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「ずっと疑問なのですが、なぜあなたは俺をここに呼んだのですか?」


「君は恐るべきタイミングでこの世界を訪れておる……つまり」


「……?」


「私がもうじきこの任務を終えるからだ……あと二一分で三四○年の任期が終わる……私はもうくたくたでね……疲れきっておる、、何もかもが嫌になってきておる、、同時にだ……任期とは私がこの世界に存在する期間を言う。任期終了とは次の世界への旅立ちでもあるのだ。だから晴れやかな気分でもある…… しかし……

ひとりでは居たくなかったのだ」


ええ!? 三百……ええ!?


「私にいわゆる人権などない。自由など毛ほどもなく、あらゆる欲求はままならぬ。鋼鉄のような孤独があるだけだ。私は長く生きすぎた。せめて最後くらい誰かにそばにいて貰いたかったのだ。我儘かな」


「いえ。……しかし長いですね。三四○年とは……」


想像できない年月、時間だ。それでも俺はいまはこの老人に寄り添うべきだろう。俺は彼に問いかけた。


「三四○年の人生、というのはどうでしたか」


悲しいような、安堵するような、困ったような、何とも言えない表情がその横顔には浮かんでいる。


「思い出が多すぎて、簡単には語れない」


それから少しばかり俺たちは世間話をした。俺はいま父親の遺品整理をしていてその家の庭には野良猫がよくやって来て俺を見ると鳴くのです。追っ払うのですがまたやって来て遠くからこっちをずっと見つめるんです。


そう話すと老人は、それは君に言いたいことがあるのだよと言う。そこから人類にとっての猫の役割について、彼は俺にいろいろと語ってくれた。


……時間が来ると彼は姿を薄くさせていき、やがて消えてしまった。せっかく仏教がある国に生まれているのでこういう時は輪廻の渦の中に彼は還ったのだと思うことにする。魂の休息のあと、またどこかで新たな人生が始まるのだと。


ため息をついた。ため息をつくことくらいしか、今ここでやることはなかったのだ。整理された部屋を眺め、とくに何の変化もないので戻ることにし、回廊を通って入り口の扉の前に来るとまた自動でガチャンと音を立ててロックが解除される。


扉を押して開けるとそこには男がひとり立っていた。ロングの金髪でモデルのような超美形の男。若い。とはいえ三○くらいか。上も下もスポーティな印象の服装で足元はスニーカー。


──次の代理人ということか。大変な人生だ……


見下ろすだけで相手は何も言わないが俺はよろしくと言っておいた。口はばったいが地下と地上を含めた全人類のためだ。よろしく。


無言の彼は入れ替わりで回廊に入っていき分厚い扉が閉まり、またロックされる音が響く。


俺は当惑の表情で部屋の真ん中に突っ立っているルナイシエンサに別れを告げ、白いドームの部屋から出ていった。


「なんです? 何があったんです?」と目覚めたマリが廊下を歩く俺に問いかけるが、

俺としては答えようがないので「ああ?」とか「うん?」とかつぶやいておく。


「ハルオ!」と強い口調で言うのでとりあえず立ち止まり「……まあさ、言葉で説明するのは難しいし、整理もできてないんであとでな」と今はいなしておく。


どうもあの部屋での記憶は読めないらしい。脳にも聖域があるのだなあと感心する俺だった。そうするうちにエレベーター前に着き、侍従の中年女性の案内を受ける。二階に上がってしばらく通路を進むと桜井さんが待つ部屋に着いて、侍従の方はそこで去っていく。


ソファーに座る桜井さんはいくぶん若返ったような感じで、顔色に生気があった。


「納得いったか?」と彼は訊いてくる。


「納得した面ともやもやした面がありますね」


そう答える俺を桜井さんは深く探ろうとせず、黙って胸元からタバコを取り出した。


俺たちはそこでしばし時間をつぶすことにした。応接室の内装や家具、調度品といったものすべてが魅力に溢れていて心地よかったからである。殆どがそのデザインの出典をアールヌーボーでまとめ、それでいて過剰に豪華ではなくセンスよく洗練させたものに仕上げているのだ。


俺たちはそれぞれにソファーに深く身を預けてくつろぎ、贅沢な気分を味わった。

……まあ、お互いに何があったかは詮索しなかった。お互いに、言うべきこと伝えるべきことがあればそうするべき時にそうする、という信頼関係があるからだ。


とはいえ俺の方は口にするのはまずい。たぶんずっと胸に秘めていくことになる。神ではないにしても地球意志の代理人との対話なんてのは他人に伝えても無意味だし言葉にして外に出すのもよくないだろう。また預言というものに対する価値にも触れてしまう事柄だ。神にとっての人間は哀れな子羊かもしれないが地球にとっての人間はほぼ害悪しか及ぼさない──


「そういや総帥戦の時に、相手の分身をなんか当たり前のように破ったよな? わかってたのか?」と訊いてくる桜井さん。


「アニエスが総帥のナイトは幻術を通えるって教えてくれたんで、おそらくとどめの場面で分身してくると予測を立ててたんです。あの場合、本物だけ気配があるんですよ。予測してなければ掴めない微少な気配ですけど」


「大したもんだ」


「でも勝負としては敗けでした」


「ま、結果オーライだよ。……さて帰るか。あの家大丈夫かな」


確かに。なんか家ごと飛ばされた感覚が残ってる。ズンと沈んでさ。

マリが言った。


「とりあえず帰投したらカソーレス兄弟を解放しましょう」


「あー、忘れてた」と桜井さん。俺もだ。


部屋を出て廊下の壁に縦の移動サークルを作り、その黒く空いた空間に入っていく桜井さん。俺もあとにつづく。さよなら地下世界。さよならルナイシエンサ。さよなら……そういや名前聞かないままに別れちまったな……名も知らぬ御仁よ。



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