第17話 陣の中の小さな獣1


 『山稽古』の大陣。

 一騎打ち用なのでそこまでの大きさはない。開始位置は対戦者が差し向かいで6,7メートル程度の距離だ。

 圭とりょうはその定められた記号の上に立ち、指先からそれぞれの血を一滴、円の中へと垂らした。

 途端に陣からは揺らめく光が湯気の様に立ち昇り、二人の身体が下方からのその光に包まれていく。


 そして、陣が放っている光とはまた異なる、身じろぎもしないりょうの眦が跳ね返す二つの煌めき 。

 侮られやすい小柄で可愛らしい造形も、その眼の放つ凄烈な迫力だけで打ち消していた。


 ――小柄だから”猛禽”、ってのは、ちょっと安易だったかもな。


  圭は森の気高い獣のような双眸を真っ直ぐに受け止めながらそんな感想を抱く。そして、相手からは恐らく反射して見えているだろう眼鏡を指先で押し上げた。

 光が消えた瞬間から、試合開始だ。あと数秒もないだろう。

 圭はポケットの中へと手を差し入れる。



 沙雪はそんな二人の様子を陣外から見守っていた。隣には美織と、その足元に寝そべる狸。


(――大きい……)


 目の前の小方陣の中に置かれた二対の紙人形が、白から朱に変わっていく。

 その向こうにある仕合場自体は50メートル四方程度。これは『雪波』で見た時のものと同等のようだ。しかし、その仕合場自体を内包している結界は、沙雪の予想をはるかに超え、200メートル四方はある。遥か向こうの方に結野邸や庭木、そして莉緒の家が、陽炎の様に揺らめきながら見えていた。


「美織さん、この”箱”って二つとも、あたし達が帰ってから作ったんですよね?」


 ”山稽古”の結界だけでなく、これだけの規模の空間拡張・空間遮断結界を、1,2時間程度の時間で構築したのかと、沙雪は尋ねる。拡場結界は普通は隠れ家などの土台を作るために数日間かけて張るものだ。ランニングコスト低減の為の手間に最も労力がかかるとはいっても、この広さを数時間で作れるなどと言うのは聞いたこともない。

 沙雪はどこかの広場へ移動してから遮断結界を起動するものだとばかり思っていた。まさか圭の家の庭に何十倍もの拡張結界を張るとは。

 その難易度。その魔力量。

 それを思うと、沙雪の深腹へとじくじく重い圧力が懸かった。


 ――魔力隠蔽。

 美織はそれを施してるとしか考えられなかった。隠蔽そのものに魔力を要するという非合理的で、更に終始集中を要するその技術を、この美織という人は今も鼻歌交じりにやってしまえるということなのか。

 そんな、冷汗が浮き立つような推測をしての質問だった。


 隣に立つ美織は、


「んーそだよ」


 とこともなげに答えた。


「あ、でもデカい方の箱作ったのは美織ちゃんじゃおないよ?」


「え、じゃあ…」沙雪は仕合場に立つ圭の方を見る。


「あーいや圭君じゃない。圭君は結界クソだから」

「じゃ、誰なんですか?」

「グッフッフー。どこかにー、隠れキャラがまだいるのかもねえー。さて、いつ現れるのかなあ?」


 この結界を張れる、美織側の魔術師。

 そもそも美織と並んで立つことにも圧迫感を覚えていた沙雪は、呼吸が乱れそうになるのを意識的に抑える必要があった。

 実力は未知数だが、りょうの魔弾を身動ぎひとつせずに受けて見せた圭。

 人の【通話(コール)】を操作し改変してしまうことが可能な美織。

 そして、もう一人。

 巨大な結界を短時間で構築してしまう魔術師がいる、と。


 とんでもない魔女達が、この町に、この場所にやってきたのかもしれない。

 沙雪はむしろ開始位置に立つ二人よりも緊張し、また追い込まれたような気持ちへとなっていた。


「あっとー、さてさて。そろそろ光が消えるっすねえー」


 美織が腰に手を当ててゆったりと言った。

 その足元の狸は、沙雪の緊張感を癒しでもするかのようにぼっさぼっさと尻尾で地を叩き、退屈そうな欠伸をひとつした。



 そして、


 ――立ち昇る光が消えた。



 月明かりと、陣の模様とが照らす薄明の中、二人の魔術師が立ち尽くしている。

 圭は十中八九りょうは開始時点で仕掛けてくるだろうと思っていたのだが、巫女装束に身を包んだ彼女は、意外なことにそのままそこにいた。

 そしてりょうは強い目で圭を見たまま、口を開く。


「お前さあ、舐めてんの? その恰好」

「…ん? …ああ、これか」


 圭は今学校指定のジャージを着ていた。両手をポケットに入れたまま、その上着をりょうに向かって持ち上げて見せる。


「学校用と予備とで二着も買ったんだから、むしろ褒めて欲しいんだけどな」

「……だから、舐めてんのかって」

「そういうつもりじゃないよ。そう言うりょうのは、『雪波』のやつか」


 りょうが目の力は緩めずに、しかし片方の口角を上げた。


「ああ、ま、実は祭事用なんだけどな。ほんとは上下白だけど、こっちは袴が赤いだろ? 白はボロボロにしちまったから持って来てねんだ」

「ふーん……。なんか、動きにくそうだけど」

「緩いからそうでもない。それに袖がこれだけあるからな、手元を隠せる」

「ああなるほど」


 魔法戦なら媒体を操ることが多い両手はなるべくなら相手に見せたくない。それが札だったら尚更だろう。相手に視力と知識とがあれば呪の内容まで見えてしまいかねないのだ。

 更に媒体と見せかけて魔具なども隠しておけるほど余裕があるのなら、攻撃パターンも随分増えるはずだ。


「今はどんな札を持ってることやら、だな」

「ふふ、何だと思う? じゃあほら」


 りょうがじりじりと両手を斜め前に上げ始めた。その口元には、笑み。


 手の動きに伴って場の空気が張りつめて行く。

 仕掛けてくるのは札が見える前か、見えた瞬間か。どのタイプの攻撃魔法か、それとも状態異常デバフ系や地面などへの環境変化か。


 そして、ゆっくりと、軽く開いた両手が袖の内側から現れた。指先にも、手の表裏にも何も持っていない。


「あれ」

「へへへー、ビビった?」

「ああ、君の媒体は――」


 圭が疑問を投げかけようとしたその瞬間、りょう”自身”の姿が消えた。



「……マジか」


「……そっちこそ、マジかよ」



 互いの右前腕を打ち付け合った状態で目を合わせ、瞬時に双方はこの状況が表していることを理解し、互いに距離を取る動作に移る。


 りょうはそのまま進行方向へ。圭もりょうの反対方向へ。

 ほぼ互いの向きを入れ替えた二人は、しかし先ほどと倍近い距離を取って立っていた。


 ――【人狼(ワ・ウルヴン)】の双方起動。

 つまり、近接戦闘。

 白兵戦。

 あらゆる遠距離攻撃が可能な魔術師にとっては悪手だ無意味だという扱いを受けやすく、特に魔女からは論外と疎まれる戦闘法のはずだった。


 しかし、少なくとも起動に1、2秒以上がかかり、ものによっては呪を唱える必要さえある魔法攻撃という、その存在自体を逆にフェイントにしての肉弾攻撃。

 これで先(せん)は取れるはずだった。むしろ相手が物理防御を起動していなければそこで試合終了にまで持ち込める。もし【速度(スピード)】を起動済みで距離を置こうとしても、そこから逃がさずに追い回せば碌な対抗魔法も放てない。

 それを、お互いに狙っていたのだ。


「……ハハッ」


 圭は短い笑いとともに歩き出す。

 通常歩行の速度だ。互いに多少の混乱はあるが、向こうの方が心理的な揺れは大きいはず。ならば考える時間を与えずに、再び場を緊迫させておきたい。


「今の瞬間は多分お互いに、いい表情をしてたんだろうな」


 りょうは歩き出した圭を見てすぐに袖から二本のたすきを引き出し、空中に輪状に振った。それらはそれぞれの両肩に自らかかって、前腕を露わにするたすき掛けとなる。

 そして構える。

 指先を前側に出す、『只人』ならどちらかと言えば組み技に多い構え。しかし魔法が使える者の戦闘だったら手先の構え方など大した意味はなさない。

 衣装の千早ちはやの白さに負けない、柔らかそうな、短く白い腕だった。


 圭は集中を深め、相手の呼吸を読み始める。

 しかしりょうの鼻腔や胸部には動きと言えるものはほとんどなく、よく鍛錬が積まれているのが息だけでも分かった。圭は更に聴覚、触覚も駆使して、相手の息の吸い始めと思える瞬間、視覚では瞬きの開始の瞬間を捉えようとする。


 そして先ほどと同程度の距離まで二人の間が詰まったとき、先にりょうが動いた。

 それでもいい、と圭は、即座に真横に飛んだ。

 もう既に圭からりょうの姿は見えないが、駆け出し時点では恐らく緩い弧を描いての接近だ。

 圭は、論理性度外視の距離とスピードで真横へとダッシュを続ける。既に相手に背中さえ見せておきながら、圭は後方へと聴覚を集中させる。


 りょうが先程圭がいた地点でターンし、こちらへ走り出す、その一歩目の音。

 この瞬間を狙って圭は両足を地面へ思い切り踏み下ろした。

 土を削って踵をほぼ地中に埋めながらも、膝を曲げて、先程より速く力強い、渾身の背面ジャンプをする。

 りょうがいる方向へ、ギリギリの低空で。


 空中で身体を捻り、ジャンプからダッシュへと入る一歩目で相手の反応を見る。りょうは走りながら急いで構えに移行しようとしていた。先は取れたようだ。圭は両足を回転させるように駆る。あと二歩半。


 フックのような左突きを放ち、りょうの両手両足の動きを更に見つめる。その足は減速と、右側への移動を始めようとしている。その手は圭のフックを防御しようとしている。これなら恐らく当てれるか、体を掠めることは出来そうだ。

 そして圭はその”恐らく”を消すために、そして下手なフェイントでダッシュの勢いも殺さないように、着地すべき最後の足で空を切り、一気に体を沈める。

 そしてそこからほとんど無理矢理に、ギリギリで地に差し挟んだ三歩目と両手とで地面を掴んで飛び、そして、肩口をりょうの胸の下あたりにめり込ませた。


 ――論理立った格闘は『只人』のもの。魔法が既に論理外の能力なら、格闘も論理外の動きを。

 圭はこれまでにそう教わってきていた。


 例えば初手で三回ランダムに飛んで結局相手との距離を詰めなかったとしても、敵はそこからは『論理立ってない動き』を認識に加えざるを得ないので、戦闘中に予測せねばならないパターンが格段に跳ね上がる。相手が戦い慣れしていなければ予測それ自体を放棄しかねない。そうなれば、ただの直線移動と正拳突きさえがフェイントになるのだ。

 『お山』では、高速で仕合場を綺麗に一周した挙句普通に殴って来た強者もいた。

 

 十メートル超の距離を吹っ飛んで、片手と両足を地について止まったりょうを、圭は追わなかった。

 ただりょうの目を見つめながら、再び散歩の速度で歩き出す。


 心的圧迫によってここでりょうが媒体や魔装を出せば、戦いはやっと本当の意味での始まりとなるのだ。


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