ、生真面目な奴だからなあ。衛兵の責任だと言っても、自分が許せなかったんだろう」
「そうですね」
この時は納得できないまま頷いたが、それから四日たってもレオスとの仲はぎくしゃくしたままだった。
今までは、同期ということで何かと一緒に組まされていたのに、より厳しい仕事を覚えたいというレオスの意向で、離宮周辺の治安維持を兼ねた任務の方に連日出かけているのだ。
――もちろん、口実だろうけれど。
夜の詰め所で、今日も避けられてしまったレオスの背中を思いだして、思わず魂が抜けていくような溜息をついてしまう。けれど、無駄に大きかった溜息が聞こえたのだろう。ディアン隊長が振り返ると、呆れたように私を見つめた。
「なんだ、お前ら。まだ喧嘩しているのかよ?」
「いえ……喧嘩じゃないんですが……」
そうだ、喧嘩ではない。むしろ、真逆で好意を示されたから困っているだけで。けれど、隊長はにやにやと人の悪い笑みを浮かべている。
「なんだ、決闘でも申し込まれたのか?」
「なんでより悪い方になっているんですか!? 第一、決闘はこの間したところでしょう!?」
「そうかあ? 今度、やりかけたら晩飯抜きにしてやろうと思っていたんだが」
「なんとなく待っている気配を感じるんですが」
だけど、ディアン隊長は椅子に巨体をもたれさせたまま、剛毛に覆われた腕を私に向かって振っている。
「まあ、早く仲直りするこった。いつまでもぎくしゃくされていたら、騎士隊の士気にかかわる」
「――はい」
とは、答えたものの、やはり溜息が出てくる。
――うーん。なんか、もやもやするんだよなあ……。
夜になり、夜勤の詰め番との交代時間を知らせる鐘が鳴ったので、私は新しく来た騎士に交代すると、一礼をして詰め所を後にした。
だけど、すぐに部屋に帰る気にもなれない。
こつこつと人が少なくなった宮殿内を歩いていると、やはり溜息が出てくる。廊下に灯された蝋燭が、私が歩く速度に合わせてゆらゆらと揺れた。
蝋燭の炎のせいで、壁で花瓶の影が揺らめいている。無言で蠢く影を見たせいではないが、なんだか、胸がもやもやとする。
最初は、レオスが、私の化けていた姿をマリエルと思いこんでいるから、すっきりしないのかと思っていた。
――ましてや、それでレオスがマリエルのことを好きになったのなら、尚更……。
果たしてそれは、本物のマリエルだと言えるのだろうか?
むしろ――レオスが、気にしていたのは、私な気がする。
でも、今となってはどちらにしても、私が女性な時点でレオスの好みではないんだよなあ……。
はああああと溜息が出てしまう。
どうしよう。やっぱり、これは二重にレオスを騙している罪悪感なのか?
うーんと、人けの少ない廊下にコツコツと靴音を響かせながら考え込んでしまうが、少しも答えは出てこない。
――どうして……こんなに、最近あいつのことが気になるんだろう?
けれど、睫を伏せた先に映るのは、壁にかけられて柔らかく揺れる次の蝋燭の焔だけだ。
しかし、その時後ろからひょこっと声がした。
「悩んでいるようですね。何かありましたか?」
「シ、シリル長官!」
本当にいつも突然出てくるな、この人! 今、絶対に足音は私のしかしなかったぞ!?
それなのに、いつの間にか私の背後をとって、後ろから肩越しに覗き込まれている。
騎士として、大不覚!
けれど、はっとシリルの紫の瞳を見上げた。
「そう言えば、以前マリエルのお爺様に送ったという使者は――」
「ああ、ギルドリッシュ前王陛下ですね。あの後、すぐに使者をお住まいのノースライス城に書状を持ってたたせました」
「戻ってくるのが遅くないか!?」
――そうだ! マリエルの祖父にあたるギルドリッシュ前王陛下の認めさえあれば、どれだけ王妃が反対しようと、国内の貴族が反対を唱えることはできないはずだ!
前王にマリエルを正式に次期女王と認めてもらえれば、これ以上命を狙われる心配もないし、マリエルも安心して暮らすことができるようになる!
そして、私も――これ以上、レオスを騙す必要がなくなって、全部話して謝ることもできるんだ!
だから、私は背伸びをしてシリルの顔を覗きこんだ。
「使者がノースライス城につくには何日ほどかかるんだ!?」
「せっかちですねえ」
食ってかかる様に叫んだ私に、シリルが紫の瞳を丸くしている。
「けれど、確かに少し遅いかもしれません」
「だったら――」
「ですが、ノースライス城には、早馬でも二日。途中の道の事情もあるでしょうし、ギルドリッシュ陛下への説得に時間がかかっているのかもしれません」
往復に四日。それでも、もう三日も過ぎている!
ぐっと拳を握り締めた。
――わかっている。私が、焦ってもどうすることもできない!
でも――――心の中では、不安そうなマリエルの顔と、辛そうに背を向けたレオスの後ろ姿が浮かんでくる。
「はい」
けれど、私がもう一度何かを言うのよりも先に、手に三冊の太い冊子を積まれてしまった。
「え?」
「ちょうどよかった。これを姫のところにお願いします」
「え、これって……!」
「悩む時間があるということは、暇ということです。少しは姫の姿勢を見習って、急いで届けてください」
手をひらひらとさせると、そのままシリルは背の高い姿を伸ばして、長官室へと歩いていく。
なんだって言うんだ!
別に暇なわけではない! そんなことを言えば、悩んでいる人間は全員暇をもてあましている退屈な人間ということになるじゃないか!
内心反論したい気持ちでいっぱいだったが、正直シリルに口で叶う自信はない。
だから、一冊が私の甲ほどもある重たい冊子を三つも抱えて、暗い廊下をよろけそうになりながら歩いていった。
――これも鍛錬!
うん!
そう思いきって、階段を上ったのが良かったのかもしれない。マリエルの部屋に着く頃には、額に浮いた汗のお蔭で、随分と悩んでいる余裕がなくなっていた。
だから、汗をかきながら、着いたマリエルの私室の扉をこんこんと叩く。
「姫様?」
一応、誰かに聞かれてもいいように敬語だ。
けれど、中からは何の返答もない。
どうしようかと悩んだが、シリルは急いでと言っていた。
だから、私はそっと扉のノブを回してみた。
「マリエル――?」
いつもの着替えとかをしている部屋ではない。その隣にもう一つあるマリエルの寝室に続く書斎と一体になった部屋だ。見回せば、部屋の奥に取りつけられた本棚には、難しい本がずらりと並んでいる。
勉強する机の上には、ロードリッシュの法律全集とここ二百年ほどの国内の記録を記した本が、開いたまま散乱している。
今マリエルが見ていたのは、各地の農地の出来高を纏めた書類だろうか。
紐で冊子に纏められた報告書を開いた横で、マリエルはペンを持ったまま机の上でうたた寝をしていた。
薄い金の髪が、白い紙の上に散らばり、書いたばかりの文字のインクが、一本の金の髪に引っかかって滲んでいる。
紙の上に、転がったペンが黒いシミを作っていた。
「マリエル……」
けれど、マリエルは静かに寝息をたてている。
――毎晩、こんな風に国のことを勉強していたのだろうか?
ふと、シリルから渡すようにと頼まれた手の中の本を見れば、使い込まれた背表紙には、それぞれ『ロードリッシュ税収記録簿』『地方生産品生産高推移』『ロードリッシュ閣議決定事項』と書かれている。
「マリエル……」
毎日、こんなに頑張っていたのか……。
女王に指名されてから、それに相応しくなろうと。
――こんなのを見たら、本当に私の悩みなんて、暇だからで一蹴されても仕方がないな……。
毎晩こんなに見えない努力をしているなんて知らなかった。
完全に脱帽だ。
苦笑しながら、疲れて机に伏せている寝顔をそっと覗くと、最近、マリエルを見るたびに感じていた、もやもやとした胸の曇りが取れていくような気がする。
恥ずかしい――マリエルはこんなにも頑張っていたのに。
私ったら、最近は自分でもよくわからない感情に振り回されて、マリエルから目を逸らしていたような気がする。
大切な従姉妹で、幼馴染みなのに……。
だから、マリエルの机の横に、渡された冊子をできるだけ優しくおいた。
「ん……」
でも、やはり重さで机が揺れたのだろう。微かにマリエルが身じろぎをしている。
だから、いたわるように優しく金の髪を指で撫でた。
「あ、ごめん、起きた? ここで寝たら風邪をひくよ?」
私の声が聞こえたのだろう。薄い金色の睫を持ち上げる。
「寝るのなら寝台に行こうか。寝ぼけているのなら、支えて連れて行ってやるけど」
私を見つめ、ふわりと笑う。
「ん……アン、ジィ……?」
けれど、その瞬間私は目を開いた。
「マリエル? 声が……」
その瞬間、マリエルの顔色が青く変わった。そして、驚く私の前で急いで身を起こして口を押さえると、おののくような表情で私を見つめたのだ。
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